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「歴史においては成功が失敗の母」 4

(続き)

アが違ってオが違う。「大韓民国の本格的な近代化は日本強占期になされた」ということと「日本強占期はとても良かった」というのは違う。
(翻訳者注:「アが違ってオが違う」とは、言い回しの小さな違いで全体の意味が大きく違って来るという意味らしい。)
 
「良かった」という話は誰もしたことがない。私もない。客観的に見れば、韓国を永久に自分たちの領土として同化するために同化政策を広げた。その事実を指摘しただけなのだが、その事実を受け入れたくない人々、不都合な人々が批判して「日帝を美化している」という。私が何のために日帝を美化するだろうか。また、私に西欧中心主義だという。日本が韓国に移植しようとした制度自体も、西欧から移植されて来たものだ。客観的な事実だ。
今日、我々韓国はいくらあがいても西欧にはなれない。韓国は韓国なのだ。ところで、今日のこの大韓民国を構成する色々な初期の文明があるはずだ。その文明の一つとして西欧で発現した近代文明が移植されたというのは、私たちが韓国を正確に知るために実証的に必要なことであって、それ自体が西欧中心主義になるのではない。
 
21世紀のソウルに住む若者たちは、世宗時代の若者たちよりは21世紀のニューヨークの若者たちと共有するものがよりに多くて、アイデンティティも似ていないだろうか?
 
それは簡単ではない。若者たちと話して見れば、彼らの物質生活は非常に世界的な普遍的な基準を受け入れているが、精神構造では、私がこの本にも書いたが、自由に関して教育を受けたり勉強したことがない。それで、若者たちに「皆さんは自由人なのか」と質問すれば、「はい、私は自由人です」と答える学生は半分程度にしかならない。その点でアメリカの若者たちとは決定的に違う。私は若者たちと会うたびに「自由をどう思うか」と質問する。自由には自由それなりの時間、空間、歴史性がある。若者たちと自由に関し話して見ると、驚くべきことに何も知らない。自由に関して聞いたことも教育を受けたこともない。しかし自らは自由人だと考える思想的な大混乱が発生している。私たち韓国人は大きな混沌の中にある。
 
独裁を清算しようとするいわゆる進歩・左派政権が三回目の執権をしている。自由を教えないのは、まだ残っている数十年の積弊か?
 
いや、私たち韓国人自体がそれをよく分かっていない。左右の問題ではないと考える。私は「文明社会の転換」という表現をしばしば用いるが、自由を意識的に理解して教育した人は李承晩大統領が唯一だと考える。その後の歴代大統領、今日の多くの韓国人にとって自由はまだ慣れない理念だ。自由を利己主義、利己心、既得権のように俗化した概念で理解しているだけだ。一人の人間が幼児から成長する過程で教育を受ける、主体的に自分の人生を生きていく一つの指針ではない。自由人として自らのアイデンティティを意識したり行動する経験はとても乏しい。左右の問題ではないと考える。李明博、朴槿恵の政府の時に自由を教えただろうか? 仮にも右派なのだが。私は韓国の教科書に自由という言葉がないということをかなり以前から指摘した。
 
左右を離れた問題ではあるが、我が国の左派や右派はそれぞれ異なる理由で自由、自由主義を嫌うのではないだろうか。
 
知らないということだ。読んだことも教育を受けたこともない。そうした中で、自由主義は利己主義の別の言い方になった。私は一度衝撃を受けたことがある。私が全教組の教師代表たちと討論会をした時、「人間はその本性が利己的な存在だ」と述べた。『大韓民国の物語』の本でもそういう言葉を使った。すると、教師たちが怒って反発した。「あなたは大学教授だ。大学教授が何で人間の本性は利己的だと話すか?我々にどうやって子供たちに人間は利己的だと教えろというのか?」と抗議した。私はそのような経験を何度かした。非全教組の教師との討論会でもそのような場合に出会った。しかし、人間の利己的本性はアダム・スミスの『国富論』や『道徳感情論』に出てくる近代人の初歩的な命題だ。人間は「self-love(自己愛)」に陥った「selfish」な存在として、自分の利益に従って行動する。そうであっても、いかに見えない手によって社会的福利を最大化するのか……
どんな幻想か分からないが、幻想に基づいて近代社会は構築されている。それを私たちの韓国人は聞いたことがない。例えば、《国富論》を読んだ人は韓国の知識人の中で何人いるだろうか?私は1%にもならないと思う。やはり文明水準において集団的水準の変化や速度が遅くて障害が多い。
  利己的だから法を作り出すのだ。なぜならば自分の利益が侵害されてはいけないから。「自分が節制されない欲を振り回せば自分の身体や財産に危害が来る」ということを分かっているから。self-loveする人、selfishな人が賢明に共同の法を立てるとアダム・スミスは言っている。まさにそれだ。それで秩序が自生的に内部から生じるのだ。
 
そうすると、初・中・高・大学生に教える時、どのように教えなければならないのか。小学校の時から「人間は利己的だ」と教えるべきか?
 
だから自由が重要だ。人間は自由の存在だ。自分の人生は自分が責任を負わなければならない。法的に成年になればできるだけ両親からも独立しなければならない。このような形で学生たちに自由と独立の精神を教えれば、その子たちは皆立派な自らの人生のために、自分の生涯戦略を立てる過程で、利己的に行動して同時に徹底して法を守って利他的な人間に成っていくわけだ。一つの共同体を作り出すのだ。私は、自由の教育が近代国家において省くことのできない最も重要な教育の価値だと考える。驚くべきことに、韓国の小学校から高等学校まで12年の教育過程において自由はない。自由を教えるただの一題目もなく、あるとすれば、社会科の教科でフランス革命として教えたり、西欧で近代思想が生じるその大きな流れで自由を語っているだけだ。信じられないならば直接一度読んで見たらいい。
個人より社会や国家を前面に出せば、必然的に全体主義に行くだろう。個人と社会との均衡をどのように捉えるかという問題は、文明によって皆異なると思う。私は先ほど韓国はいくらじたばたしても西ヨーロッパになれないと言った。韓国は韓国自らで個人と社会の間に何かの均衡を成立させなければならない。今までは社会や国家だけを強調して来た。権威主義の時期には国家と民族を強調した。最近の教育を見れば皆社会を語っている。「人間は社会的存在だ」といって「規則を守れ」、「隣人に奉仕しろ」などなど……それを人間性教育として教えているが「個人」は教えずにいる。私は、均衡ということをどういう水準で捉えるかを、今後の私たちが試みなければならない、私たちが切り開かなければならない道だと考える。
 
最後に読者たちに言いたい言葉は?
 
私は『世宗は果たして聖君なのか』を書いて、「一人しかいない聖君、そういう立派な人をなぜ批判するのか」という非難が出てくるだろうと十分に予想した。予想しながらも、「韓国人よ、あなたは誰なのか」、「どこへ向かっているのか」と質問したかった。そういう意味で自ら真剣な、何かの存在論的根拠を尋ねている。先入観を持たずにひとまず一度読んで見てくれたら良い。そうすると、私たちが「歴史とは何か」という問題を始めとして多くのことを改めて考えて見る契機を探すことになって、社会的な知的成熟の基礎が発展するのではないかと思う。
 
キム・ファンヨン知識専門記者

(終)


「歴史においては成功が失敗の母」

キム・ファンヨンの本と人(
『世宗は果たして聖君か』の著者イ・ヨンフン前ソウル大学教授インタビュー

中央日報 2018.04.20







 
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「歴史においては成功が失敗の母」 3

(続き)

奴婢制の確立以後、奴婢の数が50%、60%まで上がって1718世紀を経て減り始めるが、その原因は結局経済的なものか?
 
基本的には経済的なことだ。市場が発達して人口が多くなったから……奴婢を抱えるのはとても多くの費用がかかる。人が他人を働かせるということは、今もそうだがとても難しいことだ。その費用を代替できる賃金労働とか契約労働とか、または市場が発達することになると、自然に奴婢の価格が下がって行くほかはない。私が見るには、1690年ごろ奴婢の価格が10分の1に暴落する。それが中間転換期だ。


        イ・ヨンフン前ソウル大学教授


本では朝鮮の聖君を選ぶならば英祖が最高だと言っているが。


   私は、英祖の50年の間が、粛宗・英祖の年間が朝鮮王朝の絶頂期だと考える。その時に、いわゆ今日の韓国の近現代を準備する重要な文明要素が成熟する。その一つが奴婢制の解放だ。それを英祖という君主が引き出した。もちろんそれ以前からだ。さっき1690年と言ったが、そのおよそ30年前から顕宗・粛宗・英祖の年間に変わる。


結局は社会経済的な変化が法律・制度的な変化を導いて、その時にちょうどその場にいたのが英祖だと見るということなのか?

  そうだ。ある国王や個人が歴史の流れを導くことはできない。誰もどうすることもできない大きな歴史の流れがある。人口の増大と市場の発達が奴婢制の解体を牽引した。それを政策的・政治的に終わらせる役割をしたのが英祖だ。

『世宗は果たして聖君か』は「幻想の国」シリーズの第1冊だ。全体のシリーズを通じて読者たちに伝達しようと思うメッセージは?


  「韓国人よ、あなたたちは誰か、どこから来てどこへ行く存在なのか」という存在論的質問をしている。世宗が聖君ということは、私も小さい時から持っていた、私たちの父母の世代から受け継いだり学校で教育を受けたりした、そういう通念だ。その通念も、私が歴史家として知って見ると、朝鮮朝の両班たちが作った一つの記憶だということを知るようになった。

 私たちの大韓民国は朝鮮王朝ではない。大韓民国は朝鮮王朝が復旧した国では決してない。このような大韓民国の歴史的アイデンティティを明確にする時、私たち韓国人は朝鮮人ではない。それなのに朝鮮王朝が復旧したことのように観念し、世宗を国家の象徴として思い浮かぶようにしている。世宗特別市を作っているではないか?それで私は尋ねるのだ。「韓国人たちよ、あなたたちは朝鮮人なのか?」。今後、続けて12種類のことをそのような形で、そのような主題を選んで問題を提起するつもりだ


シリーズの題名が「幻想の国」だ。幻想を破ってこそ真の発展ができて、大韓民国が一段階さらにアップグレードすることができる。また、統一もすることができる。しかし、ある程度幻想はなければならない。「統一に対する幻想を持ってはいけない」というが、ある程度統一に対する幻想を持ってこそ統一になるのではないか? また、結婚に対する幻想があってこそ結婚をする。幻想もある程度必要だ。


  そうだ。人間が知っている知識の中でどれだけが客観的な真理か? 真理とは何か?認識論的な問題と関連があるが、例えば「人間は自由だ」という。アメリカ人は「私たちは神を信じる(In God wetrust)」と貨幣に書いているが、幻想だ。アメリカの『独立宣言文』は、「私たちは人間が自由な存在であることを自明の真理と信じる」という。幻想だ。幻想は必要なことだ。証明することのできない空理によって人間社会は統合されている。私はそういうことを否定するのではない。私は「人間は自由だ」、「人間は自由の存在だ」という幻想を持っている。私はそのような幻想に従って、それを否定したりその発展を遮る他の幻想を批判しているのかも知れない。


 



                    実証史学者レオポルト・フォン・ランケ[写真:ニューヨーク公立図書館]

Ranke(Ranke,Leopold von)=「ドイツの歴史家(17951886)。厳密な史料批判に基づいた客観的で科学的な歴史の記述と世界史的観点の総合的把握を通した歴史研究で近代実証的歴史学を樹立した。著書に『世界史』9巻と『ローマ及びゲルマン諸民族の歴史』などがある。」 [標準国語大辞典]


 
今回の「幻想の国」シリーズもそうで、前作もそうで、方法論は実証史学なのか。


   実際、私たち韓国では実証史学がちょっと誤って知られている。イ・キベク先生の『韓国史新論』を見れば、史学の方法論には色々なものがあると出てくる。社会経済史学があってマルクス主義史学もあって、民族主義史学もあって実証史学もある。実証史学を色々な史学に対置する、非常に保守的であったり民族主義に対してはちょっと批判的であったり……マルクス主義に批判的な何かそういう概念として知られた。

私は、ランケの実証史学が生まれた時代的状況はそんなことは無かったと見る。中世的神話や宗教的世界を打破するのに実証史学が重要な役割をした。「我々アーリア種族は世界で最も優秀だ」という、ドイツ人が持って来たその宗教の世界を破るのにランケが重要な役割をした。そこに近代化された人間が生じるのだ。それで、私は、実証史学は近代が成立するための基礎だと考える。実証史学は論理的厳格性があるので、立場が互いに異なる人でも一つのテーブルに座って議論して討論できる道を開く。ところが、事実を無視して、事実的基礎を共有しないで、互いに主張だけすることになれば……私はそれは近代の歴史ではないと考える。

一般の読者があらゆる分野の全ての本を読むことはできない。「実証史学=親日史学」という認識もある。


 それは、率直に言って、私たちの社会の知性水準が先進的な社会に到達できていないためにそうだ。日本の韓国支配は韓国を日本の領土として永久に併合するためのものだった。それを否定することはできない。永久併合するということと一時的に軍事的に占領して略奪するのとは違う。私は一昨年に書いた『韓国近代史』で「こそ泥は略奪するが、大きな盗賊は同化をさせる」とした。日本は韓国を永久併合するために大きな盗賊として日本の制度・法・官僚制・市場制度を移植した。それを我々韓国人たちは認定しない。認定しないから、大韓民国は朝鮮王朝が復旧したものと考えるわけだ。客観的にどんな現象が起きたのか見ようとしない。ここに我々韓国人がまだ陥っているある前近代的低知性の泥沼がある。私はそう考える。長い間多くの批判を受けたし誤解も受けて来たが、私の心が揺れたことはない。


(続く)




<コメント>
この人は、今後あと11冊の本を出版するつもりなのか。すごいなあ。

ところで、「幻想の国」シリーズの中には慰安婦問題もあるのだが、「さ迷う島」という題の、于山島は証拠にならないということの説明を中心とした竹島問題もある。ということは、いよいよイ・ヨンフン教授が竹島で1冊の本を出すことになるのだろうか。これは実に楽しみだ、わくわく。







「歴史においては成功が失敗の母」 2

(続き)

マルクスは資本主義の崩壊を見通したが、同時に資本主義が人類史に寄与したと見た。「資本主義を経ずには社会主義に行くことはできない」という図式だ。彼は資本主義の歴史的な天の命令や成果を認める立場だった。同じように世宗の業績は業績のとおり認めるということか?  
 
世宗がいなかったら朝鮮王朝は無かった。それだけ世宗の業績は重要だ。世宗の役割は大きい。私はむしろ逆説的に、その点を本で何度も強調している。
 
世宗がいなかったとすれば、朝鮮王朝は一種の「高麗王朝シーズン2」になったのではないか。
 
そうだ。明国の周辺国として長く存続できなかっただろう。高麗が長く存続できたのは、中原がとても不安定だったためだ。高麗が存続した時代の半分は遼と金、元が支配した。同じく北方異民族ではないか?宋国が中国を支配した歴史はわずか百何年でしかない。同じ北方民族が中国を支配したので高麗が並存できたが、高麗のような軍事国家的伝統を朝鮮が維持したとすれば、500年を支えることはできなかっただろう。それは否定できない。歴史に仮定がないとしても、私が見るには、中国と対抗したら朝鮮は長期持続することはできなかっただろう。
 
 本で見れば、世宗は中国が要求する以上に徹底した事大主義をした。壬辰倭乱が起きた時、明国の立場では朝鮮が「本当に立派な国」だから出兵したのかは分からない。そのように見るならば、世宗の事大主義はとても賢明な、現実主義的な政策だが。
 
そうだ。世宗は自国内で軍事的意志を抜去・消去することによって、王朝が長期持続できる基礎を用意した。そういう意味ではとても現実的だったと言える。
  
壬辰倭乱以後、中国、日本は権力が交替した。唯一朝鮮王朝だけが生き残った理由もやはり事大主義が成功したためなのか。
 
全ての成功は相応する費用を支払わなければならない。全ての成功は失敗の母だ。「失敗は成功の母」と良く言うが、歴史においては全ての成功は失敗の母だ。成功したから大きな費用を支払うほかはない。費用を支払って構築された体制はそれなりの既得権を持って名分を積んで、違うものを許容しない。それで中国で元国が滅びて明国が立った時、韓半島ではそれに相応する王朝ができた。朝鮮王朝は中国と対抗せずに事大主義政策で中国と親交政策を取った。16世紀になると中国の一部に変わってしまう。中国自らが朝鮮を自らの内地だと考えることになって、朝鮮自身も中国の一部だと考えることになったのだ。そうなれば、それからは失敗するのだ。私たちは1819世紀の歴史で失敗の値段を支払う。
 
 習近平中国国家主席が20174月、ドナルド・トランプアメリカ大統領に会った時、韓国が中国の「属国」であったというふうに話した。このような中国の認識は歴史的事実と符合するのか。
 
そうだ。私は符合すると見る。私たちは、歴史の真実を直視する時に私たちの現実が分かる。中国人たちを見て「あなた方はなぜそう考えるのか?」と尋ねるのではない。朝鮮王朝はそういう国際秩序の中で長期間持続した。今はどうしなければならないのか。昔そうしたから今でもそうするのか?そうではない。中国が歴史的に世界を先導する立派な文明国家ならば、私もいくらでも中国との親善、親交関係を重視するだろうが、私が見るに、中国は世界をリードするほどのそういう文化や文明を持った、言うならば「自由がある国」ではまだない。自由がある国ではないので発展の限界があるのであり、そのような意味から私は朝鮮王朝と中国の間の関係のような関係を我々韓国人が復旧することになれば、または受け入れることになれば、それ自体また別の大きな失敗だと考える。そのために私は批判する。批判するためにも過去を正確に知る必要がある。
 
位階序列的な東北アジアの国際秩序で事大は象徴的だったし、朝鮮王朝は中国の属国でなく独立国であったという主張も可能だが。
 
現代的な概念で朝鮮が中国の植民地や属国だとか……このような形の現代的なパラダイムで問題を提起するが、前近代のパラダイムでは属国や植民地というような概念はなかった。天子が世界の中心だ。天子の徳化が及ぶ範囲が中国だ。天子の徳化が及ばない外側の世界は野蛮だ。なので、文明と野蛮を区分する緩いある意味の境界があっただけだ。中国が国境線を有している国でもなかった。
  天子が直接郡県を設置して首領を派遣するところがいわゆる中原ならば、天子の徳化を纏う中で天子から冊封を受けた現地の王たちが治める国が周辺に約12あった。中国人の立場では12の朝貢国も中国の一部と見なす。朝鮮もその中の一つだ。このような位階制的秩序が長期間持続したので、朝鮮自らを中国の一部と見なす政治イデオロギーや文化を朝鮮自ら受け入れる。既に16世紀からそのような現象が現れる。16171819世紀まで持続してそういう文化や政治イデオロギーが生じる。結果的に見れば、朝鮮王朝の長期持続の二つとない秘密であり原理だった。それで、その体制を作り出した人が世宗だ。
 
  『世宗は果たして聖君なのか』では、臣下が祈雨祭を行おうと言うと世宗が拒否する。自分は諸侯だと考えたためなのか?
 
そうだ。父の時代までなら、力が弱い小さい国だから中国に事大政策を行ったものの軍事的衝突でも耐えるような意志が見えるが、世宗の時になればそれが完全に消える。世宗自ら諸侯として自身を内面化する。世宗はそのような意味で、すごい、首尾一貫した国家造り、国造り政策を行ったと見られる。天に対する祭事は諸侯が執り行うことはできないというのは世宗の本心だった。むしろ諸侯がそういう祭祀を行えば天が怒るという。そうして1000年を繋いできた祭事を廃止する。世宗の時に我が韓国史で重要な変化が起きる。1000年受け継いできた天帝を廃止したことほど重要なことがどこにあるだろうか?重要なある屈曲・断絶がその時に発生した。
 
この本に対する批判的な意見の一つは、世宗は奴婢にも出産休暇100日を与えた「進歩的な国王」というものだが。
 
そうだ。奴婢制を事実上創設した人だから。奴婢に良くしなければならない。近代的な開明君主ならば奴婢制を廃止しなければならない。それでこそ本当に聖君だ。しかし、この人は奴婢制を作った人だ。そして奴婢や一般良民、常漢への刑罰ではとても厳格な人だった。世宗の刑政、刑罰を下した政治を見れば、それ以前の王たちに比べて非常に厳格だった。身分的原理が厳格だったので、厳格なだけにまた施しをしなければならない。出産休暇を与えれば結果的に両班に得になる。
 
ハングル創製の目的に関して論議がある。当時、中国語をうまく表記して習うために発音記号として作ったという主張がある。序文を見れば未熟な百姓たちがコミュニケーションができないと……
 
中国とコミュニケーションができないという話だ。
 
民衆がコミュニケーションができないという話ではないのか?
 
違う。正確に読んでみれば、未熟な百姓たちが中国と言葉が違って意味を取ることができない。こうなっている。なので中国人とコミュニケーションが円滑でないために…そうなっている。
 
未熟な百姓たちというのは朝鮮の民衆でなく「未熟な我々朝鮮の人々」になるのか?  
 
王の統治を受ける大夫、士の階級をいう。文字を使って中国と外交関係を持ったり詩文を作ったりする人々が中国と言葉が違って、音が違って意が通じないという意味だ。奴婢まで含む全民衆的なそういう意味の百姓ではないと見る。チョン・グァン教授の学説によれば、訓民正音自体が文字へ自ら発展する。それが諺文なのだが……この本を書くために『春香伝』、『興夫伝』を読んでみたがキム記者も一度読んで見ることを望む。解説本なしには読むことができない。『春香伝』の1ページも読むことはできない。なぜならば全体が漢文であるためだ。漢文を音で表現しただけなのだ。
現代人は『春香伝』、『興夫伝』を読むことはできない。訓民正音は創製されたが庶民文化を創り出すには至っていなかったというわけだ。私が古文書学会の会長をして分かったのだが、純ハングル古文書の読解が最も難しい。漢文を音で表現してあるためだ。今日の韓国人の字に変わるのはチュ・シギョン先生以後の20世紀の歴史だ。訓民正音の歴史は500年の間多様な屈曲を体験したと言える。
 
訓民正音創製の目的がいやが上にも距離があった中国の漢字発音に近めたり一致させるためだったならそういう努力をしたはずだが、試みさえしなかったのではないか?
 
『東国正韻』(1448)の編纂がまさにその努力だった。『東国正韻』は漢字を中国式に発音するための、土着の漢字音を正すための標準発音辞典なのだが……そうならない。本だけ作ったが失敗する。
 
失敗の原因は両班の反発のためか?
 
言葉を変えることはできない。言葉というものは、フリードリヒ・ハイエック(18991992)の言葉を借りるなら、最も古い自然発生的秩序だ。数百年の間、人間社会で進化して来たのが言葉だ。誰の企画でも努力でもない、自然発生的な秩序として言語が存在する。言語を変えるということは不可能だ。世宗は不可能な試みをしたのだ。

(続く)


「歴史においては成功が失敗の母」 1

 2年前に、イ・ヨンフン教授が韓国のことを「幻想の国」と評するYouTube講義が話題になったことがあります。

 
 イ・ヨンフン教授は今回、その第1講を基にした『世宗は果たして聖君なのか』という本を出版したそうで、それに関して中央日報が、どちらかというと好意的なインタビューをしました。
 
 世宗という今から600年前の人物について語りつつも、イ・ヨンフン氏はもちろん国の現状と将来を見ています。
 

              『世宗は果たして聖君なのか』
             イ・ヨンフン教授の幻想の国 1


「歴史においては成功が失敗の母」
 

キム・ファンヨンの本と人(

『世宗は果たして聖君なのか』の著者イ・ヨンフン前ソウル大学教授インタビュー
 
中央日報 2018.04.20
 
 
 
「世宗=聖君」は両班が作った「記憶」
世宗、人口の40%を奴婢とする法を作った
 
世宗がいなかったら朝鮮王朝はなかった
それだけ世宗の業績は重要だ
 
16世紀以後の朝鮮は中国の内地
事大主義の成功の代価を1819世紀に支払った
 
歴史の真実を直視してこそ私たちの現実が理解できる
 
実証史学は韓国で誤って知られた
「私が日帝を美化する何の理由もない」
 
個人の代わりに国家、民族、社会を強調すれば
その結果は全体主義
 
 
 
大韓民国ソウル光化門には朝鮮「王朝」の人物である李舜臣将軍と世宗大王の銅像が立っている。象徴性が高い光化門に「民主共和国」大韓民国の人物の銅像はない。大韓民国の歴史を作った傑出した人物は多いが、まだ国民的合意がない。
 イ・ヨンフン前ソウル大学経済学部教授(現在は李承晩学堂校長)が書いた『世宗は果たして聖君か』は、世宗についての新しい理解を促す本だ。以下はインタビューの要旨。






読者の反応は?


 予想より反応が良い。主なインターネット図書サイトでベストセラーのリストに上がっている。特に歴史、文化の分野では上位にランクされていて、本を書いたやりがいを感じる。また、読者たちの書評も概して好意的で、非常に真剣な書評が多くてうれしい。

肯定的、否定的な読後感想は?  


 2030%の否定的な反応は、「著者は自由主義的右派の色が強い。本の内容もそうだ。」など主に政治的なことだ。本の内容自体でなく著者の政治的指向をめぐって批判する内容だ。だが、本の内容に従って、「朝鮮時代の実状について多くのことを知った」、「思っていた以上に人間の隷従が深刻だった社会だ」、「人間の隷従の深化、制度化に世宗がどんな役割をしたのか初めて知った」という反応もある。知的に省察して反芻する内容が多く、賛否を別として非常に真剣だと感じた。


本には世宗が奴婢制、妓生制度、事大主義を強化したと出てくる。一般の読者には衝撃的でもある。特に奴婢制の問題に関して説明してほしい。


 15世紀から17世紀まで、全体人口の3040%が奴婢だった。15世紀の初めには10%未満だった。増えた理由は、「両親の一方が奴婢ならば子は無条件で奴婢だ」という法のためだ。そのような法を作るのに重要な役割をした人が世宗だ。「婢が良人の男と出産した子は奴婢だ」という法を世宗が作った。この法が重要な理由は、良人-奴婢の結婚が事実上公認されたためだ。以前までなら処罰をしたが、良賎交婚を事実上放任した。奴婢の人口が増殖する道を開いた。以後、良賤交婚が一般化して人口の3040%まで奴婢が増加した。


 良人-奴婢の結婚を可能にしたことは、身分が違っても互いに愛する人々が結婚できるようにしたという点では肯定的だが、子供が奴婢になるということは話にならないことのようだ。


 奴隷制を経営した多くの国でも奴隷と自由人の結婚や性的関係は統制できなかった。人間が互いに愛するのに国家がどうできるだろうか?子供は概して自由人になった。だが、朝鮮の苛酷な身分世襲法は自由人-奴婢婚姻で生まれた子供を全て奴婢にした。その原因は何か?私はその文化的、精神史的、宗教的な背景に関心がある。私たちの身分感覚では「血の清濁」の観念が非常に重要だった。何に起因するものか私は良く分からない。奴婢の「汚い」血が一滴でも混じれば奴婢だという、清濁感覚に基づいた人間の差別意識、種姓意識が特に強かった。


「血の清濁がある」という世宗や臣下の発言は文献的根拠があるのか。


 私はいくつかを紹介した。実際、文献としては残ることが難しい文化の問題、宗教の問題だ。とても古い巫俗的な伝統まで遡る問題なので、明らかにするのは本当に簡単ではない。唯一韓国では他の国とは違って自由人と奴婢の実子を奴婢としたという問題は、研究者ならば必ず解明しなければならない重要な問題だ。私は答を血統に求めた。いくつかの史料を本で紹介した。


 儒教の経典自体には血の清濁や身分差別は無いのではないか。孔子は仁を強調した。  


 改新儒教である宋の朱子の性理学によれば、人間は誰でも自身の努力で道を成就することができる。自ら人格を完成できる品性を天から皆が与えられた。そういう意味で、宋の朱子学以後、中国では制度的に人間を差別する身分制が無くなる。全ての人間はそれ自体で平等になったわけだ。ところが、韓国の朱子学は種姓感覚と結合して苛酷な両班-庶民差別と奴婢身分制を作り出した。土台の問題だ。土台に何があるのかは謎だ。研究が不充分だ。


中世ヨーロッパの城主は村の娘たちに対する初夜権を持ったという。中世を支配した理念と言えるキリスト教とは何の関係もないのに、慣習で……


 そうだ。とても古いゲルマン社会とか……何か起原を持つ伝統だが……しかし、中世ヨーロッパでは領主制を自ら解体して人間自由の思想が生まれる。韓国では朝鮮の500年の間、自由や個人という政治哲学の範疇が生じなかった。私は発見できなかった。その問題を冷酷にこの本で指摘している。我々韓国人が韓国史を理解するのに重要な問題だと考える。なぜそうなったのだろうか? 私は『世宗は果たして聖君なのか』でその質問を継続している。

 自由というものも、自由に相応する空間、空間性が前提になった概念だ。天が変わってこそ見えて聞こえる概念だ。西洋の場合、宗教改革以後に天が変わった。しかし、我々韓国人に天とは何だろうか? その天が変わらないならば、根本的に既存の体制を否定する新しい哲学の要素が現れ難い。

 それで私は世宗の業績を重視するのだ。彼は天子を頂点とする道徳国家体制を作り出した。不動の秩序だ。朝鮮王朝を否定するいかなる考えも500年の間現れなかった。同じように、朝鮮王朝を支える位階的身分制自体を否定するいかなる哲学的要素も現れなかった。それで、私は、逆説的に世宗の業績を歴史的にとても重要なものと評価する。


(続く)

イ・ヨンフン教授の新刊

『幻想の国』

幻想の国、その国は大韓民国だ。

素晴らしい、ファンタスティックだ、そういう意味の幻想ではない。

虚像だ、錯覚だ、実態が無い、そういう意味の幻想だ。

皆が信じ、疑うことも無いが、問い詰めると根拠が無い、事実ではない、ひいては偽りだと判明
する、そういうのが私の言う幻想だ。

幻想は遥か昔や、近い過去の歴史が生み出した文化現象だ。

人間が先祖から受け継いだ集団心理だ。

   李栄薫(イ・ヨンフン)     『幻想の国』序文より






<コメント>
 近くこういう本が出版されるということらしいのですが、おそらく、下記のYou Tube講義を整理したものだと思われます。



イ・ヨンフン教授、定年退職

ソウル大学教授定年式…「植民地近代化論」のイ・ヨンフンなど28人退任
 
2017/02/28 連合ニュース
 
(ソウル=聯合ニュース)イ・ジェヨン記者=ソウル大学は、28日、冠岳キャンパスで教授定年式を開いた。 この日に定年退任した教授は28人だ。
定年退任した教授のうちには、過去「植民地近代化論」を主張した経済学部イ・ヨンフン教授、高麗は父系社会ではなかったことを究明した国史学科ノ・ミョンホ教授などがいる。
退任する教授を代表して、カン・テジン工科大学材料工学部教授は、「教授・研究者として過ごした30年余りは、学習と研究、教えを通じて学問と知性を推し進めて来た時間」としながら「学び、教えて、発見して未来を開く過程は冠岳が私にくれた最高の贈り物」と所感を明らかにした。退任の辞で、カン教授は「大学の根本的な哲学と役割についていろいろ考えた」としながら「私たちの問題は、未来の姿を設定しないままとても早く変化すること」と最後の苦言も惜しまなかった。彼は、「ソウル大学がリーダーシップを発揮して高等教育の公共性を確立しなければならない」とし、「人類に奉仕するグローバル人材を育てて総合大学として国家の未来価値を創り出さなければならない」と求めた。









<コメント>
 イ・ヨンフン教授は、今後も、落星垈経済研究所長として新しい研究成果を発表してくれるだろうか。


イ・ヨンフン教授+韓国経済新聞

民族主義幻想」を植え付けた誤った歴史教育正さなければ
 
2016-12-29 韓国経済
 
冬の夜熱い雰囲気にしたチョン・キュジェTVトークパーティー
政界の基本所得支給議論は懲罰的所得税賦課帰結
 

去る28日、ソウル中林洞の韓国経済新聞社のタサンホールで開かれた「チョン・キュジェTVトークパーティー」に参加したファンたちが、イ・ヨンフン ソウル大学経済学部教授の講義を聞いている。 チョン・キュジェTVキム・ヒョンジュンPD
 
■イ・ヨンフン ソウル大学教授の「寸鉄、人を刺す」歴史講義
 
韓国の「広場民主主義」は精神文化の空白がもたらした虚像
自由、独立、個人の存在など近代人が学ぶべき価値は教育課程でなおざりにされた
2030代の若年層が大挙集まって「歴史を勉強しなおしたい」
 
「自由、独立、個人の存在など近代市民として学ぶべき価値は、実際の教育現場では後回しにされました。」
チョン・キュジェ韓国経済新聞主筆が進める「チョン・キュジェTVトークパーティー」が開かれた去る28日、ソウル中林洞の韓国経済新聞社18階講演会場は300人余りの出席者でぎっしり埋まった。彼らは講演者として登壇したイ・ヨンフンソウル大学経済学部教授(65・写真)の一言一言に耳を傾けた。 外では零下5度の鋭い冬風が吹いていたが、講演会場は参席者の熱気があふれた。
 

 イ教授は、ろうそく集会を見て感じた点を明らかにして講義を始めた。彼は「韓国は、党費を出して政党活動に積極的に参加する真性党員の比率が全体国民の0.8
%で、アメリカ(10)よりはるかに低い」として、「制度化された政党参加率は低調だが光化門広場に特定政治指向の人々が大挙集まるのは世界的に類例がない現象」と分析した。彼は、1960年代の初め、マーチン・ルター・キング牧師などが黒人の人権運動のためにワシントン広場に集まったよりも韓国のろうそく集会参加者の数がより多いと指摘した。続いて、「韓国の人々が何かことが起きれば光化門広場に集まるのは、「幻想」から醸し出された「精神文化の空白」の結果」とし、「‘民族’という幻想のせいで歴史をきちんと認識できずにいる」と述べた。
 イ教授は、「民族という概念は20世紀に現れた想像の共同体」として「韓半島を一つの身体と認識して「単一民族」などの血族主義を強調するのがその現象」と診断した。それと共に、民族という幻想を作り出した誤った歴史教育の事例を提示した。
彼は、「世宗は果たして聖君だったでしょうか?」として、常識を覆す質問を持ち出した。イ教授は、「学校では世宗を聖君と教えるが、そのように見るには困難な側面がある」とした。両班にとっての聖君であるだけで、一般民衆にとっては聖君ではないという主張だ。 彼は、「世宗は奴婢制を制度的に確立して妓生制度も作った」とし、「事大主義を強化して両班だけの国である朝鮮の根幹を確立した王」とも評価した。親日派と反日感情、建国節論議など日帝強占期に根元を置く問題も、学校での教育内容と違う部分が少なくないと主張した。
  このような「歴史的幻想」は誤った教育から始まったというのがイ教授の考えだ。自由と独立、人間の存在に対する正しくなされた教育がなかったというのだ。彼は、「小学生の時から自己の自由が重要なように他人の自由も重要だという考えを植え付けなければならない」と強調した。

出席者は、講演が終わるとすぐに拍手喝采を送った。 大学生のハン某さん(28)は、「これまで民族主義に陥って幻想を持っていたという事実を悟る契機になった」として、「個人の価値と存在などに対して再び勉強するべきだという気がした」と話した。チョン・キュジェTVの愛聴者というチョ某さんは、「幼かった時に学び一生信じて来た歴史的幻想が崩れた感じ」、「今からでも正しい歴史教育を通じて自由と個人の価値を理解できる市民を育てなければならないようだ」と述べた。
 イ教授は、チョン・キュジェTVで「幻想の国」を主題に歴史講義をした。12編で構成されたこの講義は、動画サイトYouTubeで照会数20万件余を記録するなど人気を呼んだ。 彼は、27日、自身の力作である『韓国経済史Ⅰ、Ⅱ』を出版した。この本は、韓半島の歴史を4時代に分けて、経済の発展はもちろん韓国人特有の個性がどこから来たかを実証的に分析して学界で非常な関心を集めている。
 

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■普遍的福祉に一針置いた(厳しい警告をした)チョン・キュジェ主筆
 「チョン・キュジェTVトークパーティー」の出席者は、イ・ヨンフン ソウル大学経済学部教授の講演が終わった後、チョン・キュジェ韓国経済新聞主筆に最近の懸案に関連した質問を吐き出した。 2時間の予定の行事が1時間近く長くなるほど質問が絶えなかった。


チョン主筆は、「政界で基本所得制の議論が提起されている状況をどう見るか」という質問に、「全ての国民に一定の所得下限線を保障するという発想は世界的に類例がなく、国民を奴隷に作るもの」と一喝した。それと共に、西欧の福祉原理主義者などが「市民の権利に基づいて国家に対する請求権が作られる」という論理を言っているが、それ自体が人間の精神が退歩していく過程」と批判の刃を研いだ。続いて、「近い将来、大統領選挙の局面に入れば基本所得制を導入しようと各大統領選挙候補が競って主張するだろうが、結局は付加価値税を上げたり懲罰的な所得税を払わせるようにする代案を探すことになる」とし、「これは不幸な悪循環の輪を作る道」と憂慮した。
チョン主筆は「チェ・スンシル事態」の余波で全国経済人連合会(全経連)の主な会員会社が列をなして脱退する現象に対しても言及した。 彼は「これまで政府が企業から事実上準租税のように金を集めてきたので、全経連が消えれば本来困るのは政府」とし、「政権が変われば、また全経連を作れと要求する可能性が大きい」と述べた。また「以前の大統領たちは全経連を通じて数千億ウォンくらい金集めをしたが、なぜ今回のことだけ問題になったのかは謎」とし、「政府は今回の機会に企業から金を集める形態をやめなければならない」と強調した。
最近の国政混乱の危機を機会に変えようというメッセージも伝えた。 チョン主筆は「多くの国民がこのままでは本当にだめだと認識している」としつつも、「次の大統領がもう少し柔らかいリーダーシップを発揮して一部でも改革を成功させて、北韓政権が崩れて自由統一を成し遂げれば大韓民国は再び跳躍できる」という希望も示した。引き続き「まっ暗な夜を破って輝く太陽が浮び上がるように、国民的和解と改革を経て大韓民国はまた別の‘素晴らしいストーリー’を書ける」と付け加えた。 深刻な表情で話を聞いていた参席者は、チョン主筆の希望論に大きな拍手で歓呼した。


 

<コメント>
 チョン・キュジェという人は、韓国経済新聞の主筆であってテレビ番組も持っているので韓国ではわりと有力なジャーナリストのようだが、この人がイ・ヨンフン教授の学説を支持していて、「幻想の国シリーズ」の講義などのめんどうを見たということなのだろう。教授にとってはけっこう強力な援軍ではなかろうか。
  「ろうそく民主主義」に熱中する人々が多い中、数は少ないながらもまじめに自国の歴史と現状を考えようという人たちがいるのはいいことだ。



イ・ヨンフン教授の新刊『韓国経済史』

 「日本の韓半島支配は近代文明の移植過程だった」

ソウル新聞 2016-12-29

 「植民地近代化論」を主張してきたニューライト系の代表的な経済学者イ・ヨンフン ソウル大学教授が、最近、紀元前3世紀から今日に至るまでの経済的側面を中心にした『韓国経済史』を出版した。  
  今回の本でも、日本の植民統治が韓国の近代化に結果的に寄与したといういわゆる「植民地近代化論」を展開している。2巻構成の今回の本の1巻の冒頭で、イ教授は「日本の韓半島支配は西ヨーロッパで発生した近代文明が移植される大転換の過程だった。大韓民国は日本が移植した近代文明を受け継いで建設された国家」と明記した。親日史観と批判されることを意識して、2巻の冒頭では「軽薄に帝国主義の恩恵を受けたとしては困る」とし、「日本がそのような変化を起こしたのは、韓半島をその領土として永久合併するための途方もなく大きな泥棒精神だった」と言及しているが、同書前半に現れる「植民地近代化論」は外れていないと評価されている。

  イ教授は、同書で日本を中心に朝鮮、台湾、関東州(旅順、大連に設定された日帝時代租借地)、満州を東アジア資本主義圏と説明している。東アジア資本主義が自足的経済圏として統合されながら急速に成長し、朝鮮でも資本主義経済体制が広がったというのだ。これについて、「日本が同化の目的で実行した制度の変革は、朝鮮に資本主義経済体制を完全に移植した」とし、「東アジア資本主義の巨大な経済的循環は朝鮮で資本主義の急速な発展を牽引した」と主張した。 また、日帝強占期は「韓国人は奴隷状態であった」という通説についても、韓国人を露骨に差別する法や政策は作られなかったし、韓国人の生活水準が改善されたので「事実ではない」と否定した。 
  今回の本で、彼は「日帝」という単語の代わりに帝国主義的性格が脱け落ちた「日本」という用語を使い、1910~1945年の日帝強占期も単純に「日本が統治した時期」という意味の「日帝期」と表現している。 また、最近、政府の歴史国定教科書発行をめぐって論議になった建国節論議について、イ教授は、「朝鮮王朝の歴史と大韓民国の歴史は李承晩を媒介として連続性を持つ。1948年の大韓民国の建国は、朝鮮王朝開創以来永く韓国人を抱き込んできた性理学の代わりとして自由民主主義という外来理念が韓国人の政治社会生活を統合する新しい原理としての位置を占める文明史的大転換だった」とし、ニューライトが主張する「1948年大韓民国建国」を支持した。





韓国人2500経済生活、理論でなく史実で説明


 2016.12.29 朝鮮日報
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2016/12/29/2016122900090.html


 
1400ページの『韓国経済史』概説書を出したソウル大学経済学部イ・ヨンフン教授


 
 





   イ・ヨンフン教授は、「定年退任後には理事長を引き受けている落星垈経済研究所に移って研究活動を続けるだろう」と語った。 /チャン・リョンソン客員記者





「理論や図式による説明でなく、歴史的事実の因果連鎖によって韓国人の経済生活が歩いてきた道を整理した。また、これを基に今日の韓国型市場経済が有することとなった歴史的特性を明らかにして見ようとした。」

イ・ヨンフン ソウル大学経済学部教授(65)が、来年2月の定年退職を前に、韓半島に文明が始まった時期から21世紀始めまでを扱った『韓国経済史』(2巻、一潮閣)を出版した。全1380ページに達する膨大な著書は、韓国経済史を第1時代(紀元前3世紀~紀元後7世紀)、第2時代(814世紀)、第3時代(1519世紀)、第4時代(2021世紀)に区分して説明している。

  本格的な叙述に先立ち、イ・ヨンフン教授はマルクスが主張した「世界史の一元的法則」を韓国経済史にも適用しようとした先輩学者を批判する。特に1960年代の南北韓国を風靡した「資本主義萌芽論」、すなわち1819世紀は封建社会の解体期でありその中で資本主義の萌芽が発生したという主張は、実証が貧弱で国際学界から認められることができなかったと指摘する。イ教授は、「韓国の歴史的社会科学は事実に基づいていないので、現実から遊離して説得力がない」と語った。
 イ・ヨンフン教授が時代区分の指標とするのは人間の社会的存在形態だ。 生産力の発展によって社会的単位が小さくなる変化を追跡した。韓半島の人々は青銅器時代に共同炊事をして、鉄器普及で農業生産力が増加して個別の住居地にかまどが設置され、家族が消費生活の単位として自立した。 第1時代の開幕だ。 高句麗と新羅はこのような家族を「烟」と呼んだ。 だが、生産と受取りの単位は約50個の烟で構成された集落だった。 第2時代は農業生産力が一層発展して、集落内で色々な家族の複合体である「丁」が生産と受取りの単位として浮上した。
  第3時代である15世紀中盤に至って丁が解体され、家族とそれに隷属する奴婢で構成された「戸」が成立した。 17世紀後半になれば、奴婢が自立して小規模家族が国家の基本単位となる「小農社会」が作られた。 第4時代になれば個人が登場する。 だが、韓国では個人は西欧とは違って家父長的秩序と親族集団の結束が弱まらなかった。 儒教的伝統が近代によって再編成される「複線の転換」、「儒教的近代化」が韓国近代化の特徴だ。
  1963年から1997年まで続いた高度成長は、政府が資源配分を主導して競争力のある大企業を育成し、その効果が中小企業の成長を誘導する滴下式開発だった。だが、外国為替危機以後に減速成長期に至るとすぐに、国家主義は各種の規制を量産する歴史のくびきに変わった。 国家が経済活動に強い影響を及ぼした長い間の歴史は、韓国経済を「国家主義市場経済」に作ったのだ。
  第4時代を扱う第2巻の副題は「近代の移植と伝統の変貌」だ。「移植」という用語は、西欧起源の近代文明が日本とアメリカによって韓半島に伝播したというイ・ヨンフン教授の持論が含まれている。「近代の「受容」ということはできないのか」と尋ねるとすぐに、イ教授は、「愛国啓蒙運動期に私たちの近代文明勢力の活動があったが、国を奪われて、その後近代が本格的に移植された」と答えた。
  このような認識はしばしば「植民地近代化論」と呼ばれ、日帝の統治を美化するという批判を受ける。だが、イ・ヨンフン教授は「植民地的近代化は跛行的に進行して、国を取り戻した後には権威主義的近代化が続いて「近代の欠如」を招き、今、大韓民国はある面では1819世紀の朝鮮社会と似ていることになった」と説明した。




<コメント>
  経済史の学者だから最後に自国の経済史をまとめたということですね。しかも、それは単なる歴史書ではなくて現在の韓国という国の洞察に役立つものとなっているようだ。この人はほんとにいい仕事をなさる。



 

韓国の教育70年再考 (4)

育自由化の当面する課題
大韓民国の教70年を振り返る

イ・ヨンフン ソウル大学経済学部教授

2016-12-22 メディアペン

(続き)

 このようなの構造とそれに規定された社生活の特質は、韓人がその長い間の史で受けいだものだ。 19世紀まで韓は永く閉じられてきた小農社であり、そこで形成された社文化的特質は1950年代までほとんどわらなかった。 以後、客的に進行した近代化と際化の波は、個人、自由、立のような近代的値を行動原理とする人間を量産した。 ところが、その過程は複線的だった。家族主義、地域主義のような集的な生存倫理やその政治的反響としての民族主義が、個別化する人間を統合する新しい原理として化された。  
2期の威主義政治は、社と文化のこのような客的流れを高度成長の動力として動員して組織することに成功した。 高度成長はそれに加した民に人間現と階層上昇の機を提供したし、一面的制の平等主義的育体制が最も重要な通路を成し遂げた。 ところが高度成長の時代が終わるとすぐに、こうした統合と上昇の好循環はそれ以上作動しなくなった。3期を開いた主役は、第2期の好循環らずくだろうという楽観に基づいていた。 は、彼らは精神的に空白態だった。 彼らは民主化と分化を形式だけで追求した。 その結果、韓人の社生活と精神生活はより一層荒涼となった。「一般的に人を信することができるか」という質問に1985年に肯定的に答えた韓人は38%だった。 それが2010年には26%と低くなった(最後の図参)
 

 

「自由」と「立」を育しなければならない
 去る70年の史において、個人-社会-国家の係を規律して統合する近代文明の基礎原理は一度も積極的に意識されたり育されたことがない。 それは他でもない「自由」と「立」だ 身体の自由と財産の確立を二大軸とする「自由と正義の法」こそ個人-会-国家を統合する近代文明の核心原理だ。 過去70年間、そのことにする局の認識は殆どなく、第3期に入るとむしろ後退した。 前述したとおり、現行の育課程は全人的性格を大切にえている。校の正しい生活科書は、性格の性として誠、正直、自主、節制、責任、努力、計、反省、実践、協同、奉仕、配慮、創意、やる気、遵法、親孝行、友情、和解、愛、慈悲、容赦、平和、非暴力をえ上げている。
 この23種の性は、初等中等の12年にわたって繰り返し育されている。 しかし、考えてみよう。このような性をえなかったが洋の東西を問わずある時代に存在したことがあるかを。国の朝鮮王朝も、天皇主義の日本も、共産主義のソ連も、首領主義の北韓も、このような性を若い世代に注入することを少しもおろそかにしなかった。 むしろ、社が身分制や全体主義で統合されるほどこのような性はより一層調された。
 このような徳性は派生的なものに過ぎない 本源的な値として人間を社的信と協同に導く原理は時代と体制により相異なった 70年前に大韓民は「個人の根本的自由」を支持する国として成立した(李承晩大統領が建記念式典で行った演)。 それが過去70年間の見るに値する成果を招いた原動力だ。 それでも、韓の政治、社、文化は今までそのことにする自的理解と意志的実践を欠如していた。「自由」といえば自然に弱肉食のジャングル文化を思い浮かべたり、持てる者の権の決まり文句と思い込むの知性は、なぜその「自由」が充した先進国においてと協同が最も高い水準で具現されるかを理解できない。
 
そういう知性の限界は、逆的だが、第2期までの家主義的統合がそれなりの時代的役割を遂行する土を提供した。3期の民主化が韓人を低信と高葛藤へ追い込んだのは、そういう社と文化の件においてだ。 今や何をなすべきか。近代文明の基本原理として「個人の根本的自由」にする民的育と実践しかない。

そこに立って国家の史を再確立して、初等中等科書を全面改編することこそ、もうらせることのできない自由化の当面する課題だ。



(おしまい)



韓国の教育70年再考 (3)

育自由化の当面する課題
大韓民国の教70年を振り返る

イ・ヨンフン ソウル大学経済学部教授

2016-12-22 メディアペン
 
 (続き)

人の
  廃棄される以前の育法が何かの目的方向に体系化された理念に立っていたとは見難い。12期にかけて育政策や現場で支配的な育理念は民族主義ないし家主義だったことは事そのとおりだ。3期の育基本法は形式上それらを下ろしたが、社と文化の史的路性はそんなに簡わらなかった。3期は、ある新生がそれに然な理念的指向を放棄する時、育が知らず知らず新生の存立自体を否定する社会・文化の特定勢力によってどれくらい容易に捕獲されるかを訓としてしている。
 韓の社と文化が持つ比較的特質は、1985年以アメリカ・ミシガン大5年ごとに施してきた世界調査によく表われている。 それにしては既に良く知られた分析があるが、2010年の調査結果についてはまだ紹介されたことがないので、以下簡略に紹介する。
 韓と密接な連がある18を比較象にする。人が人生において重要だと感じるのは仕事(work)だ。 仕事が重要だと答えた比率は18中で最も高い。 反面、余暇が重要だと答えた比率は15位と低い水準だ(<1>)
        
                  家族       友人      余暇       政治       仕事     宗教

/資料出処:世界価値観調査(http://www.worldvaluesurvey.org)

 両親が子供にどんな性を育するのかは世代にわたるの構造を代弁する。親は、子供に、熱心に仕事をせよ、責任感を持て、節約して貯蓄しろ、目的を定めた後に忍耐力あるように努力せよ、果敢に自分を表現せよとの性で18平均以上の情熱を見せる。
反面、想像せよ、他人に容を施せ、利他的に行動せよ、威に服従せよとの性には平均以下だ(<2>)
             独立 熱心  責任  想像  寛容 節約    目的  信仰 利他心  服従  自己表現

<表2>両親の子供教育価値、2010年(教育したことがあるかに対する返答比率)
/資料出処:世界価値観調査(http://www.worldvaluesurvey.org)

要するに、韓人は親から熱心に勉して勤節約して決めた目的を成就するように育を受ける一方、社生活において他人に容を施して利他的に行動することを習いはしない 親は、子供に、彼が承服しなければならない何かの社値や威をえて子供に伝える想像の精神世界を持っていない。 そうした中で、自分の子供がくじけずに自己主張に積極的であるように要求している。
 このような家庭育の性は著しく物質主義的だ。 幸福の基準は富の大きさと社的地位の高低に置かれる。 この点は富、仕事のやりがい、幸福の連を問う調査項目において明確に確認されている。その結果、韓人は精神的に幸せではない。 幸せなのかという質問に積極的に答える比率は18で最も低い水準だ。
 健康なのかという質問にする肯定的返事も17位の非常に低い水準だ(<3>)
                                       幸福       健康

         <表3>幸せで元気か、2010年(強くそうだと答えた比率)
         /資料出処:世界価値観調査(http://www.worldvaluesurvey.org)

 そうした中で、韓人の社生活は相的に孤立的だ。 労働組合、政党、人権・慈善体、自助相互扶助体に加入した比率は18の平均以下だ(<4>)
                労働組合  政党          専門職  人権慈善    自助相互  その他
                                         協会     団体        扶助団体

    <表4>どんな団体に加入しているのか(あると答えた比率)
    /資料出処:世界価値観調査(http://www.worldvaluesurvey.org)
 
   その他の体への加入率が高いのは、他のでは探し難い血、地縁、学縁に土台を置いた体が活なためだろう。 要するに、韓人はまだ十分に社化されていない。
 
人が共に暮らしたくない隣人として他の人種と外労働者を指定した度合は、18の中で特に高い水準だ。 この現象が非常に高水準の民族主義のためであることは言うまでもない。 2010年でも韓人の精神世界は血原理に基づいた家族主義や民族主義に閉じられているわけだ。的少数者する容も低い方だ。 エイズ患者、同性愛者、未婚夫婦にする嫌感がやはり著しく高い水準だ(<表5>)
(左から麻薬中毒者、エイズ患者、アルコール中毒者、同性愛者、未婚夫婦、他人種、外国人労働者)
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Author:Chaamiey
別名 茶阿弥
男性 熊本県在住
写真は元飼い猫のちゃあみぃ

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