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『時代精神』は休刊

『隔月刊時代精神』facebookにおけるお知らせ(2017.6.1)

  『隔月刊時代精神』(1998年11月創刊)は、財政難により今回の5月17日発刊の通巻78号を最後に休刊することになりました。『隔月刊時代精神』を大切にされた皆さんに申し訳ない心を禁じ得ず、以後復刊のために努力します。
 (社)時代精神は従来と同じく活動します。
                 発行人イ・ジェギョ、編集者ホン・ジンピョ 拝





『隔月刊時代精神』facebookにおけるお知らせ(2018.2.17)

 『隔月刊時代精神』(1998年11月創刊)は、去る2017年5月発刊した通巻78号を最後に休刊しました。 時代精神創刊号から78号までに掲載された文等をネイバーブログを通じてまた見られるので、下記のリンクを参照してください。



<コメント>
 『時代精神』はニュー・ライトの人たちを中心に良い言論を提供して来たのだが、ちょっと残念だなあ。




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内閣制をしよう(4)

(続き)

改憲を媒介として最近「第三地帯論」が浮上しています。初代院長を引き受けておられる「新韓国のビジョン」も保守の革新を掲げてスタートしましたが、今後の役割は?
 
 
まず、今回の契機を通じてセヌリ党は解体されるべきだ。セヌリ党は既に国政壟断を始めとしてあらゆるシミが付いた状態だ。また、去る20代総選挙の公認権を完全に専横して、政治家たちを選ぶのでなく会社員を選んだ。そういう事態であったのに、初当選の議員は声の一つも出せなくなっている。これは正しく運営された政党とは見られない。新しい場所を作らなければならない。セヌリ党を清算して新居を作ろうが何をしようが良いが、大韓民国の政治を見れば基本的に多党制の構図に進むのが適当だ。多党制の構図に行くならば、極左から極右まで中道保守、中道、進歩というように多様に構成されるほかはない。その政党たちが自分の政策を持って他の政党らと連帯をして政権を運営する、それが正に協力政治だ。そのような方法として考える時、未来指向的な中道保守勢力と中道進歩勢力が共に連帯して、共同のプラットホームを持って共同政権を作って見ようという企画だ。
親朴勢力が私たちの社会で最も閉鎖的で、ある面では古い極右勢力を代弁する政治勢力とするならば、親盧、親文勢力は別の意味で閉鎖的な勢力だ。閉鎖的な勢力が国を導いて行くのは合わないその勢力が開放的で包容的な勢力に変わることは容易ではない次の大統領選挙は、そういう閉鎖的な性格の権力を再び作るか、開放的で包容的で協力の政治と連帯の概念で政権を作ってそれに合う制度革新を成し遂げるか、これがカギだと見る。第三地帯論が出てくる理由は、多様な勢力が異種交配をして私たちの社会にも開放的で包容的な勢力が執権をするモデルを作ってみようという趣旨が含まれている。
 例え自身が持っている価値と哲学が違っても、我が国の現実と状況と未来を見た時に左右を別として必ず推進しなければならない政策ならば、それに対して合意することができると見る。教育改革、財閥改革、労働改革など6つから7つの分野は、保守、進歩に極端にこだわらなければ共同のアジェンダを作り出すことができる。共同の政策を持って連帯して執権するならば、それぞれ責任を負って引き受けることができる。例えば労働改革は、右派が引っ張っていくのは容易ではない。労働改革は労組と対話ができる進歩勢力が引っ張っていったり、教育改革は所信を持って社会的合意を導くことができる人と勢力が専門に担当したり、そういう形でプランを組むことだ。例えばドイツの場合、キリスト民主党政府の下で、環境と外交は緑の党がずっと行っている。それは政策合意を通じて可能になることだ。今は、そのために政治の現場で直接使われる政策を作ることと、共同のプラットホームを作って連合勢力を作る政治的調整の役割をしている。
 
 
保守革新のためにはどんな努力がなされなければならないでしょうか?
 
今見れば、アスファルト右派が親パクの論理を繰り返しているが、これらは準政府系団体と見なければならない。反面、一部の保守市民団体は今回の弾劾に賛成したりもしたが、概して中道保守的な指向を持っている市民団体だ。国民もそうだと思う。これまでは、我が国民の保守と進歩の指向を5.54.5で保守が多いと見たが、今回の事態以後ではそれがさらに左に傾いたと見る。それにもかかわらず、およそ55程度ではないかと思う。保守の中では30%程度が中道保守と見るが、合理的な保守、包容的な保守ということができる。1520%は頑固で強固な保守だと見ることができる。進歩も、20%は急進的な指向を持つ勢力で、30%は中道進歩、合理的進歩勢力といえる。合理的な進歩、保守を合わせればはるかに広い地形を有している。
保守革新は、未来指向的な中道保守勢力が行うのが時代の価値にも合って私たちの社会問題を解くのにも望ましい。私たちの社会が国民の自我実現と幸福を指向する社会に行くならそのように行かなければならない。発展国家のモデルは強いリーダーシップが提示する一つの目標のために走って行くモデルだった。国家主義者はまだ強力なリーダーが現れて国民を引っ張らなければならないと考えるが、もう私たちの国民の意識や水準はそのような形に一方的に引きずられては行かない。まだ扇動の政治がある程度通じるだろうが、私たちの社会は既にそんなことを越える成熟性は備えていると考える。 もうGDP優先主義ではいけない。発展国家の場合はGDPの成長で全てのことがなるという観念ならば、今や国民一人一人の生活の質と自我実現、幸福を中心に置いた国家経営に変わるべきだというのが、私が昨年から話してきた「共進」国家モデルだ。
憲法にもあるが、国家は国民の生命と財産を保護してその権益と幸福を増進する義務を持っている。そのような面で、共進国家は憲法精神にも忠実だ。今はGDPを上げることに劣らず生活の質の指数を高めることが重要だ。そして、既に高度成長時代は終わったから、私たちがいくら成長しようとしても過去のような成長は不可能だ。今や量的成長ではなく質的成長が重要だ。創意的ながら協力的に問題解決ができて、共同体に配慮することができる倫理的な人材が大韓民国の未来市民の姿だしかし、両極端的な政治、敵対的政治をそのままにしておいてはそのような社会を作ることはできないこの時代の中心価値が意思疎通、共感、熟考、協力政治、知的ネットワーク、革新とするならば、私たちの社会をどのように運営するのかという答えも既に出ていると言える。共進国家モデルは協力政治を可能にする政治システムを作って、国民の人生の質の向上にも役に立つだろう。

(終)




[パワーインタビュー]
「大統領制は100%失敗…内閣制改憲が時代的課題」
中道勢力主導で政治改革を試みるパク・ヒョンジュン前国会事務総長


[ヤン・ジョンア編集長]
隔月刊『時代精神』 201712月号 http://www.sdjs.co.kr/




<コメント>
 考え方としてはこういうことなのだろうが、じゃあやって見ようという声が政界から具体的に出るかというと、ちょっと期待薄のような感じが・・・・・・。
  ただ、もし内閣制の話が具体化するならば、それはこのパク・ヒョンジュン前国会事務総長さんの努力によるものということになるかも。








 

内閣制をしよう(3)

(続き)

今回の事態を整理する方法として、制度改革にどのように昇華させるのかが最も重要だと考える。初めに制度の失敗、人物の失敗について述べたが、今回の機会を通じて制度の失敗をどのように正せるかが焦点にならなければならない。自分が大統領になるのに、執権をするのに邪魔になるものは全て蔑視する、そういう態度では国に未来はないと考える。弾劾案可決後は45ヶ月間の時間があるが、その間に何をしなければならないだろうか。万一、制度改革に昇華させることなく大統領だけ新しく選んでしまうならば、変わる必要はない。過去6度の大統領は皆失敗したが新しく選ばれる大統領ならば成功する確率がどこにあるか。しかも、閉鎖的な性格を持っている集団がまた権力をにぎるならば、軽重はあるだろうが似たことがまた繰り返されるだろう。
ならば、責任ある政治的指導者は大韓民国の87年体制について深い省察をし、その問題をどのように治癒するのか熟考することが当然だと考える。そのような熟考を通じて、制度をどのように変えるのかと制度を変える時点に関してはいくらでも協議できると見る。しかし、最初から改憲議論や制度改革を基本的に封じ込めようとするのは、非常に不純な政治的意図があると見なければならない。この本が出るころには議論が相当に進んでいるだろうが、弾劾以後には政治の前線は二つになるだろう。 一つは、この時期に改憲議論をするかしないか、もう一つは、大統領選挙の構図をどのように組み立てるかだ。ともかく、今回の機会に制度改革の議論を避けてはいけないと考える。改憲案に対しては国会の内外で十分に議論をして、早いならば次の大統領選挙を改憲以後に行うことができるが、時間が足りないならば、少なくとも次の大統領が執権1年内に議論された改憲案を中心にして確定をして、新しい改憲案によって任期を短縮するとしても受け入れる程度までは進展するべきではないだろうかと考える。
 
 
それなら、改憲はどんな方向に推進されるべきだと見ますか?
 
100%完ぺきな制度はない。1020%の低い確率を持っている制度を、新しい時代的条件に合わせて5060%の成功可能性がある制度に変えることを改革あるいは革新という。そうでなければ革命をしなければならないが、私たちは革命をするつもりはないではないか。知ってのとおり6人の大統領が6度の失敗を持たらしたとすればそれは100%失敗した制度だ。全世界で大統領制を選んだ90の国のうちには成功した国がない。大統領制と内閣制を研究したロバート・ダールやフアン・リンツのような著名な政治学者たちが経験的研究を通じて明らかにしたのは、大統領制は必然的に二重権力を産むために両者の衝突が存在するしかないということだ。
大統領に権力が集中する現象によって権力を囲む対立が深刻化するほかはなくて、政局不安や社会的対立がとても激しく、そういう意味において非常に不安定な体制だ。メキシコにはこういう話もある。「6年に一回ずつ神が代わる。」 6年に一回ずつ大統領を選ぶためだ。大統領制はアメリカの特殊な歴史の中で作られたものではあるが、多くの国では権威主義的な方式で適用されたので、民主主義と大統領制は合わない点が多い。特に、時代自体が水平的な時代に代わって多元化されて複合的でグローバル化されたので、社会的合意がとても重要になった。意思の疎通や共感などの価値、政治的妥協の重要性も高まった。集団の知性、革新、このような徳性も政治で非常に重要になった。社会が複雑になったので、一人の頭から出たものではなくて、色々な人の知恵を集めるほかはない。
 
相対的にそのような特性を有している制度が内閣制だ。特にヨーロッパで、内閣制はそのような特性を多く実現して来た。多党制を基本としていて、色々な政党が政策合意を通じて連立政府を構成して国政を運営し、議会が行政府を統制して、同時に議会と行政府が相互の責任を負う構造になっているので議会権力と行政府権力が対立することもなくなる。内閣制を通じて北ヨーロッパや西ヨーロッパでは安定した政治秩序を作って来た。もちろん内閣制が完ぺきな制度ではない。内閣制もいくつか問題はあって、例えば日本のように金権政治が発展することもあり、イタリアのように既得権を擁護するシステムに進むこともある。
しかし、日本は、ともかく内閣制をしながら、国政の効率的運営と安定、問題解決の政治をするにはそれなりの長所を見せて来た。むしろ日本政治の問題は、小選挙区制に変えてから偏りり現象が現れて、両党制に似た形態になって正しい連立政府や社会的合意に基づいた民主主義になるのが難しいということだ。ほとんどの安定した内閣制をしている国々は多党制であって、比例代表制や中大選挙区制を通じて多様な声が議会活動に反映されるようにしている。
 

しかし、まだ国民の間では内閣制に対する支持が高くない状況です。
 
我が国の場合、政党が内閣制を取るほど成熟していないのは明らかだが、だから内閣制をしてはいけないというのでなく、政治未成熟の根本理由が大統領制にあるとするならば内閣制の要素をさらに多く導入して、政党も正常に発展することができるようにしなければならない。鶏が先か卵が先かという論争とも類似するものだ。そのような意味で、改憲をするならば少なくとも議会と行政府が今のように対立するモデルでなく、多くの政策領域において有機的に相互責任の下で運営されていくようにして、運営においては多数決民主主義でなく合議制民主主義に進むことができる土台を作らなければならない。
大統領を直接選びたい私たち国民の要求から見れば、国家秩序の全体を掌握する国家元首としての大統領は必要だと見る。王がいないドイツとオーストリアの場合も大統領がいる。しかし、我が国の場合は南北関係、統一問題という特殊性があるので、もう少し役割を与えた方が良い。安保など政治的党派性に振り回されてはいけない領域に対しては、政治的中立性を持つ大統領を国民が選ぶ必要がある。政党出身でも大統領になったなら政党を離れて大統領として機能するようにしなければならない。
  これまで進歩、保守が一緒に集まって四回ほど改憲案を作ったことがある。共通して現れる特徴は、分権型でほとんどの合意がなされるという点だ。要約するなら、内閣制に傾いた分権型形態だ。国民はまだ改憲の内容や政治システムに対して専門的な知識を持っていないため、内閣制を取れば国会議員が思うままに振る舞い、大統領制を取れば大統領が思うままに振る舞うという観念だけ持っているが、実際はそうではない。国会事務総長を務めて各国の議会を比較して見れば、大統領制を取る国々で国会議員の特権が非常に多い。牽制権限を与えたので大統領権力が強くなるほど議会権力も強い。我が国の場合、国民所得対比で国会議員の月給が一番高く、補佐官もアメリカを除いては一番多い。議員の責任は無くて発言権は強いので、議員の権限乱用も議会制を取る国よりはるかに多い。なぜならば、議会制ではちゃんとできなければ退くしかない責任政治をしなければならないから、政党中心に進むほかはない。しかし大統領制では、議員が聴聞会で声だけ高めて目立とうとする。責任政治どころか、することが無いので揚げ足取りばかりするのだ。
その次には、小選挙区制なので地方区で路地裏政治をすることが重要であって、国政に対して責任ある政治をすることは重要だと考えない。政治を低い水準に引き下ろす役割を、今の大統領制において議会がしているのだ。力は大きくて責任は小さく、悪貨が良貨を駆逐するような政治をしている。変えるにはこの二つを共に変えなければならない。それでこそ政治が政策中心に戻ることができる。街中で人々が言い争うような場面を政治だと考える文化から無くさなければならない。今は区議員でも国会議員でも現場で同じように動く。握手をもう一回して票を乞うことが重要だ。票をもの乞いする政治から抜け出して、国会議員を国政を担う人々にしなければならない。
国会議員の資質を高めることを願い、権限を減らすことを願い、政策の専門性を持つ人に変わることを望むならば、内閣制に進まなければならない。また、政党が今のように選挙政党でなく政策政党に変わることを望むならば、内閣制に進まなければならない。 制度的原因を除去しようとせずにそのように作った人々のせいにしようとするならば、このような姿が反復再生産されるしかない。人をきちんと選ぶためにも、制度改革を行わなければならない。内閣制と大統領制を比較すれば、内閣制は長官の任期もはるかに長く、公務員たちもはるかに中立的に仕事ができる。長官たちも議会内でその分野の専門性を十分に積んで来なければ長官になれない。今の国会議員たちをもって内閣制を取ればどうなるだろうかと考えずに、内閣制に変われば国会議員も変わるというように考えなければならない。

(続く)


内閣制をしよう(2)

国会事務総長を務めて、パク・クネ大統領の統治スタイルをどのように感じられましたか?
 
87年体制下では大統領が5年という制限された時間に捉われていて、特に前半期3年の間に仕事ができなければ歴史的に仕事一つできない大統領と評価されると思ってか、その3年内に全てのプロジェクトを提示して押しつけることになっている。 (過去の大統領は)皆そうした。そのような過程において、野党が反対して議会を対象として説得ができないから結局は対立して、一方的に法案を強行通過しようとする姿を繰り返してきた。
パク・クネ大統領の時期には先進化法があって、強行通過もやりにくい状況が醸成された。だから、大統領は、より議会を尊重して説得して意思疎通することが重要だが、かえって以前の大統領よりも議会をさらに無視した。議会に大声を張り上げる姿勢を取る一種の帝王的大統領の様相を見せた。昔の王政文化の残滓だと思うが、大統領があたかも国の全ての問題に対して最も正しい考えを持っているように前提をして、全ての人に対して指示と命令を下し、別の考えを持っている人を叱り飛ばすのだ。そのような発想が何度も繰り返されなかっただろうか。国会が行政府の過剰権力を牽制するために、例えば、法案を超える施行令を行政府が作って施行するのを牽制するために与野党の合意で法案を作ったが、これに対して大統領が拒否権を行使したというのは、大統領が私たちの国政システムについての哲学、民主主義システムに対する哲学が不在だったと考える。
87年体制は、極端に言えば官僚独占体制だ。我が国は予算は政府が全て組み、法案も事実上政府が主導しなくてはできなくなっている。我が国の政府や官僚社会は如何に多くの規制権限を持っているか。規制権限自体が権力だ。私たちの人生や市場の中に行政府の支配力があちこちに貫徹されている。過去には効率性のために必要な時期があったかも知れないが、今のように開放的で多元化されて複合化された社会では、政府や行政府がそのような過度な力を持って権力を振り回そうとするのは時代の流れとも合わないし、国の未来のためにも邪魔になることだ。そのような面で、行政府優位の体制を民主化しようとするのが時代の流れに合うことだ。ところが、むしろ逆に行政府の力を強化する側に政府や大統領が国政を運営するので議会と摩擦をさらに起こすことになって、民主主義が後退したという話を聞くことになる。
 
 今の政府になってから、大統領が野党議員でも与党議員でもいいが、非公式的な席を作って説得しようとする努力を見たことがない。親パク議員を1、2回呼んで食事したことの他にはそのようなことがない。大統領制を選択した全世界90余りの国のうちそれなりに成功したモデルであるアメリカの場合、議会に強力な牽制権限があって、大統領も議会を説得しようと努力する。議会で議員一人ひとりの自律性を保障する制度的な装置のためだ。司法府の独立的な役割を保障して三権分立を守り、牽制と均衡のシステムを備えている。私たちは大統領に人事や予算、法案に対する絶対的な権限を与えているので、そのような牽制と均衡がまともに機能しない。今のこの時代は基本的に垂直の時代でなく水平の時代だ。垂直の時代が既存の発展国家体制だとするならば、今は垂直の時代を水平の時代に変えるべきなのに、パク・クネ政府は垂直の時代をさらに急な垂直の時代にしようとする傾向を見せて来たのが時代錯誤的である。
 
 
 1ヶ月を超えて続いているろうそくデモを見て、成熟した市民意識を見せているという肯定的評価がある反面、広場民主主義の危険性を警戒する意見もあります。
 
基本的に、非常に肯定的に見る。大韓民国の現代史を振り返ってみれば、結局、国民が抵抗に出た時に大韓民国の体制が変わった。48年体制を63年体制に変えるのに4.19革命が決定的転機を作ったし、維新独裁体制を押し倒すのに釜山馬山抗争を始めとして民衆の抵抗が重要な役割をした。当時は軍部クーデターによって一度挫折したが、しばらく時間を遅延しただけで87年民主抗争につながって87年体制を作り出した。今回のロウソクの灯り革命は、876月民主化抗争や光州民主化抗争、4.19革命とはその様相が完全に違う。
私たちが民主化された以後になされた民主抗争なので、非暴力、平和、広場民主主義内での多元性と民主性が引き立って見える抵抗という側面で進化したものと見る。特に、ろうそく集会という形式は、世界の社会運動史で韓国の固有ブランドとして独創的なブランドを作った。ろうそく集会に出てきた数多くの市民の秩序整然とした姿、自身の要求を平和的に貫徹して、同時に広場民主主義を祭りに昇華しようとする姿は、明確に世界の社会運動の歴史でも非常に重要な模範的事例として記録されるだろう。このようなエネルギーを成熟した民主主義に転換させることが必要だ。
ここで二つ重要な点を指摘したいが、一つは数百万が集まる広場民主主義時代がSNS時代、ネットワーク時代、デジタル民主主義時代と連結しているということだ。多くの人々がSNSを通じて意見を交換して、共感して集まるという点で、今のデジタル時代は新しい直接民主主義の可能性を見せている。技術の発展により国民が直接自分たちの意志を表現することができる機会がいつも開かれている。過去、代議制民主主義しかできなかった理由は、その多くの数が直接参加して決定できる技術的土台が作られなかったためだ。それで間接民主主義をするほかはなかった。代議制民主主義もずっと必要だが、国民が直接参加して自分たちの意志を投影できる直接民主主義の可能性が開けているとみて、今回の広場民主主義をそのような新しい実験に昇華させることが必要と考える。
もう一つは、過去のろうそくデモ、特に2008年の狂牛病デモの場合、一部勢力が急進過激の様相を推し進めて、結局暴力デモに変質して国民に無視された。今回も同じだ。今の平和的性格がずっと続くことができずに一部の勢力が暴力的なデモあるいは非常に急進的な主張に導いて行こうとすれば、その内部で分裂が起きて動力がとても弱まることで、新しい方式で肯定的な転換が起きないこともある。そうした点は気を付けなければならない。また、その中で感じることができるのは、今回の広場民主主義が祭り的性格を持っているという点だ。
政治は基本的に仕事という性格もあるが、遊びと文化としての性格がある。それでこそ多くの人々が、政治を苦しい苦痛の対象でなく楽しく喜びを持ってくる対象と認識して参加できることだ。今回のろうそく集会はそんなことを見せることができたと考える。多くの人々が政治というものはうんざりして工作と陰謀が乱舞すると考えるのだが、今回は広場に引き出して楽しみと遊びと祭りに連結している。政治的無関心を克服して、政治というものは面白いことだ、自分が主権者としていくらでも機能できるのだという自信を植え付けて、国民に政治教育の場と機能を与えることができると考える。
 
 
ちょうど今日、国会で弾劾表決がなされます。結果に関係なく、弾劾の過程で国会や与野3党はそれぞれらの役割を果たしたと見ますか?
 
民主主義がまともに作動するには、政治をしようとする人々は、マックス・ウェーバーが言ったように信念倫理と責任倫理をよく実現しなければならない。政治をする人々が自身の個人的利害関係や自分の職業として政治をしようとすれば、それは政治屋というだけのことだ。反面、自らのビジョン、政策などのために情熱を捧げることが信念倫理だ。信念倫理だけがとても強い人々は、信念に対する無条件の突進をすることもできるので、手段の適切性や過程での責任を疎かにする余地がある。それで責任倫理ということを強調するのだ。責任倫理というものは、ひとまず自身の政治的行為に対して責任を負うことだ。その次に、政治をする人は結局国民に代わる人々なので、国民の人生と国家運営に関して瞬間瞬間ごとに責任ある行動をしなければならない。
ところが、今回見れば、責任倫理という側面で見る時、政治家たちや政党らが非常に残念な姿を見せた。まず大統領は、この事態が来たことに対して回避しようとだけして、穏当に責任を負おうとする姿勢がなかった。公職者というものは九をうまくやっても一つが悪かったなら、一つを間違ったことに対して責任を負わなければならない。大統領は言うまでもない。このように国民皆を混乱に落として自尊心を傷付けて正常な国政運営システムを壟断したことに対しては、国民が納得できる政治的責任を負わなければならなかった。それをしないことによって、弾劾という形態で強制的な責任が賦課されたものだと見ることができる。
ところが、この過程で野党圏の指導者や野党も、法事のお供えに関心がより多いという姿を見せた。今我が国を囲む環境を見ようとするなら、経済危機はもちろんのこと、外交安保の面でもアメリカで政権交替があって新しい政策基調を持つ大統領が生まれたし、中国と日本の関係も最近大いに良いというわけではないのでこの問題も解決しなければならず、北韓はあのようにずっと問題児として行動していて、さらされた環境の全ての所に危機が来ている。特にその中でも、国民の生活の質が悪化して両極化や格差問題がさらに深刻化している。だから、この過程を管理する問題にも責任倫理を持って接近しなければならなかった。
初めてこの事態が広がって大統領が責任総理を受け入れるといった時に、早く国会で責任ある議論を通じて責任総理を立てなければならなかった。大統領問題はそれなりに扱っても、国政を安定化、正常化して危機を克服できる体制を作るべき責任があった。その責任を全部放棄したのだ。国民は今、大統領に対する不信もとても強いが、野党が「大統領は弾劾されたらすぐに退け」、「黄教安総理体制も共に弾劾を受けたのだ」こういうつじつまが合わない話をするので、根っからの野党支持層を除けば支持範囲は増えないでいる。ある意味では、権力の政治、大統領作りの政治に慣れた韓国の政党文化をそのまま見せたものと考える。


(続く)


内閣制をしよう(1)


  韓国では大統領選挙が進行中ですが、隔月刊となった雑誌『時代精神』の1・2月号に、韓国の大統領制はもうだめだ、内閣制に移行すべきだという主張がありました。

  言っているのはパク・ヒョンジュンという人で前の国会事務総長だそうです。本ブログには初登場です。ろうそくデモを高く評価しているところにはちょっと違和感もありますが、全体的にかなりまともなことを言っているという印象です。今後の韓国政治の有り方を大きく変える・・・・・・などということにはならないでしょうが、こういう見方をしている人もいるということを紹介したいと思います。




[パワーインタビュー]


「大統領制は100%失敗…内閣制改憲が時代的課題」


中道勢力主導で政治改革を試みるパク・ヒョンジュン前国会事務総長


 
[ヤン・ジョンア編集長]
隔月刊『時代精神』 201712月号


 
 憲政史上二番目に国会で弾劾案の表決がなされた129日、冷たい風が吹く汝矣島国会議事堂前は早朝から緊張感に包まれた。弾劾案可決を促す集会に参加した市民らと取材陣が入り乱れ、大韓民国の未来を変えることになる歴史的な決定をじりじりしなから待った。弾劾案表決を数時間後に控えて、パク・ヒョンジュン前国会事務総長のインタビューのために汝矣島にある「新韓国のビジョン」の事務室を訪ねた。パク前事務総長は、既に投票の結果は重要ではないかのように、今後の政治改革の課題を淡々と解説した。彼は、「国民の75%が弾劾を望むだけに、国会や憲法裁判所がその意見を無視できない」としながら、今政界がなすべき事は旧発展モデルだった「87年体制」を克服する新しい政治体制を作ることだと強調した。


結局、この日のパク・クネ大統領弾劾訴追案は賛成234、反対56の圧倒的な票差で可決された。憲法裁判所の弾劾審判は残っているが、時間の問題に過ぎず、既に民心の方向は明確になった。チェ・スンシルゲートで始まった最悪の国政壟断事態は国民に怒りを越えて虚脱感を抱かせたし、私たちはなぜこのような政治指導者を持つことになったのだろうかという質問を十分に思い起こさせた。しかし、腐敗と側近の不正で汚された過去政権のみすぼらしい退場を考えれば、結局は制度の問題という結論に至ることになる。パク前事務総長は「87年体制の全ての限界と問題が今回の事態を通じて現れた。87年体制は民主化を通じて形成された体制だが、民主主義を実現するには構造的に限界を持つ体制を作ったと考える。それ以前の体制に内在していた権威主義的な特性を完全に除去できなかったためだ。」と語った。
 彼は、特に「韓国の政治は、全てのことが大統領を作る政治に帰結する。私たちは6人の大統領に会ったが、その6人の大統領は皆大統領になることに集中したが、大統領になって何をするのかという準備は正しくすることができなかった」とし、「大統領を作る過程が難しくて苦痛なので、大統領になった瞬間、大統領とその側近は権力のナルシシズムに陥らないわけにはいかなくなる。その過程で側近の不正が生じて側近の権力乱用が生じて秘線実力者ができるわけだ。軽重はあるが秘線実力者や側近政治の問題はずっとあったし、今回がその典型ということ」と述べた。続けて、「大統領が官邸に単独で、あたかも寺にこもるようにしたことは決して自慢ではない。政務首席が11ヶ月の間、単独での面談を一度もできず、秘書室長が1週間に一度、顔を見るか見ないかだったということは、側近不正、秘線実力者などをいう前に、大統領自身が国政運営システムを無視してしまったもの」としながら、「哲学とビジョン、国政運営能力が不足した大統領を選んだ国民の悲劇であり、人物の悲劇」と評価した。
 それと共に、今回の事態を収拾する過程で政界も自らの役割を果たすことができなかったと話した。「まず、大統領はこの事態が来たことに対して回避しようとだけして、穏当に責任を負おうとする姿勢がなかった」として、「ところが、この過程で、実際、野党圏の指導者や野党も法事の飯に関心が多い姿を見せた。大統領問題はそれなりに扱うとしても、国政を安定化、正常化して危機を克服する体制を作るべき責任があったがその責任を放棄したのだ。大統領作りの政治になじんだ韓国の政党文化をそのまま見せたものと考える」と指摘した。それと共に、「今回の事態を整理する方法として、制度の改革にどのように昇華させるのかが最も重要だと考える。制度の失敗をどのように把握するかが焦点にならなければならない」と強調した。


制度改革の方策については、「6人の大統領が6度の失敗を持たらしたとすれば、それは100%失敗した制度だ。大統領制は大統領に権力が集中する現象によって政局の不安や社会的対立がとても激しく、そういう意味で非常に不安定な体制だ」として、「改憲をするならば、少なくとも議会と行政府が今のように対立するモデルでなく、議会と行政府が多くの政策領域において有機的に相互責任の下で動いて行けるようにして、運営においては多数決民主主義でなく合議制民主主義に進む土台を作らなければならない」と話した。彼は、「我が国の場合、政党が内閣制をするほどに成熟していないということは明らかだが、だから内閣制をしてはならないというのでなく、政治未成熟の根本理由が大統領制にあるとするならば内閣制の要素をより多く導入して、政党も正常に発展することができるようにしなければならない。」と付け加えた。
 一方、国民の自発的な参加の中で1ヶ月を超えて平和的に進行したろうそくデモは、古くて腐敗した政治勢力の退場と共に新しい政治勢力の登場を時代的課題として提示している。パク前事務総長は、「親朴勢力が私たちの社会で最も閉鎖的で、ある面では古い極右勢力を代弁する政治勢力だというならば、親盧、親文は別の意味で閉鎖的な勢力だ。閉鎖的な勢力が国を導いて行くのは当たらない。」として、「第三土台論が出てくる理由は、多様な勢力が異種交配をして、私たちの社会でも開放的で包容的な勢力が執権をするモデルを作ってみようという趣旨を含んでいる。」と説明した。彼は、「例え自分の有する価値と哲学が違っても、我が国の現実と状況と未来を見る時に左右を離れて必ず推進しなければならない政策ならば、それに対して合意することができると見る」として、「今はそのために政治の現場で直接用いられる政策を作る仕事と、共同のプラットホームを作って連合勢力を作る政治的調整の役割をしている。」と明らかにした。


パク前事務総長は19代国会の時期である20149月から去る6月まで19ヶ月間を国会事務総長として過ごした。言論人、学者出身の政治家で李明博政府の時期に大統領府広報企画官、政務首席秘書官、社会特別補佐官を務めるなど多様な国政の経験を持っている。現在のチョン・ウイファ前国会議長が主導して作ったシンクタンク「新韓国のビジョン」の初代院長を引き受けている。新しい政治秩序の実現と改革課題の合理的な実行のために、その促進役としてのプラットホームを作るというのが彼の計画だ。
 



まず、最近の国政混乱に関することから始めたいと思います。このような事態が引き起こされた原因はどこにあるのでしょうか?


 まず、今回の事態は制度の悲劇であり人物の悲劇だと考える。別の言葉で表現すれば、制度の失敗であり人物の失敗だ。制度の悲劇あるいは失敗だというのは、87年体制の全ての限界と問題が今回の事態を通じて現れたためだ。87年体制は民主化を通じて形成された体制だが、民主主義を実現するには構造的に限界を持つ体制を作ったと考える。なぜなら、それ以前の体制に内在していた権威主義的な特性を完ぺきに除去できなかったためだ。
 以前の体制を権威主義的発展国家モデルというならば、権威主義だけを少し緩和しただけであって発展国家モデルという体制の特性はそのまま保全されてきた。発展国家モデルの特性は、基本的に国家が全ての力を集中して持ち、その中でも大統領に権力を集中して経済発展と国の運営に責任を持たせようということだ。 換言すれば、全ての資源を集中的に動員して経済成長に一度に注ぎ、国政運営の全ての資源を大統領と行政府がある程度独占するような特性を有している。民主化以後、国民が大統領を直接選ぶことになり、大統領や政府をある程度牽制するための民主的運営原理を導入したが、官僚制と民主主義の衝突が避けられない体制だ。
 また、87年政治体制自体が敵対の政治構造を生産した。一つは大統領権力と議会権力との対立だが、大統領中心制が持っている固有の問題だ。地域主義に基づいた両極端的政治の影響で、90年代以後には事実上の両党制の下で、保守と進歩の対立、嶺南と湖南の対立、若い世代と高齢世代間の対立が現れた。このような敵対の政治構造は、政治的妥協や社会的合意を通じて問題を解決するのではなく、大統領の権力を誰が占めるかという問題に帰結させるようになった。大統領権力を持っている人々は自分たちが5年間全ての権力を一方的に行使することができるライセンスを得たように行動して、大統領権力を得ることができなかった政党や人々は、その大統領を失敗政権に仕立ててこそ次に自分のチャンスが来るというわけで、極端な対立と闘争を拒まない政治が繰り返されてきた。そのような問題が敵対の政治として集約されたと考える。


韓国政治は、その中でも特に全てのものが大統領を作る政治に帰結する。政党の場合も、正常な政党というよりは選挙キャンプとしての機能が主となるように位置してきた。それで、我が国の政党は奇形的で機能も未熟だ。それだけでなく、選挙の周期も合わないので毎年全国選挙があるたびに極端な対決の政治をするほかはなく、その過程で政策の政治は後まわしにされることになった。私たちは6人の大統領を迎えたが、その6人の大統領は皆が大統領になることに集中したのだが、大統領になって何をするのかということは正しく準備することができなかった。大統領になる過程が難しくて苦痛なので、大統領になった瞬間、大統領とその側近たちは権力のナルシシズムに陥らないわけにはいかなくなる。それで大統領と大統領周辺の人々は、権力が持つ公的性格について十分に自分が省察する機会を持てなかった。権力の公的性格と権力を自分の心のままに使うことができるという私有化欲望との間で、その境界をきちんと区分できずに大部分は権力を私有化する誘惑に落ちてしまう。その過程で側近の不正が生じ、側近の権力乱用ができて秘線実力者が生まれるのだ。軽重はあるが秘線実力者や側近政治の問題はずっとあったし、今回がその典型ではないかと考える。
 それでも、大韓民国は非常によく取りそろった国政運営、政治システムを持っている。私たちの社会が経済成長を始めとして各分野が民主化を通じて成長して発展したので、制度をうまく運営して極端な失敗はしないこともあって、それなりに国を導くことができる。しかし、パク・クネ大統領がこれまでして来たことを見ると、このような発展した国家システムもまともに活用しなかった。そして、それこそ何のために大統領になったのかも疑わしくさせるような様相がとても多い。大統領が官邸に単独であたかも寺院生活のようにしたことは決して自慢ではない。大統領の24時間はどれくらい忙しい時間で、どれくらい多くの人々に会うべきで、どれくらい多くの人々と額を突き合わせても足りないのだが、それさえもしなかったのだ。特に政務首席が11ヶ月の間単独面談を一度もできず、秘書室長が1週間に一度顔を見るか見ないかだったというのは、側近の不正、秘線実力者のことをいう前に、大統領自身が国政運営システムを無視してしまったのだ。そのような意味で、哲学とビジョン、国政運営能力が不足した大統領を選んだ国民の悲劇であり、人物の悲劇だと考える。


(続く)






韓国人が改めるべき十ヶ条

 先日紹介した『時代精神』キム・ヨンファン編集委員さんの文章が面白かったので、その小見出しを再掲しておきます。日本にも影響を及ぼしている韓国人の思考・行動の問題点です。




1 公共意識の不足

2 公的システムに対する不信

3 客観的態度の欠如

4 攻撃的で感情的な態度

5 政府と大統領に責任を押し付ける態度

6 魔女狩り

7 純血主義

8 せっかち病

9 朝鮮半島情勢不感症

10 譲歩と妥協をしようとする態度の欠如



[巻頭論壇] 国民意識の先進化が急務だ
キム・ヨンファン 本誌編集委員
『時代精神』20159/10月号


国民意識の先進化が急務 (4)

9.韓半島情勢不感症
 
 南北が分断されたまま70年が流れ、韓国戦争(朝鮮戦争)が終わってからも62年が流れた。その間、全く紛争が無かったのではなく、大規模ではない小規模戦闘も着実にあった。しかし、小規模戦闘が時々あって見れば、小規模戦闘でもむしろ平凡に受け入れ始めた側面がある。天安艦事態の時や延坪島砲撃の当時、韓国で勤務する外国人や留学で来た人々の家族は、危険だからと直ちに韓国を離れるように電話をしきりにしたという。しかし、実際に電話を受けた人々は、韓国人たちがとてものんきで、ここで平和に日常生活をするのに不安を感じて戻る必要があるのかという反応を見せた。
 もちろん、直ちに韓国で戦争が起きるかのように大げさに騒ぐ態度も誤りだが、あまりにも平穏に日常的な生活を維持して格別なことではないというような態度を見せるのも大きな問題ではないかという気がする。私たちが北韓の進み方に対して一喜一憂する必要はなく、過敏反応する必要もない。過敏に反応することはかえって北韓の術策に陥るからだ。しかし、過敏に反応することと安保意識を明確に持つことは別の側面の問題だ。ものすごい軍事力でいつも戦争準備をしていて好戦的な性格の北韓が私たちの近距離にある。途方もない個数の砲身がソウルに向いている。韓半島はいつでも戦争が広がり得る状態にある。こういうことをいつも過度に強調する必要はないが忘れてもいけない。しかし、若者たちだけでなく中高年層の相当数もこのことを簡単に無視したり忘れたりして暮らしている。北韓について語る時、北韓が問題であり、好戦的だということにはうなずくが、実際に韓国の未来と政策の優先順位を語る時は、安保問題は重要な関心事から離れている。
大統領が処理するだろう、軍が対処するだろうと投げ出して置くことが多い。統一は遠い未来のことでなく近いことだ。統一について実質的な関心を持って、私たちのことだという考えを持つ人はとても少数だ。今後早いうちに統一するしないに関係なく、今後少なくとも30年から50年間私たちの国の政治、経済、社会、文化に決定的な影響を及ぼしかねない要素が、正に北韓と統一だ。さらに、私たちのささやかな日常生活にまで決定的な影響を及ぼしかねないものが北韓と統一だ。しかし、人々はこれをよく分からないだけでなく、日常で生活したり考える時もこれを主な考慮対象から排除する。北韓や統一に関心を持つといえば、変人扱いを受ける。
 人々が北韓と統一は自分の生活において直接的に感じられないということは十分に理解する。しかし、無視しても実際に存在するものが存在しないわけではない。北韓は現存する明白な主要な危険で、統一は明確に存在する未来の現実だ。北韓を透明人間のように取り扱って、存在するのに実際には無いように考えるのは非常に誤った態度で、このような態度が未来をさらに不安にさせている。
 
 
10.譲歩と妥協をしようとする態度の欠如
 
 私たちが政治をするときも経済活動をするときも、さらに家族内の関係でも、譲歩と妥協が大変重要だということは明らかだ。譲歩と妥協が無ければ夫婦関係も正常に維持することができず、政治や経済もうまく行かない。経済活動においては、直接に目の前の利益がかかっているから、必要ならば譲歩と妥協をすることができる。しかし、他の領域では、問題が生じたり意見の衝突が発生すれば譲歩と妥協をしようとする態度は顕著に劣る
 簡単に妥協して適切な合意点に到達して終了させられる問題であっても、どんどん極端な方向に駆け上がる。何年か前、韓国の民事訴訟は人口比で見れば日本の6倍、告訴は日本の155倍という新聞記事を見たことがある。互いに譲歩をせず妥協もせずに訴訟まで駆け上がる比率がとても高いのだ。政治に関連した問題でははるかに激しい。政治は他の領域よりも譲歩と妥協がさらに必要だが、そうしない。政党と政治家たちが実際は何週間かで処理できる問題を半年、一年と引っ張っていくのは普通で、それによって国家的、社会的な損失が増えている。損失は二番目としても、全般的に国家運営が正常にならない問題も続く。
 
 これは政党や政治家たちだけの問題ではない。政党や政治家は常に有権者の影響を受けることになっている。有権者の中に、積極的な有権者の多数が譲歩して妥協する意志があまりないので出て来る問題だ。有権者は、一方では譲歩と妥協をせずに戦う政治家たちを罵りながら、他の一方で簡単に譲歩と妥協をすれば非難する。なぜ与党と野党は毎日争っているのかという悪口は抽象的でもあり政界全体が該当するので個別の政治家に格別の影響を及ぼさないが、譲歩と妥協を主導したとなると一部の有権者の非難の矢が自身に集中するので、政治家たちも譲歩と妥協を簡単に選択しにくい。
 セマングム干拓事業や済州海軍基地工事、千聖山工事の場合、譲歩と妥協ができないで生じた損失はものすごい。直接的な損失に社会的損失まで加えれば、それぞれ数千億ウォンに達する被害金額を記録した。経済的損失を客観的に計算できる事例だけでなく、計算できないことでも無数に多くの損失があった。全ての問題において自己主張を鮮明に繰り返し提起することはいいが、一定程度の時点に達して論点が十分に伝わったなら、特定の線で妥協して譲歩することができるという態度に早く転換しなければならない。それがうまくできなければ、経済的損失だけでなく社会の発展が全般的に遅滞する現象が現れる。
 
 韓国社会がアップグレードするためには、論争する時は鋭く激しくても、論争の結果を発展的に取りまとめて適切な地点で譲歩して妥協する社会に進んで行けるように、積極的に努力しなければならない。韓国の先進化と言うと、私たちがそんなに早く先進国に到達するためにやきもきする必要はないという人たちがいる。私はそういう論理に同意はしないが一理がある主張だ。しかし明確なことは、経済的水準と意識水準の差、物質文明水準と精神文明水準の差が問題を生むことになって私たちを不幸にさせてしまうのだということを否認することはできないだろう。
 
 経済水準を国民が自発的に後退させるのは、不可能なだけでなく賢明な選択でもない。それならバランスの取れた発展のために私たちが選択できることは一つだ。私たちの意識水準を早く発展させることだ。前の項で韓国人のせっかちな性質を批判しておきながら、意識水準は早く発展させなければならないと主張するのは少々気がひける面もある。しかし、私たちに他の選択の道があるわけでもない。不均衡は短期間には発展の動力になるけれども、不均衡が長くなればあらゆる問題と葛藤の原因になる。意識改革、意識の発展に集中的な努力をしなければならない時だ。




(終)

[巻頭論壇] 国民意識の先進化が急務だ
キム・ヨンファン 本誌編集委員
『時代精神』20159/10月号






<コメント>
 まことにどの項目もおっしゃるとおりだと思う。だが、こういう適切で貴重な指摘も、それが本当に必要な人たちの耳には入らない。
 まあ、朝鮮日報などのマスコミの第一線の記者たちがこの文章を読んで実践してくれるならめっけもんだが、無理だろう。




国民意識の先進化が急務 (3)

(続き)

6.魔女狩り
 
どこの社会でも魔女狩りを好む傾向はある。自分の決まり悪さをごまかしたい欲求、自分の境遇を悲観して誰かを非難したい欲求、自分よりましな人を引き下ろしたい欲求はどの社会にもある。しかし、韓国は他の国よりもこういう現象がはるかに強い気がする。主に芸能人が魔女狩りの対象になるが、一般人が対象になる場合も結構ある。代表的なものが、最近の「三母子事件」だ。夫と舅の強要で本人と二人の息子に十数年間集団淪落をさせたという内容の発表を、母と二人の息子が直接出てしたのだ。理性的に考えて見るならば、三母子が語った内容は話にならないということが分かる。極度に抑圧された社会でも有りにくいことなのに、韓国のように開放的な社会、治安が発達した社会では不可能なことだ。
 しかし、そういう論理的欠陥は無視して、明確な事実関係を確認することもせずに三母子の話を信じ、夫と舅の実名を取り上げ論じて途方もない批判を浴びせ、あちこちで大きく取り上げた。ごく少数の人々ではなく、数万人の人々がこれに参加した。警察の捜査結果の一部がマスコミに報道されて状況が反転し、結局「それが知りたい」を通じて夫が最大の被害者だということが明らかになった。その間、ネチズンは最大の被害者である夫を罵ることに熱を上げたのだ。「チェソン堂妊娠女性暴行事件」も似た例だ。妊娠した女性の腹をチェソン堂の従業員が足で蹴ったという内容がインターネットに上ぼり、数多くの人々がその従業員に対する誹謗とチェソン堂不買運動に出た。後で閉鎖回路(CC)TVの画面を分析した結果、そのような事実は無いと明らかになった。しかしチェソン堂は途方もない額の売り上げ損失となり、結局そこは閉鎖され、該当職員は職を失い、何日間かの地獄のような経験もした。
  これらいくつかの事例は氷山の一角だ。こうしたことが無数にたくさん起きている。上の事例は是是非非が明確になったからまだ幸いな方だが、是非が明確にならなかった事件では永く魔女狩りに苦しめられなければならない場合もある。魔女狩りをしたいという欲求はどの社会にでもあるが、韓国は唯一非常に深刻なようだ。こういう場合に名誉毀損罪や侮辱罪で告訴をしたり民事訴訟を提起することがとても珍しいことも、このような行動をさらに呼び起こすようだ。法で全ての問題を解決できるわけではない。しかし、社会の発展の一定期間の中で法を厳格に適用する雰囲気を作ることが社会をアップグレードするのに明確に役に立つと考える。
 

7.純血主義
 
 韓国は純粋な血統を持った単一民族だというの、何の根拠もない一つの神話だ。事実、私たちが純血の単一民族である可能性は全くない。既に何千年も前に多様な民族と混血した可能性が大きいが、そこまで振り返ってみなくとも、900年前に契丹が滅亡して契丹人が各地に散る時に、高麗に入って来て暮らした契丹人は100万に達するという記録もある。女真族が国境地方だけでなく我が国の奥に深く入ってきて暮らしたという記録も多い。倭寇が我が国を侵略して食糧を略奪して婦女子を強姦したのも到底推し量れないほど多い。壬辰倭乱(翻訳者注:豊臣秀吉の唐入り)や丙子胡乱(翻訳者注:清の朝鮮侵攻)の過程でも混血が発生したことは明らかだ。
  日本から解放されて民族意識が強調されたが、新生独立国として民族意識を強化するのは必ず必要なことだった。民族意識を通じて独立国としての地位を強調して、私たちが早く発展できる基本のエネルギーを民族的団結力に求めたものと見ることができる。そのような面から、その時代には民族的純血主義を強調することがある程度必要な側面があったと見るが、今は時代が変わった。地球村の時代が到来し、数え切れないほど多くの人的な移動、交流、通信、交易その他国際的協力が毎日のように激しく営まれる時代になった。経済システム自体も韓国の独自の経済は想像できないほど国際的に関連しているだけでなく、東北アジアの三国は特に緊密に連結している。

 それでも、相変らず純血主義的な態度が強く残っている。代表的なケースはロッテの事態だ。ロッテ問題を客観的に見るなら、日本で成功した企業家が韓国に投資し、その投資を永く維持して投資が成功を収めたケースだ。私たちがその海外僑胞(海外在住韓国人)の投資を受ける時、その人の国籍が韓国なのか日本なのかは問題にしなかった。その人が主に韓国語を話すのか日本語を話すのかも、やはり問題にしなかった。その息子たちが韓国語が上手なのか日本語が上手なのか、対話をする時に韓国語を使うのか日本語を使うのかが気になることはある。そして、韓国で経営活動をするには韓国語が上手なことがもちろん必要だ。

しかし、そんなことに対して過度に敏感に反応するのは誤ったことだ。在日同胞だけではなく純粋な外国企業も韓国に入ってきて投資と交易をする。例えばホームプラスは、やはりロッテのように私たちの日常の消費生活と密接な企業で内需に重点を置いた企業だが、100%外国資本の企業だ。ロッテは日本企業だから不買運動をしなければならない、排斥しなければならないと主張するのは、韓国の国家発展のために決して適切な態度ではないと考える。今、韓国には外国人の留学生、観光客、勤労者たちが多い。ソウル市内のあちこちでそういう人々に会うことができる。この人たちは、韓国の経済の維持と発展に大変重要な役割をしている。ところが、彼らに対する拒否感が最近広がっている。
もちろん、こういう現象は我が国だけでなくアメリカやヨーロッパでも現れているが、異なる側面がある。韓国と日本はまだ外国人の比率がとても低い。アメリカとヨーロッパでは、移民者の比重が一定水準以下である時はそのような問題は大きくならなかった。しかし、韓国と日本はその比率がとても低いのにそのような拒否感が広がっている。それは、韓国人と日本人の純血主義的な態度に起因するものではないかと考える。外国人の勤労者や留学生、結婚移民者を含む外国人移民者をさらに多く受け入れようとか受け入れないようにしようとか政策的主張は誰でもできるが、それと関係なく、現在の韓国にいる留学生、勤労者、移民者を尊重する態度を見せるべきだ。
私たちは他の国と積極的に交流して交易する戦略によって大きな成功を収めたし、今後もそういう道を行かなければならない。私たちが韓国にいる外国人や移民者を尊重しないのに周辺の他の国々は仏のような広い気持ちでいつも包容してくれるものと期待してはいけない。私たちが開放的な戦略を継続して維持するためには開放的な心を持たなければならず、外国人と移民者を尊重する態度で受け入れるべきであり、海外僑胞の企業や外国企業も開かれた心で受け入れなければならない。

 
8.せっかち病
 

 韓国が高速度で経済発展ができたところには、韓国人の攻撃的態度と急げ急げの文化が肯定的に寄与した側面がある。しかし、何でも速くしようとする態度は長所だけでなく短所でもある。つまりせっかちな性質が問題だ。食堂で食事を注文して待つ時に最も早く癇癪を起こし始める人々は韓国人だという統計もある。ことを推進する時も結果が早く現れることを望み、また、何かの政策を決める時も性急に判断し、結果を待つ時も焦ってしまうという状況を数多く発見することができる。

 代表的なケースの中の一つが四大河川事業と海外資源開発問題だ。政策的な側面から李明博政府の時期の四大河川事業と海外資源開発に対して、客観的に適切だった間違っていたということに特に言及するつもりはない。四大河川事業のようなことを推進する前には賛成と反対の意見を出すことができる。しかし、ひとまず決定はなされたし、執行過程を経て完工までした。しかし小規模洪水とか干ばつが現れるたびに四大河川を問題にする人が多い。それだけでなく、全面的に原状回復しなければならないという人までいる。今まで見えた現象だけでこれを客観的に判断することができるだろうか。四大河川事業は誤ったものと批判することはできるが、ひとまず完工した以上、総合的で客観的な判断のためにもう少し時間を設けることが正しい接近であり合理的な姿勢ではないかと思う。

 四大河川事業は、私がその時点にその立場にいたとすればしなかった可能性が高いが、海外資源開発は、その時期的背景下では誰がその立場にいてもする外はなかったろうと思う。当時は、中国がものすごいスピードで資源の消費を広めている時期であった。中国政府は、資源不足が感じられると国家財政を一度に注いで全ての力量を総動員し、海外の資源を確保して開発することに集中した。これを隣で見守るならば、当然危機意識が感じられるだろう。世界の資源は日が進むにつれ枯渇するもので、価格も暴騰するはずだから、私たちだけが手をこまねいていることはできないと判断をする外はない。誰がその立場にあっても、資源の開発に相当多くの力量、人材、資金を投資せざるを得なかったのではないか。

 
 結果的に見れば、世界金融危機が発生して中国でも資源の消費が減ったり拡大の速度が鈍化する現象が現れて、多くの資源価格が暴落した。資源価格が暴落すると自然に鉱山価格や資源開発会社の価値も大きく落ちた。現在の時点から見ればなぜこのような投資をしたのかというような話が出て来ることもあるだろうし、個別的に見れば合理的でない投資もあっただろう。しかし、総合的に見た時、その時点で海外資源の開発に多くの資金を投じたことは合理的な態度だったと見なければならない。今は資源価格は下落傾向だが、またいつ上昇するのか誰も分からない。そのような側面から見ようとするなら、李明博政権の時よりむしろ資源価格が劣勢な今が投資の適正な時期だとも言える。結局、今当面を基準として判断するよりは、性急さを捨てて長い目で見て判断することが、より必要な姿勢だと考える。


(続く)

国民意識の先進化が急務 (2)

(続き)

3.客観的態度の欠如
 

 狂牛病事態の時、初期から狂牛病に関連する核心情報がマスコミに多量に現れた。マスコミに出てきたそれぞれの個別情報を例え100%確信できないとしても、それらの情報を総合するならば、狂牛病に対する問題提起は非常に外れていたことはとても明らかだった。情報は既に充分だった。問題は、情報ではなく客観的態度であった。多くの人々が偏見にあふれた出所も不明確な情報にしがみついて、つじつまの合わない論理に執着した。

 一部のデモ隊だけがそうだったわけではなく、世論調査を見れば過半数の市民がそういう非合理的な論理に同調していた。12週間ということでもなく、何ヶ月間も合理的、理性的、客観的に問題を見ようとする態度をずっと拒否する様相を見せた。韓国人たちだけでなく外国でも、一度偏見が形成されれば明白な証拠が出て来てもさほど変わらずに自分が取ってきた態度を合理化しようとする人々はどこででも見出すことができる。いんちき宗教に陥って、その宗教に色々な問題があることが明確になってもこれに対して目を閉じて、絶えず自己合理化の論理を作り出して客観的な思考を拒否する人々はどこの国にもいる。しかし、このように途方もない多数の人々が長期間客観的情報を拒否して客観的態度を拒否する事例は検索が容易ではない。

 何かの問題を合理的に解決することに関心があるというよりは、自分が嫌いな人や政治グループに対して攻撃することに一層の関心を持って、問題の核心はどこにあるのか、問題の合理的な解決方式は何かということについて客観的判断をしようとする態度を完全に放棄しようとする現象が現れた。そういう現象は、単に狂牛病事態だけではなく他の場合でも頻繁に現れている

 例えば、昨年のアン・テヒ、ムン・チャングク総理候補の相次ぐ落選の事態を挙げられる。もちろん、その人たちには一部の欠点があったし問題と見ることもできる内容だったが、総理としての役割を遂行することには重要な問題ではなかった。韓国社会で高速度で開発をした時代に多くの国民が速度を重視して色々な便法を容認する人生に慣れていたことを勘案するならば、アン・テヒ、ムン・チャングクの二人は比較的清廉な生活を送って来た人たちだ。だから難しい事前検証を通過して総理候補になったのだろう。ムン・チャングク候補は道徳性が問題になったのではなくて歴史観が問題になったが、もしムン候補が歴史観に明らかな問題があったとすればメジャーな報道機関でそんなに長く格別の問題なしに仕事をすることは不可能だっただろう。宗教の集会で自分たちの話法で話すのは、外部から見ると変なことが多い。客観的な観点を持つならば、宗教の集会で宗教的話法で話したことを問題にはしないだろう。
 
 総理だけでなく他の公職や大統領の候補を見る時も、客観的な基準というものがあるのかという疑問を感じてしまう。特定の部分では過度に厳格で、特定の部分では過度に寛大だ。その上、それが時期とか対象者とかに関係なく一貫性でもあれば良いが、一貫性もない。四大河川開発や資源開発問題について論争する時も、客観的態度に基づいて開かれた討論を追求するよりは、各種個別情報を見る前に、多様な人々の意見を聞く前に、あらかじめどちらか一方の立場を堅く決めておいて、全ての情報を自分が堅く定めた立場に合わせて理解することが圧倒的に多い
 マルクス主義者たちは階級的党派性を厳格に追求するので、客観的態度を排除する自らの硬い理論的基礎を備えている。マルクス主義者たちは、客観的態度を排撃するそれなりの論理もある。マルクス主義者でないならば、客観的態度を備えるための絶え間ない努力がなければならない。国民が客観的態度を持ってこそ国家を極端な立場に追い込むことがない。
 

4.攻撃的で感情的な態度
 
 韓国人の長所は、全ての問題に対して積極的で攻勢的ということだ。多くの長所は同時に短所でもある。攻撃的な性格は高速度の経済発展や仕事を早く処理することを可能にしたが、短所として作用することも多い。全ての問題において過度に攻撃的なので、非常に急いで、そして感情的に処理するケースも多い。狂牛病事態だけを見ても、一歩下がって、事態の本質は何か、進行過程がどうなるかを調べてから行動に移ってもいいのに、全く調べることもせず、直ちに行動に立ち上がって感情的で暴力的に反応する

 10年前、仁川空港から中国へ行く航空便の搭乗が4時間ほど遅れたことがあった。航空会社の職員が最初は30分遅れると言い、また30分さらに遅れると言い、結局4時間遅れることになった。中国空軍の要請によって現地の空港が統制されたためという航空会社職員の説明だった。実際、中国の空港で何か問題があるとしても航空会社がどうにかする方法はないが、空軍の統制に対して航空会社が何をすることができるだろうか。しかし、2030人程度の人々が航空会社の職員に大きな声で悪口を言って抗議をした。ほとんどが韓国人だった。

 航空会社もどうしようもないことなのに職員に大声で怒鳴るのは、前後の事理を確かめることもせず、4時間も空港で待つということに腹が立つので怒鳴って見ようという気持ちだ。私たちの日常生活でこのような事例は無数に見出すことができる。顧客を直接に相手するサービス業の従事者の場合、一日にも何度もこうしたことを経験するだろう。もちろん他の国でもこのような事例は有り得るが、我が国ではその頻度がはるかに高く見える。2002年のワールドカップの応援のような姿に多くの外国人が魅力を感じたりもする。しかし、日常生活や業務や政治活動でもこのような形で対するならば、我が国の品格をアップグレードするのは遥かに遠いことになるだろう。
 
 
5.政府と大統領に責任を押し付ける態度
 

 韓国の高速成長過程において政府の役割が他の国に比べて大きかったことは事実だ。しかし今はそうではない。周辺諸国と政府の役割を比較した時、韓国政府の役割は中国やロシアよりは飛び切り小さく、日本と台湾とは似た水準だ。ヨーロッパ国家と比較しても、韓国政府の役割は小さいかも知れず決して大きくはない。政府と大統領は国家の運営や国家の発展などに相変らず重要な役割を遂行しているが、その度合いは過去に比べて激減したし、他の国に比べても大きくないということは確実なのにも拘わらず、何か問題が起きれば全ての責任を政府と大統領に押し付けようとする態度が顕著に現れている。

 取りあえず思いつく重要な事態は全て大統領の責任にしてしまう。三豊百貨店の崩壊事件、聖水大橋の崩壊事件などが発生した時、無条件に大統領に責任を転嫁した。もちろん、大統領に完全に責任がないわけではない。施設に問題があるのかないのかを管理して点検することの究極的な責任は政府にあって、政府の責任を負うのは大統領だから責任を否定することはできない。しかし、直接的責任の程度が大きくないことでも、ことが起きれば無条件に政府と大統領に責任を転嫁するのは問題だ。マースの事態も、発生初期や中間で事態の拡散を防ぐ過程で、政府の無能やシステム上の問題が確かにあった。セウォル号事態の場合、運行会社と政府機関の間のある種のコネクションもあったし、過剰積載や船舶構造上の問題を適正に点検したり管理したりしなかった問題、初動救助の過程でもある程度問題があった。しかし、 やはり責任の程度に比べて過度に政府の責任を追及する側面がある。

 さらに、セウォル号事態が発生した時に大統領がどこにいたのかという非本質的な問題に過度に執着する人々も多かった。セウォル号事態の場合、責任がどちら側にどの程度あるのかは具体的な検証を通じて明確に現れた問題だ。政府にどの程度の責任があるのかも明確に現れた問題だ。もちろん、政府と大統領に実際よりももう少し大きな責任を問うことはできる。しかし、これが行き過ぎる場合には問題を客観的に見ることを難しくさせることになる。問題を客観的に見ることが難しくなれば、問題解決の方法も合理的に引き出すことはできない。全てのことを、あたかも大統領を間違って選んだから問題が生じたように話をすれば、システムを改革する必要もなくなるこれは社会の発展やシステムの改革、そして人々がそれぞれの位置で責任ある態度を持つようにするのに役立たない。



(続く)




<コメント>

「客観的態度の欠如」、「攻撃的で感情的な態度」、他人に責任を押し付ける態度・・・・・ですよねえ。

 慰安婦制度や徴用制度や日本の竹島返還要求や日韓基本条約に問題があるのではなく、こういう韓国人の心性が問題を作り出している。

 ま、こういう心性は変わることはないだろうが、こういう文章できちんと指摘がなされるのは非常にいいことです。それに読んでいて面白い(笑)






国民意識の先進化が急務 (1)

[巻頭論壇] 国民意識の先進化が急務だ
 
キム・ヨンファン 本誌編集委員
 
『時代精神』20159/10月号
 
 今年は光復(解放)70年だ。韓国は解放以後、速い速度で駆け抜けた。経済的発展だけでなく、政治、社会、文化などの色々な領域で大きな発展を成し遂げた。経済発展の側面を見るなら、購買力平価(PPP)基準として換算した1人当りGDP(2014年基準3 4,356ドル)で日本、英国、フランスと似た水準を達成したし、名目GDPでだけ見ても他の先進国と大きな差がない水準まで発展してきた。
しかし、私たちの精神文明が他の先進諸国と似た水準に発展したのかは疑問だ。特に、昨年のセウォル号事件の当時、船長と船員が見せた態度、セウォル号を所有している企業とその背後にある宗教集団、及び宗教集団と企業を監視して管理しなければならない政府機関などの無責任で非理性的な態度は私たちを衝撃と失望に落とした。そして今年、マース事態の過程で政府当局の無能な対処と公共意識が欠如した国民の姿を見て、韓国社会が国民意識、精神文明の側面でのアップグレードが切実な時点に来ているという深刻な問題意識を持つことになった。
 
 
1.公共意識の不足
 
公共意識の不足は相変らず韓国社会の最も大きな問題の一つだ。マース事態の当時、自宅に隔離された人々が指定された居住地を抜け出して無断外出したり、さらに自分の好みどおりに居住地を移してしまうことまであった。隔離対象者のうちの一人は、自宅から遠い地域へ行ってゴルフまでして来た事例もあった。この人は、多分、自分や配偶者が社会の模範を見せるべき地位にある人である可能性が高い。そういう人々さえこのように低い公共意識を見せた。マース事態の初期に、患者が病院内で勝手に病室を離脱したり病院が求める指示事項をよく守らないので事態を拡大させた事例も探してみることができる。
 普段、公的な目的や公共の利益に関する問題への関心と責任感よりは、私的な便宜や習慣、人間関係により依存する事例も無数に発見できる。何かを推進したり決定を下すに当たっても、公的な動機よりは私的な動機によって決定を下し、人を選出・選抜する時にも公的な基準よりは私的関係、すなわち自分とどれくらい親しいのか、自分とどんな縁があるのかに依存する。大規模な選挙でも小規模の人的選抜でも、学縁、地縁その他私的な人間関係などが相変らず大きな力を発揮している。
公共意識が最も強くあるべき法曹界でも、相変らず前官礼遇のようなことが主な議論になっているということは真にみじめなことだ。前官礼遇があるのかないのか、判事と私的な人間関係がある弁護士を選任すれば効果があるのかないのかを確認することは容易ではない。判事は一様に前官礼遇のようなことはないと言うけれども、多くの依頼人と一般人さらに弁護士までも、前官礼遇はあり私的な人間関係が判事の判決に影響を及ぼすと考えている。実際に判事がそのような影響を受けているいないに関係なく、社会全般の公共意識がどれくらい問題が多いから最も公正でなければならない裁判さえ私的人間関係に左右されるものだと多くの人々が信じているのか
 
 6070年前は言うまでもなく、20年、30年前と比較しても韓国人の公共意識は相当に改善されたと見られる。特に、車両や歩行者の交通秩序遵守とか公共の場所にゴミを捨てない、唾を吐かないなど、過去に比べて公共秩序の遵守は明確に改善された姿を見せている。このような面では日本、ドイツよりは落ちるが、英国、フランスよりは良い姿を見せている。しかし、それより遥かに重要な多くの部分で韓国人の公共意識は他の先進諸国に比べて非常に劣っている。韓国が国民所得だけでなく全ての領域で先進国へ跳躍するために最も重要なものが、正にこの公共意識だと思う。学校でいくら公共意識を教えるといっても、両親やその他の近しい人々が公共意識を重要に思う姿を見せないならば、学生たちも公共意識を無視する態度を持つようになるだろう。全ての世代が自己の公共意識の水準を高めるために努力すべきだが、特に子供やその他の幼い世代、若い世代の前では公共意識を尊重する姿を見せることが優先して重要だ。
 

2.公的システムに対する不信

 今回のマース事態では多くの市民が政府の発表よりは私的な人間関係から得る情報あるいはSNSで得られる情報や勧告事項に過度に依存する姿を見せた。政府が不必要に情報統制を厳しくして問題をさらに大きくした側面は確かにある。しかし、例えそうだとしても、そういうふうに私的に入手した情報は不正確なものが多く、どれが正確でどれが不正確なのか判断する根拠もないので何の助けにもならない。むしろ過度な不安感と恐怖を増幅させるだけだった。
 2008年の狂牛病事態の当時も多くの市民が公的な情報、国家が発表した情報に対しては不信に感じたり重要ではないと考えた反面、SNSやインターネット上に流通する情報は過度に信頼して依存する姿を見せた。狂牛病事態の初期にインターネットに上がってきた情報の8090%は真実から非常にかけ離れていたことが明らかになったことを見るならば、こういうふうな態度が国家のためにも個人のためにも何の役にも立たないということが分かる。
 
 そのような態度にはいくつかの原因があると考える。政府が自分たちの責任を回避するために嘘をついたり核心の情報を教えないと考えることだ。もちろん、今までそのような事例が全く無いということはなかったが、一般的に、特に国民の関心が集中した問題で政府が嘘をついたり核心情報を教えない可能性はあまりない。なおさら問題が大きくなるためだ。官僚たちは、近い将来に迫っている問題や困難を回避する能力は非常に優れている。関心が集中する問題で核心の情報を隠していては問題になる確率が高いので、そのような選択をする可能性は高くない。
しかし、一般国民はむしろその逆に、関心が集中する事件であるほど政府が核心情報を隠していると考えることが多い。狂牛病事態の場合、一週間程度が過ぎたころには重要な情報はたいてい明らかにされ立証されたにも拘わらず、政府は核心情報を隠しているという確信が長期間にわたって維持された。ここには、軍事政府の時期から生じた政府に対する長い不信が背景になっているだけでなく、核心的で決定的な情報であればあるほど隠密な私的通路を通じて得なければならないという伝統的な考え方が依然として残っている側面もある。
実際、過去20年余りの間、国民の関心が集中した事件で政府が核心情報を隠していて大きな問題となった事例はなかった。人々が自分が知らないものすごい秘密があるのだと信じるので、これを悪用した詐欺事件がしばしば登場したりする。大統領とごく少数の者だけが知っている莫大な金塊がどこどこに埋まっていたとか、権力の中枢の某氏が管理する莫大な量の旧券貨幣があったとかなどのとんでもない話で詐欺を始めるのだが、かなり教育を受けた人々でさえもこういうとんでもない詐欺に当てられる場合が結構ある。公的システムを通じては分からないものすごく隠密な情報があるという確信があるのでそういう詐欺に騙されるのだ。韓国の公的システムは完全ではない。全ての情報を100%透明に公開するということもできない。しかし明白なのは、公的システムに主に依存することが私的システムに依存するよりも何倍も安全で信じるに値し、各個人にも得になるということだ。公的システムに主に依存して、公的システムに力を与えて公的システムにより一層緊密に近付いて監視するほど、公的システムはより一層強くなって公正になるだろう。


(続く)




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Author:Chaamiey
別名 茶阿弥
男性 熊本県在住
写真は元飼い猫のちゃあみぃ

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