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2012年、竹島問題の一幕

[世界の窓] 独島 後日談

2019-11-18 (韓国の)毎日新聞
https://news.imaeil.com/Satirical/2019111809193936726

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チャン・ドンヒ 新しい村(セマウル)世界化財団代表理事/前駐フィンランド大使/法学博士(国際法)

東海・日本海併記2012年国連会議
独島問題で突然領土論争秘話
確実な領土主権を行使する独島
紛争なしに領有権期間が長くなるほど有利


 2012年8月10日は筆者には忘れることのできない日だ。筆者は、当時、ニューヨーク国連本部で開催された第10次国連地名標準化会議(UNCSGN)に首席代表として出席中だった。国連地名標準化会議は各国の地名標準化政策及び地名表記法などを議論するために5年ごとに開催される国際会議だ。我が政府の最大関心事は、「日本海」と表記された「東海」の名前を最小限東海と日本海が併記されるようにすることに対する国際社会の支持確保であった。
  しかし、会議の二日目に突発事態が発生した。我が国土地理院が製作、配布した「地名の国際的表記指針書」に表記された「Dokdo」に対し、日本代表が会議の席上で公式抗議をした。「日本の固有領土である竹島を韓国政府機関が発行したパンフレットであたかも韓国領土のようにDokdoと表記したことに対し強い遺憾を表わし、是正を要する。」というものだった。筆者は、歴史的にも国際法的にも大韓民国の領土である独島に対するとんでもない主張を慎むことを要請すると強力に反論した。地名を扱う会議が領土論争に飛び火したのだ。
  問題はそれからだった。国際会議が終われば、会議の席上でやりとりされた発言を要約、整理した最終報告書(Final Report)を採択する。日本代表は、独島領有権関連の自身の発言を最終報告書に入れてくれと言う。日本側は韓国側の反論要旨も一緒に入れても良いとしながら、独島をめぐる論争があったというのは一つの事実(fact)として、当然最終報告書に反映されなければならないという立場だった。しかし、独島の紛争地域化を認めないでいる我が政府の立場を勘案すれば、独島紛争の事実を立証する領有権論争を初めて国連文書に記録として残すというのは、筆者としてはとうてい容認できないことだった。韓日間のこの問題が尖鋭に対立したために、8月9日に終了することになっていた会議日程が8月10日まで一日延びる事態まで発生した。日本代表団との非公式会談が開かれることになっていた8月10日朝(ニューヨーク現地時間)、李明博大統領の独島訪問の知らせが聞こえてきた。
  日本側の立場はより一層強硬になるほかはなかったし、両国間の妥協の余地は消えた。議長は、韓日両国が合意を見ることができなければ表決で決める外は無いという最後通告を送ってきた。今までコンセンサスとして採択して来た慣例を破ることになってまことに遺憾だ、という言葉と共にだった。筆者は表決も辞さないという強い立場を表明したが、内的には途方もない圧迫を感じないわけにはいかなかった。国家元首が独島を訪問した正にその翌日、国連で独島関連表決をして敗北したというマスコミの報道が新聞1面を覆う場面は、想像するだけでぞっとするものだった。
  熾烈な交渉の末に、独島関連文案は最終報告書から削除して、代わりに空の括弧だけ残すことで合意した。議長は総会の席上で、「関係当事国が合意した文案を持って来ればその文案で空の括弧を満たして最終報告書を暫定採択する」と発表した。共に苦労した全ての代表団員らと共に声を限りに万歳を叫びたい瞬間だった。軍人は戦争で勝利すれば戦功で知られるが、外交が成功して戦争を防止すればこの成功した外交は誰も知らない。
  この事件を体験して再確認できた教訓がある。国土地理院の地名表記指針書発刊は大きな成果だが、この指針書をあえて会議の席上で配布して日本の挑発を誘導する必要があったのか、ということだ。李前大統領の独島訪問の直後、日本がそれまで自制してきた国際司法裁判所提訴の主張までしながら激しく反応したという点も注視する必要がある。
独島に対しては我が政府が確実な領土主権を行使しているだけに、時間は我が方だ。平穏無事な状態で私たちが領有権を行使している期間が長ければ長いほど、私たちに有利だ。日本側の挑発に対してはきっぱりと対応するべきだが、私たちが日本側を刺激する行動を先にする必要はない。独島対応の基本戦略だ。

<コメント>
 「平穏無事な状態で私たちが領有権を行使している期間が長ければ長いほど、私たちに有利だ。」とおっしゃるが、現実の韓国による竹島占拠は日本政府の抗議によって平穏無事に推移しているわけではないし、そもそも日本が平穏無事な状態で領有権を行使していたものを韓国が奪取して紛争が起きたという事実をこの国際法の先生はまず理解しなければならない。



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「韓国の大学は嘘の製造工場」

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去る14日に日本語版が出版されて、さっそく売り上げ部数1位だそうで、いいことだ。

ところで、韓国ウォッチャーから見てこの本の一番強烈な記述は次の部分ではないかと思う。

「私が見るところ、この国の歴史学や社会学は嘘の温床です。この国の大学は嘘の製造工場です。」(p18)

 竹島問題(だけでもないが)を見ていれば本当にそうだと思う。竹島問題でウソばかり言う韓国の独島研究者たちは、この本を読んで少しくらいは良心に響くものがあるだろうか? いや、もともと学問的良心というものが無いのだから何も響かないか。

 それと、これは本に書いてあることではなくて、文芸春秋のインタビューにイ・ヨンフン氏が答えたことだが、「これまで日本の"良心的知識人"たちが我々の反日種族主義をあおり、維持・強化する役割をしてきたということは指摘しておきたいと思います。」(文芸春秋2019年11月号p114)という一言は、日本のマスコミ人や「良心的知識人」に対する良い牽制になっているのではないだろうか。









続く独島論争(1)

引き続く独島論争-于山島と石島の実体!
李承晩TV 2019.11.03 イ・ヨンフン李承晩学堂校長
https://www.youtube.com/watch?v=9kXssDpsPLw&t=386s

 自由と事実を追求する李承晩TVです。視聴者の皆さん、こんにちは。今日の主題は「続く独島論争 于山島と石島の実体」です。『反日種族主義』の本で、私は、私たち韓国人の古くから共通する政治的通念、独島は私たちの固有領土だ、ということに挑戦しました。そうかと言って、私が独島は日本の地だと主張するのではないということはこの講義シリーズを通じて明確にしました。1952年の李承晩大統領の独島編入はそれなりの政治的・軍事的決断であってそれなりの歴史的意味を持つもので、それを私たちは大切に評価して大事に扱わなければならないのです。その一方で、李承晩大統領が『世宗実録地理志』とか安龍福事件、『東国文献備考』などのような歴史的文献に根拠を求めてそういう行動をしたのではないということを述べました。ともあれ、独島をめぐって日本との紛争が広がっているわけで、紛争地は紛争地として、慎重に、知性的にこれを扱って解決していく必要があるもので、その時に私たちが取るべき態度は何か、そういうことを私は今まで強調して来ました。しかし、ともかく、私は朝鮮王朝が今日の独島をその固有領土として認知して支配したという通念に対しては疑っています。今までそのことに対して多くの反論があって、私がまた、この講義を通じて、KBSの映像を中心にして反論しました。その後も『週刊朝鮮』を中心にして反論記事が絶えることなく続くので、今日はそれに対応することにします。「引き続く独島論争」、それが今日の主題です。
  去る10月14日付けの『週刊朝鮮』では、東北アジア歴史財団のホン・ソングン研究委員が「イ・ヨンフンの独島論に反論する」いうタイトルをつけて、独島は于山島という名前で、また、大韓帝国の時代には石島という名前で、朝鮮王朝、大韓帝国の領土として支配されて来たという主張をして私を批判したことがあります。それに対して私の反論を申し上げようと思います。
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(02:38) お見せしているこの写真は、ネイバー地図からキャプチャーしたものですが、今日の独島です(翻訳者注:鬱陵島のことを独島と言い間違えているようだ)。島が二つあります。ここに竹島(チュクト、竹嶼)があってこちらに観音島があります。この二つの、独島(翻訳者注:これも「鬱陵島」の言い間違い)の周辺には人が住める島が二つありますが、竹島(チュクト)と独島(翻訳者注:この「独島」は意味不明。「観音島」というつもりだったのだろうか。)だということを前提にして私の話を聞いていただければありがたいです。
  この独島(翻訳者注:この「独島」も意味不明。)に関する地図が初めて現れるのは、既に良く知られているとおり、歴史書でも、また各種博物館でも広く知られていますが、1530年に描かれた「八道総図」という地図の東海の部分です。鬱陵島の西側に、つまり鬱陵島と内陸の中間に、于山島が鬱陵島より少し小さい大きさでこのように描かれているのですが、私は『反日種族主義』の本で、このことは15世紀始めに朝鮮王朝が全国の全ての島を空ける空島政策を施行して以来生じた一つの幻想だという話をしました。そして、これが幻想であることが明らかになるのは、言い換えれば鬱陵島と内陸の間に島は無いということが明らかになるのは、皆さん良く御存知のように1693年から6年間にあった安龍福事件です。この安龍福という人物が鬱陵島を経て日本まで行って鬱陵島は自国の領土だと主張をすることになって、そのことを契機にして朝鮮王朝と日本幕府間の外交的交渉が行われ、日本の漁民はそれ以後鬱陵島に行けないようにする措置が日本側で取られます。以後、朝鮮王朝は2年あるいは3年に一回ずつ定期的に鬱陵島の三陟の武官営将を派遣して、日本人たちが来て住んでいないか調査します。このようなことが繰り返されるに伴って、この于山島というものは、鬱陵島と内陸の間に于山島は無いという認識が成立するのに伴って、于山島の位置が東側に移って行くという話を先日しました。
  ところで1694年の安龍福事件が・・・・た後に三陟営将張漢相という人物が鬱陵島に初めて赴きます。朝鮮王朝の命を受けて実に280年ぶりに初めて鬱陵島に行って、聖人峰に登りました。そこで言った言葉について、ホン・ソングン東北アジア研究財団研究委員はここで張漢相が独島を見た最初の韓国人だということを主張しました。その言葉は次のとおりです。

  聖人峰-当時は三峰と言いましたが-聖人峰に登って見ると、西側にはうねうねとした大関嶺(翻訳者注:朝鮮半島江原道の山の峠)の姿が見えて、東の海を望めば東南の方向に島一つがぼんやりと見えて、大きさは鬱陵島の三分の一にならず、距離は300余里に過ぎない。(張漢相 『鬱陵島事蹟』)

(翻訳者注: 『鬱陵島事蹟』 https://chaamiey.blog.fc2.com/blog-entry-833.html)

  この言葉を指して、多くの人々が張漢相は独島を見たと言います。しかし、私はあらゆる史料を批判的に見る者なので、そんな通説を安易に受け入れることができません。まず、鬱陵島の聖人峯から大関嶺は見えません。見ることはできません。鬱陵島から内陸陸地は、・・・・の澄んだ海上を背景にシルエットとして三陟の・・・・・・・・がぼんやりと映るだけです。真昼に聖人峰に登りますと木の枝が密集していて周辺・・・・・・・・で、空と海がつながった遠い海が海霧の中にうっすらと見えるだけです。200km以上離れた三陟の大関嶺を見たというのは話になりません。この張漢相は鬱陵島周辺に于山島という島があるという古くからの通念を持っていたでしょう。それを探すために東南の方角を眺めたところ一つの島がかすかに見えて、鬱陵島の3分の1にならない大きさだと言ったのですが、これは信じられません。鬱陵島と独島の関係は今とても詳しく明らかにされています。それには東北アジア研究財団が大きい寄与をしたのですが、およそ580日間現地で観測した結果、56日、ということは10分の1未満の確率で、朝の海がとても澄んでいる時、主に秋と冬、海の遠い水平線の上に指の爪ほどの大きさで独島がかすかに浮び上がります。中天に聖人峰に登れば、私も独島を見るために二回も登りましたが、先ほど申し上げたように色々な・・・・・・・・・・・の作用もあって、大気の不純物もあって、周辺に峰や樹木がいっぱいで、遠い海がぼんやりと見えるだけです。東南80km海上の独島を真昼に観測するのは不可能です。それでは張漢相は何を見たのか。東南の側に一つの島がぼんやりとあって鬱陵島の3分の1にならない、実際の独島は鬱陵島の何分の1にもなりません。見たとすれば爪ほどの大きさです。それが鬱陵島の3分の1ほどの大きさで遠く東南側に島を見たというのは、東南の海上に形成された海霧を見た、あたかも今日の釜山の太宗台や冬柏島から対馬を眺めれば対馬が見えたと言いますが、それが科学的に証明されました。海霧による蜃気楼の作用です。もちろん釜山で高い所に上がれば対馬は見えますよ。海で何かを見たというのは、相当な程度で海霧による蜃気楼の作用があります。しかし、とにかく、ホン・ソングン委員は、この資料を根拠として、張漢相は独島を観測したし、この事実は以後朝鮮王朝の人々によって広く保持されて行ったと言いながら、18世紀以後描かれた多くの江原道地図や全国地図で鬱陵島の東側にある于山島が、この図ですが、18世
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紀中葉に鬱陵島の東の于山島が描かれた図が多数現れるのですが、これが全て独島だと言っていて、今日の韓国教科書や多くの人々がその点を疑いの余地が無いと考えています。しかし私はそれは難しいと考えるのです。本来はこちら西側にあったのが東に移って来た契機については少し前に説明をしました。何も無いということが明らかになったために、ああ、これは東側にあるようだと、・・・・・・・・・東に移ることになったわけですが、果たしてこの島は何なのか、ホン・ソングン委員は張漢相の目測を契機にしてそれが正に独島だと主張しているのですが、事態はそんなに簡単ではありません。もう少していねいに確かめてみなければなりません。
(続く)


<コメント>
 張漢相が鬱陵島の東南に島を見たというのは、私も竹島のことだと思っていたし、多分、日本の竹島研究者の人たちもそう考えていると思うのだが、イ・ヨンフン教授によれば蜃気楼か。言われてみればそうなのかという気もするが、どうかなあ。まあ、実際に竹島を見たのであっても、その後、朝鮮政府は竹島に対して何の事後措置も取っていないので、領有権論争にはどのみち関係はない。



政府主催の竹島式典を

島根県、日本政府レベルの独島領有権行事開催主張

2019-11-12 東亜日報
http://www.donga.com/news/article/all/20191112/98314455/1

2005年から「竹島の日」行事……日本領土相「協力する」立場明らかに
  東海に面した日本島根県が、11日、「これからは中央政府が‘竹島の日’行事を開催してほしい」と公式要請した。実現すれば強制徴用賠償、輸出規制などで対立する韓日関係をさらに悪化させるものと見られる。共同通信によれば丸山達也島根県知事はこの日東京内閣府庁舎で衛藤晟一領土問題担当相に会って、独島領有権に関する中央政府の支援を強化してほしいという要請書を伝達した。この文書の主な内容は、△中央政府が主催する「竹島の日」行事開催△「領土・主権展示館」移転に伴う展示および機能の充実化△国際司法裁判所(ICJ)単独提訴を含む新しい外交などだ。衛藤領土問題担当相は「根が深い問題だ。 島根県と協力する」という立場を明らかにしたと共同通信は伝えた。
 島根県は2005年に毎年2月22日を「竹島の日」と指定する条例を作った。 翌年から地方自治体レベルの行事を行っている。
 東京=パク・ヒョンジュン特派員





2019年度独島学術大討論会

2019年度独島学術大討論会
独島関連研究・政策の最近動向と学際的分析

http://www.dokdoinkorea.or.kr/

歓迎の言葉
  こんにちは。独島学会は独島研究保全協会と共同で、2019年11月1日、独島学術大討論会を開催します。「独島関連研究・政策の最近動向と学際的分析」という大テーマで歴史、地理、国際法、国際政治など各学問分野の専門家たちが主題発表と指定討論を進めます。独島研究にあって貴重な交流の場になる今回の独島学術大討論会に皆さんの積極的参加を期待します。ありがとうございます。
2019年11月1日  独島学会会長 拝

2019年度独島学術大討論会行事日程

o日時:2019年11月1日(金) 午前10時~午後5時
o場所:東北アジア歴史財団大会議室(11階)
o主催:独島研究保全協会、独島学会
o後援:韓国領土学会、水産協同組合銀行、水産協同組合中央会

□開幕式
o国民儀礼
o開会の辞:イ・キソク(独島研究保全協会会長、ソウル大学名誉教授)
o記念撮影

□基調講演(10:15~11:00)
Oシン・ヨンハ(ソウル大学名誉教授) 「連合国のサンフランシスコ対日本平和条約における独島=韓国領土確定と再確認:政治社会史的考察」

□主題発表1部:国際法と国際政治(11:00~12:30)
<司会>イ・チャンヒ(韓国外国語大学名誉教授)
oチェ・チャングン(大邱大学教授) 「2018~19年島根県の独島領有権論理捏造に対する現況分析」
oソ・インウォン(日帝強制動員被害者支援財団チーム長) 「日本固有領土論の矛盾点と政治的紛争化」
oチェ・ポヨン(東国大学歴史教科書研究所研究員) 「日本内閣官房領土・主権対策企画調整室収集の独島領有権関連史料分析とその性格」

<指定討論>
oクァク・ジンオ(東北アジア歴史財団研究委員)
oイ・ドンウォン(鮮文大学専任研究教授)
oチェ・ソンホ(中央大学教授)
□昼食(12:30~13:40)

□主題発表2部:歴史と地理(13:40~15:10)
<司会>イ・サンテ(韓国領土学会会長)
oキム・スヒ(独島財団部長) 「近代鳥取県の朝鮮進出政策と鬱陵島、独島」
oチェ・ソンウン(韓国地図学会副会長) 「近代以後独島の測量と地図製作」
oイ・ボムグァン(慶一大学教授) 「独島の地籍変遷史研究」

<指定討論>
oクォンジョン(培材大学教授)
oソン・ホヨル(韓国地図学会会長)
oチ・ジョンドク(明知専門大学教授)
□休息(15:10~15:30)

□主題発表3部:研究と政策(15:30~16:00)
<司会>リュ・ジンチュン(慶北大学名誉教授)
oソン・フィヨン(嶺南大学研究教授) 「鬱陵島争界関連研究の動向と課題」
oイ・ウォンテク(東北アジア歴史財団研究委員) 「朝鮮の海禁と捜討政策」
oユ・ハヨン(東北アジア歴史財団研究委員) 「管轄権行使としての東北アジア国家海洋政策/制度と漁業関係」

<指定討論>
oチャン・スンスン(全州大学研究教授)
oペク・インギ(韓国海洋水産開発院研究員)
oイ・サンミョン(ソウル大学名誉教授)

□総合討論(1600~17:00)
<司会>ホン・ソングン(独島学会会長、東北アジア歴史財団研究委員)
o主題発表者および指定討論者など


<コメント>
 イ・ヨンフン教授は先日の独島講義の中で、韓国の独島研究者たちのことを「率直に言って、史料を精密に読んで完全に理解し、ひいてはその史料に込められた時代的状況を把握し出すことのできない非専門家集団に過ぎません」と酷評していたのだが、この学術大討論会にはそういう人たちが集結している感がある。
 この討論会で発言する人たちは、果たしてイ・ヨンフン教授が『反日種族主義』の本やYou Tubeで指摘した韓国内の通説の矛盾を意識した発言をするのだろうか、それとも、相変わらずそんな指摘は存在しないかのような涼しい顔をしながら従来どおりの下らない主張を繰り返すのだろうか。




「老中の内意」は捏造?

  日本史研究会の機関紙『日本史研究』第682号(2019年6月)に名古屋大学池内敏教授の竹島問題関連の論文「「老中の内意」考―幕府は竹島漁業を公認・許諾したか―」が掲載されている。
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  江戸時代に鳥取藩米子の町人大谷家と村川家は幕府の許可(竹島渡海免許)を受けて竹島に渡航して産物を収穫していた。(この竹島は後に朝鮮の鬱陵島であることが判明して竹島渡海は禁止されることになる。) 今の竹島は江戸時代には松島と呼ばれていたが、山陰地方から竹島(鬱陵島)へ行く海路の途中にあるために、大谷・村川の竹島渡海に伴ってその途中寄港地として自然に利用されるようになった。大谷・村川が松島を利用することについて幕府はどう見ていたのかというと、それを示す史料が一つあって、「来年から竹島の内の松島に貴殿が船を送る予定であることについては、先年、四郎五郎が御老中の内意を得ております」という一文だ。
  これは万治3年(1660年)9月5日付けで旗本阿部四郎五郎の家臣亀山庄左衛門から大谷家当主の大谷九右衛門に当てた手紙の一節だ。(阿部家は大谷・村川と幕府の間にあって大谷・村川の竹島渡海事業について何かと面倒を見る立場にあった。) この史料に基づいて「1661年以降は、今日の竹島についても幕府の公認の下で渡航していたことがわかる。」という説明がある。(第3期竹島問題研究会『竹島問題100問100答』Q60「日本は、竹島をいつ頃からどのように利用してきたのか。」)

  これに対して、今回、池内教授は冒頭記載の論文で「老中の内意というものは存在しない。それは亀山庄左衛門の作為である。」と断定している。そういう断定をする根拠が面白いのだが、根拠は、この時期の大谷・村川の松島渡海事業に関する手紙のやりとりの資料は9件あるが、それらの中で「老中の内意」はただ一度出て来るだけで、他の8件には全く現れないこと、「老中の内意」を得たのが事実であるならばその時期は他の資料と突き合せれば約1年前となるはずだが、1年前のことを「去年」と言わずに「先年」と言って具体的にいつなのかをあいまいにしていること、当時は阿部家の当主四郎五郎正継が死んで新しい当主四郎五郎政重が跡を継いだばかりの時期だったために、大谷・村川に対して今後も阿部家の対応には何ら変わりのないことを伝える必要があった、だから「老中の内意」という権威を持ち出す必要があった、というものだ。

  これは非常に池内さんらしい物の見方で、「老中の内意を得た」と当時の人間が書いていることに対して、それは疑わしいと思わせるような具体的な史料は無いにも拘わらず、「いろいろな史料を見ればこういう印象を受ける」という自分の推測をもってそれが歴史的事実であると断定するに至るわけです。これが「歴史学的解釈」ということなんでしょうね。
  一方で、池内さんはその正反対のことも言っています。例の元禄竹島一件と天保竹島一件のことですが、幕府の渡海禁止命令にはその対象として「竹島」(鬱陵島のこと)しか書いてないにも拘わらず、いろいろな史料を見ればそれは「松島」(今の竹島)を含むことは明白な事実だ、というのが持論ですね。ここでは「無」から「有」を作り出してあるのですが、今回の「老中の内意」の件では「有」を明確な根拠無しに「無」としてあります。自分の都合の良いように史料を恣意的に解釈するのはいい加減にしませんかねえ。
  大体、当時の武士が実際には存在しない「老中の内意」というようなものを捏造することができたんでしょうか。ウソがバレたら怖いのでそんなことはとてもできなかったのではないかと思うのだが。しかも、口先でそれとなく言って適当にごまかしておくというような方法ではなくて、手紙にはっきりと書いてあるのですよ。ウソがバレたら明白な証拠資料になってしまいます。とても危険です。阿部家の代替わりによって大谷・村川が不安を感じることの無いようにしたいと言うのなら、ほかに書きようはありますよ。「阿部家は今後とも御老中様方と連絡を密にしてそのほうたちの渡海事業に支障が出ぬよう配慮するので無用の心配には及ばぬ」とか何とか言ったっていいのです。阿部家の権威つけのために「老中の内意」というものを捏造したのだという見立ては無理が有り過ぎです。





講和条約 竹島 米英豪協議過程

領土・主権に関する資料収集(竹島に関連したこれまでの成果について)
2019年9月10日 公益財団法人日本国際問題研究所
http://www2.jiia.or.jp/pdf/JIC/10910-press_release_takeshima_front_page.pdf

その別紙
http://www2.jiia.or.jp/pdf/JIC/10910-press_release_takeshima_attached.pdf


独島問題、KBSに答える(3) 韓国の独島領有(その3)

独島問題、KBSに答える(3) 韓国の独島領有
2019.09.26 李承晩テレビ(イ・ヨンフン李承晩学堂校長)
https://www.youtube.com/watch?v=VkW0DJeAOdg&t=1259s

(続き)
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 公式な外交史では確認されない事件ですが、1965年1月、両国政府間では独島問題をめぐって最高指導者間に、韓国の朴正熙大統領と日本の首相の間に密約がありました。これを否定することはできません。お見せしているのが正にそれに関する本です。ここに対しては「月刊中央」がその当時、2007年に特集もしました。この本は我が国民はあまり関心を持っていませんが、ぜひ買って読んで見てください。独島密約無くしては1965年10月の両国の国交正常化は不可能だったと考えます。なぜかと言うと、いくら小さくても領土は国家の自尊心が関わった問題です。互いに簡単に譲歩できない問題です。これが交渉のテーブルに上がれば互いの合意は不可能なことでしょう。それでその深刻な問題をテーブルの下に下ろすぞ、としたのが正にこの独島密約の基本趣旨です。これに関してはKBSのユン・チャンヒ記者も適切に言及していて私としてはうれしい気持ちです。密約は次のような内容でした。
  独島は今後韓日両国いずれも自国の領土だと主張することを認め、同時にこれに反論することに異議を提起しない。二番目に、将来に漁業区域を設定する場合、独島は結局は漁業区域に関連したものではないですか、両国が独島を自国領土とする線を画定して二つの線が重複する部分は共同水域とする。これは金大中大統領がそのとおりにした内容です。三番目に、現在の韓国が占拠した現状を維持する、韓国の実効的支配を日本が認める、しかし警備員を増強したり新しい施設の建築や増築はしない。四番目、両国はこの合意を今後ずっと守って行く。
 
  この密約は、以後42年間、月刊中央の表現によれば「絶妙にも」両国政府によって遵守されました。韓国が独島を実効支配、現実的に占領した状態で、互いに自国の領土だという主張をして、それに対して互いが反論しない、というわけです。そのようにして1965年以後に韓日間の協力の時代が開かれて、それは同時に私たちの韓国経済の高度成長の時期でもあったのです。それが、事実上、公然と無視されることになったのは、私が『反日種族主義』の本で指摘したように、2003年盧武鉉政府からでした。ユン・チャンヒ記者が紹介したとおり、盧武鉉大統領は2005年3月に独島に対する民間人観光を許容し、2006年4月には韓日関係に対する特別談話を発表して、独島は私たちの土地だ、独島問題ももはや静かな内容で管理できない問題になった、独島問題を主権守護のレベルで正面から取り組む、このように宣言しました。事実上、密約を破壊したものですね。歴代政府がどうして来たのかを全く知らない状態であったと考えます。ユン・チャンヒ記者は独島に対する挑発は日本が先だと主張しますが、それに関しては私も今後もう少しいろいろ確かめて見なければなりませんが、私はどうしても韓国側だったと考えます。その出発は1997年11月独島に接岸施設を建築した金泳三政府からだと思います。

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 御覧のように、独島の接岸施設の建築礎石ですね。新しい施設の建築やその増築はしないという約束が崩れてしまいました。1997年11月、正に外国為替危機が進行している途中でした。金泳三政府は、私たちの『反日種族主義』の本で指摘したとおり、いろいろ無理な方向で反日種族主義的な民族主義を高揚させた政権です。一つの国が・・・・・・・・・・時に政治がどんな役割をしているのかは、金泳三大統領の統治形態を通じて良く知ることができます。彼の5年間のそのような行為は、結局はIMF経済危機に陥りましたが、IMF経済危機がもたらされたその中で独島に接岸施設を新築しました。
(23:57)  以後、韓日間にどんなことが広がったか、良く知られたことです。2000年以降、日本政府が反発して、毎年防衛白書に独島は日本の領土であることを明示して、日本島根県が「竹島の日」を制定して記念して、2008年には中学校学習指導要領に独島関連の説明が入って、2014年にはいよいよ独島は歴史的、国際的に日本の領土という記述を日本の歴史教科書に公式編入しました。これで独島問題は、それまで全く独島について知らなかった日本国民の間で全国民的関心事として浮び上がりました。すると韓国政府と国民の対応も強化されました。最近では軍事的緊張にまで発展して、日本の偵察機に対して攻撃レーザーを照射したかと思えば、大規模軍事防衛訓練も敢行しました。すると、それまで中立的位置を保っていたアメリカもいよいよ干渉して来て、生産的な行動ではないと牽制するまでに至りました。
  いったい何のためなのですか。海の真中に立っている、率直に言って岩礁です。何のために、いざという時には断交も辞さないという姿勢でこのような行為をしているのですか?そのようにして現実化される国益は何なのですか? その行動の敵対性、盲動性、そして何のためなのかも分からない曖昧さ、それこそ私たちが『反日種族主義』という本を通じて批判しようとしたその種族主義的な非科学性、反理性、すなわちシャーマ二ズム、そしてその呪術性であるのかも知れません。
 結論を述べましょう。私に対するユン・チャンヒ記者の批判の中で、私が受容できるものはただの一つもありません。過去3回の講義でそのことを明確に語ったと考えます。『反日種族主義』の本では紙面の制約があるので非常に圧縮して書きましたが、その背景には独島問題に関する複雑な事情が、これまで3回の講義を必要としたようなことがあるのです。
  ただの一点も、私は、ユン・チャンヒ記者から私の主張を修正したり取り消したりする点を発見できませんでした。国民の税金で運営される公衆波をそういうふうに濫用して良いのですか。それよりも、国民皆が傍聴する公開的討論の場を用意することが公営放送の仕事ではないでしょうか。私は、韓国の公営放送が、特定の政派や集団の利害や・・・・を代弁して、結局この国を闇の世界へ引きずって行く反日種族主義の武器として活用されている現実を大きく憂慮しています。その点を再三確認して、「KBSに答える」の三回にわたる連続講義を終わらせたいと思います。視聴者の皆さん、これまで聞いて下さってありがとうございます。


<コメント>
 イ・ヨンフン教授は、竹島問題では韓国人はとにかくまず落ち着けということを、しきりに強調しているわけだが、はっきり言ってそれは無理なことだし、日本人と日本政府が竹島問題に対してかなり本気になってしまった(政府の場合はどの程度本気なのかは良くわからないが)現状では、もはや竹島問題が静かになることはない。問題解決に向けた波のうねりは、少しずつ強くなりながら日本側から韓国側に向かって進んでいるのだと思いますよ。

 イ・ヨンフン教授は『反日種族主義』の本で「問題の最終解決は遠い将来の世代に先送りしなければなりません」と書いているのだが、もともと「竹島密約」自体が問題の先送り措置だったのであって、またまた先送りというわけには行きません。密約の効能が切れた現代こそが問題解決の時期に当たっているのです。それで、イ・ヨンフン教授が「反日種族主義の打破シリーズ」で、韓国には竹島領有の歴史的根拠は無いということを明言してくれたことは韓国人の意識を多少変えさせる効果があるだろうから、これには感謝すべきかな。




独島問題、KBSに答える(3) 韓国の独島領有(その2)

独島問題、KBSに答える(3) 韓国の独島領有
2019.09.26 李承晩テレビ(イ・ヨンフン李承晩学堂校長)
https://www.youtube.com/watch?v=VkW0DJeAOdg&t=1259s

(続き)
 1951年9月、アメリカはサンフランシスコ条約を通じて日本が独立を回復したと同時に日本と相互防衛条約を締結します。この条約は日本とアメリカとの条約というだけでなく、アジア太平洋地域を共産主義勢力から防御するにおいて日本を軍事的拠点とするアメリカの安保政策を前提としたものでした。このような東アジア政策において、アメリカは韓国が日本と協力するように要求しました。当時は6.25戦争(朝鮮戦争)中で、アメリカは韓国に相当の軍事援助と経済援助を行っていました。アメリカは、韓国がまず物資の相当部分を日本から買うように要求しました。それでこそ日本経済の復興が浮かび上がって来るためです。李承晩大統領はこのような日本中心の東アジア政策に強力に反発しました。それは長期的に韓国を再び軍事的、経済的に日本に従属させる結果を招くものでした。李承晩大統領は日本が中心となった東アジア安保体制、アメリカが編成しようとする日本中心となった東アジア安保体制編入行為を拒否し、アメリカと直接的な軍事同盟を結ぶことを要求しました。また、李承晩大統領は日本から独立した自主的国家経済を追求しました。アメリカは、韓国は農産物あるいは水産物を日本へ輸出して日本の工業製品を買って使えと、輸入して使えと、そういう国際分業を通じて漸進的に工業化しろと要求しました。アメリカの全援助の物資を購入するにおいて日本の工業製品を買えと要求しました。李承晩大統領はそれに強く反発しました。それで独自の工業化政策を追求します。アメリカが度々援助物資を日本から購入しろと強調すると、それなら援助は受けないと我を張ります。アメリカはこのような李承晩の要求と抵抗を大したことではないと思いましたが、結局は彼の要求に応じなければなりませんでした。それで戦争が終わる前、1953年、韓米相互防衛条約を締結しました。

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  お見せしている画面は、良く知られているように、韓米相互防衛条約を締結するように仕向けた李承晩大統領の英断、反共捕虜の釈放の場面です。まさにその反共捕虜の釈放と同等の意味を持つのが、李承晩ラインの宣言と独島の編入です。私はそう考えます。1952年1月の平和線の発表と独島編入、そしてその一年後にあった反共捕虜の釈放、いずれも同質の、同じ観点からその歴史的意味が評価されなければなりません。それは、国民の絶対的支持を受ける中で、全ての外交的力量を総動員してアメリカと直接的な交渉を要求して、日本からの軍事的、経済的に完全独立を追求する李承晩大統領の政策でした。アメリカは、何としても再び日本には従属せず、日本と対等な位置でその国の国格を守るという李承晩大統領の強力な意志を理解する外はありませんでした。それは新生大韓民国の立場で独立国としての国境を確保して、まだ精神が・・・・・ないその国民を一つに統合する政治的選択でした。後代のどの政治家も、同時代の新生国のどの政治家も下すことのできなかった偉大な決断でした。そういう問題意識で、私は李承晩大統領の独島領有を理解し、高く評価します。
  私は、先の講義で、1908年時点でも大韓帝国は独島の客観的所在を認知したりそれに関する領有体制を整備できていなかったと指摘しました。それでも、私は、独島は日本の領土だとか、日本に戻さなければならないと主張するのではないということをこのシリーズの初めに話したことがあります。1952年1月の李承晩大統領の決断を歴史の文物にその正当的な根拠を求めることはできないためです。少し前に申し上げたように、そういう歴史学者や地理学者の姿勢はある意味でナンセンスと言うことができます。そのようなものが無くてもいくらでも正当化されることができる、評価されることができる政治的選択でした。なぜそうなのでしょうか。先立って申し上げたとおり、まず、領土の変更それ自体は、政治的、軍事的選択と行動の結果という点です。二番目は、独島は私たちの固有の領土鬱陵島に近接した島だからです。・・・・・・ではないですが、独島は海霧が完全に晴れた1、2月、冬の朝の海を背景に肉眼で観察されるといいます。そのような島が、朝鮮王朝以来、国運が衰退する不運を迎えて隣国に取られたのです。それを新しく誕生した国民国家大韓民国の正常な位置に戻したものだと言うことができます。それで私は李承晩大統領の選択を歴史的文物と関係なく、理解して、支持して、そういうふうに李承晩大統領が政治的決断を下すことになった国際政治的、国内政治的な意義を先ほど説明したのでした。
  しかしながら、先の(1)、(2)の講義でも説明したように、歴史の屈曲が無いというわけではありません。日本政府は独島がどこかの国によって領有されているという証拠は無い、何年か前から日本漁民が島に避所を設置しているという理由を挙げて、言い換えれば国際法がいう無主地先占の原則により、それを自国の領土に編入させました。このような事実に正面から反論することは難しいのです。この点が隠すことのできない歴史の屈曲です。『反日種族主義』の本で、私はその点を指して私たち韓国社会の肌だと言いました。他人に見せるのが難しい、恥ずかしい、私たちの歴史の傷です。
  
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  そうかと言って、日本政府の行為に、1904年の行為に、問題が無かったのではありません。池内敏という日本人の学者がいます。名古屋大学の教授です。彼が書いた『竹島問題とは何か』すなわち「独島問題とは何なのか」という本があります。私が独島の歴史に関して、韓国の歴史、日本の歴史に関してしばしば参考にしている立派な本です。彼は言っています。19世紀末まで朝鮮政府も日本政府も独島に関する認識、領有意識が不透明な点では同じだった、日本は19世紀まで3回も独島が自国の領土ではないことを公式確認した、客観的に朝鮮により近接した島であるためだった、そのような島を1905年、無主地先占に原則により自己の領土に編入させた事件が果たして道徳的に正当なものか、1905年と言えば日本より少し遅れて朝鮮においても独島に関する領有意識が生まれていたかも知れない。そのように言って、池内教授は次のように主張します。
 
 「今までの論争は、日本領だという主張と韓国領だという主張は、それぞれ自身の弱点には目を閉じて相手の弱点を責める方式で経過して来た。互いに絶交してもう二度と会わないという覚悟で戦うのならば良い。しかし、そのようにすることができないならば、気が進まなくても互いに譲歩することが解決への常識的な道だ。日本と韓国が今まで積み上げて来た交流の量と質から言ってもそうであるのみならず、地理的配置からも両国が互いに断交するということは想像できないことだ。それなら目をむいて互いに争うのでなく、自身の弱点を謙虚に直視することで、まず一歩後に退くことこそ打開の道だと考える。」

  私は、このような池内教授の結論と根拠に賛成します。歴史的経過を見ても現実的有為性を見ても、両国が目を剥いて争う問題ではありません。それは李承晩大統領の本意でもないでしょう。少し前に申し上げたとおり、自国の国格、新生国としての大韓民国を無視するな、独立国だ、そういう大韓民国の国格を日本とアメリカに向かって叫んだのです。そういう自国の国格と国益のために独島を領有しましたが、彼は本来は自由主義者です。自由通商主義者です。時代の変化とともに日本と協力して、また競争しながら、新しい歴史を創造していく未来を否定したのでは決して無いのです。その点で以後の朴正熙、全斗煥、盧泰愚、金大中大統領に至るまで歴代政府は李承晩大統領に引き続き賢明な政策を行って来ました。
(続く)

<コメント>
 竹島問題はいかなイ・ヨンフン教授と言えどもまとめるのが難しいらしい。教授にしてはめずらしく、何ともはっきりしない論旨になっている。私は長年にわたってイ・ヨンフン教授の言説をこのブログで紹介して来たのだが、彼のいうことにはまあほぼ100%賛同で経過して来た。ただ一つ異議があったのは、彼がその著書『大韓民国物語』において「慰安婦は性奴隷だった」と書いたことには賛同できなかったのだが、今回の「反日種族主義の打破シリーズ」において彼はその見解を変更して「慰安婦を性奴隷というのは当たらない」という立場に変わった。それで彼の学説に異議を唱える点は無くなったのだが、今度は「李承晩の独島領有を高く評価し、支持する」と来た。
  「反日種族主義の打破シリーズ」の趣旨は日本に関して言われる韓国のウソを暴くというもので、「李承晩の独島領有を高く評価し、支持する」というのは真偽の問題ではなくて評価の問題だからそう思うのは別に構わないのだが、あれを高く評価するというのはさすがにダメでしょう。「反日種族主義の打破シリーズ」は韓国人たちを説得するためのものであって日本人に賛同を求めるものではないのかも知れないが、日本人の大方の価値観と真っ向から対立する評価は、今後、日本人たちからは反発を食うだろう。
 しかし、まあ、私は、李承晩の竹島奪取については、イ・ヨンフン教授は韓国人たちにその意味を考えさせるために最後まで評価を言わないのではないかと予想していたのだが、あっさりと言っちゃいましたね。しかも「高く評価する」と。
 高く評価する理由は、新生独立国大韓民国をアメリカや日本と対等の関係に持って行きたいという李承晩の政治的判断だからだ、ということのようだが、それはそうでも、やはり日本の領土であることを分かっていて奪取したこと、それと漁船拿捕にまつわる一連のできごとは評価すべきものではない。教授だって、「それは恥ずかしくて隠さざるを得ない、歴史の傷だ」と分かっているわけだから、それを敢えて高く評価しなくても良かろうに、と思ってしまう。韓国人たちを説得するために何か他の言い方は考えられなかったのだろうかな。

 それから池内教授の『竹島問題とは何か』については、この本で紹介されている各種の史料は確かに役に立つものだが、その解釈はでたらめが多すぎて本当の意味で役に立つ本ではない。しかも「互いの弱点を見つめ直して」などと史実をねじまげた解釈を書いているものだから、イ・ヨンフン教授にうまいこと利用されている。この池内さんの主張を援用して韓国人たちを説得するのが功を奏するとも思えないのだが。







独島問題、KBSに答える(3) 韓国の独島領有(その1)

独島問題、KBSに答える(3) 韓国の独島領有

2019.09.26 李承晩テレビ(イ・ヨンフン李承晩学堂校長)
https://www.youtube.com/watch?v=VkW0DJeAOdg&t=1259s

 李承晩TVの視者の皆さん、こんにちは。「島問題、KBSに答える」の三回目の時間です。建後の19521月、李承晩大統領は平和線、いわゆる李承晩ラインを宣言した後に島を大韓民の領土に編入しました。この事件をどのように解すべきかが今日の主題になります。
 まず、良く知られたいくつかの事を予備的に紹介します。19458月、アジア太平洋戦争で敗北した日本は、19524月のサンフランシスコ約の発効で主を回復するまで英、アメリカを始めとした連合に統治を受けました。東京に設置された連合軍司令部は、19461月と6月に二度行政命令を発して日本の行政域と漁業域を定めました。その時、鬱陵島そしてリアンクール岩、つまり島、そして州島が日本から除外されました。
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 お見せしている面が時に宣言されたいわゆるマッカラインというものです。線が下りて来て鬱陵島と島を基準として引っ込んで、また線が下りて来て日本の馬で再び曲がっている、これがマッカラインです。ここで見るように、連合は初め、島を日本領から除外して韓国領に含ませるつもりでした。アメリカはカイロ宣言とポツダム宣言で約束したとおり、将来、を日本から分離する方針でした。それで、日本の行政区域や漁業区域を定めるに際して、韓国領であることが確な鬱陵島の近くにある島は将来国領土になるだろうということを然視しました。そういう理由で、二度にわたる連合軍総司令部命令は島を日本から除外しました。
 ところが、その後日本の立を宣言した19519月に締結されたサンフランシスコ約はそうではなかったのです。このお見せしている面は、19519月にサンフランシスコで日本の主立を回復させる連合国48国と日本との約締結の場面です。このサンフランシスコ約第2(a)項は日本から除外される島々を列していますが、島については言及しませんでした。このことについて、国内の研究者間では若干の解釈の差があります。何人かの究者は、連合軍司令部が下した、先ほど紹介した命令は、サンフランシスコ約にも拘わらず相らず有で、独島がサンフランシスコ約からけ落ちたからと言って、言い換えれば独島が日本領ではないと明記されなかったからと言って、韓国の領土で無いわけではない、相らず司令部命令にしたがって韓国領であることは有効だと主張しています。しかしこれはどう見ても少数意見に過ぎません。際法を専攻する究者の間の多数意見は、連合国司令部が日本占領期間に発した命令はあくまでも暫定的行政措置であって、これに基づいて島が韓国領になったと主張するのは無理だと指摘しています。KBSのユン・チャンヒ記者はこのような国内研究者の多の意見を無視して1946年連合国総司令部が下した二つの命令に大きな意味を付していますが、それでは困ると考えます。

サンフランシスコ約の日本から分離する島の中で島にする言及がないのは、談の主管者であるアメリカが島を日本の領土と判したからなのです。それにしては、『反日種族主義』の本でも紹介しましたが、約締結の1ヶ月前に米務部のディーン・ラスク次官補、写真のこの人ですが、ディーン・ラスク次官補が韓政府に送った手紙が大重要な根拠として広く知られています。

務部は1947年からサンフランシスコ約の草案を準備します。1949年まで全8種類の草案が用意されたのですが、その時は島を韓国領と明記していました。ところが、それ以後、19519月に約が締結される時までに準備された14種の草案ではそういう表記が消えます。日本が島は彼らの領土であることをいろいろな資料を通じて得した結果なのでしょう。反面、韓政府はそのようにすることができなかったのです。新生国であり、そういうふうにする外交的影響力を保有してもいませんでしたが、際、際社に提出する資料がなかったのです。それで19518月、米務部のディン・ラスク次官補が韓政府に資料の提出を要求した時、それに答えることができなかったのです。それでディン・ラスク次官補は韓政府に通報を、「島にして、私達が知る限り歴代の韓政府がその島を自の一部として取り扱ったことは無かった」と通報することになるのです。

  これを指して朝鮮日報のイソンミン記者は、日本が策を用いてアメリカの判断を変えさせたと非難していますが、それは公正な評ではありません。あらゆるの外交活動はみな自益のためであり、そのことは日本だからといって違うところは無いです。ユン・チャンヒ記者もサンフランシスコ条約で島にする言及がないからと言って島が日本の領土になることはできないと主張していますが、48ヶ国の連合と日本が締結した約の意義とその規定性をそんなにく評してはいけないと考えます。
 (06:24) それでは、今から李承晩大統領が島を私たちの領土に編入させた事件について調べて見ます。李承晩大統領は、19524月にサンフランシスコ約が発効する3ヶ月前の19501月、電撃的に平和線を宣言して島を私たちの領土に編入しました。
2019101802.jpg
 良く知られたですが、これがいわゆる李承晩ライン、平和線です。この李承晩ラインにって鬱陵島と島が韓国領土に編入されているのを見ることができます。日本はこれに抗議しましたが、李承晩大統領の姿勢は非常に頑強でした。彼は平和線を越えて来た日本の漁船を拿捕し、日本の船員と漁師を釜山一容所に収容しました。ユン・チャンヒ記者によれば、総320余隻の漁船と3094人の日本漁師が我が政府に拿捕されたといいます。それによって日本人の李承晩大統領にする認識は今でも非常に否定的にっている情です。このような李承晩大統領の選をめぐって、その史的根拠や合理性を問い詰めては困ります。李承晩大統領は『世宗実録地理志』とか『東国文献備考』の安龍福事件を知っていて、それを根としてそういう選をしたのではありません。の領土更というものは政治的意思と軍事的行動の結果です。それを者や地理者がそういうふうに正性の可否を問い詰め、事件を矮小化しては困ります。そうした点で、島領有の正性を史的文物に求めるのは、今まで韓政府はそのようにして来ましたが、私が見る時はある意味でナンセンスと言うことができます

李承晩大統領は日本に不信感を持っていました。李承晩大統領は、日本はいつの日か南北韓に残した彼らの財産を取りすために再び韓半島を侵略する家だと調しました。1946年の日本と連合軍総司令部の共同調査によれば、日本がして行った・・・・・・政府と民間の財産は1946年の格で22億ドルに達して、それは時の南韓の国富の80%に達する水準でした。日本はその財産を放棄しませんでした。それで李承晩大統領は我々韓国は一日も早く海軍を養成して日本の再侵略を防ぐべきで、海軍の養成が難しいならば・・・・でも商船でもたくさん製造して備えなければならないと彼の政府と民を・・・・しました。李承晩政府が貧弱な財政態にもかかわらず、釜山にある・・・・・・を育成しようとしたのも正にそういう理由です。1956年に日本は南韓にしたその財産にする請求を放棄しますが、その後も李承晩大統領は日本が再び侵略してる可能性にする警戒を緩めなかったのです。

(続く)


<コメント>
 「国際法を専攻する究者の間の多数意見は、連合国司令部が日本占領期間に発した命令はあくまでも暫定的行政措置であって、これに基づいて島が韓国領になったと主張するのは無理だと指摘しています。」
 
 ふーん、あまり日本には聞こえて来ないが、韓国の学者の間では竹島問題の基礎中の基礎であるこの問題については割と正しく理解されているのか。まあ、こんなことは理解できないほうがおかしいことではあるのだが。


 「国の領土更というものは政治的意思と軍事的行動の結果です。」
 イ・ヨンフン教授なりの考えを込めた言葉ではあるのだが、これはやはり問題発言だろう。







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Chaamiey

Author:Chaamiey
別名 茶阿弥
男性 熊本県在住
写真は飼い猫のちゃあみぃ

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