FC2ブログ

「竹島の日」対応独島学術大会 だそうです

嶺南大学、日本「竹島の日」対応独島学術大会開催
嶺南大学独島研究所、日本論理の虚構性糾明


2021.02.18 プレシアン
https://n.news.naver.com/article/002/0002173866

クォン・ヨンヒョン記者(=慶山) 嶺南大学独島研究所(所長チェ・ジェモク)が韓国海洋水産開発院(院長チャン・ヨンテ)と共同で、来る19日春季学術大会を非対面テレビ会議で開催する。島根県竹島問題研究会第16回「竹島の日」(2月22日)特別展示会を控えて今回の学術大会が注目されている。
  今回の大会は、近代期の日本官撰文書に現れた独島認識を客観的で法理的に分析して、日本政府の独島主張と島根県竹島問題研究会の主張を批判する場になる予定だ。日本の独島領有権主張は、2005年のいわゆる「竹島の日」制定後、攻勢の程度を高めつつある。 最近、茂木敏充外相は定期国会の外交演説で「竹島(独島)は歴史的事実に照らしても国際法上でも日本固有の領土」として独島妄言を繰り返した。
  この日の学術大会では、▲イ・ソンファン教授(啓明大学日本学科)が[太政官指令と独島問題に対する法理解釈のための試論]発表を始め、▲シム・ジョンボ教授(西原大学社会教育科)が[日本明治時代の地誌及び地理教科書付属地図の中の独島]、▲パク・ヨンギル博士(韓国海洋水産開発院独島・海洋法研究センター長)が[日本明治時代官撰文献の中の独島認識と国際法的解釈]、▲パク・ジヨン教授(嶺南大学独島研究所)が[「公文録」・「太政類典」を通じて見る1877年太政官指令の性格と意味]、▲ソン・フィヨン教授(嶺南大学独島研究所)が[明治時代官撰文献の中の鬱陵島・独島の取扱い]、▲イ・テウ教授(嶺南大学独島研究所)が[巨文島・草島の人々の鬱陵島・独島渡航と独島の永続的経営]という主題で発表する。
  チェ・ジェモク嶺南大学独島研究所長は、「今回の学術大会は、近代日本の官撰文書を通じて日本の独島固有領土論の論理の虚構性糾明と韓日関係の解決法を模索するために用意された」として、「日本の独島歪曲主張の実状を徹底して分析して、これに対する私たちの対応策用意のための契機になるように願う」と明らかにした。


<コメント>
 はあ、「太政官指令と独島問題に対する法理解釈のための試論」ですか。太政官指令大好きの第一人者になっちゃったイ・ソンファンさんが、またまたどんな屁理屈をひねり出したのかな。『独島研究』の6月号に載るだろうか。




 
スポンサーサイト



テーマ : 韓国
ジャンル : 海外情報

外一島=松島=鬱陵島という等式

  一つ前の太政官指令に関する記事で「太政官指令の外一島が鬱陵島を指している確たる史料がある」と書いたのですが、これについてはもう何度も書いていまして、基本バージョンは「太政官指令「竹島外一島」が示していたもの」 https://ironna.jp/article/997 ですが、これは長い文なので、短いものとして 太政官指令PartⅢ (3)「外一島」は鬱陵島だと内務省書記官の書き込みで分かる https://chaamiey.blog.fc2.com/blog-entry-1638.html、 「竹島外一島とは何か」の立証根拠 https://chaamiey.blog.fc2.com/blog-entry-2923.html#cmなどの記事もありますが、ここで最小限の事実のみをごく短くまとめておきます。


 明治10年太政官指令「竹島外一島日本と関係無し」の「外一島」は鬱陵島であることがなぜ分かるのか。それは、
(1) 明治10年太政官指令を運用する内務省の幹部(権大書記官西村捨三)が、
(2) 明治14年11月29日付けで外務省に送った公文書(島地第1114号)で、
(3) 「明治10年太政官指令で竹島と松島は日本と関係ないと定められた」と説明した上で、
(4) 「松島について太政官指令が変更されるようなことがありましたか」、と質問したのだが、
(5) その「松島」の説明を見ればそれは「鬱陵島」であることが分かる。
(6) これで外一島=松島=鬱陵島という等式が成立している。


 
 これは私の主張などというものではなく、ただ史料がそうなっているからそうなのだと説明するものに過ぎません。だから、反論なんてそれこそ「有り得ない」のではないですかね。なお、外一島=松島=鬱陵島なので、指令の「竹島」はアルゴノートの外にありません。
 
 つまり「竹島外一島」はアルゴノートと鬱陵島だったのであり、明治10年太政官指令は今の竹島(独島)については何も言っていないのです。これは明確な史実です。

 島根県が提出した磯竹島略図で太政官の意思が解釈できるなどというトンデモ説を信奉する者たちは、こういう史料があることを知らない、知ってもその意味を正しく理解できない。


権純哲教授の太政官指令論

  埼玉大学の権純哲教授は「「竹島問題」という問題」という論文の中で、明治10年「竹島外一島」の太政官指令について次のようなことを述べている。
 ( 『埼玉大学紀要(教養学部)』第 56 巻第 1 号、2020 年)
https://sucra.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=19127&item_no=1&attribute_id=24&file_no=1&page_id=26&block_id=52


