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勅令41号に関する新たなうそ

現代の韓国政府は、1900年大韓帝国勅令41号で独島(竹島)を「石島」という名前で鬱島郡の所属と規定したのだ、1905年の日本の竹島編入よりも5年早い時期に独島を韓国の領土と規定していたのだと言っていますが、これがウソであることを示している『独島問題概論』(1955年韓国政府外務部作成)の例の記述は、先般、内閣官房領土・主権対策企画調整室の「竹島に関する資料の委託調査」の報告書にも記載されました。
 
ところで、『独島問題概論』は復刻版(若しくは新訂版?)が発行されています。
 
 
最近、ある人から御教示があったのですが、復刻版の問題の記述の部分には新しく()が付されているのだそうです。復刻版は韓国の国会図書館のサイトにあるということなので、見て来ました。該当部分を抜粋します。


金玉均の開拓事業は未だ就緒の前に甲申政変により挫折してしまい、その隙に日本人の鬱陵島侵掠が次第に公然化していった。
島長は内務部から配置されて島の民政処理に当たったもので、体面維持も困難な程度であったが、光武5年(1901年)に勅令(5)によって鬱陵島を郡に改称し、島長を郡守に改定し、初めて地方行政の一単位とした。独島は記録と実際知識によって早くから知られており、鬱陵島の一属嶼として封禁期においても往来が絶えることがなかったのは前述したとおりで、独島をあえて鬱陵島の行政区域に編入したと宣言する必要もなかったのであり、また、ことさらに公的記録を残す理由もない。
我々の古来の可支島、三峰島、于山等が、従前には海上孤縣の一岩嶼として、問題にしようとしても問題になるほどの事件があったこともなく、それが問題となったのは、日本人の海驢捕獲地として利用してその島根県領として編入したことに始まるのであり、このようになる前に鬱陵島の行政区画に編入する明示された公的記録が無いからといって、独島が鬱陵島の郡守の管轄下にあったという事実を否認はできないのだ。したがって、独島を日本領として通告して来るや、光武10(1906)に鬱陵島郡守が「我国所属独島」(注6)と記録して中央政府に報告して来たのだ。
 
 
(5) 1900年の誤記。本冊子が発刊された時期は1900年「勅令41号」が発見される前なので、鬱島郡の管轄区域を鬱陵本島、竹島、石島とした勅令上の内容を確認できなかったものと思われる。
(注6)原文は「我国所属独島」ではなく「本郡所属独島」である。
 

  こういう()が新しく付けられているわけですが、問題は(5)のほうです。
まず、本文に「光武5年(1901年)」とあるのは「1900年の誤記」だと指摘しています。勅令41号は光武4年(1900年)1025日付けの決定(施行は1027)だから、1年違いで書いている『独島問題概論』の本文は間違いではあるのですが、単なる誤記なのかどうかはまだはっきりしていないと思います。
『独島問題概論』の底本となったと思われる (シン・ソクホ)の「独島所属について(1948)では、該当の部分が次のように書いてあります。


このように、鬱陵島開拓令が発布され、何百年もかたく閉ざされていた門を開くことになると、江原道、慶尚道沿岸の人たちはもちろん、全羅道、忠清道地方からも移住する人が多く、鬱陵島の山谷はその歳に開拓され、翌年、島長を設置し、光武五年(西紀1901)に島長を郡守に昇格し、島内行政を担当させた。
 

「島長を郡守に昇格し」(実際は島監を郡守に昇格なので「島長」は間違い)というのが勅令41号による措置であるわけですが、ここでその年が「光武5年(西紀1901)」と1年違いで書かれています。これが単なる誤記なのか、それとも勅令41号を直接調べたのでなく鬱陵島の現地情報に頼った結果なのかというあたりが良く分かりません。
初代郡守季周の郡守発令(島監を務めていて郡守に昇格した)は光武4(1900)1129日付けなので、その通知が鬱陵島に届いて季周が郡守として振る舞うようになったのが1901年になってからだった、という可能性もありそうですが、推測の域を出ません。
季周の郡守発令日付↓
(23)『旧韓国官報』第1744号光武41129日「任欝島郡守叙奏任官六等九品季周」 https://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/56531349.html
 

それはともかくとして、『独島問題概論』のほうは、「光武5年(1901年)に勅令によって鬱陵島を郡に改称し、島長を郡守に改定し、初めて地方行政の一単位とした。」とあって、シン・ソクホの文章と同じく1年違いの間違いと「島監」を「島長」とする書き間違いはあるものの、「勅令」という表現が明記され、勅令41号の内容がかなり詳しく書かれているので勅令41号を調べた上での記述であるとしか考えられません。(1年の間違いと島監、島長の間違いは、これも推測に過ぎませんが、その部分だけシン・ソクホの文章につられて誤記してしまったということがあるのかも知れません。)
 
だから、(注5)の「本冊子が発刊された時期は1900年「勅令41号」が発見される前なので、鬱島郡の管轄区域を鬱陵本島、竹島、石島とした勅令上の内容を確認できなかったものと思われる。」という記述はウソですね。
 
現代の韓国政府は「勅令41号の石島が現在の独島だ」と言っていて、これが韓国側の「独島主張」の大骨格になっています。ところが、『独島問題概論』の記述を読めば、「独島をあえて鬱陵島の行政区域に編入したと宣言する必要もなかったのであり、また、ことさらに公的記録を残す理由もない」とか「鬱陵島の行政区画に編入する明示された公的記録が無い」などと、現代韓国政府の説明を真っ向から否定するトンデもないことが書いてあるわけです。
さすがに現代の韓国政府外交部の官僚もこれらの文章の意味するところは理解して、「これはマズい」と思ったのでしょう。そこで、『独島問題概論』が作成された1955年時点ではまだ勅令41号が発見されていなかったので、『独島問題概論』のこれらの記述は勅令41号の条文を知らないまま書かれたのだ、という言い訳を考え出したものと思われます。
 
彼らは、「(注5)の記述はウソだ」と言われても、「何がウソなものか、(注5)に書いてあることが事実だ!」と言い張るでしょうが、それは通用しないのです。もし、(注5)にあるとおり、1955年時点の外務部が勅令41号の条文を具体的に知らなかったとしたら、『独島問題概論』の書き方はどうなっていたでしょうか。
もともと『独島問題概論』というものは、竹島(独島)をめぐって日本と韓国が具体的に争っていた時期に、外務部が傘下の職員に「独島は絶対に韓国のものだ」ということを強調するために作成したものですよ。だから、添付資料のうち、ラスク書簡を引用しているアメリカの文書の中のそのラスク書簡を引用した部分だけをカットして掲載するという、自分たちが不利であることを隠すための涙ぐましい努力を傾けたりしていますね。
そういう資料を作成するに当たって、もし「勅令で鬱陵島に関する規定があることは分かったのだが、その条文がまだ確認できていない」という状況があったなら、どういうふうに記述しますかね。「独島をあえて鬱陵島の行政区域に編入したと宣言する必要もなかったのであり、また、ことさらに公的記録を残す理由もない」とか「鬱陵島の行政区画に編入する明示された公的記録が無い」などと書くわけがないでしょう。そうではなくて、例えば、「なお、鬱陵島の行政に関する勅令があるが、内容調査中であり、独島がどのように取り扱われているのか今後確認する予定である」というふうに、自分たちに有利な材料があるかも知れないという可能性を留保して置くのが当然です。
ですが、現実は、あっさりと「独島」については「鬱陵島の行政区画に編入する明示された公的記録が無い」などと認めてしまっているのです。条文も確認していないのに行政区画に編入する規定があるとかないとかなぜ言えるのか。また、条文も確認せずにこういう否定的なことを断定的に書くことは有り得ないのです。これは、勅令41号の「鬱陵全島と竹島、石島」という規定を読んで、「あ、ここには独島を規定していないな」と分かったからそう書いたのです。1955年当時の韓国外務部は現代の外交部よりもちょっとだけ正直だったのでしょう。
まあ、ともかく、新たな(注5)の記述は勅令41号について韓国政府が不安を感じていることの表れのようで、面白いですね。ウソをつき通すためにさらにウソを重ねるという、ありがちなパターンかな。



 
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『独島問題概論』 60年ぶりに再発刊なんだって

韓日葛藤に『独島問題概論』 60年ぶりに再発刊
 
連合ニュース  2012 101
 
 
1955年外務部政務局発刊.. 独島問題対応参照用に製作
(ソウル=連合ニュース)チョン・アラン記者
 
 独島をめぐる韓国と日本の葛藤が深くなる中、1950年代に我が政府の独島領有権守護の努力を記録した政府書籍が 60年ぶりにまた発刊された。
 
外交通商部は、前身の外務部政務局が1955年に外交問題叢書の一つとして発行した『独島問題概論』を語法などを手直しして発行したと 1日明らかにした。この本は、独島に関する古記録と日帝の独島強奪の過程、解放以後の独島の地位を記述した「独島に関する歴史的考察」の部分と、1950年代の日本の独島挑発と我々の対応を扱った「独島領有をめぐる 韓日葛藤」の部分から構成される。
 
この本は、「独島問題をめぐる韓日関係を全般的に把握するにおいて関係各位の参照に供するため既に発刊した独島問題概論を増補してここに発刊するところ」と明らかにした金東政務局長(当時)の序文で始まる。序文は、続いて「各在外公館長がこの問題を正しく理解して日本人の不当な宣伝に備えるのに参考になると考えて発刊した」と明らかにし、 60年前にも日本政府が不当な領有権主張をしつこく問題としたことを窺い知ることができる。
 
この本は、特に1950年代に我が政府と日本との間に何度も行われた「口上書外交戦」を詳しく扱っている。1953 5月、第二次韓日会談が進行する中で、日本の水産試験船一隻が独島の漁撈状況を調査して行った。日本外務省は、翌月、「日本の領海に韓国漁船が侵犯した。竹島は日本領土。」という抗議の覚書きを送って来る。これに、我が駐日代表部は、四日後、「独島は大韓民国の領土の一部であることは疑うところなく明白だ」と反論の覚書きを送った。日本外務省は、これに負けじと「竹島が日本領というのは、その歴史と国際法上明確に確認された事実に照らして議論の余地がない」と再反論する覚書きを伝達した。

 これに前後して、日本船舶がさらに何度か侵犯するや、我が駐日代表部は、8月、「領土保全上、大韓民国の主権に対する明白な侵害という事実に対して日本政府に厳重な抗議を提出する」と言う覚書きを送り、日本政府も反論の覚書きを送った。このような熾烈な「口上書戦争」は、日本漁船の侵犯だけでなく、我が政府の独島燈台設置、独島図案切手の発行をめぐっても続いた。
 
 この本では、ホン・スンチル独島義勇守備隊長の祖父であるホン・ジェヒョン氏が残した陳術も目を引く。当時 85歳のホン氏は、「独島が鬱陵島の属島ということは本島(鬱陵島) 開拓当時から島民には周知の事実で、私も仲間たちと 46年前から 45回やワカメ採取で往復したことがある。」と述べた。
 
(終)
 
 
 
<コメント>
 語法を手直しして再発刊ねえ・・・・・それは別にいいけど、勅令41号のくだりなんぞはサラッと読み飛ばすんだろうなあ。ラスク書簡への言及を意図的にカットして載せていたアメリカの文書なんぞもそのまんま載せているのだろうか?
 
 
 

韓国国会で『独島問題概論』

[フォト]独島問題概論を見るキム・ソンファン長官
 
[イーデイリー] 2012/08/23
 

 
 
[イーデイリー/キム・ジョンウク記者] キム・ソンファン外交通商部長官が 23日午前、ソウル汝矣島国会で開かれた予算決算特別委員会全体会議に出席して、 1955年に外務部が発刊した独島問題概論を見ている。
 
 
 
 
<コメント>
 何でそんなものを見ているのかは不明。これを見ている理由についてのニュースは無し。韓国政府外交部が『独島問題概論』においてラスク書簡を隠蔽していたことは、先般公表された島根県竹島問題研究会第Ⅱ期最終報告書でもはっきりと指摘されたので、そのことが取り上げられたのかな?
 
 

石島は独島ではない! 韓国政府は確認ずみ

石島はやはり独島ではなかった!
韓国政府の内部文書で判明


 
 韓国に『外交問題叢書第11号 独島問題概論』という資料があります。1955年に韓国政府の外務部政務局が独島問題の政府関係者向けの内部資料として作成したものです。1955年と言えば、1952年の李ライン設定による竹島強奪、同年のサンフランシスコ講和条約発効、1953年には第一大邦丸事件、1954年の日本の巡視船に対する韓国側からの砲撃事件などを経て、韓国の理不尽な態度のために日韓の対立が激化していたころです。


序文
  独島問題をめぐる韓日間の関係を全般的に把握するに当たり、関係諸位の参考に供するため、既発刊の独島問題概論を増補してここに発刊するものです。
  本概論は、韓日両国間で往復された覚書を中心として整理したもので、付録は問題を理解するにおいて正確を期するため原文のまま掲載しました。
  本概論は公表を目的とするものではなく、各在外公館長が本問題を正しく理解し、日本人の不当な宣伝に対備するのに参考になるものと考えて発刊したものであり、多く利用されることを望みます。
  檀紀4288年5月  外務部政務局長 金東祚

(翻訳者注:檀紀4288年は1955年)


 この中に、何となんと、「独島を鬱陵島の行政区画に編入する明示された公的記録は無い」という一文があります。
  韓国側はつねづね「独島は歴史的にも国際法上も韓国の領土である」と主張してきており、その重要な根拠の一つとして、1900年に制定された勅令第41号にいう「石島」こそ現在の独島を指すものだ、と主張して来ました。駐日韓国大使館のホームページ「獨島に対する大韓民国政府の基本的立場」にも、「20世紀に入って大韓帝国は、光武4年(1900年)「勅令第41号」により、石島、即ち獨島を鬱陵郡の管轄下におく行政措置を通じてこの島が我が国の領土であることを明確にした。」( http://www.mofat.go.kr/mofat/popup/2008_dokdo/lang/jpn.pdf  )と明言しているのです。(5ページ)


1900年大韓帝国皇帝勅令第41号
鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡守に改正するの件

第一条 鬱陵島を鬱島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡守に改正し、官制に編入し、郡等級は5等にすること
第二条 郡庁は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること



 しかしながら、韓国政府は、1955年時点で既に勅令41号を検討した上で「独島を鬱陵島の行政区画に編入する明示された公的記録は無い」と判断していたわけですから、勅令第41号は現在の独島/竹島のことを規定したものではないことを確認していたことになります。

  それにも拘わらず韓国政府がこれまで「勅令第41号の石島がすなわち独島である」と主張して来たと言うことは、すなわちこれは大ウソであり、韓国政府は日本と韓国の両国民を騙して来たことが明らかになりました。


  なお、この資料は私が見つけたものではなく、他の研究者の方が入手されたものです。私はコピーを見せてもらいました。価値ある資料を探し出された方に深甚の敬意を表します。

 次に、該当の項目の翻訳を紹介します。

      * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *     


『独島問題概論』外務部政務局(1955年)

第一章 独島についての史的考察

第一節 独島に関する古記録

六 鬱陵島開拓と独島

  鬱陵島所属問題が解決した後にも、我が国においては以前のように鬱陵島に人々が入住することを禁止し、隔年に一度ずつ平海郡守あるいは蔚珍県令を派遣して居民の有無を巡審させ、本島所産の大竹、香木、山蔘を採取して可支魚を捕獲した。
  ところで、その後、日本は幕府が倒壊し、いわゆる明治維新があり、幕府時代のすべての禁令を解除したのみならず海外進出を奨励するようになったために、日本人は再び鬱陵島に進出し、鬱陵島を松島と変称し、千古手つかずの欝蒼たる木材を盗伐した。そのため、高宗18年辛己(西紀1881年、日本明治14年)に、我が国政府は日本の外務卿代理上野景範に日省録高宗18年5月癸未同文彙考附属編 一辺禁二立己礼曹判書以禁断蔚陵島伐木事抵外務卿書 外務大輔答書 に見るとおり厳重な抗議をすると同時に、この島を空曠のままにしておくことが国防上疎虞であることに鑑み、5月に副護軍李奎遠を鬱陵島検察使に任命し、島内外の形勢を細密に調査した後に従来の方針を変更し、承政院日記高宗18年辛己6月5日己亥条によれば鬱陵島開拓令が発布され、鬱陵島に入って住む人々を募集した。

  この当時は、丙子修好条規以来、日本人の国内に潜行する事件が漸盛となり、彼らに対する戒厳が徹底されている時であった。これと時を同じくして何百年間も堅く閉じられていた門が開かれるや、江原道沿岸の人々は言うに及ばず、全羅道、忠清道地方からも移住する人々が多く、鬱陵島の山谷は年を追うごとに開拓された。

  翌高宗19年壬午(西紀1882年)8月に鬱陵島に島長を置き、また、翌癸未3月には参議交渉通商事金玉均を東南諸島開拓使兼管捕鯨事とし、白春培を従事として、また鬱陵島の官守を僉使とし、さまざまな角度から鬱陵島の経営を積極化しようとした。金玉均の開拓事業は未だ就緒の前に甲申政変により挫折してしまい、その隙に日本人の鬱陵島侵掠が次第に公然化していった。

  島長は内務部から配置されて島の民政処理に当たったもので、体面維持も困難な程度であったが、光武5年(西紀1901年)に勅令によって鬱陵島を郡に改称し、島長を郡守に改定し、初めて地方行政の一単位とした。独島は記録と実際知識によって早くから知られており、鬱陵島の一属嶼として封禁期においても往来が絶えることがなかったのは前述したとおりで、独島をあえて鬱陵島の行政区域に編入したと宣言する必要もなかったのであり、また、ことさらに公的記録を残す理由もない

  我々の古来の可支島、三峰島、于山等が、従前には海上孤縣の一岩嶼として、問題にしようとしても問題になるほどの事件があったこともなく、それが問題となったのは、日本人の海驢捕獲地として利用してその島根県領として編入したことに始まるのであり、このようになる前に鬱陵島の行政区画に編入する明示された公的記録が無いからといって、独島が鬱陵島の郡守の管轄下にあったという事実を否認はできないのだ。したがって、独島を日本領として通告して来るや、光武10年に鬱陵島郡守が「我国所属独島」と記録して中央政府に報告してきたのだ。



     * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *  


 この『独島問題概論』の全文翻訳は、このブログの『独島問題概論』の書庫にあります。次の目次のページでリンクを紹介しています。
  http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/51486053.html

 
 このうち、「第二章 独島領有をめぐる韓日関係」は、そのほとんどが日本政府と韓国政府との間で竹島領有権をめぐってやりとりされた往復文書なので、これまでにも公になっているものです。したがって、「第一章 独島についての史的考察」の部分が新しく確認された資料だということになるわけでして、問題の上の文章も第一章にあります。




  『独島問題概論』目次等の画像
  http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/51566360.html



  第一章第一節六「鬱陵島開拓と独島」部分の 画像
  http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/41364454.html

暴かれた韓国政府の情報隠し(2)

(続き)
 
その附録の一つとして、「別添6」とされたアメリカ大使館からの文書が掲載されています。次は、その英文と翻訳です。
 
ANNEX 6
No. 187
The Embassy of the United States of America presents its compliments to the Ministry of Foreign Affairs and has the honor to refer to the latter’s note of November 10,1952 stating that a single engine airplane described as being under the Command of the United States Forces in the Far East dropped bombs on Dokto Island on September 15, 1952. The embassy is advised that the limited amount of information provided in the Ministry’s note as well as the very long time which has elapsed since the incident is said to have taken place make it virtually impossible for the United Nations Command to determine the facts in the case. Preparations have, however, been expedited to dispense with the use of Dokto island as a bombing range, etc.

American Embassy,
Pusan , December 4, 1952

 
別添6  No. 187

アメリカ合衆国大使館は外務部に敬意を表し、アメリカ極東軍司令部の傘下にあるとされる単発飛行機が1952915日に独島に爆弾を落としたと指摘する19521110日付の覚書に言及する光栄に浴する。
  大使館は、外務部の覚書に示された情報が限られていること、並びに事件があったと言われている時から非常に長い時間が経過していることから、実質的に国連司令部が事実を確定することは不可能であろうとの助言を受けました。  
しかしながら、独島を爆撃目標とすることを中止するための調整が進められています。等々
 
アメリカ大使館 釜山 1952年12月4日
 
 
このアメリカ大使館の手紙は何かというと、1952年9月に韓国山岳会主催により第二次欝陵島独島学術調査団が派遣されたが、竹島を調査しようとしたときに米軍機の偶然の爆撃によって上陸できず、中途で調査事業を中止したことがあったわけで、1948年の爆撃による漁民殺傷事件に続いて二度目のできごとだったようです。それで、韓国政府外務部ではこのようなことが再発しないよう駐韓国米国大使館に抗議を提出したのですが、それに対する回答がこの手紙です。
 
 
 それで、やっと今日の本題に入りますが、この手紙の末尾は「etc.」で終わっているようになっていますね。しかし、実際の手紙は次のようになっていました。
 
 
No. 187
The Embassy of the United States of America presents its compliments to the Ministry of Foreign Affairs and has the honor to refer to the latter’s note of November 10,1952 stating that a single engine airplane described as being under the Command of the United States Forces in the Far East dropped bombs on Dokto Island on September 15, 1952. The embassy is advised that the limited amount of information provided in the Ministry’s note as well as the very long time which has elapsed since the incident is said to have taken place make it virtually impossible for the United Nations Command to determine the facts in the case. Preparations have, however, been expedited to dispense with the use of Dokto island as a bombing range.
The Embassy has taken note of the statement contained in the Ministry's Note that " Dokdo Island (Liancourt Rocks)...is a part of the territory of the Republic of Korea ". The United States Government's understanding of the territorial status of this islands was stated in Assistant Secretary of State Dean Rusk's note to the Korean Ambassador in Washington dated August 10, 1951.
 
American Embassy,
Pusan, December 4, 1952

 
 
 赤色の部分は、獨島問題概論』の附録においては、etc.」に置き換えられ、隠されていたわけです。赤色の部分を翻訳すれば次のようになるでしょう。
 
「大使館は、外務部の覚書に含まれる独島は韓国の領域の一部であるという声明に留意する。合衆国政府のこの島に対する領域的地位の理解は、ディーン・ラスク国務次官補から駐米韓国大使あての1951810日の手紙において明らかにされている。
 
 
 
 以上から分かるとおり、韓国政府は、ラスク書簡のことを政府内の外交担当官向けの資料においても隠蔽しました。この手紙の存在を知らせれば韓国政府の主張は成り立たなくなることが分かっていたからです。
 序文には、「付録は問題を理解するにおいて正確を期するため原文のまま掲載しました。」なーんて書いてあったんですがねえ。
 
 
韓国政府は現在でもラスク書簡の存在を認めていないわけですが、「そんなものは知らない」とか何とか言うのかどうか知りませんが、今回の資料では、韓国政府はラスク書簡を知っていて意図的に隠蔽していることが明らかになりました。もういい加減に、韓国政府はラスク書簡に対する見解を明らかにすべきではないか? 
 
 
 
なお、この件は、Dokdo-or-Takeshima?のブログで昨日発表されたものです。手紙の画像も紹介されています。
 
 
議論の発端は ↓ここでした。
 
Dokdo-or-Takeshima?の参加者の皆さんが寄ってたかって(?)韓国政府の情報隠しを見事に暴き出したわけです。実は、私もその場に居合わせたのですが、私はこの件には気がつかず、一人だけ頓珍漢なコメントを残してますねえ(笑) まっ、いいか。
 
 
 

 

暴かれた韓国政府の情報隠し(1)

ラスク書簡は竹島問題の議論においては有名な資料ですが、要点を言えば、サンフランシスコ講和条約の最終案文において竹島が日本に残ることとなったことを知った韓国政府が、アメリカ政府に対して「独島を韓国側に入れてくれ」と頼んだこと(まあ、実際にはそれ以外のことも求めていますが、ここでは直接関係ないので独島のことに限ります)に対してアメリカ政府が拒否の回答をした手紙ですね。
 
 
1951719日 ヤン韓国大使から国務長官への書簡
 大韓民国政府は、第二条a項の「放棄する」という語を、「朝鮮ならびに済州島、巨文鳥、欝陸島、ドク島およびパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一郡であった島々に対するすべての権利、権原および請求権を、一九四五年八月九日に放棄したことを確認する」と置き換えるよう要望する。
 
 
1951810日 ラスク国務次官補から韓国大使への回答
草案第2条(a)を日本が「朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、ドク島及
びパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対す
すべての権利、権原及び請求権を、194589日に放棄したことを確認す
る」と改訂するという韓国政府の要望に関しては、合衆国政府は、遺憾な
ら当該提案にかかる修正に賛同することができません。
合衆国政府は、194589日の日本によるポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対する日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を条約がとるべきだとは思いません。
 独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。
 
 
 
 このラスク書簡は、条約の最終案文がそのようになった理由を説明しているに過ぎないもので、それ自体が別に日本の竹島領有権の根拠だというものではありませんが、アメリカ政府が韓国政府に対して「独島は韓国領にはしない」と明確に通知したという意味で、言い換えれば、サンフランシスコ講和条約において竹島が日本領土と確定したことを韓国政府は十分過ぎるほどに知っていることを示す資料である、という意味で非常に重要な資料であるわけです。
 
 しかし、韓国政府は、この手紙の存在を認めれば、現在の状況は日本領土の不法占拠であるということを認めるしかなくなるので、現在でもラスク書簡の存在には知らんふりで、そんなものは無かったかのような顔をして「独島は韓国の土地」などと主張しているわけです。
で、そう言うためには、国民に対してはもちろん、政府内部においても一握りの高位の公務員だけは別として、多数の職員に対してもラスク書簡の存在を秘密にしておくことが必要でした。
今回は、韓国政府が政府部内の職員たちに対してもラスク書簡を秘密にしていたという事実を明らかにする資料の話です。
 
 
 
獨島問題概論』という表題の韓国政府の内部文書があります。1955年に韓国政府の外務部(外務省)政務局が作成したもので、次のような序文があります。

 独島問題をめぐる韓日間の関係を全般的に把握するに当たり、関係諸位の参考に供するため、既発刊の独島問題概論を増補してここに発刊いたします。
 本概論は、韓日両国間で往復された覚書を中心として整理したもので、付録は問題を理解するにおいて正確を期するため原文のまま掲載しました
  本概論は公表を目的とするものではなく、各在外公館長が本問題を正しく理解し日本人の不当な宣伝に対備するのに参考になるものと考えて発刊したものであり、多く利用されることを望みます。
檀紀4288年5月 日 外務部政務局長 金東祚

 
檀紀4288年はつまり1955年ですが、1955年という年は、韓国が李ラインによって竹島を取り込んだ後にサンフランシスコ講和条約が発効した1952年の3年後であり、日本政府と韓国政府が外交覚書を往復させながら、互いに竹島の領有権は我にありという論戦を交わしていた時期です。
そういう時期にあって、この『獨島問題概論』は、傘下の職員や在外の大使館、領事館などに配付されたもののようで、要するに、韓国には独島の正当な領有権があるのだという主張を整理して、独島問題に言及する必要があるときにはこういうふうなことを説明すればいいのだ、ということを示したものです。韓国政府の主張のほかに、資料として、日本政府と韓国政府との間でやりとりされた往復文書(覚書)が掲載されていて、その他に、関係するアメリカ発の文書などが「附録」として収録されています。
 
(続く)
 

第二章 第七節 独島図案切手の発行に関する交換覚書

第二章 
第七節 独島図案切手の発行に関する交換覚書


  大韓民国は独島が厳然として我が国の領土の一部であることから、檀紀4287年9月15日、独島図案の切手を発行した。しかし、日本政府は独島図案の郵便物を日本政府が取り扱うことは韓国の独島領有に関する一種の告示を黙認することになるとして、11月19日、閣議において善後策を討議した。その内容は、独島が韓日両国間の政治的紛争になっているにも拘わらず韓国側が前記のような切手を使用することは、万国郵便条約の趣旨、すなわち非政治的な性格に背致すると共に(郵政省の見解)日本関税定率法第21条にも違反するもの(日本大蔵省の見解)であるとして、これに対する具体的な対策として国際郵便連合事務局に通告し、あるいは外務省から抗議を提出させるなどを討議したが、結局、閣議では返送措置までは決定することができなかった。

  その後、日本政府では12月3日の閣議で、独島図案の切手を用いた郵便物の配達停止をするためには国内的な立法措置が必要だとして、郵政省、法務省、外務省、大蔵省、内閣法制局など関係当局において立法案を検討して来たところ、意見の差異のために、関税定率法第21条を改正したり別個の法案を選ぶことは次官会議において同月13日決定したが、閣議では決定を見るに至らなかった。

  一方、日本外務省は、11月29日、抗議を代表部に提出し、これは非友好的な行動であり、竹島図案の切手の発行に関して措置を取ることもできるがあたかもこれを保留しているかのような覚書を送付して来て、その覚書の内容は次のとおりだ。


  外務省は大韓民国駐日代表部に敬意を表し、大韓民国政府が発行した日本領土である竹島を表示する郵便切手に関し、次のとおり抗議を提出する光栄に浴する。
1 大韓民国から最近日本に到着する郵便物は三種の切手を貼付してあるが、その三種はいずれも日本に所属する竹島を明白に表示している。「大韓民国」と「独島」というものを意味する韓国文字の文句がこれらの切手に印刷されている。
2 日本政府は、同島は日本領土の必須の一部であることを明白にして、大韓民国による竹島の不法占領に対して韓国政府に累次抗議して来た。
3 韓国政府は日本政府の抗議を継続して無視する一方で、現在、竹島を描いた切手を発行しており、それは日本が有している所有権に対する韓国政府の真摯な主張を世界が把握できるようにするための韓国政府側の一片の宣伝であると認定せざるを得ない。
日本政府は非友好的な行動に対してここに韓国政府に厳重なる抗議を提出し、その矯正を要請するものである。
4 さらに、韓国政府に、日本政府が日本の竹島を表示する韓国の切手に関して取ることのできるあらゆる措置を保留していることを、ここに通告する。

1954年11月29日  東京

                       (附33)


 日本政府のこのような抗議に対し、我が国は1954年12月13日付けで次のような反対抗議覚書を同国外務省に提出した。その覚書の内容は次のとおりだ。


  大韓民国駐日代表部は日本外務省に敬意を表し、独島を表示する郵便切手の韓国政府による発行に関する1954年11月29日付けの貴省の覚書に関して左のとおり記述する光栄に浴する。

1 外務省は、前述の覚書において、韓国政府は日本政府が韓国政府による独島占領に対して提出した抗議を継続して無視したという。しかし、この点において、同島が韓国領土の不可欠の一部だという見解を韓国政府が反復して明白にしたことを日本政府に喚起させるところである。そして、特に、1954年9月25日付けの本代表部覚書において取った韓国政府の見解は、史実と現代国際法の見地から十分に立証されたと確信する。それ故、大韓民国政府が同島に対してその領土管轄権を行使する正当な権利を有していることは疑いを入れる余地が無いものである。
 よって、大韓民国が独島を不法に占領したという貴省の主張は事実として肯定することのできない全く無根の仮説に基づくものと断定せざるを得ない。

2 独島を描いた郵便切手を韓国政府が発行したことに関して、貴省は、覚書において、あたかも韓国政府がこのような切手を発行することにより同島に対する重大な主張を世界が把握できるようにするために企図したものと述べた。しかし、前項において指摘したごとく、独島が論議の余地も無く韓国領土の一部である以上、独島を描く切手の発行は大韓民国の管轄権内において正当なものである。
 故に、日本政府が取るような韓国郵便切手の発行に対するかくのごとき異議は、日本政府が大韓民国の内政に不当に干渉することと同じである。

 上述した事実に鑑み、本代表部は日本政府について、疑いを入れる余地無く韓国領土の不可欠の一部である独島を表示する切手の発行について韓国政府に抗議を提出する立場には絶対に無いものと思料する。

1954年12月13日       東京

                   (附34)




(独島問題概論 213~219p)(第二章終わり)

第二章 第六節 独島問題の国際司法裁判所への提訴に関する交換覚書

第二章
第六節 独島問題の国際司法裁判所への提訴に関する交換覚書


  日本の外務省は、我が国が独島に灯台を設置し、海岸警備隊を駐屯させ警備させることにより事実上もこれを支配しているのを見て、狼狽のあげく、同島の領有権問題解決を国際司法裁判所に付託しようとする奸策を提案して来たが、我が国は独島が本来から我が国の領土であることを強調し、これを拒否した。本件に関して両国間に往復された覚書は次のとおりだ。


日本外務省覚書
外務省158/A5

 外務省は、大韓民国駐日代表部に敬意を表し、竹島の領有問題に関して次のように論述する光栄に浴する。

1 日本政府は竹島が日本領土の必須の一部分を成していることを確信し、数多くの機会にその覚書において、特に1954年2月10日付け外務省覚書15/A2により、同島は韓国に所属すべきものとする韓国政府の主張に反駁した。しかし、韓国政府は、日本政府の立場を全く無視している。
 日本政府の数次の陳情と重大な抗議にも拘わらず、竹島への侵入、竹島周辺の日本領海においての漁撈並びに同島における韓国の国土標識と灯台の設置などの不法行為が韓国官憲と国民によって頻繁に犯されたのみならず、同島の事態を調査するために最近派遣された日本巡視船が同島から突如として射撃を受け損害を受けた。

2 本問題が国際法の根本原則の解釈を要する領土権に関する紛争であるからには、唯一の公平な解決策は国際裁判所に付託して決定することである。日本政府は紛争の平和的解決を最も切実に期待しており、日本と韓国政府の相互合意によって国際司法裁判所に紛争を付託することをここに提案する。

3 日本政府は、韓国政府としても最も公正かつ権威ある機構である国際司法裁判所に本紛争の最終決定を委託することに同意することができるものと確信し、それ故に、日を置かず承諾の回答を受理することを期待する。日本政府は、右裁判所が到達するであろういかなる決定にも信義により応ずることを自らここに誓約するものである。

4 同裁判所の決定があるときまでに採択されるべき最も望まれる方法は、両政府が今後の紛糾を避けるためにあらゆる可能な手段を取ることである。
したがって、外務省は、日本政府が竹島において及び竹島周辺において煩雑な事件の発生を防止するために取るべき共同過渡措置に関して韓国政府と協議する用意があることを韓国代表部に通知するものである。

 本省は、貴代表部が前記提案を韓国政府に伝達し、同提案に対する韓国政府の見解を本省に通告することを要請する。
1954年9月25日 東京
                      (附30)


  右の日本政府の提案覚書に対して、我が国は、このような提案は司法的な仮装によって虚偽を主張するまた一つの企図に過ぎず、最初から独島領有権を韓国が行使しているため、国際司法裁判所においてその解決を求めなければならない理由が認められないことと共に、前記の日本政府の提案は、単に暫定的にせよ自国を韓国と同等の立場に置こうとする企図を暴露するものであるとして、これを反駁拒否する次のような覚書を日本外務省に提出した。

代表部覚書
 大韓民国駐日代表部は日本外務省に敬意を表し、独島領有問題に関する1954年9月25日付け貴省の覚書に関して大韓民国政府の見解と決定を次のとおり貴省に送達する光栄に浴する。

1 幾多の機会に韓国政府が明白にしたように、独島は太古の時代から韓国領土であり、また、現在にも韓国領土である。そして、韓国政府は独島に対する領土権を主張するあらゆる種類の日本の主張を無根なものであるとするのみならず不当なものであると反駁して来た。前述の覚書の第1項に明示した抗議が単に過去の覚書の反復に過ぎず、また、それが日本は独島に対する領土権を有しているという全く無根の仮説に基づくものであって事実上首肯することができない以上、韓国政府は、従前に提示したところと同じ明白な理由と根拠によって同抗議に反駁するものである。

2 紛争を国際司法裁判所に付託しようという日本政府の提案は、司法的な仮装により虚偽を主張するまた一つの企図に過ぎない。韓国は独島に対して最初から領土権を有しており、その権利の確認を国際司法裁判所に求めなければならないとする理由は認定できない。いかなる紛争も存在し得ないのに類似的領土紛争を作るのは日本である。
 日本は、独島問題の国際司法裁判所への提起を提案して、いわゆる独島領有紛争に関して単に暫定的にでも自国を韓国と同等の立場に置き、そうすることにより独島に対する韓国の完全かつ論議の余地のない領土権と妥協して紛争の余地が無いのに日本のために仮の主張を押し立てようと企図している。

3 加えて、韓国は40年以上も帝国的日本の侵略によってその権利が略奪されていたという事実を日本に喚起させるところだ。日本政府が明らかに知っているように、侵略は次々と進行し、1910年に全韓国の日本との併合によりその頂点に到達した。しかし、日本はあらゆる実際的な目的のために1904年に韓国を支配するための権力を掌握し、その当時、日本は韓国にいわゆる韓日議定書と韓国と日本との最初の協定を強要した。島根県庁が独島を自称してその管轄権に包含したのは、このような協定の一年後であった。そうして、独島は日本の侵略の犠牲となった最初の韓国領土であった。
 現在、独島に対する日本政府の不合理ではあるものの終始一貫した主張に鑑み、韓国国民は日本が同じ方法の侵略を繰り返しているのかどうか非常に疑っている。

4 周囲の諸事実がかくのごときであることから、韓国国民に対して独島は東海に離れた一個の小島であるのみならず、それは、日本と相対する韓国の主権の象徴であり、また、韓国の主権の保全を試す実例である。韓国国民は独島を守護し、ひいては韓国の主権を保全する決意を有している。故に、韓国政府は、一時的にしても、また国際司法裁判所の前においても独島に対する韓国の主権に疑義を付すことはできない。

5 故に、大韓民国政府は独島問題を国際司法裁判所に提出しようという日本政府の提案に反駁することを遺憾に思う。しかし、大韓民国政府は、日本政府が独島は韓国領土の不可欠の一部であることを確信するときまで、日本政府が有するかも知れない独島に関連するいかなる質義にもいつでも応答するものである。

本代表部は貴省に改めて敬意を表する。

1954年10月28日  東京

                 (附32)


  このように我が国政府が日本のかくのごとき提案を拒否するや、日本外務省文化情報局は左記のごとき笑うべき声明を発表して自国の立場を有利にすべく展開した。



1954年10月28日
 竹島に関する日本の提案の拒否についての日本外務省情報文化局声明書

  韓国政府は竹島に対する領土権に関する紛争を国際司法裁判所に提起しようという9月25日付けの日本政府の提案を拒絶した。韓国政府の行動は1954年10月28日付けの覚書として駐東京韓国代表部によって外務省に伝達された。
  日本政府は竹島に対する日本の領土権に関して一筋の疑義も無い。しかし、韓国政府が全く無根の容納できない論争を主張してきたため、日本政府は海外にある最も公平かつ権威ある国際裁判所に紛争を決定するためこの紛争を付託するよう提案した。
  韓国政府が何の理由から国際司法裁判所を忌避するのか理解し難い。日本政府が紛争を平和的に解決しようとする真摯な希望から行った提案を韓国政府が受諾することを拒否する限り、韓国政府は竹島問題において発生するあらゆる紛糾に対して全的に責任を負わなければならない。






(独島問題概論 204~213p)


(太字・下線による強調は翻訳者)

第二章 第五節 独島灯台及びその他の諸施設の設置に関する交換覚書(続き)

第二章
第五節 独島灯台及びその他の諸施設の設置に関する交換覚書(続き)


代表部覚書
  大韓民国駐日代表部は、日本外務省に敬意を表し、いわゆる竹島への侵入、同島周辺の領海においての漁撈並びに韓国官憲と国民による国土標識と灯台の設置に関する1954年8月27日付けの貴省の覚書に答えて、次のとおり記述する光栄に浴する。
  外務省は前期覚書においてあたかも韓国官憲と国民が不法行為を犯したかのように述べている。しかし、数多くの場合に外務省に累次通告したように、独島は韓国領土の一部である。そして、大韓民国政府は同島に対してその領土管轄権を行使する正当な権利を有しており、韓国国民が同島周辺の領海において漁撈に従事するのは極めて合法的であり正当なものと認める。したがって、本代表部は、日本政府は韓国官憲と国民側の活動に対して韓国政府にいかなる抗議も絶対に提出することはできないものと考える。
  逆に、本代表部は、大韓民国政府は「津軽」、「くずりゅう」及び「隠岐」などの日本の武装巡視船による犯行、並びに独島周辺の韓国領海に深く侵入した一連の事件に対して重大な関心を有しており、それは、このような不法行為が大韓民国の安全保障に重大な脅威を造成するためであることを論じないわけにはいかない。
  事情がかくのごときであるから、大韓民国は上述したような一連の不法行為に対して、日本政府に最も厳重な抗議を提出し、言葉だけでなく日本政府が将来に同様の事件の再発を事前に防止するため最も効果的かつ適当な措置を直ちに取ることを要求することを外務省に通告するところである。

1954年9月1日 東京 (附26)



代表部覚書
  大韓民国駐日代表部は、日本外務省に敬意を表し、韓国東海にある韓国の領土である独島に韓国政府が灯台を設置し、1954年8月10日からその灯台を運用していることを貴省に通告する光栄に浴する。同灯台の内容は次のとおりである。
 一 灯質 アセチレンガス灯(閃白光 毎5秒一閃光)
 二 灯高 水面上50フィート
 三 光達距離 10マイル
 四 位置 独島北部東端(北緯37度14分55秒、東経131度52分15秒)
 五 明脈 109度~305度  250度~254度
  本代表部は、貴省が、新灯台設置が図表において注目されるよう、日本政府の関係当局に前記情報を伝達するならば感謝するところである。

1954年9月15日  東京 (附27)



日本外務省覚書
外務省157/A5
  外務省は大韓民国駐日代表部に敬意を表し、本省に、日本領土である竹島に韓国政府が灯台を設置したと通告する1954年9月15日付けの貴部の覚書に関して、次のような抗議を提出する光栄に浴する。
  日本政府は、1954年8月27日付け外務省の覚書により、日本領土である竹島に灯台を不法に建立したことに対し、韓国政府に既に最も活発な抗議を提出した。日本政府は、韓国政府が前述の抗議にも拘わらず灯台の建立を敢えて通告したという事実を重大な関心を持って認定し、日本領土である竹島に灯台を設置したことは不法行為を成すものであるという事実に韓国政府の真摯な注意を傾注させ、また、日本政府は上述した不法行為に基づいて行われた灯台の設置に関する公翰を受諾することはできないことを韓国政府に明白に通告するものである。

1954年9月24日 東京   (附28)


日本外務省覚書
外務省185/A5
  外務省は大韓民国駐日代表部に敬意を表し、日本領土である竹島に韓国官憲を駐置させて日本政府の船舶に脅威を加え、同島に一部施設を設置したような韓国政府によって犯行された不法行為に関して、次のとおり論述する光栄に浴する。
1 1954年10月2日朝、日本海上保安庁の巡視船「隠岐」と「奈賀羅」の二隻は現地を調査するため南西側から竹島に接近し、同島を一巡した後に同二隻が同島南西側1.5マイル地点に接近していたところ、このとき、約7名の韓国政府官吏が東島のある地点に新しく設置された砲陣地に突然に戻り、砲のカバーを取り去り、その砲口を船舶に向けた。
2 上述したごとく、次の諸事実が調査によって発見された。
(1)竹島の東島頂上付近に約10メートルの高さの明らかに無線放送・・・・・(翻訳者注:判読困難)
(2)竿柱の横に二個の家屋があった。
3 日本政府は、竹島が日本領土の不可欠の一部を成していることを確信する。しかし、日本政府は竹島に対する領土権に関する紛争を平和的手段によって最終的な解決に到達しようとする真摯なる希望を持ち、1954年9月25日付けの外務省覚書158/A5による提案として、日本政府と韓国政府は相互合意によって同紛争を国際司法裁判所に附託しようと述べた。
4 問題の平和的解決のための本政府の提案にも拘らず、韓国政府はその官吏たちを竹島に継続して駐屯させ、新たに備置した銃砲により日本船舶に脅威を加え、また、無線放送を目的とするものと見られる竿柱と家屋を建立した事実に対して重大な関心を持たないわけには行かない。
  それ故、日本政府は同事件について、韓国政府に最も強硬な抗議を提出するのみならず、また、日本政府船舶に加えられた不法な脅威について韓国政府が正式に謝罪し、銃砲と不法に建立された竿柱及び家屋の除去はもちろん、竹島からの韓国官憲の即時の撤収を要求し、同様の性質の不法行為の再発を防止する目的で韓国政府が効果的かつ適当な措置を取ることを要請するところである。

1954年10月21日  東京(附31)



(独島問題概論 189~204p)




第二章 第五節 独島灯台及びその他の諸施設の設置に関する交換覚書

第二章
第五節 独島灯台及びその他の諸施設の設置に関する交換覚書


 交通部においては、独島周辺における航路を標識するため独島北部東端に灯台を設置し、この事業を駐韓外国公館に通告してほしいという公文書を外務部に送達した。同公文書は次のとおりだ。

交海第1053号
檀記4287年8月12日
交通部長官 (印)
外務部長官 貴下

独島灯台設置に関する件
  独島に灯台を設置して4287年8月10日12時を期して以下のように点灯しているので、駐韓外国公館に通告されるよう願う。
                 記
一 灯質 閃白光 毎5秒一閃光 アセチレンガス灯
二 灯高 水面上50フィート
三 点灯開始 4287年8月10日12時
四 光達距離 10マイル
五 位置 独島北部東端
  北緯37度14分55秒 東経131度52分15秒
六 明脈 109度~305度  250度~254度


  日本は、我が国が独島に国土標識、灯台及びその他一連の施設を設置したことに対して、左記のような抗議を提示し、不法的に設置した諸施設の早急な除去を要求した。これに関連して韓日両国間に往復された覚書及び灯台設置に関して駐韓外国公館に通告した覚書は左のとおり。


日本外務省覚書
外務省 95/A5
 外務省は大韓民国駐日代表部に敬意を表し、日本領土の一部である竹島への不法上陸と韓国民側の同島に接近する日本領海における不法漁撈活動並びに同島における韓国官吏による国土標識の設置に関し、貴部に次のとおり通告する光栄に浴する。

1 日本政府が行った調査によれば、次の諸事実が判明した。
(1)1954年5月23日、日本海上保安庁の巡視船「つがる」号は現地調査を行うため竹島へ向かう途中、明らかに韓国民である30名以上の漁夫が全部で約5トンとなる3隻の発動船と韓国旗を掲げた船舶1隻と4隻のバージを使用して同島に不法上陸して、同島に近接する水域において漁撈作用に従事しているのを目撃した。
さらに、以前に日本政府が設置した国土標識が除去され、それに代わって島嶼の傾斜上の岩石階段正面に白色の韓国文字と韓国国旗を代表して絵が刻入されているのが観測された。
(2)5月29日に日本鳥取県漁業実験場の実験船である「だいせん号」が漁業場を測量するため竹島に停止しようとするときに、明らかに鬱陵島から約50名の韓国人漁夫の一団が10トンの発動船と3隻のバージに乗りその島嶼海辺において海草を蒐集しているのを発見した。
(3)以上と関連して、韓国の新聞である5月23日発刊の国際新報は、写真により図解して、何人かの韓国官吏が5月18日にその島嶼に到着し、韓国慶尚北道南面独島という韓国文字で調刻し、その脇に再び韓国国旗を代表して絵をその島嶼の東南部の中間傾斜の上に石工によって調刻したというニュースを提供していることに留意せざるを得ない。

2 数次の状況に韓国政府に対して日本政府が明述し、また特に駐日代表部に発送した1953年7月13日付けの186/A2と1954年2月10日付けの15/A2の外務省覚書として詳細に表明したように、竹島が日本領土の一部分であることは議論の余地なく事実である。

三 日本政府は上記において言及したように、日本領海における不法的な漁撈作業はもちろん、日本領土の一部への不法侵入が韓国人によって犯行され、また不当な国土標識が韓国官吏たちによって建立された事態を重大な関心をもって認定しているため、韓国政府に対してここに最も精力的な抗議を提出し、上記した不法的な漁業行為を禁止し、また、不法に建立した国土標識を除去し、かつ、将来において同様の事件の再発を防止するため早急かつ効果的な対策を取ることを要求する。

1954年7月14日 東京
    (附22)



  大韓民国外務部は、駐韓○○○大使館(または公使館)に敬意を表し、韓国東海にある韓国の領土である独島に韓国政府が灯台を設置し、同灯台は1954年8月10日に点灯を開始したことを通告する光栄に浴する。
灯台の内容は左のごとし
一 灯質 閃白光 毎5秒一閃光 アセチレンガス灯
二 灯高 水面上50フィート
三 光達距離 10マイル
四 位置 独島北部東端
  北緯37度14分55秒 東経131度52分15秒
五 明脈 109度~305度  250度~254度

  外務部は、大使館(又は公使館)が新灯台設置が図表において注目されるよう、貴国政府の関係当局に本覚書に記載された情報を伝達していただければありがたく存ずる。
1954年8月18日 ソウル




日本外務省覚書
外務省144/A5
  外務省は大韓民国駐日代表部に敬意を表し、日本領土である竹島への侵入、同島周辺の領海における漁撈並びに韓国官憲と国民による国土標識と灯台の設置に関し、左のとおり抗議を提出する光栄に浴する。

1 日本政府が行った調査により、次の諸事実が判明した。
(1)海上保安庁の巡視船「津軽」が、1954年6月16日、調査のため竹島へ到着したとき、竹島と竹島周辺において発動船3隻と各5トンのバージ3隻に約25名が乗船し漁撈をしているのを発見した。
(2)日本巡視船「ながら」と「くずりゅう」は、1954年7月28日、竹島に到着するや、一隻のバージと約6名の韓国人を発見したが、彼らは韓国警備隊と関連性を有しているように見え、西島の北西側にある洞穴の前で天幕を張ろうとしていた。それのみならず、西島の北西端にある礁脈には「・・・・・・・・・・・」という韓国文字が観察され、竹島は韓国領土だと表示した文字と韓国国旗が同島のあちこちに見られた。
(3)巡視船「隠岐」は、1954年8月23日、竹島近方に到着するや、約6メートルの高さの白色灯台が東島北便地点に建立されているのを確認した。

2 日本政府は、日本領土への不法侵入、日本領海における不法漁撈活動並びに国土標識と灯台の不法設置に重大な関心を有しており、同件について韓国政府に最も強硬な抗議をここに提出し、韓国官憲と国民による日本領土への侵入の中止と、前述した不法に建てられた国土標識と灯台の除去を要求し、また、遅滞無く韓国政府が同様の事件の再発を予防するために効果的かつ適当な措置を取ることを要求する。

1954年8月27日     東京     
 (附24)



(続く)


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別名 茶阿弥
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