10 1900年、大韓帝国は勅令第41号により、独島を韓国領土として西洋国際法を参照して世界に再び公表しました。
(1)鬱陵島は開港場ではなかったにもかかわらず、日本人たちが不法入島して居住し始め、日本政府もこれを幇助したので、大韓帝国は、1900年6月、内務部調査官禹用鼎、釜山海関税理士フランス系イギリス人ラポート(E. Laporte)と日本人官吏駐釜山日本領事館副領事赤塚正助などで構成された国際調査団を鬱陵島の現場に派遣して、現地の実態を調査することにしました。
1899年<大韓全図>、大韓帝国学務部で製作配布した標準地図で、独島が鬱陵島の東方に位置して、経度と緯度が当時の基準で表示されている。(イ・チャン教授提供)
<翻訳者茶々:>
当時の基準で? これがウワサに聞くウリカトル図法か。
調査団の報告を受けた後、大韓帝国は、1900年10月25日、勅令第41号として地方官制を改正し、従来江原道蔚珍県に属した鬱陵島と独島を、今度は独立させて鬱陵島とその付属島嶼を「鬱島郡」に格上げさせ、鬱島郡の管轄地域を鬱陵島と竹島(竹嶼島)と石島(独島)と法定しました。そして、この地方官制改正の事実を、中央政府の「官報」1900年10月27日付けで国際告示しました。
大韓帝国の1900年勅令第41号の国際告示によって、鬱陵島と独島(石島)の大韓帝国領有が、西洋国際法としても再び世界に公布されたのです。もちろん、この時に日本側は何の反対意見その他の意見も無かったのです。
1900年、大韓帝国勅令第41号を収録した「官報」。1900年、鬱陵島と竹島、石島を管轄する行政区域として鬱島郡を設置するという大韓帝国勅令第41号を掲載しました。
(2)この時、独島を従来の名称の「于山島」とせず「石島(独島)」と表記したのは、空島政策が廃止されて1883年から合法的に入って来た鬱陵島民たちが、方言で石(Rock, Stone)を「ドク」と発音し、独島をドルソム(Rock islet)という意味の地域方言として「ドクソム」と呼んだからです。「ドルソム」は意味を取れば「石島」となり、音を取れば漢字で「独島」と表記していたが、意味を取って「石島」と表記したのでした。
また、この時、国際法に明るかった調査団のフランス系イギリス人ラポート(E. Laporte)は独島が「Liancourt Rocks」という西洋の呼称もあることを知っていて、これも「リアンクル石島」になるので、併せて石島と表記したものと解釈されます。
実際、日本海軍省の水路局が1882年に発行した『日支韓航路里程一覧図』では「于山島」を「リアンコルド石」と表記しました。すなわち韓国語の「ドクソム(ドルソム)」は、意味によって漢字表記すれば「石島」となり、音で漢字表記すれば「独島」になるのです。「独島」は、大韓帝国鬱島郡守の行政統治期間に、日本では「リアンコ島」と呼んでいました。これは、日本海軍省が鬱陵島の名称を従来独島に付けていた「松島」(Matsushima)に変えたために独島には名前がなくなり、「リアンクルド石」という西洋の名称を借りて用いたのです。
(3)日本外務省の「2008年-10のポイント」の(6)は、「独島」の名称は1906年鬱島郡守沈興澤の報告書で初めて出る呼称だと主張していますが、これは事実ではありません。
日本側が露日戦争の時、独島に日本海軍の望楼を設置する調査のため、軍艦新高号を派遣した時、鬱陵島で聞き取りした情報として、新高号は、1904年9月25日付け報告で、「リアンコルド岩は韓国人はこれを獨島と書き、日本人漁夫たちはリアンコ島と呼ぶ」と報告しました。
鬱陵道民が独島(于山島)を「独島」と書き、日本人たちは「リアンコ島」と呼んだことを記録した1904年9月25日付け日本軍艦新高号報告 (シン・ヨンハ教授提供)
鬱陵島の韓国人たちは、1904年以前から既に独島を「独島(Dokdo)」と書いていたのです。
(4)日本側が1906年に大韓帝国政府に鬱陵島所属の島々を質問して来た時、大韓帝国政府は、1900年10月25日、政府会議を経て郡守を配置したが、鬱陵島の付属島嶼は竹島(竹嶼島を意味)と石島で、その距離は合せて200余里(約80余km)と回答しました。鬱陵島から100里あるいは 200里離れた所にある島は東海には 独島しかないので、石島がすなわち独島であることはさらに再確認されるのです。
石島が鬱陵島から200余里(80余km) 離れた島であることを明らかにして石島がすなわち独島であることを証明した大韓帝国内務部の公文書を報道した皇城新聞1906年7月13日付けの記事
<コメント>
1900年大韓帝国皇帝勅令第41号
鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡守に改正する件
第一条 鬱陵島を鬱島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡守に改正し、官制に編入し、郡等級は5等にすること
第二条 郡庁は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること
韓国政府も研究者も、この「石島」が今の竹島/独島だと言っているわけですが、これがウソであることはほぼ明らかだと言っていいでしょう。