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良い教科書作り市民連帯

良い教科書作り市民連帯スタート、「国定教科書全面支持」、「国定化は良い教科書を作るための苦肉の策…重要なのは内容」

2015-10-23 ニュース1



      
 
   23日午前ソウル中区プレスセンターで開かれた良い教科書作り市民連帯出帆式で、市民連帯代表がスタート宣言文を朗読している
 

政府の韓国史教科書の国定化決定に対して論議が続いている中、「良い教科書作り市民連帯」が発足式を開き、現行検定教科書の問題点を正すための避けられない選択という理由を挙げて国定教科書に全幅支持の意向を明らかにした。
良い教科書作り市民連帯は、23日午前、ソウル中区プレスセンターで発足式を開き、現在の教科書に対して「成功の歴史を作ってきた大韓民国は引き降ろして北韓政権には美化に汲々とした“'歪んだ歴史教科書”で子供たちは勉強して来た」としながら、このように明らかにした。彼らは、「客観的真実と憲法的価値を入れた良い教科書、正直な教科書、正しい教科書で歴史を勉強することが大韓民国を守り子供たちの精神を守る道」として、国定教科書に対して支持の立場を表明した。
ヤン・ドンアン韓国学中央研究院名誉教授など学界の要人と市民で構成された市民連帯会員30人余りは、「国定か検定かというのは手段に過ぎず、重要なのはどういう内容の教科書なのかという点だ。」と主張した。また、政府の韓国史教科書国定化の方針を「現行の検定教科書の問題点を正すための避けられない選択として積極的に支持する」とし、「正しい歴史教科書が誕生するように協力とともに叱責も辞さない」と明らかにした。彼らは、「国史編纂委員会の大々的再整備なしには正しい歴史教科書を作ることはできない」として国史編纂委員会の刷新も要求した。
  ヤン・ドンアン代表は、「私たちがいう良い教科書というのは、偽りと歪曲がない真実の教科書」とし、「今の韓国史教科書は偽りが多い教科書であり、大韓民国に対して否定的な点を相対的に多く浮び上がらせて北韓に対しては実際より肯定的に記述している」と語った。



 
[フォト]良い科書作り市民連スタト、言するイヨンフン
 
2015.10.23 ニュー・デイリー
 
 

















  [良い科書作り市民連]が、23日午前、韓プレスセンタで記者見を行って公式スタトを発表した。この日の発足記者見にはパクソンヒョン ニューデイリー主筆、ヤン・ドンアン良い科書作り市民連代表、イヨンフン ソウル大学教授、ブルユニオンのクォンユミ代表が加した。はリュ・グンイル朝鮮日報前主筆、韓国学中央究院クォンヒヨン授が述べた。引きき進行されたスタト宣言文は、キム・ギス、ヨミョン、ウォンジウが共同で朗した。
彼らはスタト宣言文を通じて、「国定定かというのは本質的な問題ではなく手段の問題」、「良い科書、正直な科書を作るための全面的な支持」、「的事と憲法精神に符合する良い科書が誕生するように協力とともに叱責も辞さない」、「史編纂委員の大的な再整備要求」などの決意を明らかにした。   




<コメント>
  一か月も前のニュースですが、こんなのがあったんですね。さて、どういうふうに進むのか。イ・ヨンフン教授が考えるような史観を打ち出していけば左派から激しい非難が来るのはもちろんのこと、右派からもけっこうな反発があるでしょう。
 しかし、ここは教授にとっても勝負のときか。黙って知らん顔をしておくことはできないんでしょうね。








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「歴史学者にだけ任せられない理由」

 
「教科書執筆に政治・経済・社会学者も参加しなければ」
 
2015/10/21
 
 
キム・イニョン翰林大学教授主張…自由経済院討論会
 
(ソウル=聯合ニュース)キム・ヨンスク記者=キム・イニョン翰林大学政治行政学科教授は、21日、「国史教科書執筆に歴史学者だけでなく政治、社会など多様な分野の学者も記述に必ず参加しなければならない」と主張した。
キム教授は、この日、自由経済院がソウル麻浦区の事務室で「歴史学者にだけ歴史を任せることができない理由」を主題に開催した討論会でこのように明らかにした。
   彼は、「歴史学者の間でも正しいと考える歴史解釈が違うので、異なる解釈を持つ人々が集まって本を書くことは容易ではない」としながら、「したがって、特に現代史の部分で歴史学以外の学問的成果を反映するために、経済、政治、文化、社会、科学に関連した学者を含ませて叙述するようにして検討を十分に受けなければならない」と話した。
彼は日帝植民地「米収奪論」を例に挙げて、「相互の必要による貿易取引きだったのに収奪とだけ規定するのは、一部歴史学者の経済メカニズムに対する無知のため」としながら経済・国際政治学者などの参加を強調した。
キム・ヨンボン世宗大学経済学部客員教授は、「歴史教育は歴史学と違って国民皆が共有するものであるため、歴史学者だけの専有物にはできない」と指摘した。
発表者として出たイ・ヨンフンソウル大学経済学部教授は、国史教科書の国定化論争に関連して、本質は「自由史観と民衆史観の対立」だと性格を規定した。イ教授は、教科書論争が広がった過去12年間、国史学界が共有した理念は民族・民主革命の理論すなわち「民衆史観」だったが「人間個体の自由と独立理念」に基礎を置いた自由史観が進化して民衆史観に代わる歴史観になったと主張した。彼は、「私たちの歴史を解釈する権柄を誰が掌握するかという絶体絶命の理念戦争だ」とし、「自由史観の愛国陣営が勝利するだろう」と話した。
 
 
 

日本は朝鮮の米を「搬出」した

  実際には朝鮮米は安価で大量に日本に売られたので、日本本土側では何とか大量流入を阻止しようとし、朝鮮総督府側では何とか自由売買を維持しようとして、本土と朝鮮の間では厳しい対立があったわけですが、これを、韓国の国定歴史教科書では、日本は朝鮮の米を「収奪」したと教えて来たというのは皆さんご存知ですね。
 
 これに関して、先般、採択率が結局0%になってしまった教学社の高校韓国史科書は、当初、米を「輸出」したと正しく書いてあったのが、修正圧力によって「搬出」に書き換える結果になったそうです。
 
 産経新聞の黒田さんがSAPIOの2014年3月号で紹介しています。
 

 
 
  「輸出した」という事実を事実のままに青少年に教えることができない国、今さらながら、それが韓国です。
 
 
 

「歴史教科書は階級闘争の道具となった」

「歴史教科書、一部団体の階級闘争の道具に転落」
専門家、「教科書採択論争、理念問題に原因を探る必要」
 
2014-01-20 デイリーNK
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 最近、教学社の歴史教科書が親日・独裁美化で歴史を歪曲しているという主張が提起されるなど、高校歴史教科書の採択問題が社会的問題として浮び上がった中で、歴史教科書が一部の社会団体の階級闘争の道具に転落していて、今回の論議の原因は理念問題に求めなければならないという指摘が提起された。
 
 チョン・ギョンヒ前耽羅大学教授は、20日、社団法人時代精神(代表イ・ジェギョ)が主催してプレスセンターで開かれた「教学社歴史教科書事態、何が問題なのか」というテーマの討論会で、「教科書論争は歴史戦争であり、本質的に左・右の理念論争だ」と語った。
 
 チョン教授は、続けて、「昨年、教学社の教科書を含む8種の韓国史教科書が検定を通過することで始まった歴史戦争が、今終わろうとしているように見える」としながら、「しかし、歴史戦争で行った、そして今後行わなければならない数多くの闘いの一つに過ぎない。歴史戦争は決して終わったのではない」と主張した。
 
 また、彼は「歴史の本(教学社の歴史教科書)をまともに読むこともせずにただ批判する混濁した歴史戦争が広がっているのか」と自問した後、「民衆史学者たちにとっては、国史教科書はもはや学習のためのテキストではなく市民社会団体の階級闘争の道具だ」と指摘した。
 
併せて、彼は、全教組をはじめとする進歩団体の教学社教科書採択反対の集団行動に対して、「大韓民国の建国と発展はさげすみながら北韓政権を擁護する左派教科書が、教学社の教科書が現れるやすぐに狂気を働かせたもの」と語った。
 
 教学社教科書の共同執筆者であるクォン・ヒヨン韓国学中央研究院教授は、「教学社教科書の史観と執筆精神は、他の教科書と根本的に違う」としながら、「教学社教科書の史観は自由民主主義史観で、最初に自由と人権の価値を中心に置き、二番目に自由民主主義の価値を強調し、三番目に世界と交わることを貴重な徳性として扱った」と説明した。
 
 引き続きクォン教授は、「その他の7種の教科書は、625韓国動乱(朝鮮戦争)を北韓の民族解放・統一戦争で見ているが、教学社教科書は、共産勢力の侵略に対する自由民主主義と大韓民国の守護のための戦争と見ている」としながら、「北韓の人民民主主義・キム・イルソン独裁を批判して大韓民国の自由民主主義の発展の歴史を肯定的に記述し、北韓を擁護して対南挑発を隠す内容に対立して、北韓の核・ミサイル・人権侵害・対南挑発を詳細に記述した」と説明した。
 
教学社は、日本軍慰安婦に関連して「現地慰安婦とは違って、韓国人慰安婦は前線の変更で日本軍部隊が移動するたびに付いて回る場合が多かった」と記述して世論の袋叩きに遭った。教学社は議論の対象になった部分について誤りを認め、修正された教科書を新しく出版した。
 
 
 
<コメント>
韓国の新聞のこの手のニュースは、ほぼ、誰が何と言ったということのみを書くことが多く、聴衆がどれくらいだったとかどういう反応を示したというような、イベントの全体像が分からないことが多いですね。
 
 
 
 

ニューライトはあくまで言論で啓発

教学社歴史教科書事態、何が問題なのか
―その診断と処方―
 
社団法人時代精神 公示事項 2014-01-15
 
 
 左派陣営の総攻勢により、教学社の教科書採択率が0%という結果が出ました。教学社の教科書を推進した主体と右派陣営は、採択率0%の原因についての反省的で省察的な診断が必要な時です。
 
左派陣営の魔女狩り式世論喚起と圧力行使は事実の歪曲と多様性の不認定という乱暴で非妥協的な態度を見せており、これに対する問題提起が必要です。
 
  消耗的に繰り返される歴史教科書論争と論議を克服して未来の世代である青少年に正しい歴史観を植え付けることができる代案と対策の切実さに鑑み、討論会を準備しました。
 
 
  120()午後230分 プレスセンタープレスクラブ(20)
 
 
1 発表主題
発表主題1:左派陣営の教学社教科書攻撃に対する立場
発表主題2:教学社教科書波動が韓国史教科書に与える意味
発表主題3:教学社教科書の問題点と今後の課題
 
 
 
2 参席者
 
  司会:ホン・ソンギ(亜洲大学教授)
 発表者1:クォン・ヒヨン(韓国学中央研究院教授)
 発表者2:チョン・ギョンヒ(前耽羅大学教授)
 発表者3:チョ・ヒョンゴン(21世紀未来教育連合共同代表)
 討論者1:パク・ギョンギ(韓国政策評価研究院代表)
 討論者2:イ・ジェギョ(時代精神代表)
 
 
3 問い合わせ先
  時代精神事務局02-711-4851 manthirdnaver.com
 
 
 
 
 
 
 
歴史教科書めぐり混乱 韓国 採択撤回や与野党対立
 
2014年1月8日 東京新聞
 
 
 【ソウル=中村清】「親日的」「歴史歪曲(わいきょく)」と批判される韓国の高校用歴史教科書の採択をめぐって、教育現場の混乱が拡大している。市民団体などの抗議で採択を撤回する学校が相次いだため、教育省が特別調査を開始。朴槿恵(パククネ)大統領が同教科書に理解を示すような発言をする一方で、野党が教育相の辞任を求めるなど政治問題に発展した。
 韓国の出版社「教学社」の韓国史の教科書で「ニューライト」と呼ばれる保守派の歴史学者らが執筆。昨年八月に教科書検定に初めて合格し、二百五十一カ所の大幅修正を経て先月十日に出版が承認された。他の七種類の教科書とともに、今春からの導入に向け、採択の対象となった。
 これに対し、歴史関連の学会などが、日本統治時代に朝鮮半島が経済成長したとの「植民地近代化論」に基づく歴史観や、故朴正熙(パクチョンヒ)元大統領の業績を積極的に評価している点などを問題視した。旧日本軍慰安婦に関しても「朝鮮人慰安婦は戦線の変更で日本軍部隊が移動するたび、ついて回るケースが多かった」との記述に全国教職員労組は「強制ではなく自発的だったように読まれる可能性がある」と批判していた。
 韓国メディアによると、全国各地で十数校が採択したが、市民団体や保護者らの抗議により、ほとんどの学校が採択を撤回。七日には全国で唯一、残っていた今春開校予定の京畿道の高校も再検討を決め、採択する高校がゼロとなる可能性が出てきた。
 一連の騒動に対し、朴槿恵大統領は六日の記者会見で「教科書問題が理念の論争として広がっていることは残念。偏向があってはいけないが、一部の教科書では、不法な北朝鮮訪問を処罰するのは弾圧だと表現している」と発言し、保守的な教学社の教科書を援護するような印象を与えた。
 教育省は同日から、採択を撤回したか検討中の全国二十校を対象に「外部からの圧力」がなかったかどうかの調査に乗り出した。一方、野党の民主党などは「教学社の教科書のせいで教育現場は大混乱に陥った」として徐南洙(ソナムス)教育相の辞任を求めている。
 
 
 
 
 

韓国の歴史教育行政について(4)

. 歴史教育行政の改善方向
 
1.     歴史教育行政の主体
 
歴史教育行政の主体は誰であるべきか?  歴史教育は学校教育の色々な教科のうちでも国家運営あるいは政治と最も密接に関連するので、政府が関与しないわけにはいかないということは明らかに見える。 そうすると、政府のどのレベルで誰が中心的に関与しなければならないかという問題が提起される。
  今までの我が国では、歴史教育行政の主体は、主に教育問題を担当する長官だった。 ここでは長官が歴史教育行政の主体として妥当かということの議論が必要だ。議論を必要とする最も重要な理由は、今まで長官が歴史教育行政を担当してきた結果がそれほど望ましいものではないとの判断に基づく。
 
  実際、歴史教育は国家の未来戦略と密接な関連を結んでいる。 したがって、歴史教育は大統領あるいは国会そして行政府でも重要な関心事ということができる。ところが、行政府において教育行政の責任を受け持っている教育関連の長官は、任期があまりにも可変的なので安定的に業務を遂行することができないという問題がある。 そして、長官は任命権者から自由な存在ではないという点でも歴史教育行政の主体として問題があると言える。
  それならば、歴史教育行政の主体は大統領あるいは国会が引き受けなければならないという結論が出てくるが、大統領と国会がどのように担当するのかという争点が新しく提起される。もちろん歴史教育行政は専門性も要するので、大統領や国会の特定の職位にある人が直接担当するのは問題がある。 したがって大統領あるいは国会が間接的に責任を負う形式が望ましいと考えられる。
 
  現在の我が国では、歴史教育行政業務を担当する機構が教育部のほかにもある。 東北アジア歴史財団と国史編纂委員会がそれだ。前者は東アジア及び世界を対象として、後者は国史に限定して、研究と教育などの業務を遂行している。 しかし、国史を世界史あるいは東アジア地域の歴史と分離して研究して教育することに問題があるということは、ほとんど常識化された事項だ。特に、我が国のように歴史教育をめぐる対内外葛藤が重複していて、また、民族統一という国家的課題を抱えている状況では、歴史研究と教育そして普及と編纂などの業務を統合的に遂行する機構を設置するのは当然だと言える。したがって、筆者は大統領が国会の同意を得て任命する者が歴史教育行政の責任を負う方案を提案したいと思う。
 
 
2 歴史教育行政の内容と改善方向
 
行政の機能は、政府の機能とほとんど同一視される。政府は、伝統的に、自由放任主義型、重商主義型、家父長主義型、立法主義型に区分される。 そして、自由放任型政府は規則制定者の役割をして、重商主義型政府は支援者の役割を遂行して、家父長主義型政府は規制と支援を同時に強力に行い、立法主義型政府は規制者の役割を遂行するものと理解される。
そして、一般的に行政という時、「社会公共の価値を実現するために人的・物的資源を確保して管理して国民に財貨とサービスを提供する活動」と定義される。このような行政の一般的な定義及び機能に照らしてみる時、今まで我が国の韓国史教育に関連した歴史教育行政の範囲はあまりにも狭かったことを認めることになる。
 
今後の歴史関連行政は、人的および物的資源を基礎として、歴史教育や歴史教科書だけでなく歴史の研究と普及までも包括する機能を担当しなければならない。つまり、歴史行政が狭い歴史教育行政から抜け出さなければならない。 なぜなら、歴史教育という業務自体が歴史研究と密接に関連していて、より大きく国民意識の形成自体に関与して来るためだ。したがって、歴史教育行政を教科書に関連した歴史葛藤の調整という狭い範囲に限定するのは大きな問題がある。 我が国でも1970年代までは歴史教育行政が教科書業務を越えて歴史研究及び国民認識の側面にまで包括されていたことを確認することができる。
 
 今後の歴史教育行政の範囲を教科書から歴史研究及び国民意識の形成のレベルまで広げることを前提に、次のようないくつかの改善方向を提案することができる。
最初に、歴史教育行政は、大韓民国中心の韓民族の発展方向を考慮しなければならない。特に、大韓民国中心の韓半島統一のための歴史教育行政が強化されなければならない。特に、統一のためには大韓民国の歴史的正統性と国家的アイデンティティを歴史教育の基盤として、私たちの民族史の主体的発展と伝統を正しく理解して、さらに周辺民族及び世界と意思疎通して協力できる歴史教育を指向しなければならない。
 二番目に、今後の歴史教育行政には、狭い民族主義を抜け出すための意図的努力が無ければならない。 今の大韓民国は、国家主権を失って大多数が疲弊した人生を営んだ今世紀序盤の社会ではない。したがって、産業化と民主化そして文化発展を成し遂げ21紀の大韓民国国民の地位に見合った歴史意識が必要だ。 すなわち、大韓民国と韓民族に対する誇りを基に、私たちの過去の日々を反省的に省察できる歴史意識と世界に開かれた開放的な歴史意識が必要だ。
三番目に、水準が高く成熟した歴史教育のためには、歴史学の均衡的発展が要求される。韓半島と韓民族だけでなく、世界と各民族、各国民の歴史に対する研究が調和するように進展しなければならない。中央史と地域史が調和を作り出さなければならない。 史観と史観が調和を作り出して均衡を成し遂げなければならない。そして多様な史観と方法論に立って多様な歴史研究が進行されるように意図的に促進されなければならない。 これは、場合によっては規制が必要なこともあるということを意味する。
 四番目に、歴史教科書の記述や歴史の研究は、できるだけ開かれていなければならない。 ただし、現在の歴史葛藤の根本原因が大韓民国の歴史的正統性とアイデンティティを否定する歴史教育と研究にあるので、これに対しては規制が行われなければならない。自由民主主義を一層発展させるためには、自由民主主義を否定して傷つける自由に対してだけは規制が加えられなければならないのと同じように、大韓民国への危害となる歴史教育と歴史研究は規制されなければならない。このためには、「朝鮮の利益に反する科目は教授したり実習しないこと」のような包括的な規定が必要で、これは厳格に守られなければならない。
  最後に、大韓民国の国民は大韓民国を前提に存在して、また、自らの幸福と発展を追求するために存在する。そのために、大韓民国の歴史教育は大韓民国国民の立場と各個人の立場が共に調和して尊重されるということでなければならない。 すなわち、大韓民国国民の立場と目で見る歴史教育と探求が成り立つということと同時に、自身の立場で自身の目で見て探求する歴史学習が並行されなければならない。特に、現在の状況は後者が非常に欠如しているので、これからは個人のレベルの歴史学習がより一層促進されるように行政力が集中しなければならない。
 
 
. 結論と提案
 
  今、私たちの社会の歴史教育は正しく整えられた歴史教育行政の助けを受けられずにいる。 その結果、歴史をめぐる対立が緩和されて解決されるのでなく、深刻化して激しくなる道を歩んできた。歴史教育問題も他の分野と同じように行政的接近を必要としていて、それは歴史行政を担当する独立的な機構、それも歴史教育だけでなく歴史研究と普及までも担当できる仮称「歴史文化振興院」のような機構が必要であるということだ。国会の同意を経て大統領によって任命される「歴史文化振興院長」のリーダーシップの下、韓半島の統一と韓民族文化の隆盛を開く歴史教育行政の姿を描いてみながら、歴史教育行政の改善方案として仮称「歴史文化振興院」の設置を提案する。 

 

 
 
 
 
[特集] 歴史教育行政の問題点と改善の方向
[イ・ミョンヒ | 公州大学歴史教育科教授]
 『季刊時代精神』2013年秋号
 
 
 
 
 

韓国の歴史教育行政について(3)

(続き)
 
7次教育課程の以後、歴史教育行政の放置が意図的であったのかあるいは何かの勢力や人物によって計画されたのか、ここで議論する余地はない。ただしここで指摘できるのは、歴史教育行政の放置とともに歴史教育をめぐる葛藤と分裂が深刻化して来たという事実だ。そして、それは現在までも持続している。 2008年に教科書フォーラムと商工会議所が当時の韓国近・現代史教科書に対して問題を提起し、これに対して教育科学部がその意見を受け入れて韓国近・現代史教科書を職権として修正することになったが、その時の修正の基準になったのは、他でもない2000年に作られた教科書「準拠案」だった。
2007年、改正教育課程の告示とともに歴史教科書の検定化方案が発表された。これに伴い、政府では従来の「準拠案」を前例として歴史教科書「執筆基準」の開発に着手し、国史は韓国史学会に、世界史は歴史教育研究会に研究を依頼した。しかし、2008年の「近現代史波動」を経験する中でこれら学会で研究された執筆基準が保留され、2009年に国史編纂委員会によって新しい基準が提示される。歴史教育行政が政治の変化に全く影響を受けないことを期待するのは無理だろうが、政府がこのように積極的に介入できたのは、それだけ歴史教育行政が便宜により主観的に進められて来たためだということもできる。特に、2000年代以後10年間、歴史教育行政が放置されたせいで、政府の介入もそれだけ容易だったものと判断される。
 
 
 
 3 我が国の歴史教育行政の狭小性と問題性
 
以上で調べたように、我が国の歴史教育行政の核心事案は歴史教科書であり、それは主に用語と記述の方向を決定する「準拠案」あるいは「執筆基準」に集中した。そして、その大きな枠組みは1969年に作られた「基本方向」と1973年の「中心内容」により提示され、以後1987年と1994年の「準拠案」により当時の状況を反映した内容修正が行われ、2008年近現代史波動を収拾するための新しい「執筆基準」が2009年に提示された。2009年の「執筆基準」は国史編纂委員会が当時の高等学校韓国近現代史教科書(6)を検討して新しい枠組みを提示したが、その一般原則は次のとおりだ
 
 2007年改正教育課程に基づく歴史教科書執筆基準(2009)
 
. 叙述方向(国史教科書叙述の一般原則)
1. 教育課程及び教育課程で提示した精神を十分に反映して叙述する。
2. 学問的接近と共に教育的観点も考慮して叙述する。
3. 研究者の間で互いに解釈を異にしている内容の場合、学界で広く認めるいわゆる正統的な学説を収録する。
4. 特定の理念や歴史観に偏向せず、我々の歴史を客観的で全体的な観点から把握できるように叙述する。
5. 私たちの歴史の主体的な発展過程を重視して、民族史に対する自負心と愛情を持つようにする。
6. 世界史の流れの中で私たちの歴史の位置を客観的に把握できるようにする。
7. 学問的・教育的・理念的に論議が多い内容については、事実に対する評価よりは客観的事実を中心に叙述する。
8. 歴史的事実に対する解釈が多様な場合には、それぞれの解釈を支える資料をバランスを取って提示する。
9. 教科書に引用された図、図表、課題、討論資料は最近データを用い、最大限の客観性と均衡性を維持するようにする。
10. 歴史的事実や用語などは<教育課程>と<教科書編修資料>に従う。
 
 
上記の内容は、現在までの歴史教育行政が重点を置いてきたのが何であったかを示している。10の項目のうちで執筆者間で互いに対立することがあるのは5つだ。その5個の基準は歴史叙述の内容に関して葛藤がもたらされる時、その葛藤を収拾するためのものであり、同時に教科書の執筆時に留意して従うように提示されたのだ。その5個を簡略に整理すれば下記のとおりだ。
 
 まず、学界で広く認められるいわゆる正統的学説を収録する。二番目に、理念や史観の側面おいて偏向的でなく、客観的および全体的な観点を維持しなければならない。三番目に、(「大韓民国に対する自負心と愛情」でなく)「民族史に対する自負心と愛情」を持つように叙述する。四番目に、事実に対する評価よりは客観的な事実を中心に叙述する。五つ目として、歴史的事実に対する解釈が多様な場合、それぞれの解釈を支える資料をバランスを取って提示する。
 
以上の5種類の基準のうちで三つめの「民族史に対する自負心と愛情」の部分と四つめの客観的な事実中心の叙述を除けば、主に歴史葛藤問題を解決するための原則を提示したものと言える。それぞれ異なる価値あるいは立場のうちで一つの価値あるいは中間点を持って調整するということだ。
 
これについてもう少し詳細に見てみる。 最初に、対立する二つの学説がある場合には正統学説が選択されるという原則を提示しているが、この基準は少数意見を排除する根拠となる。学問において少数意見は大変重要だ。歴史で多数あるいは正統学説だと言ってもそれが正しいという保証もなく、また、それが明確に区別されることもないという点でこれは再考の余地がある。
二番目に、史観において中立性を追求するという基準は、大韓民国の立場から擁護しなければならない史観と大韓民国を否定する史観が対立する場合にも中立性が追求されるとという点で問題がある。そして、ある指向に明確に立つことが必ず問題になるとも言えないにも拘わらず、適当な妥協と保身主義的な立場が奨励されることになる。
 
三番目に、歴史的事実についての対立する解釈を資料として提示して叙述しても良いという基準も問題がある。特に階級対立的な立場のために解釈が変わる場合、教師にこの条項が悪用されることが有り得るという点に照らして、あえて「バランスを取って」という修飾語を挿入して対立する立場を資料の形態で教科書に叙述しても良いと推奨するようなこの規定がなぜ必要なのか疑問になる。
 
そして、上の5つの基準のうちで最も大きな問題だと考えられるのは三つめの条項だ。「民族史に対する自負心と愛情」という場合、北韓に対する誇りと愛情も共に持つように歴史教科書を叙述しなければならないためだ。現在まで多く指摘された金星出版社刊行の韓国近現代史教科書こそこの基準に最も適合するように叙述されていると評価することにもなるのだ。
 
最後に、歴史的事実に対する評価も許容する客観的な叙述を中心にするという基準も問題の余地がある。ドイツのような国では教科書において憲法的価値以外にはどんな価値的評価も許されなくて、また、歴史の時間に教師による評価的言動も禁止されている。ところが、あえて客観的な叙述を中心にすると言いながら、歴史的事実に対する評価を許容している理由を理解し難い。
 
 以上のことは、現在の重点を置く歴史教育行政は歴史教科書に限定されていることを見せてくれる。追求する価値においても、民族史に対する誇りと愛情が過度に拡大する場合、北韓に対する記述に深刻な問題が発生する可能性があることも確認することができた。 反面、現在の歴史葛藤が大韓民国の歴史的正統性と国家的アイデンティティをめぐって展開している状況において、懸案問題に対してはどんな基準も提示しないでいるが、これは職務放棄だという考えを振り落とすことができない。そして、学問的・教育的・理念的に議論が多い内容に対しても評価を許容している点も大きな問題と指摘せざるをえない。
 

(続く)
 
 
 
 
[特集] 歴史教育行政の問題点と改善の方向
[イ・ミョンヒ | 公州大学歴史教育科教授]
 『季刊時代精神』2013年秋号
 
 
 

韓国の歴史教育行政について(2)

[特集] 歴史教育行政の問題点と改善の方向
[イ・ミョンヒ | 公州大学歴史教育科教授]
 『季刊時代精神』2013年秋号
 
 
 
Ⅱ 我が国の歴史教育行政の展開
 
1 歴史教育問題と歴史教育行政
 
我が国の歴史教育で何が最も問題なのか? 筆者は、ここで我が国の歴史教育問題の本質は「事実」の問題というよりは「史観」の問題が大きく作用して、そして「史観」の問題よりは「行政」の問題にさらに直接的な原因があると前提して接近してみようと思う。なぜならば、大韓民国は誰でも知っていて、また誰でも認めるように自由民主主義社会であり、学問の自由が保障され、また擁護される国だ。したがって、歴史研究でも歴史教育でもこのような基本的な原則の例外とはならない。歴史研究及び教育の場で多様な見解と立場が尊重されるべきなのだ。 これを前提に、歴史教育政策が樹立され執行されても大きな問題なしに調和を作り出せるように歴史教育行政が後押しされなければならないのだ。ところが、上でも見たように、我が国の歴史教育の現実は「大きな問題なしに調和をなしている」ではなく、歴史教育問題によって国民的な対立と分裂の現象を表わしている。その原因の一部が歴史教育行政にもあるということを主張しようと思う。
 
一般的に、現代の歴史教育では、多様な観点から歴史の多様な側面を考慮するように勧められる。 近代以来、学校の歴史教育では主な観点すなわち国民的観点が前提になっていて、内容の選択も国家的関心から行われるため、歴史認識の単調さと画一性を克服するための配慮から、多様な観点で多様な側面を見るように勧告しているためだ。通常の社会でも理念間、階層間、地域間、性別間、宗教間、種族間など多様な利害関係が存在して、それによって対立が起きるけれども、また逆に社会が多様化して、また時には緊張して進んで躍動的になったりもする。
  だが、多様性を調和させて束ねる大きな枠組みが無ければ、その社会は安定することができずに根本的な危機に直面することになる。多様性と差をくくる大きな枠組みが一般的には国家と国益で、長い間の歴史を通じて形成された伝統と文化であり、そしてその社会を規律する憲法と法律だ。 このような共通の基盤の上で、多様な見解と観点が互いに対立あるいは葛藤しながらも全体的には大きく調和を作り出せれば大きな問題はない。まさにこのような大きな枠組みあるいは共通の基盤を維持できるようにすることが行政の役割だと筆者は主張する。
 
  私たちの社会は、いつの時からか社会の構成員の多様な見解と観点を縛る大きな枠組みが揺れている。歴史教育に従事する者として、それは歴史教育の大きな基盤が崩れていることを意味する。 それが意図的なものであったか、あるいは時代の推移の中で自然発生的に現れたものかはここで確認する余裕はない。だが、明らかなのは、多様な歴史探求と歴史教育を議論できる共通の基盤が狭まっているということは明らかだと言える。 こういう現象は、管理の未熟さに原因があるのか、そうでなければ大韓民国の社会基盤を全体的に揺るがす他の何かの力のためなのか、速断することはできない。ただし、筆者は歴史教育問題の一端が管理の未熟さ、すなわち行政の貧困にも由来するという観点を強調しようと思う。
 
 
2 歴史教育行政の変遷
 
歴史教育行政は、これまでは主に歴史教育課程と歴史教科書執筆のための執筆指針として「国史教育内容準拠案」(1987,1994,2000;以下「準拠案」という)と「歴史教科書執筆基準」(2009;以下「執筆基準」という)、教科書検定のための検定基準、そして最後に教科書採択に関連した規定などを合理的に管理するというものだった。この中でも教科書の内容に直接的な影響を及ぼすのは「準拠案」と「執筆基準」であるが、パク・チンドンは現代史内容の叙述の基準が解放以後にどのように変遷してきたかを忠実に分析した。以下、パク・チンドンの論文を根拠に、我が国の歴史教育行政の変遷と特徴を簡単に見てみる。
 
  パク・チンドンは、解放直後の米軍政法令第6(1945.9.29.)「朝鮮の利益に反する科目は教授したり実習しないこと」(5)という包括的な規定が、国家が小中等教育に関与する政策の端緒を提供することになったと評価する。以後、195410月に「反共反日教育要項」がイ・ソングン文教部長官の訓令として公布され、国史教育に対する具体的指針が初めて提示された。続いて、196110月の国家再建最高会議の朴正熙議長による「国史内容の統一に関する指示」により、2年後である1963年に「国史教育内容の統一」という執筆指針が初めて誕生した。この執筆指針は、何と28人の国史学者および教師などが参加して12回の会議を通じて開発したもので、1987年に「準拠案」が出てくるまで教科書編纂の基準になったという。 この時に、教科書執筆時に見解を異にする歴史的事実、特に古代史に関する異説や用語及び表記法の統一が成立したことによって、通説を国家が決める先例が作られた。
 
我が国の歴史教育行政においてもう一つの転機を用意した事例として、ハン・ウグン、イ・キベク、イ・ウソン、キム・ヨンソプの4人によって1969年に共同研究として出された報告書『中・高等学校国史教育改善のための基本方向』(以下「基本方向」という)を挙げることができる。イ・ウソン教授は、この「基本方向」について、国史教科書の要目を改編したものだが、内容的には国史学の新しい見解を大幅に導入して集約・整理したものなので、教科書の要目としてはもちろん、国史学自体の方向の打開に大胆な一指標を立てたものと評価している。イ・ミョンヒはこの「基本方向」の影響に関し、第7次教育課程を始めとして今日の我が国の学校歴史教育の大きな方向はこの時に決まったと評価して、「1969年体制」と命名したりもした。特に、イ・ミョンヒは、この「基本方向」が国史教科書「試案作成の基本原則」として5項目を提案して、その特徴として国史認識の主体を民族に設定して、私たちの歴史を内在的発展の観点から見て民衆の活動を強調するものと把握する。そして、1969年に提示されたこの「基本方向」が、当時はもちろん、以後30年余りの間特別な疑問なしに大多数の国民に受け入れられた点に注目し、民族主義の歴史意識が1970年代あるいは1990年代までは国民を統合するイデオロギーとして一定部分作動してきたものと評価した。
 
 ともかくも、1969年の「基本方向」が歴史用語の統一を越えて、韓国史教科書記述の方向を積極的に提示する役割をしたといえるし、その枠組みが30年以上持続したと見られる。 ここには、19725月に朴正熙大統領の指示によって構成された「国史教育強化委員会」が1973年に提示した「学校教育を中心にした国史の中心概念」(以下「中心概念」という)が重要な支え棒の役割をしたと評価される。 この「中心概念」は、国史教科書の記述の方向を提示した1969年の報告書に続き、各時期の中心概念を設定して、さらにこれに対する意味の付与を行うことによって学界の通説をより一層確定さらる役割をした。そして国史の教科独立および教科書国定化の基礎を用意した。
 
しかし、問題が無いではなかった。 国史教科書の国定化により国史教科書の影響力が増大したし、在野の史学界は国定教科書の叙述に対して問題提起をした。すなわち、在野の史学界は1970年代後半から数回にわたって訴訟を起こし、国会の公聴会等を通して問題を提起して、いわゆる「古代史論争」が火がつくことになった。当時の国史教育の内容のうちで争点になったのは主に古代史関連の内容であったし、その争点に対する対応として1987年に「国史教科書内容準拠案」が作られることになった。 1987年の「準拠案」は主に古代史問題に集中したが、近現代史の内容に対しても重要な原則を提示した。そして、それは古代史問題に対しその間の論議をある程度整理する役割をしたし、第5次教育課程の教科書に大きい影響を及ぼしたと評価される。
 
 1992年に6次教育課程が告示されるに伴い、199411月に新しい「準拠案」が用意された。 この過程で「準拠案」の内容が1994年初めに言論に知られ、大韓民国の正統性を否定するような左派的見解が問題となるに至り、いよいよ歴史教科書をめぐる理念の対立が始まったのだ。当時、誠心女子大学のアン・ビョンウク教授は、「現代社会の発展においては、その期間に民族史が体験した荒波とそれに伴う意味ある成果に対して何の価値も付与することができず、その代わりに権力の変動と浮沈に関する説明に終始してしまった」と強く批判しながら、「日帝侵略期に行われた親日派の誤りや、解放以後にこれを清算して民族史の精気を正しく立て直さなければならなかった課題などに関して、具体的な案が用意されていない」と不満な部分を具体的に提示した。要するに、近・現代史の教科書の記述に対する理念論争は1994年に遡り、この時に既に左派陣営では新しい近・現代思想を具体化していたことを確認することができる。ともかく、1994年末に確定した「準拠案」では「419義挙」を「419革命」へ、「516革命」を「516軍事政変」へ、「麗水順天反乱」を「麗水順天事件」へ、「第3共和国」を「朴正熙政府」へと改称する変化が起きた。
 
 1997年の第7次教育課程に伴う2000年の「準拠案」は、1994年の「準拠案」を踏襲しているものと評価される。ペク・チンドンは、これに対して、韓国近現代史の研究成果が増加、深化したにもかかわらずこれが反映されなかったことを迂回的に指摘する。すなわち、「準拠案」が不備であることが2002年に「韓国近・現代史」教科書において前政府(金泳三政府)と現政権(金大中政府)に対する記述批判の一つの原因になったし、さらに200410月には国会の国政監査でクォン・チョルヒョン当時ハンナラ党議員が金星出版社「韓国近・現代史」教科書が「親北韓・反米・反財閥」の観点から記述されていると問題を提起する原因になったことを示唆している。
 
ここで、第7次教育課程の改正により特別な議論も無く「韓国近・現代史」という科目が新設され、さらに「韓国近・現代史」科目の教科書が歴史上初めて検認定として出版されることになったという事実に注目する必要がある。学校教育課程においてある科目が新設されるというのは重要な意味を持つ。 特に1994年に「準拠案」をめぐって、それも近・現代史の用語と内容をめぐって「波動」を体験したにもかかわらず、格別の論議なしに「韓国近・現代史」科目が新設された点は非常に異例だと言える。さらに異例なのは、「韓国近・現代史」科目の教科書が歴史的に初めて検認定の教科書になったにもかかわらず、その教科書記述のための指針と言える2000年の「準拠案」が1994年のものをそのまま踏襲したという点だ。 一言で言えば、歴史教育行政の放置ということができる。
 
 
 
(続く)
 
 

韓国の歴史教育行政について(1)

 
 最近、「日帝美化」のなんのかんのと韓国の世論を湧き立たせた教学社の歴史教科書の問題がありました。その教科書の執筆の中心人物であるイ・ミョンヒさんが所信を表明しています。
 
 
 
 
[特集] 歴史教育行政の問題点と改善の方向
[イ・ミョンヒ | 公州大学歴史教育科教授]
 
『季刊時代精神』2013年秋号
 
 
. 問題意識
 
1 対外的歴史葛藤の展開と対応
 
我々の社会で歴史教育を囲む葛藤と分裂は昨日今日のことではない。 対外的には1982年の日本歴史教科書歪曲問題を始め、日本で歴史教科書検定があるごとに繰り返された日本歴史教科書問題がある。それに、1990年代からは日本軍慰安婦問題が提起されたし、最近では独島をめぐる歴史認識問題も浮上しながら、日本との間では歴史問題が両国関係の最も大きい障害物になっている。
一方、中国は2002年から「東北工程」を通じて、中国の戦略地域と言うことができる東北地域に起きたすべての歴史を中国の歴史として作るための「歴史侵略」を国策事業として推進した。特に、高句麗・渤海など満州と韓半島を舞台に発展した我が民族の歴史を中国の歴史に作るための中国の国家レベルのプロジェクトは、私たちに深刻な危機意識を引き起こす。その結果、我が国では中国の歴史侵略に積極的に対処して白頭山に関連する問題などを研究するために、20043月に教育部傘下の高句麗研究財団を発足させた。
高句麗財団は、20069月に東北アジア歴史財団にで吸収統合された。その後、東北アジア歴史財団は、中国の東北工程問題だけでなく日本の歴史教科書問題を始めとして、靖国問題、日本軍慰安婦問題、独島と東海の表記問題など韓国の歴史および国土に関連する対外的問題の全般にわたる研究と交流を推進している。東北アジア歴史財団を作ったこと自体がそれなりの成果ということができる。 恐らく、対外的歴史戦争に総合的に対処する必要があったし、これに対して比較的容易に合意を成すことができたためだ。しかし、東北アジア財団が何を成し遂げたのかまだ明確な実績を出せない。 しかも将来にどんなことを成し遂げるのかについての明確な展望も無いのではないかという疑問も起きる。なぜか?
 
 
2 対内的歴史葛藤の展開様相
 
対内的に歴史教育問題が大きく浮び上がったのは、第7次教育課程に基づく高等学校韓国近現代史教科書が発刊されたときからだった。韓国近現代史教科書の検定をめぐって韓国教育課程評価院長が途中で辞表を提出する事件(20028)が発生したし、200410月には国会で韓国近現代史教科書の偏向性問題が政治的争点になった。この頃から歴史内戦が始まった。そしてノ・ムヒョン政府が「親日反民族行為真相究明委員会(2004.5)」と「真実・和解のための過去史整理委員会(2005.12.)」など歴史関連の委員会を多数スタートさせ、歴史問題が直ちに政治的対立と論争を呼び起こすことになった。すなわち、歴史教育の問題は単に学校教育レベルの問題に留まらず、政治レベルの重要な問題として浮上したし、以後、歴史問題は社会的統合ではなくてより大きな葛藤と分裂の原因として作用する場合が多かった。例えば、43事件関連の委員会の活動終結によって、和合と団結よりは返って葛藤と分裂が深刻化している点は、歴史関連委員会の活動が決して問題解決を保障するものではないということをよく物語る。
 
2005125日に創立された「教科書フォーラム」は、新しい次元の歴史教育問題を提起した。我が国の近現代史の教科書と近現代史教育が左派偏向的見解で記述され実践されているという問題提起が本格化したのだ。 教科書フォーラムが創立されて活動する前は、私たちの社会のどこにも80年代以後に展開した「歴史運動」に対する批判がなかった。 その結果、「歴史運動」を推進してきた勢力が近現代史の全ての事件に対する歴史的評価を独占し、近・現代の歴史認識の枠組みを独占的に構築して歴史を最も強力な政治的友軍にしてしまった。これに対して教科書フォーラムが本格的な異議の提起に出たのだ。もちろんこれに対する左派陣営の反発はすごかったが、学問的でもなく真剣でもなかった。「教科書フォーラム」=「親日」というごり押し論理を作って人身攻撃的水準の非難をするだけだった。この時から「歴史内戦」が本格化し、歴史教科書問題をめぐる対立と論争はより一層激しくなった。
 
大韓民国において歴史教育は国民を統合する機能を喪失してしまった。むしろ国民的葛藤と分裂の原因となるに至った。 歴史内戦は広がって再生産されるに至った。 それにもかかわらず、歴史内戦を収拾するための機構の一つも作り出せずにいる実情だ。外部との歴史戦争のためには東北アジア歴史財団を作ったが、それよりもさらに深刻で危険な歴史内戦を収拾するためのどんな手段も作り出せずにいるのだ。
歴史教科書問題によって対内外的に対立が深刻化する中で、20072月に学校教育の設計図と言える教育課程の改正が成し遂げられたが、それは歴史問題を返ってさらに激化させる方向に展開した。 東アジア史という科目を新設して中国、日本と共に進行している対外的歴史戦争に対応しようと考えた点は、東北アジア歴史財団を設立したことと同じ観点で理解できる対応だった。しかし、それで何かの解決の糸口を見つけたという評価や報告には接することができなかった。
 
 
国内の歴史内戦に対する対応は問題をさらに深刻にした。韓国近現代史教科書をめぐって「歴史内戦」が展開している状況において、「歴史」の教科書を検定にするという果敢な決定が下されたのだ。「歴史」を検定教科書にした時に起き得る問題に対する対策どころか議論さえせずに重大な決定が下されたのだ。すなわち、国定教科書よりは検定教科書が多様な歴史認識を保障することができるし、市場での競争を通じて質の良い教科書が普及するという論理に、保守的立場を持つ人々も簡単に同意したのだ。
200912月に未来型教育課程だとして全面的な教育課程の改正が成立し、これを受けて「2011教科教育課程の改正方向」が決まった。そして20112月から歴史教育課程の改正作業が始まった。 その年の89日に告示された初・中・高等学校の社会科教育課程の歴史の分野で「歴史教育課程開発政策研究委員会」が提出した「民主主義」が「自由民主主義」に変わった。これには20115月に創立した韓国現代史学会が役割を果たした。 さらに一度、歴史教育は国民的な論争と対立を呼び起こした。今では左派陣営の教科書あるいは歴史認識に対する批判というレベルではなく、歴史叙述の是正作業にまで着手することになったのだ。大韓民国の歴史を自由民主主義の発展史として体系化して子供たちに教えなければならないということを主張し、これを政府が受け入れたのだった。
 
歴史教育課程の開発の実務責任者として参加したソウル大学国史学科のオ・スチャン教授は、「韓国史関連の教育課程の内容体系に‘民主主義の発展’に代わって‘自由民主主義の発展’という表現が入ったのは初めてのできごとだ。それは、今後学生たちが勉強しなければならない韓国現代史の核心の概念が大きく変わったことを意味し、それに伴う具体的な教育内容の変更がどこまで達するかは計るのが難しいことだ。」とその意味の重大さを指摘している。以後、国史学界はもちろん社会一般まで参加した中で、自由民主主義と民主主義をめぐる論争が大々的に展開した。 そして、2011年に改正告示された教育課程に基づいた高校の韓国史教科書が検定を終えて9月から公開される。 韓国現代史学会の中核メンバーが執筆した高等学校韓国史教科書も検定を通過して出版されるため、再び戦雲が漂っている。 
 
 
3 歴史教育行政の必要性
 
以上で見たように、私たちの社会の歴史教科書あるいは歴史教育問題は、収拾がつくよりは返って深刻化している姿を見せる。対外的対立以上に対内的な分裂現象が深刻化している対内的歴史葛藤は対外的葛藤と比較してその影響がはるかに甚大だと言える。 それにもかかわらず、対内的歴史葛藤の問題に対しては対外的歴史葛藤問題よりも対応において後進性を免れられずにいる。対外的な歴史対立に関連しては、東北アジア歴史財団を作って、東アジア史を作ってそれなりに熱心に対応していると弁明できる程度にはなった。 だが、対内的歴史葛藤について政府が何をしていたのか、明らかにされたものは事実上何もない。
その結果、国民的不安は大きくなっている。歴史教育問題に対する解決の展望は見えず、より大きな戦雲が漂うだけだ。 歴史教育問題に対する国民の心配が大きくて深刻化しているということは、歴史問題が私たちの社会でそれだけ重要な問題だということの反証だが、これに対処する政府や社会の未熟さも一役買っていると言わざるをえない。
 
歴史教育問題は、特に自国の近現代史教育の問題は誰が見ても重要な公的問題(public affairs)だ。 したがって、歴史教育問題は私たちの社会の最高の力量と統合力を動員して、長期的展望の下に総合的に対処しなければならない懸案といえる。それにもかかわらず、問題が大きくなった時ごとに場当たり的に対処してきたので、まだ解決の糸口さえも探せないまま問題に振り回されている実情だ。 そして、今後どのように整理されるか分からない不透明な展望の中にある。
 
本稿は、私たちの社会の歴史教育問題が解決の方向も掴めないままその時その時に発生した問題を追いかけている背景には「歴史教育行政の欠落」がある、という問題意識を基礎にしている。つまり、これからは歴史教育行政が必要だという立場から本稿を展開しようと思う。
なぜ、歴史教育行政なのかと言うと、歴史教育問題はその性格上大多数の国民が関心を持っている教育問題であり、同時に国家運営に直結する国民意識の形成とも関連する問題で、公的問題として合理的で公正に接近して対処して行かなければならない事案だと判断されるためだ。 キム・デジュン政府とノ・ムヒョン政府におけるように、歴史関連の委員会をテーマ別に構成して政治的なアプローチをするのはこれ以上問題解決の道にはならない、ということを確認したためだ。また、歴史内戦は私たちの内部に互いに対立する当事者がいるので公的な名分の下で合理的かつ公正な接近をする時にのみ解決に何とか着手することができる。 それは他でもない行政的アプローチだ。
 
筆者は、行政というものは「公的問題を解決するための高度な合理性を伴った行為」と理解していて、特に「合理的な協同行為」をその特徴と見ているので、歴史教育問題においてこそ行政の観点が必ず必要だと考えられる。本稿は、歴史教育問題に対して行政的な側面からどのように対応しなければならないのかに関して、まず私たちの社会が抱えている現在の歴史教育の問題を探ってみる中で、行政的接近の必要性を提起しようと思う。そして、我が国の歴史教育行政がいかなる道を歩いて来たか、その過程でどんな特徴と問題点を抱えているかを調べる。 さらに進んで、歴史教育行政をどのように改善できるのかに対する展望を提示しようと思う。 
 
(続く)
 
 
 

歴史歪曲の見本を示す韓国政府

ソウルからヨボセヨ 
歴史歪曲の「お手本」
 
2013.10.26  msn産経ニュース
 
 
  韓国の歴史教科書問題が実に面白い。新しい保守派の教科書に対し左派が反発し、さらに教育省が検定済み教科書に修正を指示しているのだが、その内容が興味深い。「韓国人の歴史観」が如実に表れていてうれしく(?)なるほどだ。
 
  修正指示は問題になっている保守派の「教学社版」を含め8種類すべてが対象。たとえば日本の敗戦直後、連合国が作成した地図が英語の原資料としていくつかの教科書に紹介されているのだが、竹島問題がらみのその地図の日本海部分に記された「SEA OF JAPAN」の文字を削除しろと指示しているのには驚いた。
 
  原資料から気にくわない部分を無くしてしまえというのだ。韓国人の歴史観では「あった歴史(事実)」より「あるべき歴史(願望)」が重要というのが筆者(黒田)のかねての見立てだが、つまり「SEA OF JAPAN」は韓国人にとってはあってはならない表記なので消してしまえ、というわけだ。政府が執筆者や出版社に堂々と資料改竄(かいざん)を命令していることになる。これはすごい。
 
  また一部教科書がベトナム派兵時の韓国軍の「民間人虐殺」を記述していることについても「民間人被害」への修正を勧めている。どこの国だって加害の話はできるだけ触れたくないものなのですね。
 (黒田勝弘)
 
 
 
 
 
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