〇 太政官は「竹島外一嶋之義本邦関係無之義ト可相心得事」と決定(1877)する。「竹島松島」と「竹島外一嶋」とある「竹島」は鬱陵島であり、「松島」と「外一島」は独島であることに異論はあり得ない。(p60~61)

〇 要は、編入前も後も、韓国の「独島」たるは明確に認知しているのである。軍艦新高の『行動日誌』や上記の太政官文書は、堀和生(1987)20によって世に知らされ、竹島領土編入の矛盾と問題性が克明に批判された。(p61)

〇 地籍編纂とは、地租改正に次ぐ重要な内務省の業務である。内務省へ島根県から「竹島外一島地 籍編纂方伺」(1876)があり、太政官は「別紙 内務省伺 日本海内竹嶋外一嶋地籍編纂之件 右ハ元 禄五年朝鮮人入島以来 旧政府該国ト往復之末 遂ニ本邦関係無之相聞候」と幕府の方針を確認し、「伺之趣竹島外一嶋之義 本邦関係無之義ト可相心得事」と決定(1877)した。この文書には島根県提出「渡海免許」「元禄竹島一件」関係文書のほか、磯竹島(=鬱陵島)と 松島(=独島)を日本領にした「磯竹島略図」が貼付され、図面に「隠岐島後福浦ヨリ松島ニ渡ル、乾位八十里許」「松島ヨリ磯竹島ニ渡ル、乾位四十里許」「磯竹島ヨリ朝鮮国ヲ遠望スル、酉戌ニ当テ海上凡五十里許」と記す。つまり、地籍編纂に際し島根県は、二島領有認識に基づき領土編入を企んでいたのである。この太政官決定の「竹島外一嶋」に現在の竹島は含まれていない、という現島根県竹島問題研究会の主張は、昔の企図を継承したもので、関係資料の文脈からも外れた曲解にほかない

〇 要するに、内務省担当者の反対は、地籍編纂伺の附図や「本邦関係無之」と決定した当初の政府見解を堅持した証しであるが、中井の粘りが勝ったのである。(p68)

〇 領土編入に抗議しなかったことは領有放棄にほかないと主張する人もいる。隣国を犯して結ばせた武断的不平等条約に対しても、今なお国際法に則ったものだといい、反面、日露戦争中の戦略的措置として領土編入が行われた事実には目をそらし箝口する。竹島領土編入は、韓国侵略の第一歩だと批判されるのだが、固有の領土だといい、無主地の先占による主権行使だという。過去への向き合い方の相異も甚だしく、隣国として共有共感できる未来設計は絶望するしかない。ここで思い出すべきは、太政官の明確な決定を無視した上、無主地先占の理窟を捏ねた当局者の作為性と内閣の容認のことである。もはや隣国と看做さない帝国意識を露わにした証しにほかない。大日本帝国膨脹の最中、昔から維持してきた隣国関係を隠密かつ強引に消したのが、竹島領土編入であったと指摘したい。(p73)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 上に書かれた太政官指令に関することは、このブログで何年も前から指摘して来た太政官指令の間違い解釈を一歩も出るものではない。「外一島は独島であることに異論はあり得ない」などと断定してあるが、異論があるどころではなく、あなたの方が間違っているのですよ。太政官指令の外一島が鬱陵島を指している確たる史料があることなど、この人は夢にも思わないだろう。この人も太政官指令問題で無用の混乱を引き起こして来た人々のリストに加えなければならない。 → 「竹島外一島」問題 俗説への反問 https://chaamiey.blog.fc2.com/blog-entry-3442.html


  これだけ太政官指令についてあれこれ言及してあるということは、おそらく大学の講義の中でも取り上げているのだろう。「現在、日本政府は竹島を日本の固有の領土と言っていますが、明治10年に当時の最高権力機関である太政官が竹島は日本領ではないと明言しているのです。だから日本政府の竹島固有領土説は破綻していると言わざるを得ないのです。」といったところかな。たぶん、これが、論文の冒頭で「近年の研究成果によって、理路整然とみえる日本の主張は矛盾を呈した」と書いてあることの主な内容なんでしょう。そんなことを言われれば、事情を良く分からない学生たちは「なるほど、そうなんだ」と思ってしまうでしょうね。

  そして、島根県竹島問題研究会の主張を、関係資料の文脈からも外れた曲解にほかならないと批判してあるが、いや、申し訳ないが、無知な人がものを考える人たちのことをこういうふうに非難するのは見ていてたまらなく恥ずかしい。

  また、良く知られているように、中井養三郎さんがリャンコ島の編入を政府に願い出た際に、内務省の官吏は「此時局に際し、韓国領地の疑ある蕞爾たる一箇不毛の岩礁を収めて環視の諸外国に我国が韓国併呑の野心あることの疑を大ならしむるは利益の極めて小なるに反して事体決して容易ならず」と述べて編入に反対しました。この論文でもそれを引用して考察してあります(p67~68)。この件に対する権純哲教授の評価は、「内務省担当者の反対は、地籍編纂伺の附図や本邦関係無之と決定した当初の政府見解を堅持した証しであるが、中井の粘りが勝ったのである」というものです。
  何ともひどい曲解ですね。そもそも内務省の係官は太政官指令のことを一言も言ってないでしょ。何で言わなかったんですかね。もし太政官指令が現竹島を版図外と言っていたのなら、それを一言いえば済む話じゃないですか。諸外国がどうのなどと言って難色を示すのではなく、「その島は既に右大臣によって日本関係無しと決定ずみ」とすげなく却下して良かったのですよ。ところがそんなことにはならなかった。それは太政官指令に現竹島が含まれていなかったからか、若しくはその内務官僚が指令の存在を知らなかったからです。ところが権純哲教授の説明では、内務官僚は太政官指令が現竹島を版図外と指示したことを知っていたのに中井に対してそれを言わなかった、ということになるのです。上のような考察をしていながら、「何で言わなかったのかな」と矛盾に気がつきませんかね。いや、磯竹島略図絶対主義者の人たちはこういう矛盾には決して気がつきません。磯竹島略図ってすごい催眠力を持っているんですね。権純哲教授は史実を正確に把握できないので、一民間人のねばりが右大臣岩倉具視の決定を覆したなんていうトンデモ説を述べる結果になってしまいました。

  最後の引用部分は、そんなことを言う前に、竹島が日本領土編入前に確かに韓国の領土であったことをまず示すべきです。それができないのに日本のやり方は帝国主義的だと非難しても、それは根拠のない感情的な反応に過ぎず、日本の大学でそういうことを教育するのはやめてもらいたいものです。









テーマ : 韓国
ジャンル : 海外情報

「日本は知っていた」って 何を?

「日本は知っていたー独島2部」(2015.07.09)

 二つ前の記事「日本は知っていたー独島1部」の続きのEBSテレビのYou Tube動画です。これも笑えますよ。
https://www.youtube.com/watch?v=qGr9Txr8zlI




 2005年、日本の国立公文書館を訪れた一人の男性。韓日問題を研究していた日本人牧師漆崎英之。古い書類の中から彼が探し出したのは、日本政府が長い間隠蔽していた真実独島問題の決定的な端緒だった

日本は知っていたー独島2部

 1987年、日本人教授の論文を通じて公開された太政官指令。1877年3月29日、日本最高行政機関太政官が内務省に発送したこの公文は、島根県近隣の竹島(鬱陵島)と松島(独島)が日本の領土ではないことを自ら認めた日本最高行政機関の公式文書だ。

 しかし、日本の右翼勢力は、松島はすなわち独島だという韓国側の主張に反駁して来た。

 2006年、漆崎英之牧師が公開した太政官指令の添付地図、磯竹島略図。地図の発見で明確に証明された松島の存在。もともと竹島と呼んで来た鬱陵島と日本の隠岐島、その間に描かれた松島の正確な位置。

「松島から磯竹島まで西北方向に40里程度」
「日本西海隠岐の福浦から松島まで西北方向に80里程度」

鬱陵島から独島までの距離約87.4km=40海里
日本隠岐島から独島までの距離157.5km=80海里

磯竹島略図と衛星地図を比較すると正確に一致する松島と独島。
磯竹島略図と同時期に日本で製作された2枚の地図もやはりそれを裏付けている。

竹島(鬱陵島)と松島(独島)を朝鮮領土と同じ色に彩色した銅板朝鮮国全図(1882)と新撰朝鮮国全図(1894)
ebs2-1.jpg


 太政官指令を始めとしていろいろな地図に現れているように既に独島が朝鮮領であることを認知していた日本は、朝鮮の国権を奪って侵略する過程で我が領土である独島を不法編入する

 1905年1月28日、日本の閣議で決定された独島領土編入決定文。
 ・・・・・・隠岐島西北85浬にあるこの無人島は他国がこれを占有したと認めるほどの形跡が無く・・・・・・ここに所属及び島の名を竹島と名付け、島根県所属とする・・・・・・

  太政官指令で明らかにしたように、1692年以後、松島(独島)の所有権は朝鮮にあることを認知していた日本は、独島を無主地と主張して、もともと鬱陵島の名前であった竹島を独島に付けるのだが、
ebs2-2.jpg

竹が育たない独島に「竹島」という名前を付けたのは矛盾である上に、これは早くから日本当局が松島を朝鮮領土と明らかにして来た既存の立場を回避するためのことと解釈される

  以後、日本は現在まで独島を日本固有の領土だと主張している。これは明かなウソであり、独島は一瞬たりとも日本の領土であったことはない。独島を日本に編入したのは、日本が朝鮮各地で引き起こした主権侵害や侵略と同じ性質の簒奪行為だ。

資料提供 東北亜歴史財団
監修 嶺南大学独島研究所

参考資料 毎日新聞(2013.02.22)



<コメント>
 クイズ 間違い探しの時間でーす。この動画に間違い(ウソ)はいくつあるでしょう?

 答:間違い(ウソ)が多すぎて正確にいくつか数える気にもなりませーん。



  この動画で一番面白いのは4分9秒から5秒間です。皆さん、ぜひ見るべし(ただし、お茶やコーヒーはちゃんと飲み込んでから)。明治政府は1905年に鬱陵島に改めて「竹島」の名前をつけて日本領土に編入したのだそうです。


 間違い(ウソ)をいくつか指摘すると・・・・・・・・

  まあ、太政官指令は今の竹島には言及していないという最も核心事項を韓国人研究者たちに理解せよと言っても、彼らには理解できないでしょうからそれは置くとしても、太政官指令が今の竹島を版図外としたと主張するのなら、資料も全てそれで首尾一貫させるべきですが、この動画ではアルゴノートとダジュレーの地図で説明しています。作った者たちはこの竹島・松島が何なのか全く分からないわけですね。

 「日本政府が長い間隠蔽していた真実」って言ったって、「竹島外一島」の太政官指令は別に竹島領有権論争に何も関係ないことだから政府も何も言わなかっただけですよ。太政官指令を見たければいつでもどうぞって国立公文書館で公開されていたのです。

 磯竹島略図は太政官指令の添付地図ではない。これ、基本中の基本。

  島根県が提出した「原由の大略」(磯竹島と松島の説明書き)は距離が浬(カイリ)で書いてあると言っている。磯竹島略図と原由の大略は米子町人大谷・村川の鬱陵島渡海で得られた情報を書いてあるのだから、鬱陵島渡海が禁止される1696年よりも前のものですよ。そんなときにカイリを使っていたはずがないでしょ。保坂センセイはそんなこと言っていましたがね。
 (なお、距離のことはそれほど重要ではないと思うが、原由の大略では磯竹島は隠岐から120里にあると書いてあって、この距離(480km)なら、磯竹島はアルゴノートよりもなお朝鮮半島寄りで、ほとんど朝鮮半島のすぐ近くのような位置になる。また、松島は隠岐から80里と書いてあって、この距離(320km)は鬱陵島よりも先で、アルゴノートとの間くらいの位置だろう。だから、これらの距離の記載は、内務省や太政官が竹島と松島をアルゴノートとダジュレーと判断する際に、「原由の大略に書いてある距離から見ても、やはりアルゴノートとダジュレーだな」と考える要素になったはずです。)


 磯竹島略図は1800年代後半に作製されたと思っている。

 アルゴノートという島が一時期、地図上にだけ存在していたという史実を知らない。

 今の竹島が「竹島」と命名された理由も知らない。

 資料を提供した東北亜歴史財団と番組作成を監修した嶺南大学独島研究所の方々はマジで・・・・・・(以下省略)
 しかし、こんなウソ満載の動画でも(と言うか、ウソ満載だからこそ)、韓国国民の「独島愛」を鼓舞して「日本は何と悪辣か」と敵愾心を煽るには十分な効果があることでしょう。韓国的には成功した動画ですね。







テーマ : 韓国
ジャンル : 海外情報

韓国EBSは日本の味方?(笑)

  韓国のEBSというテレビの教養講座らしいのだが、明治10年「竹島外一島」の太政官指令について解説したものがYou Tubeに出ていた。私は知らなかったのだが、今日、Twitterでの太政官指令に関する議論を見ていて知った。題名は「日本は知っていたー独島1部」というものです。5年も前にアップされたもので、既に12万を超えるヒット数がある。韓国人は専門家でなくても多くの人が太政官指令のことを「一応」知っているようです。



 

 韓国語の番組とは言え、「竹島外一島」問題を知っている人ならば大体何が語られているか分かると思います。堀和生論文「1905年日本の竹島編入」という論文で太政官指令が発掘されたことから紹介を始め、島根県が地籍編纂伺いを提出したことなどが語られ、「日本は鬱陵島と竹島(独島)を版図外と認定した」ということが強調されます。


 ところがところが、1分48秒の地図を見て下さい。大笑いです。いやあ、韓国のテレビ局が「アルゴノート・ダジュレー放棄派」だったとは知らなかったなあ。この番組制作に関わった全ての人物は、島の位置を理解できなかったようです。

EBS.jpg
 (字幕は、「(内務省地理寮の官吏が)島根県の関係部署の担当者に、二つの島の所属を直接確認するように勧告する」です。)


 まあ、明治時代の「竹島と松島」を描いた地図を探すとなると、結局、アルゴノートとダジュレーの地図しか手に入らないのですよ。なぜなら、その当時は竹島はアルゴノートで松島はダジュレーだったから。

 これに対して、明治以降に鬱陵島を竹島と、現竹島(独島)を松島と表示した地図なんて無いですからね。(厳密に言えば、一枚も無いと断言することはできないが、少なくとも公的地図とか社会的影響力の大きい地図としては存在しないでしょう。)

 だから、EBSというテレビも自然の流れでA・D派になってしまうのです。やはり歴史の真実には勝てないということですね。







テーマ : 韓国
ジャンル : 海外情報

「竹島外一島」問題 俗説への反問

「伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事」
明治10年3月29日 右大臣岩倉具視

  この指令によって、太政官は、「竹島」である鬱陵島と「外一島」である松島すなわち今の竹島を版図外と指示した、というのが日韓両国で一般的に信じられている俗説です。

 太政官指令が鬱陵島と今の竹島を版図外と指示したということは、すなわち岩倉具視が竹島外一島本邦関係無しと言うときに鬱陵島と今の竹島のことを思い浮かべていたということと全く同義なので、「ではそれを証明して下さいよ」と反問することができます。

 あるいは、鬱陵島は北緯37度30分、東経130度52分にあり、今の竹島は北緯37度14分、東経131度52分にあるので、「岩倉具視が竹島外一島本邦関係無しと言うときに北緯37度30分、東経130度52分にある島と北緯37度14分、東経131度52分にある島を思い浮かべていたことを証明して下さい」と言うこともできます。

 もともと、 太政官指令は鬱陵島と今の竹島を版図外と指示したと主張する人たちは、上に書いたことを証明できたからこそそういう主張をしているはずなのです。しかし、現実はそんな証明は全くできていません。日韓両国の誰もそんなことを証明した人は未だ一人もいません。それどころか、そもそも彼らはそういうことを証明することが必要だという認識自体がありません。太政官指令は鬱陵島と今の竹島を版図外と指示したと主張する人たちは、一体何を考えたらそういう主張ができるんでしょうね。

 で、そういう人たちに対して、「指令を下すときに岩倉具視が鬱陵島と今の竹島を思い浮かべていたことを、あるいは北緯37度30分、東経130度52分にある島と北緯37度14分、東経131度52分にある島を思い浮かべていたことを証明して下さいよ」と問いかければ、相手はたぶん、「は? 何を寝ぼけたことを言っているんだ? 太政官指令に添付された磯竹島略図を見れば一目瞭然ではないか?」と言い返して来るでしょう。

  blog_import_5c7e71f5145d7.jpeg
 
 ところが、磯竹島略図は太政官指令に添付された図面ではないですよね。太政官指令は「伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事」という23文字であって、何も添付されていません。磯竹島略図は太政官指令が発されるきっかけとなった島根県提出の「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」の添付資料です。太政官が作成したものでもないし、太政官の指令を求めた内務省が作成したものでもありません。

 ですから、いくら「島根県が提出した磯竹島略図にはちゃんと鬱陵島と今の竹島が書いてあるじゃないか」と声高に叫んでも、それでは全く明治10年当時の岩倉具視の判断を説明したことにはなりません。そうではなくて、その磯竹島略図を岩倉具視がどういうふうに見たのか、どういうふうに理解したのか、その結果、指令を決裁するときに岩倉具視は果たして鬱陵島と今の竹島のことを思い浮かべていたのかをきちんと証明しなければならないのです。

 それで、「磯竹島略図に何が書いてあるかは分かるけど、それを見て岩倉具視がどう判断したのかがポイントですよ、それを説明して下さい。あなたは既にそれを調べたのではないのですか」と問い直すことになります。そうすると、相手は、たぶん、「磯竹島略図に描いてあるとおりに鬱陵島と今の竹島と判断したに決まっている」というようなことを言うでしょう。

 その答えは何の証明も伴っていません。単にその人がそう思っているだけです。それで、「決まっている、なんて言うだけでは何の証明にもなりません。ちゃんと証明すべきです。」と応答すると、相手は何と言うでしょうか。

 例えば、「ハハハ、自分たちに不利な磯竹島略図を認めることのできないネトウヨが、話をごまかすために、岩倉具視の頭の中を証明しろなどと不可能なことを求める詭弁を言うね。」とでも言ってくれたらしめたもの。「あ、つまり、あなたは岩倉具視の考えを証明できないことを認めるのですね。それなら、あなたは、何で岩倉が鬱陵島と今の竹島を版図外と判断したと言っているのですか? 根拠も無しにただ言っているだけなんですね」とでも言って見ましょうか。

 この辺りで話は決裂しそうです。当たり前のことですが、岩倉具視の考えを立証しろと求めると言っても、何も岩倉さんの脳細胞の反応を証明しろなんて言っているのではなくて、何かの記録資料で岩倉の判断内容が分かればそれでいいのです。しかし、磯竹島略図絶対主義者たちは、岩倉が指令を下すときに鬱陵島と今の竹島を想定していたことを物語る資料を何一つ提示したこともないし、今後も提示することはできません。何故ならば、そんな資料は何もないからです。

 結局、「太政官指令は鬱陵島と今の竹島を版図外と指示した」と主張する人たちは、何も考えずに、何を考えるべきかさえも分からずに、ただそういうことを口走っているだけの浅はかで無責任な存在なのです。こういう人たちのおかげで、何ら証明できないことがさも歴史の真実であるかのように喧伝されて、竹島論争に本来無用の混乱が生じて来ました。こういう人たちには、竹島領有権論争という真面目な場からさっさと出て行ってもらいたいものです。

 そういう無用の混乱を引き起こして来た人たちを、知る限り列挙してみましょうか。(敬称略)

〇韓国側
 韓国政府、東北亜歴史財団、保坂祐二(世宗大学教授)、毎日新聞、イ・ソンファン(啓明大学教授)、ホン・ソングン(東北アジア歴史財団独島研究所長)、チェ・チャングン(大邱大学教授)、柳美林、パク・ジヨン(韓国海洋水産開発院)、キム・ホドン(嶺南大学独島研究所教授)、シン・ヨンハ(ソウル大学名誉教授)、朴炳渉(半月城通信主宰)、イ・テウ(嶺南大学独島研究所研究教授)、権純哲(埼玉大学教授)

〇日本側
 堀和生(京都大学教授)
 岡田卓己(啓明文化大学外国人専任講師)
 漆崎英之(牧師)
 和田春樹(東京大学名誉教授)
 谷野作太郎(外務省元駐中国大使)
 東郷和彦(京都産業大学教授)
 池内敏(名古屋大学教授)
 竹内猛(郷土史研究家)
 美根慶樹(日朝国交正常化交渉元日本政府代表)
 久保井規夫(竹島の日を考え直す会理事長)

 なお、結果としては太政官指令に触れた部分は世に出なかったらしいが、こういうものもありましたよ。危ない、危ない。
 → 実教出版(株)平成28年度検定申請本(高校日本史B)

 今回の文章は、気づいた人もいるかも知れませんが、以前に発表した「太政官指令竹島外一島の解釈手順」を別の言い方で表現したもので、趣旨は全く同じです。それと、太政官指令の竹島と松島は、実はアルゴノート(架空の鬱陵島)と鬱陵島を指すものであったことは、同じく以前に発表した「太政官指令竹島外一島が示していたもの」で詳細に論じました。

 ところで、最近Twitterで、韓国人と思われる二人の人が「太政官指令には独島は含まれていない」と言っているのを見ましたよ。韓国人でも分かる人は分かるのです。





テーマ : 韓国
ジャンル : 海外情報

イ・ヨンフン教授の太政官指令論

  イ・ヨンフン教授は、新著『反日種族主義との闘争』で、例の「竹島外一島」の明治10年太政官指令についても解説をしました(日本語版ではp192から)が、これは、韓国人の太政官指令に関する文章の中で唯一のまともな文章です。
  その骨子は、太政官指令があるからと言ってそれで直ちに独島が朝鮮の領土になるわけではない、独島が朝鮮の領土であることは韓国側が自ら立証すべきことである(しかし韓国側はそれができない)、日本がその後に独島に関する見方を変えることは可能で、実際1905年にはそうなって独島は無主地と判断されて日本に編入された、という至極もっともなことです。こんな単純なことでも、今まで韓国でそういう説明をする研究者は誰もいませんでした。
  
  イ・ヨンフン教授のこの説明は、一応、「太政官指令は鬱陵島と今の竹島を版図外と指示した」という韓国内(及び日本の多数の論者)の定説に従って書いてあります。一応、そうなのですが、後の方には、「太政官文書が出された当時の、日本における竹島(鬱陵島)と松島(独島)の理解がどのような状態だったのか、それ以後どのような変化があったのかに関する日本側の研究成果を、ここで紹介するのは省略します。ともあれ、日本における竹島と松島に対する認識は、不透明な中で流動しました。19世紀中盤以後、島の名称に混同が生じ、竹島が鬱陵島北西に位置した実在しない島を指し、松島が鬱陵島を指すようになりました。」というふうにアルゴノート・ダジュレーのことにも触れてあって、太政官指令が本当に鬱陵島と今の竹島を指していたのかどうかについて、そうではないという含みも残してあります。
 
  もともと太政官指令の問題には大きな論点が二つあって、一つは、そもそも太政官指令は鬱陵島と今の竹島を対象として言ったものではないという事実認定上の問題、二つ目は、仮に鬱陵島と今の竹島を対象としていたとしてもそれが韓国の領土権を証明することにはならない、という論理上、解釈上の問題です。イ・ヨンフン教授は一点目の可能性を留保しながら、それを前面に出さずに二点目の方を強調しているわけです。それはそれで一つの説得方法であろうと思います。
  
  そして、最後に、「要するに、太政官文書は朝鮮王朝に手交された外交文書でもなく、日本政府を拘束する最終的な決定でもありませんでした。二つの島の名称と位置に関する混乱の中で下された経過的な決定に過ぎません。韓国政府がそのような文書に基づいて国際社会を説得することはできません。むしろ笑いものになるだけでしょう。独島固有領土説の信者たち、もう少し深く考えればすぐ気づくこのような論理的矛盾に対し、なぜそんなに平気でいられるのでしょうか。」というふうに、大胆な表現を織り交ぜて「独島研究者」たちの浅はかさを真っ向から批判してあります。
  この説明を韓国人たちがすぐに理解するとは思えないですが、ともかくも、これらの指摘によって、韓国における太政官指令問題の議論の出発点ができたと言えます。(イ・ヨンフン教授が今回言ったことは日本側からは既に指摘ずみのことですが、多くの韓国人は日本側の説明を知りません。だから、韓国人から韓国語でこういう指摘が出て来たことの意義は大きいでしょう。)さあて、果たして今後どんな反論が出て来ますかね。





テーマ : 韓国
ジャンル : 海外情報

太政官指令 イ・ヨンフン教授の指摘

竹島問題と「反日種族主義」/根拠にならない「太政官指令」

日本安全保障戦略研究所研究員 藤井 賢二
山陰中央新報  2020年6月28日
http://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1593322447914/

 昨年韓国で出版された李(イ)栄薫(ヨンフン)氏の『反日種族主義』が反響を呼んだが、竹島(韓国名独島(トクト))問題については新著『反日種族主義との闘争』がさらに踏み込んでいる。とりわけ「太政官指令」についての指摘が注目される。
  「太政官指令」とは、地籍(土地台帳)調査が進む中で、1877年に明治政府の最高行政機関・太政官が、内務省に対して「竹島ほか一島のことは本邦と関係がないものと心得よ」とした指令文である。「竹島」は鬱陵島で「ほか一島」は竹島だから「日本政府が竹島を日本の領土ではないと判断した」という論者は多い。さらに「竹島は朝鮮領となった」と飛躍する主張さえある。
  一昨年開催された、韓国・東北アジア歴史財団主催の学術会議では、17世紀末の江戸幕府による鬱陵島渡海禁止と「太政官指令」によって、竹島を朝鮮領と定めた「朝日国境条約体制」が成立した。1905年の島根県編入やサンフランシスコ平和条約も「太政官指令」によって根拠にならない。日本の主張はすべて覆るという報告があった。
 これに対して李栄薫氏は今回、次のように述べている。
  「朝鮮王朝は独島の客観的存在を知りえませんでした。それに対する支配体制を成立させたこともありません」「太政官文書は、この後いつか朝鮮王朝が独島を領有していないことを日本の官民が認知する時、日本政府の独島に関する立場が変わる可能性を排斥しません」「太政官文書は朝鮮王朝に手渡された外交文書でもなければ、日本政府を拘束する最終的決定でもありません。二つの島の名称と位置に関する混乱の中で下した経過的決定に過ぎません」
  朝鮮政府が竹島を領有していないことを知った日本政府が「太政官指令」の立場を変えることはあり得る。そもそも「太政官指令」は外交文書ではなく、竹島の帰属についての最終決定でもない。「太政官指令」に日本政府は拘束されない。このような主張である。
  「ほか一島」は竹島と確定したわけではない。しかし「韓国政府がそのような文書に根拠して国際社会を説得することはできません。むしろ笑いぐさになるだけです」という指摘が、日本ではなく韓国で行われた意義は大きい。
 以前、ある学会で竹島問題の報告をした時、「あなたの研究は意味がない。『太政官指令』で竹島は朝鮮領になったからだ」と私に言った日本人大学名誉教授がいた。「日本の領土でなくなったとしても、それで朝鮮領になったわけではない」と私が答えて論争になったのだが、それを見ていた韓国人が、後で私に「日本にはあなたのような人はどれくらいいますか」と声を掛けてきた。
  おそらく、竹島を日本領と主張する日本人が珍しかったのだろう。韓国の不法占拠が長引いて竹島問題に関心が薄れ、相手が嫌がることを嫌う日本人は竹島を話題にすることすら遠慮してきた。「太政官指令」を根拠に1905年の編入を侵略とし、不法占拠の被害者の日本を加害者と決めつける本さえある。韓国の動きがどうであれ、このような日本を変えるのは日本人の仕事なのである。


テーマ : 韓国
ジャンル : 海外情報

外一島=竹嶼という理解の原因

  明治10年太政官指令の「竹島外一島」は鬱陵島とその東2kmにある竹嶼だという意見がネット上でたまに見られる。太政官指令が出されることになった元の資料、すなわち島根県の「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」では「竹島」という名前の島と「松島」という名前の島について質問しているのだから、「松島」と呼ばれたことのない竹嶼が答えになることは無いのだが、外一島を竹嶼とする見方には、『竹島考証』の記述が少しばかり影響している可能性がある。

 『竹島考証』の第24号文書(水路報告第33号)の前に次のような本文がある。

 「以上、甲乙丙丁の議、紛糾定らざること斯くの如しで、現地調査のこともそのまま中止になっていたのだが、明治十三年九月になって天城艦乗員海軍少尉三浦重郷等が廻航の折りに松島に至って測量し、その地がすなわち古来の鬱陵島であり、その北方の小島で竹島という名前のものがあるが一個の岩石に過ぎないことを知って、多年の疑問が一朝にして永解した。その図面を左に掲げる。」

※下線部の原文は「其北方ノ小島竹島ト號スル者アレ共一個ノ巖石ニ過サル旨ヲ知リ」

 このときの天城の「松島」実地調査によって「松島」というのは鬱陵島だということが判明するのだが、その際に「竹島」という名前の島(竹嶼)のことにも言及があるので、太政官指令の「外一島」の「松島」は鬱陵島で「竹島」は竹嶼のことだと考えることになるらしい。しかし、上の解説は外務省の官吏たちがもともと考えていた「竹島」の説明を書いてあるのではなくて、たまたまそこに「竹島」という名前の島があったからそれについての説明-それは単なる岩塊で本来の竹島(鬱陵島)とは全く別物であって、竹島とか松島の正体とは特に関係は無いこと-を書いてあるに過ぎない。これを太政官指令の解釈に結びつけるのは勘違いですね。













「松島」を版図外とした理由は「けっこう大きな島だったから」

「伺之趣竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事」
明治10年3月29日 右大臣岩倉具視

 「明治政府の最高機関太政官は今の竹島を日本の版図外と判断した」というウソ話は、日本では最近は話題になることが無いですが、韓国では相変わらず「独島問題」に関する本やら何やらでけっこう取り上げられています。何しろ韓国人たちが「日本政府の首根っこを押さえた!」と思い込むことのできる資料なので、太政官指令の韓国での知名度は上がる一方です。

 イ・ヨンフン教授が李承晩TVで「この太政官文書に表わされる日本側の認識は、先ほども指摘したことですが、実際に朝鮮王朝が独島の客観的な所在を認知してそれを維持する体制を成立させて維持したという事実を保証しません」と的確な説明をしてはいるものの(独島問題、KBSに答える(1)于山島の実体(その2) https://chaamiey.blog.fc2.com/blog-entry-3269.html)、これを「あ、そうだな、じゃあ太政官指令のことはもう言わないほうがいいな」などと素直に受け付ける韓国人研究者は、まあいないでしょう。

 ところで、その「竹島外一島」(竹島と松島)に係る太政官指令については、まだ全ての解明ができておらず、謎が一つ残っていました。太政官は「竹島外一島」(竹島と松島)を本邦関係無しと決定したわけですが、その竹島と松島はどこにあるどの島と思っていたのかということと、なぜ竹島と松島を日本の版図外と考えたのか、その4点が全部分かれば解明なのですが、現状としては、

A 「竹島」は地図上のどの島と見ていたのか → アルゴノート島と見ていた(実は存在しないことが後日判明)
B 「竹島」はなぜ版図外と判断したのか → 朝鮮の鬱陵島だと思ったから
C 「松島」は地図上のどの島と見ていたのか → ダジュレー島と見ていた(実は鬱陵島であることが後日判明)
D 「松島」はなぜ版図外と判断したのか → 不明

ということで、なぜ「松島」を日本と関係無しと判断したのかが分かりませんでした。何しろ、太政官指令の伺い文には「松島」の話は一切出ていないのに、最終結論である指令では「外一島」という言葉で松島についても判断が下されているから変なのです。松島は実は鬱陵島であったのですが、太政官指令の時点では誰もそんなことには気づいていません。

 で、ときどきこの問題の答えを考えていたのですが、やっと思い至りました。太政官が「松島」を日本と関係無しとした理由は、松島が「けっこう大きな島だったから」なのです。

日韓近代史資料集版 たぶんこうだったんじゃないか劇場

 太政官指令を請求した内務省も、請求を受けて答えを言った太政官も、判断するに当たってその当時の一般的な地図、つまりアルゴノート(竹島)とダジュレ―(松島)を描いた地図で判断していた(その論証は他で書いたのでここでは省略)わけですが、そういう地図を見れば、アルゴノート(竹島)とダジュレ―(松島)のどちらも元は鬱陵島なので、当然、どちらもそれなりの似たような大きさで描かれています。(一例↓)

05.jpg
 亜細亜東部輿地図 明治8年 陸軍文庫
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/5possetion/asiaeast-1875/map.html

 最初に島根県が提出した「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」を受け取った内務省では、竹島についても、外一島の松島についても、取りあえずどういう島なのか全く分かりませんでした。そこで古い文献を調べて「竹島というのは朝鮮の鬱陵島なのだ」という事実を見つけ出した(松島についてはわずかな情報しか無し)のですが、それで、まず「竹島は朝鮮の鬱陵島だから文句なしに版図外だ」と判断して、その次に「松島ってのはどうなんだ?」と考えながら地図を見れば、それは鬱陵島と判断した竹島と同程度に結構大きな島であるわけです。そこでどう考えるかというと、「隠岐よりは小さいようだが人が住める大きさだぞ」、「こんなところにこんな大きな我が国の領地があったか?」ということになるのが思考の自然な流れでしょう。
 その答えは明らかで、内務省の係官も「隠岐よりも先に人が住めるような我が国の島があるとは聞いたことがありません」という程度の答えを言うことはできたでしょう。そうなれば、容易に「じゃあこれも本邦関係無しだ」という結論になって行きます。松島は竹島よりは日本に近い方向にあるとはいっても、距離的にはまだまだ日本からかなり遠いし、そんなところに人が住めるような大きな島である日本の領地はない(実際そうだった)ということに思い至るならば、後は特別な検討をしなくてもあっさりと 「本邦外」の判断はできたのです。それが伺い文に松島のことが全く出てこないのに結論では判断が下されている理由です。

 これが真相だったのではないか、という結論に私は行き着きました。もしも、内務省や太政官が「松島」というものを「人の住めない二つの小さな岩礁」だと考えたならば、もっと詳しい調査をしなければ日韓いずれのものなのか答えは出せなかったでしょう。

 なお、私は、内務省と太政官が松島を版図外とした理由について、一時、「松島は鬱陵島に付随する于山島だと考えられたからではなかろうか」ということを考えたこともありました。しかし、今考えてみれば、それは主たる判断材料ではなかっただろうと思います。あくまでも、「そんなところに人が住めるほどの大きな日本の領地はない」という判断があったからだと思います。内務省や太政官の役人たちは、その上で、ひょっとしたら「松島は于山島なんだろうな」ということも思ったかも知れないし思わなかったかも知れません。どちらにしても、それが決定的な理由ではなかったと思われます。もし松島=于山島とはっきり考えたならば、それは伺い書に出て来るべきですが、出て来ていませんしね。松島=于山島と考えられたということ自体は可能性として残ると思いますが、それは何かを決定する材料になるほどの確固としたものではなかったと言うべきなのでしょう。

 というわけで、外一島=松島が本邦外と判断された理由は、「そんなところにそんな大きな日本の島は無いと考えられたから」です。これで太政官指令の全ての謎が解けました。

 あらためてまとめておきます。

太政官指令の謎

A 「竹島」は地図上のどの島と見ていたのか → アルゴノート島と見ていた(実は存在しないことが後日判明)

B 「竹島」はなぜ版図外と判断したのか → 朝鮮の鬱陵島だと思ったから

C 「松島」は地図上のどの島と見ていたのか → ダジュレー島と見ていた(実は鬱陵島であることが後日判明)

D 「松島」はなぜ版図外と判断したのか → そんなところにそんな大きな日本の領地は無いと考えたから









 
プロフィール

Chaamiey

Author:Chaamiey
別名 茶阿弥
男性 熊本県在住
写真は元飼い猫のちゃあみぃ

最新記事
最新コメント
カレンダー
03 | 2021/04 | 05
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
来訪者数
カテゴリ
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR