FC2ブログ

鬱陵島にアシカ、ではなかった

「鬱陵島で観測のムルケ、独島カンチではない」
海洋水産部、北方ムルケと最終確認


2020/03/11 少年韓国日報
http://kids.hankooki.com/lpage/news/202003/kd20200311060037103170.htm

1122.png

 慶北鬱陵郡北面仙女湯近隣の海岸で9日午後に観測されたムルケは北方ムルケで、独島海獅子(カンチ)ではないことが確認された。 海洋水産部は「今回確認されたムルケは海獅子科である独島カンチではなく北方ムルケ」と10日明らかにした。また、「北方ムルケは寒い地域で生活するが、地球温暖化で独島まで泳いで下って来ることがある。」と付け加えた。
 北方ムルケは、普通、ムルケと呼ばれる海洋哺乳動物で、海洋水産部の海洋保護生物であり環境部絶滅危機野生生物2級と指定されている。 黒色の身体に毛が多いのが特徴であり、全世界で120万頭余りが分布する。それに比べて海獅子はムルケより相対的に体つきが大きくて毛が茶色を帯びる。一方、独島カンチは東海沿岸で繁殖する唯一のムルケ科の動物だ。 身体の長さ2.5m内外で、群集生活をする。 寿命は約20年だ。19世紀には3万~5万匹が独島に棲息していたが、1900年代初め日本人が革や油を得るためにむやみに捉えたせいで絶滅危機に至った。独島では1972年まで観測されたが1975年以後痕跡をなくした。


<コメント>
 私の持っている辞書によれば、ムルケはオットセイ、カンチはアシカ、海獅子はトド。アシカの記事はいつもややこしい。

 上の記事では「海獅子科である独島カンチ」という表現と「独島カンチは東海沿岸で繁殖する唯一のムルケ科の動物」という矛盾する記述があって、さらにややこしい。

 「1900年代初め日本人が革や油を得るためにむやみに捉えたせいで絶滅危機に至った」とアシカの絶滅を無条件で日本人のせいにするのもお約束。






スポンサーサイト



アシカを絶滅させたのは・・・・・

  みずきさんのところのこの記事を読めば、「日本が独島のアシカを絶滅させた」という韓国でよく言われる説明は正確ではないと考える韓国人は結構いるようだ。




Korean sea lion ?

「日本の動物」汚名のカンチ、国際機構で出身地域独島と登載
'일본 동물' 오명 강치, 국제기구서 출신지역 독도로 등재
 
2019-03-02 MBNニュース
 
【アンカーコメント】
  独島海獅子(日本アシカ)、「カンチ」という名前を聞かれたことがあると思いますが、日帝強占期に日本人たちの乱獲で痕跡を無くしても「日本海獅子」(日本アシカ)と呼ばれて来たカンチが国内研究陣の努力で国籍を探す道が開かれました。ホン・ジュファン記者が報道します。
  
【記者】
  韓国海洋科学技術院の研究陣を乗せた船が独島に向かっています。去る1月、釜山大学海洋研究所とともに国内で初めて独島アシカのDNAを検出することに成功してから、独島に行くことも多くなりました。
 
▲インタビュー:キム・ユンベ/韓国海洋科学技術院博士
「すぐ後ろの方を見てください。独島西島に「カジェ窟」というところがあります。独島海獅子と推定されるサンプルを私どもが採取して、日本で発見されて研究された海獅子の骨と比較した結果、互いに正確に一致しているという結果を
 
研究陣は直ちに国際機構である遺伝子銀行に発見場所を「独島」と「東海」と書いた独島カンチのDNA説明資料を提出しました。遺伝子銀行がこれを受け入れて遺伝子情報を登載して、英語名が「Japanese sea lion」だった独島カンチが「Korean sea lion」と呼ばれる可能性も開かれました。
一世紀前までは独島はカンチ数万頭が棲息するくつろぎの場所でした。しかし、日帝強占期に日本の漁師が油と肉、革を得ようと一日1千頭以上捕らえて、今は絶滅しました。独島で最後に生存したことが知られるカンチは、「リアンクル大王」という名前がついた剥製になって日本島根県に展示された状態。日本の動物として知られた独島カンチに私たちの国籍を探すための研究が、今や一歩を踏み出しました。
MBNニュース ホン・ジュファンでした。


天皇家がアシカ絶滅に寄与したなどと言う輩たち

日 天皇に進上しようと…全滅した独島カンチ

日  漁師たちが猟銃で捕獲
島根県長の命令で
天皇への納品記録文書発見
革・油・サーカス用など
多用途の活用記録
 
 
2017.05. 29  慶北毎日
 
 

      ▲隠岐島歴史史料館展示品
 
独島のカンチ(日本名アシカ・海馬)の絶滅原因は日本漁夫の無分別な捕獲のためだと知られているが、日本の天皇一家が絶滅に寄与したという主張が初めて提起されて関心を引いている。
キム・ムンギル(金文吉)韓日文化研究所所長(前釜山外国語大学教授・日本史・博士)は、「日本の漁夫が独島のムルケ数百頭を捕獲し、そのうちの一部は天皇一家に献上されたという文書が発見された」と明らかにした。
 キム博士は、「ムルケであるカンチは世界でアメリカ海峡と独島沿岸の二ヶ所だけで繁殖する」とし、「珍しいムルケは、露日戦争の当時、日本漁船が独島に入って来て新しい武器である猟銃でやたらと捕まえて行った」と説明した。キム博士は、大量に捕まえて行ったムルケは日王宮東宮に納品され、島根県長の命令により献上されたという文書が今回発見されたと付け加えた。

(翻訳者注:カンチはアシカのこと。ムルケは水(ムル)と怪()で、水中の奇怪な生物を意味するもので、アシカとかオットセイなどを区別せずに使われているようなのだが、正確な使い方は分からない。)

文書には「東宮(天皇一家が住む所)殿下が本県(島根県)知事を通じて献納あるいは注文した海馬の毛鞣価格照会は右側の価格で、特に製革設備にかかった費用は除いて原価、製革原料費だけ定めた価格であることを返信します」と記録されている。ここには明治40711日竹島漁猟合資会社印、中井養三郎職印が押されている。
これと共に、海馬毛鞣の雌雄などについての価格が書かれた会社漁業報告書と、海馬毛鞣の捕獲頭数を詳細に記録した返信も発見された。

 



       独島で捕まえたムルケの革。隠岐島歴史史料館展示品


▲独島で捕まえたムルケの革で作った日王夫人のカバン()



 キム博士は、「独島ムルケは各方面に納品された。油として納品されたり、革としても売られ、サーカス団にも売られた。 今日本で人気があるサーカス団のムルケは独島ムルケの元祖DNAだ」と明らかにした。
特に今回発見された独島ムルケの日王家納品事実証明書は大変重要な意味を持つとし、当時ムルケを納品せよとの命令により納品されたムルケの革は日王の生活道具(カバン)品として作られ、現在隠岐島史料館にあると強調した。 
 キム博士は続けて、「独島ムルケを天皇一家に献上したという文書が発見されたことにより、独島ムルケが絶滅するのに天皇一家が寄与したことはもちろん、貴重なムルケを無差別に捕獲したことは独島が自分たちの土地ではないということを自ら明らかにしていることだ」と語った。

鬱陵/キム・ドゥハン記者
 






<コメント>
 ぶんきちセンセイはもう入国禁止でもいいんじゃなかろうか。






「アシカ絶滅は日本のせい」に韓国紙が異議 (二)

アシカ絶滅の責任を日本に負わせるのは正しくない、という趣旨を述べる「独島カンチ」という記事が慶尚毎日新聞に出たのは6月13日でしたが、この記事をフォローするような社説が翌14日に掲載されました。
 
 
 
<社説>
独島カンチ復元、原因糾明をまず
 
慶尚毎日新聞 20160614
 
独島の真の主人だったカンチ(以下、「アシカ」と翻訳)の絶滅原因は日本人だと伝えられている中で、70年代まで数百匹のアシカが生存していたことが分かっていたが保護することができなかった私たちの誤りもあると確認されて残念さを投げかけている。幸いなのは海洋水産部がアシカの復元に乗り出していることだ。しかし、意欲だけで事業を進めるのでは足りないといえる。アシカ絶滅の原因から正確に糾明することが順序という話だ。
本紙の報道によれば、昔からアシカの天国だったが、現在、アシカは絶滅してしまっていないという。特に、その絶滅の原因は日帝強占期当時の日本漁師の乱獲のためということが定説のように伝えられて来たが事実ではないと指摘した。憂慮されるのは、韓日間の独島紛争が日増しに尖鋭化している時点で歴史的真実を誤解して主張だけするのでは日本の逆攻勢に遭う可能性も排除できないためだ。 歴史的真実に接近する時だけが比較優位を獲得できるということは、やはり投影された歴史の真実だ。
これを報道したチョ・ヨンサム記者は、取材の過程で1945年光復以後1950年代初中盤に独島を守っていた独島義勇守備隊員の証言などを総合した結果、当時はアシカが最小限700頭余りが生きていたとした。ホン・スンチル独島義勇守備隊長の手記「独島は誰の土地なのか」でも正確に記録されている。李承晩大統領の特別指示で全数調査した結果だという。チョ記者は、続いて1960年代に独島を守った警察関係者、漁民の証言でも数百頭のアシカが生息していたことを直接聞いたことがあるともした。1970年代初期に独島工事関係で出入りした鬱陵島住民チョン某氏も、当時数百匹頭が生きていたと伝えた。
報道を総合すれば、当時アシカに対して無知だった私たちはアシカの海狗腎と肉を得るために銃や網で捕獲したという。さらに、水の上に現れるアシカに向かって東島の頂上から機関砲で射撃練習もしたという残念な便りも伝えた。アシカを捕えてプルコギパーティーを開いたり、鬱陵島に持って来たこともあるということだ。
独島からアシカが最終的に姿を消したのは70年代初中盤と推定されている。アシカは日本人たちの大規模虐殺によって多くの犠牲があったが、絶滅はしなかったのだ。日本人たちを大虐殺の主犯ということはできても、絶滅の原因だというには歴史的真実が不足するという意味だ。
  アシカが絶滅したとすれば、その原因から把握しなければならない。 いつどうやって絶滅したのか、あるいは他の地域に行ったのかなどを把握することが復元に先立ってすべきことだ。独島アシカが移住したかも知れない日本、ロシア側のアシカに対して遺伝子分析もしてみる必要があるという主張は説得力を持っている。 独島領有権強化のためにも、アシカの絶滅に関わる色々な誤解をこの機会に払拭させたいという思いが切実だ。



「アシカ絶滅は日本のせい」に韓国紙が異議 (一)

 
「アシカ絶滅は日本のせい」は捏造…韓国の定説に韓国紙が異議、乱獲し精力剤にしたのは自国だ 下條正男・拓殖大教授
 2016.7.4 産経WEST
 
という記事がありますが、その元記事です。
 

OPINION 慶尚コラム
独島カンチ
 
チョ・ヨンサム/東部本部部長
2016613日 慶尚毎日新聞
 
独島は昔からカンチ(以下「アシカ」と翻訳する)の天国だった。数万頭が群れをなして独島で平和に過ごした真の独島の主人だった。しかし現在のアシカは絶滅した。大多数のマスコミと学界では、日本強占期に日本の漁師の乱獲で絶滅したと定説のように語っている。事実ではない。正さなければならない。韓日間の独島紛争が日増しに尖鋭化しているこの時に、私たちの恣意的な歴史記録は私たちにとってややもすると落とし穴になるおそれがある。
1945年の光復の後、1950年代初中盤に独島を守っていた独島義勇守備隊員の証言でも、当時はアシカが最小限700頭余りが生きていた。この事実はホン・スンチル独島義勇守備隊長の手記「独島は誰の土地なのか」にも正確に記録されている。李承晩大統領の特別指示で全数調査した結果という。
引き続いて1960年代に独島を守った警察関係者、漁民の証言でも、数百頭のアシカが棲息していたことを筆者は直接聞いたことがある。1970年代初期に独島の工事関係で出入りした鬱陵島住民チョン某氏も、当時は数百頭が生きていたといった。当時、アシカに対して無知だった私たちは、アシカの海狗腎と肉を得るために銃や網で捕獲し、さらに水の上に現れるアシカに向かって東島の頂上から機関砲で射撃練習もした。アシカを捕えてプルコギパーティーを開き、鬱陵島に持って来ることもあった。現在生存している住民キム某氏は、60年代に警察署長の要請で海狗腎を干して渡したら麦二俵ももらったという。独島義勇守備隊員も海狗腎を政府高官や軍の将軍に上納したと証言している。

 独島からアシカが最終的に姿を消したのは、70年代初中盤と推定される。すなわち、アシカは日本人たちの大規模虐殺によって多くの犠牲があったが絶滅はしなかった。
日本人たちの大虐殺は私たちが主張しても、絶滅の主犯として責めては絶対いけない。 絶滅の原因を探して真実を語ることだけが、私たちの誤りを解消してアシカを私たちの手で二度と殺さない道だ。また、私たちが国際社会で「アシカの嘘つき」の烙印を押されてしまえば、独島紛争でも決して有利なことにならないためだ。国際社会も背を向けるだろう。
海獅子の一種であるアシカは、雄は普通体長2.5m、体重500㎏ほどで、途方もなく大きくてオットセイに似て一般の人々は見分け難い。朝鮮時代からカジ、カジェなどと呼ばれた。独島の古い名前もカジ島、カジェ島だ。今でも独島の西島にはアシカが上がってきて休んだり子を産んで育てた大きなカジェ岩、小さなカジェ岩、カジェ窟がそのまま残っている。
 
 日本のアシカ虐殺は、旧韓末に日本島根県の水産業者中井養三郎がアシカ猟で大当たりして始まった。独島を日本領土として告示した1905年島根県の告示も、アシカの独占権を得るための中井の欲から始まった。アシカの革はシルクのように柔らかくて、高級カバンに作られてアシカ革のカバンがパリ博覧会で金賞を受けたこともあった。油から石鹸も作った。当時はアシカ一頭が牛10頭に値したという。最高の金儲けだった。これに対し、中井は、独島の漁業権を独占するために独島が「無主の無人島」と主張して日本領土に編入してほしいという請願をした。1905年、日本政府と島根県は独島を自国領土に含ませる島根県告示40号を宣言する。学名まで日本アシカ(Zalophus japonicus)として登録した。
日本は、独島を編入した後中井養三郎にアシカの独占権を与えた。それで中井養三郎は漁猟会社を立てて独島で1904年から1956年にかけてアシカ16,614頭を捕まえて行った。光復以後にも独島に入って来てアシカを捕えて行ったというのが中井の公式記録だ。
公式記録がこの程度だから、より多くのアシカが虐殺されたものと見られる。1950年代に独島への漁に出た鬱陵島漁民も、日本人たちのアシカ猟をはっきりと目撃したと証言した。その時は春に来て革だけ持って行き肉は捨てたという。6.25戦乱(朝鮮戦争)の機会を利用して日本の独島蹂躪は公然と強行されたのだ。これに対し憤激したホン・スンチルを始めとする鬱陵島の青年たちが集まって独島義勇守備隊を組織して独島の死守に入ったのだった。
海洋水産部が独島アシカの復元に乗り出している。意欲は高く評価するが手順が明らかに違う。アシカの絶滅についての原因から正確に究明しなければならない。筆者は以前に、日本のある海辺に以前は見られなかった「オットセイの群れ」が現れたという話を聞いたことがある。
 
60年代から黄金漁場である独島に全国から集まった網漁とイカ漁船の集魚灯などによる生態系の攪乱と、アシカが現れれば漁船周辺の魚が逃げてしまうために漁民たちの集団アシカ圧迫などが、アシカを他郷に移住させたのではないかと筆者は推定している。どこであろうと私たちの独島アシカが生きていることを切に祈っている。
視点を変えて、原因から捜し出さなければならない。本当に絶滅したのか、そうでなければ他の領域へ移住したのか、明らかにしなければならない。独島のアシカが移住したかも知れない日本、ロシア側のアシカに対して遺伝子分析もしてみる必要がある。原因糾明はアシカ復元事業の端緒であり、成功の近道であり、国際社会に堂々とこの事業の正当性をいうことができる。独島領有権強化事業の核心であり、この時代に私たちが必ずしなければならないことだ。





 

乱獲は得意

乱獲で消えた孤島の名物
鬱陵島のムルケ、スムセなどほとんど絶種状態
数百羽ずつ捕まえて煮て食べることも―スムセ
独島に限って二頭ほどが見られるだけ―ムルケ

 
 19701128日 東亜日報


鳥と獣は人が少ない島を好む。それで東海の小国鬱陵島には島を好むスムセ、メジロ、入内雀、カモメ、ムルケなどがいつも海岸で戯れ、鬱陵島の風情を賑わしてくれた。しかし、今では鬱陵島にも多くなった人跡と近代化の波で、ここで最も多かったスムセ(別名カクセ)、メジロが乱獲と乱伐によってほとんど姿を消し、また、補身に良いというムルケもその補身()のおかげで人間の祭物として犠牲となり、見られないようになった。それにも増して多くいたカラスも殺鼠剤の二次被害で島のどこを見渡しても見つけることができず、海上の候鳥であるカモメも船人の乱獲のために少なくなっている。
今から70年ほど前、ここ鬱陵島地方ではスムセという鳥が島全体を覆っていた。「クァク、クァク」と鳴くのでここではカクセと呼ばれるスムセは、春になると尾根や海岸の絶壁に直径2030cmの巣穴を堀って卵を産んでヒナを育てた後、秋になれば海岸へ出て行く。カクセがヒナを育てる巣穴は、島のどこでもカクセ洞という地名が付くほどに多数あったという。しかし、最近数年のうちにカクセは鬱陵島からほとんど姿を消し、一、二羽を数えるほどに急激に減少し、絶滅の危機に置かれている。理由は島の住民たちが食べるために乱獲したからだ。
鬱陵島の開発の当時、夕方に広場で焚き火をするとカクセが火を見て数十羽単位で集まって来て、このとき棍棒を振り回して叩いて捕まえたという。あるいは、住民たちはカクセ窟を見つけると窟内に煙を流し込んで穴から飛び出して来るのを叩いて捕まえたり、出て来ないものはY字型の長い棒を窟内に入れて振り回し、羽根や足が引っ掛かったものを外に引きずり出して捕まえたということだ。このように夏のうちに捕まえて乾燥させてから秋に5600羽ずつ甕に貯蔵しておき、冬にスープにして食べたり油は灯油あるいは燃料として使った。その結果、カクセは鬱陵島からその数が激減したのだ。
また、鬱陵島特有の入内雀を始め、カラスも農薬の被害でほとんど姿を消したかと思えば、メジロも椿の木の乱伐でその数がめっきり少なくなっているという。78年前までなら島の海岸を埋め尽くしていた椿が実の採取によってそれ以上繁殖せず、また、観賞用に陸地にやたらと掘り出したために少なくなり、メジロが羽を休める場所を失っている。
このほかにも、海上を悠々と飛ぶカモメも産卵期になると船人たちが卵と肉がうまいとして日に一千余個ずつ取ることもあったという。このためにカモメも次第に無人島に避難し、鬱陵島近海にはあまり現れなくなったという。
 
一方、補身に良いというムルケも450年前には鬱陵島の道洞、苧洞、沙洞、台霞洞、通九味などどこでも群れているのを発見することができたのが、今では鬱陵島近海ではほとんど姿を消してしまい、独島でだけはただ年に12頭が浮上するという。ムルケが暮らす所をここではカジェ窟というが、このカジェ窟も鬱陵島の海岸のどこでも無い所は無かったという。しかし、一部の島民は夜にカジェ窟に入り、棍棒でムルケを殴って捕まえ殺したので、ムルケも見るのが難しくなったという。独島の場合も、ある時は機関銃でムルケを撃って捕まえたこともあるといい、ムルケを捕まえて上司に上納することもあったという。
 
今や鬱陵島には島の固有の鳥や動物がほとんど姿を消しているが、ただ一つだけ幸いなことは、7年前に陸地のカエルを連れて来て放したのが今は島全体に広がっている。鬱陵島には蛇がおらず猛獣がおらず、馬の飼育は難しいところと知られていて雉もいない。
しかし、このたび林業試験場では陸地の雉を連れて来てここで試験放飼するという。成功するかどうかは住民の協力いかんにかかっていると言える。(鬱陵島=李庚文記者)
 
 
19701128日 東亜日報
 
 


(翻訳注:本文5行目の「(?)」は記事自体にあるものです。



この記事のうちアシカの部分だけは先日紹介しました。

竹島で機関銃でアシカを・・・・・・

 今回は記事全文の翻訳です。



 

竹島で機関銃でアシカを・・・・・・

(前略)
 一方、補身に良いというムルケも450年前には鬱陵島の道洞、苧洞、沙洞、台霞洞、通九味などどこでも群れているのを発見することができたのが、今では鬱陵島近海ではほとんど姿を消してしまい、独島でだけはただ年に12頭が浮上するという。ムルケが暮らす所をここではカジェ窟というが、このカジェ窟も鬱陵島の海岸のどこでも無い所は無かったという。しかし、一部の島民は夜にカジェ窟に入り、棍棒でムルケを殴って捕まえ殺したので、ムルケも見るのが難しくなったという。独島の場合も、ある時は機関銃でムルケを撃って捕まえたこともあるといい、ムルケを捕まえて上司に上納することもあったという。
(後略)

19701128日 東亜日報
 






(関連記事)

竹島のニホンアシカ、絶滅は日韓どっちのせい? 両国で食い違う主張
                   



竹島にアシカ100頭 1956年

子牛の鳴き声の「ムルケ」

1956年8月25日 東亜日報



















  「独島」周辺にはおよそ100頭と推算される「ムルケ」(オットセイ)が棲息していて、この「ムルケ」たちは時折り岩などの上に上がって来て声を上げるが、その鳴き声はちょうど子牛が鳴いているようで、人が近寄ってもなかなか逃げないという。




<コメント>
 韓国にも竹島/独島が韓国の領土だというのはウソだということを分かっている人たちがいて、「独島ギャラリー」というサイト http://gall.dcinside.com/board/lists/?id=dokdo で韓国側主張の問題点を指摘する投稿が頻繁に行われています。

 
 今回は、そのサイトの「独島からなぜカンチが消えてしまったか知っていますか?」

という投稿にあった新聞記事を転載させてもらいました。



関連記事

島根県『竹島問題100問100答』の問11に対する慶尚北道の反論


アシカを絶滅させたのは誰?







「ニホンアシカに会いたい独島コンサート」だそうです

「海獅子 カンチよ、私たちが必ず独島を返してやるから」
 
船上コンサート「会いたい、カンチよ」開催... 波と風で入島できず
 
Oh my news 2013.07.15
 
 

 
日本の無差別捕獲で60年前に消えた「カンチ」に独島を戻してやろうというメッセージを込めた「会いたいカンチよ」コンサートと「カンチの月宣言式」が15日午前1030分から独島前の船上で開かれた。当初、独島でコンサートをする計画だったが、独島沿岸の波と風の方向が入島に適さず、独島に足を踏み入れることができないために船上でコンサートを開催することになった。  
 
 イ・ギュテク前国会議員の開会宣言に続き、カンチの月宣言文朗読があった。「カンチの月宣言文」はソウル・カンミョン中学校のソ・ミンギョ君が朗読した。ソ君が朗読した宣言文を要約すれば次のとおりだ。
   
   人間の貪欲のために死んでいったカンチに謝罪し、以前のようにここ独島で数百頭のカンチが走りまわる場面を見ることができるようになることを切実に祈ります。 7月に捕えられて死にいたったカンチ大王「リアンクル」が、今でも日本島根県で剥製にされています。 リアンクル(独島)大王と数万頭のカンチを絶対に忘れません。カンチを探して、そのカンチがここ独島で暮らせるようにするために最善の努力をすることを約束します。リアンクル大王が死んだ7月を迎えて、7月をカンチの月として宣言するとともに、必ずカンチに独島を戻してやるという私たちの固い意志を国内外に広く知らしめるところです。
 
 
 カンチは独島で絶滅した海獅子の一種だ。 日帝強占領期の時、日本の漁業会社が8年間日本に肉と油、革を得ようと独島カンチを無惨に殺したという。 知られたものだけでも何と14000頭余りに達する。
  リアンクルは西洋に知られた独島の名前だ。したがって、リアンクル大王を韓国語で言えば「独島大王」になる。リアンクルは雄アシカとして世界最大のサイズで知られていて、実際に存在した独島カンチの首領だという。捕獲する時に頭で船を壊し歯で網を破って日本の漁夫を恐れで震わせたという。去る19317月に日本人漁夫が捕獲、剥製にして島根県にある「サンベ自然史博物館」(←何?)に展示してある。
 
 
「カンチに会いたいコンサート、独島で毎年する計画」
  今回のコンサートに「会いたい、カンチよ」を呼んで独島守護活動をするテナーのイム・サンと彼の夫人でソプラノのイ・ウンスク、バスのパク・テジョンとソプラノのキム・ヨンリム氏が出演、慶北道立交響楽団の伴奏に合わせて歌った。この日に歌った歌は「会いたい、カンチよ」、「希望の国へ」などだ。 司会者はモデル兼画家のイ・ヒジェ氏だった。
 
  公演が終わった後、歌手たちは物足りなさと感激を同時に感じたと話した。 バスのパク・テジョン氏は、「感慨無量だ。独島に入ることができないのは残念だけれど。船が揺れて実際歌うことも大変だった。来年は独島で素敵な公演をしたい。 カンチよ、ぜひ生きていてほしい。」と語り、ソプラノのキム・ヨンリム氏は「船上公演は初めてだ。独島で歌うことができなくてさびしいが感激だ」と明らかにした。
 
  ソプラノのイ・ウンスク氏は「独島を踏むことができないのは寂しいけれど、色々な人が力を集めて船上コンサートを行ったことが意味深い。揺れる船の中で演奏した演奏者、聞き入る観客を見て熱くなった」と語った。 テナーのイム・サン氏は「独島でできなかったのは残念だけれど、独島を前にして一緒に歌を歌ったので、希望が一歩近づいた感じだ。今日をきっかけに、本格的にカンチを探すのに力を傾けたら良いだろう。」という願いを伝えた。
  
 「会いたい、カンチよ! 運動本部」は、「会いたいカンチよコンサート」を独島で毎年開催する計画だという。ユ・ジョンファン本部長は「とてもうれしくて、さっき涙が出ようとしてこらえるのに苦労した。来年はさらに盛大に、再来年にはさらにうまくいくように願ってここを離れる。毎年ここでコンサートを開催する計画だ」と語った。この日の船上コンサートには歌手、観客、演奏者を含む約270人が参加したという。 船上をいっぱいに埋めた観客は、声楽家の歌に合わせて拍手して歓呼を送った。
 
 このコンサートは()ILブロダクション、会いたいカンチよ愛護本部が主管し、KBS韓国放送、朝鮮日報、毎日新聞の後援で進行された。 IBK企業銀行、SKイノベーション、ハイウォンリゾート、IBKキャピタル、IBK年金保険、Xnsystemドクテイエネフ㈱、キム・ヨンソク伝統韓服、HANEZAStudio'n doff、小チャイヘアーが協賛した。
  このコンサートを開くことになった背景は「カンチ」だ。 環境部ではカンチを絶滅動物と発表したが、去る2012725日、海獅子の一組が鬱陵島近くに現れて、まだあきらめるには早いという判断が今回の音楽会開催の背景になったとユ・ジョンファン本部長は伝えた。
 
 
<コメント>
 カンチ・・・・・・アシカあるいはニホンアシカ
 
 ニホンアシカが絶滅したのは日本人のためだけというわけでもないようなのだが。
 
ニホンアシカ(Wikipedia)
 
 
 このニュースの原サイトもご覧ください。写真がいっぱいあります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
プロフィール

Chaamiey

Author:Chaamiey
別名 茶阿弥
男性 熊本県在住
写真は元飼い猫のちゃあみぃ

最新記事
最新コメント
カレンダー
03 | 2021/04 | 05
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
来訪者数
カテゴリ
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR