FC2ブログ

「竹島密約」の文言に注意


『反日種族主義との闘争』と竹島問題
http://www.ssri-j.com/SSRC/island/fujii-14-20201004.pdf

20201022.jpg

スポンサーサイト



テーマ : 韓国
ジャンル : 海外情報

「独島密約」李明博の独島訪問で死滅 だそうです

「独島密約」李明博の独島訪問で死滅
[修交50周年新しい韓日関係探索] キーワードで見る韓日50年 独島
  
ハンギョレ新聞 2015-06-02
  
20128月の李明博大統領の独島訪問が最近の韓日関係悪化の決定的な契機だということには異論の余地がない。日本政府は李大統領の独島訪問の直後、この問題を国際司法裁判所(ICJ)に行って解決することを提案する一方、日本の不当な領土主張を強化するための国内外の広報活動を拡大している。その結果、今後使われる日本の全ての小・中・高教科書には「独島は日本の固有領土であり韓国が不法占拠している」という記述が含まれる状況に至った。
 李大統領の独島訪問は、韓日協定以後50年を迎える両国関係に非常に甚大な影響を及ぼした。この訪問で、韓日協定の交渉過程でなされたいわゆる「独島密約」が死滅したからだ。
 
「韓国の事実上の領有」維持
「解決せざるもって解決と見なす」
閉じていた蓋を開けて両国関係に悪影響
  独島密約とは、韓日会談が終結に向かった1965111日、ソウルで丁一権国務総理と河野一郎自民党副総裁の密使である宇野宗佑との間で確定した合意を意味する。この密約を通じて、韓日両国は独島問題を「解決しないことをもって解決したものと見なす。したがって条約(韓日協定)では言及しない」として、この問題の解決を事実上保留した。その精神により6月締結された「紛争解決に関する交換公文書」では「両国間の紛争はまず外交上の経路を通じて解決することとし、これによって解決できない場合には両国政府が合意する手続きにより調停によって解決を図ることとする」と合意する。両国が互いが「合意する手続き」により問題解決を図ることにして、韓国が合意しない限り韓国の独島領有を日本が変更できない絶妙の構造が作られたのだ。
 19458月の解放以後、独島が両国間の大きな問題となったのは、1952118日発表された大韓民国国務院告示第14号「隣接海洋の主権に関する大統領宣言」(李承晩ライン)が出てきてからだ。李承晩政権は日本の先進漁業から韓国漁場を保護するために独島東側に李承晩ラインをひいて、これを越えた日本漁船を拿捕する。 日本外務省が2010年に発刊した『日韓会談重要資料集』を見れば、李承晩ラインが引かれた後に韓国当局によって拿捕された日本漁船は220隻で乗務員は2670人だと確認される。 それによって、日本政府は自国の漁民が相次いで拿捕される状況を打破するために韓日協定の締結を急げとの国内的な圧迫を受けることにもなった。
独島密約が実在したのかについては論議もある。金鐘泌前総理は、先月4日の中央日報とのインタビューで密約の存在を否認した。しかし、密約の仲介役と見られる彼の兄キム・ジョンナク氏は、201081日に放映されたNHK放送のインタビューで、「密約は誰のアイディアなのか」という質問に「(河野副総裁に)私が瞬間的に話したのだ」、「関連文書はないのか」という質問には「全部焼いてしまった」と答えて密約の実体を証言している。
総合するならば、両国が独島問題を密約で縫い合わせたが李大統領の無分別な行動がこれを解体したという結論に至ることになる。その結果として日本の全ての教科書に「独島は日本の領土」という記述が挿入されたし、この問題が韓日関係に決定的な悪影響を及ぼす葛藤の火種として蘇った。
東京/キル・ユンヒョン特派員
 




<コメント>
 うん、韓国人たちに多少はものを考えさせるような書きぶりで、まあまあいい記事だ。ハンギョレはたまにこういう記事を載せる。ただし、竹島密約は李明博さんによって死んだというよりも、金泳三さんあたりで死んだのではないですかね。

 それと、一つ言っておきますがね、紛争解決に関する交換公文は、両国間の紛争解決の手段・方法について合意しましょと言っているだけであって、紛争があるのに「紛争はない」と言ってしらばっくれてもいいよ、とは書いてないのだよ。










「独島が紛争地域になった経緯」

曖昧な未解決の解決、日本に「独島強欲」の名分を与えた
[光復70年・韓日修交50年の再認識]
 (16)独島が紛争地域になった経緯
 
イ・ドンジュン 北九州大学国際関係学科教授
2015.05.11韓国日報
 
1962年韓日会談で独島問題台頭
最終談判で独島明示しない代わりに紛争対象に含ませる余地残す
韓米日外交文書には独島問題関連JP(金鐘泌)の妥協的態度あちこちで指摘
第三国調停案JP独断疑惑、「独島密約は流言」の主張も疑問



 
1965622日、日本・東京の総理官邸で開かれた韓日条約諸協定調印式で、イ・ドンウォン外相が佐藤栄作日本総理(右側)と歓談している。 二人は調印式直前に独島問題に関連した「紛争解決に関する交換公文書」に関する終盤の文面調整を終えた。佐藤は安倍晋三日本総理の母方の祖父であり、安倍が尊敬するという岸信介前日本総理の実の弟だ。 左側はキム・ドンジョ当時の駐日大使。( 出処:国家記録院 )


 (翻訳者注:キム・ドンジョはあの『獨島問題概論』の発行者ですね。)


 
 
「これはダイナマイトと同じだ。 韓国の野党と大衆は日本の野党と比較にならないほど威嚇的だ。独島問題は韓国政府の死命とも関連する。 私たちは「両国間に発生する紛争」というように「発生する」を挿入することを願う。」(イ・ドンウォン)
 
 「今まで日本が出した提案さえも私が考えた以上に譲歩したので、さらに多くの譲歩は不可能だ。」(佐藤栄作)
 
「発生するという表現を挿入すれば、未来の紛争に限定されて竹島問題は除外されるということが明らかになるので不可だ。」(後宮虎郎(うしろくとらお)外務省アジア局長)
 
「それなら良い。 日本側の最終案を受け入れる代わりに一つだけお願いする。韓国代表団が帰国してここには独島が含まれないと話しても公式に直ちに反論しないように願う。 これは私たちの生命に関連している。 ただし、日本が後ほど議会で独島が含まれるという趣旨の返事をしてもこれを自制しろとお願いしはしない。」(イ・ドンウォン)
 
韓日協定が調印される直前である1965622日午後415分から20分間、日本の総理官邸でイ・ドンウォン当時外務部長官と佐藤栄作日本総理はこのように独島問題に関して終盤の談判を行った。イ長官が日本側の最終案を受け入れて合意、調印されたいわゆる「紛争解決に関する交換公文書」はとても短く、それも非常に曖昧な文面で構成された。 「両国間の紛争はまず外交上の経路を通じて解決して、解決できない場合には両国政府が合意する手続きにより調停を通じて解決することにする。」
 
 
「未解決の解決」が残した陥穽
ここではまず日本側が執拗に入れようと要求した独島という単語が抜けていて、独島が紛争の対象なのかどうかを正しく知ることはできない。さらに、事実上強制力がない「調停」に対しても「両国政府が合意する手続きにより」という条件がついた。 ただし、韓国側が当初主張した「両国間に発生する紛争」という未来型の文面が消えた代わりに「両国間の紛争」という現在型の表現に帰着して、独島が実在する紛争地域と解釈される余地ができた。さらに、イ・ドンウォンが独島が紛争地域なのかどうかについて韓国と日本がそれぞれ解釈してこれに対して異議を提起しないことを提案し、これを佐藤が了解することによって日本は韓国の反発を意識しないまま独島領有権を主張できることになった。
これに対して、一部の学者は「未解決の解決」と語る。独島を事実上紛争地域と認定する余地を残したにも拘わらず、韓国の実効的支配という現象を打破できないように措置されたためだ。 言い換えれば、「両国間の紛争はまず外交上の経路を通じて解決して」という条項により日本は独島に対する韓国の実効支配を軍事的行動によって変更できなくなった。また、「両国政府が合意する手続きにより調停を通じて解決することにする」という条項によって、韓国が同意しない限り日本が主張する国際司法裁判所(ICJ)提訴を含めた「調停」が不可能になった。
それにも拘わらず、日本はこの交換公文書を根拠に独島を紛争化できる名分を得ることになった。「交換公文書には竹島が紛争の対象ではないとは書かれていない。 それなら当然両国間の紛争対象になる。 韓国がどのように説明してもこの事実を否定することはできない。解決しなければ調停にかけるとなっているから、調停自体を拒否するならば条約違反だ。」 椎名悦三郎日本外相は、19651025日開かれた衆議院の特別委員会でこのように話した。 事実、このような解釈に基づいて日本は2012年韓国がICJ提訴に同意しなければ一方的提訴も辞さず、これも不如意ならば1965年の交換公文書により「調停」に回付しようと声を高めた。 妥協の余地がない領土問題を「未解決の解決」という政治的な取り引きで決着させておいた「1965年体制」の後遺症を確実に経験しているわけだ。
 


 
朝鮮戦争の直後である195310月に独島を訪れた韓国山岳会鬱陵島・独島調査団が、その1年余り前に日本側が打ち込んでおいた日本式行政区域表示の木杭を抜き取って韓国領を知らせる表示石と太極旗を掲揚した。
 

キム・ジョンピル「独島爆破」言及の真偽
 当初、独島問題は韓日会談の主題ではなかった。李承晩政府が19521月にいわゆる「平和線」(李承晩ライン)を宣言して独島を編入して実効支配し始めると、すぐに日本側は「不法占拠」としながらICJ提訴を要求したりもしたが、これを韓日会談の席上では取り上げ論じなかった。
このような独島が韓日会談の前面に登場したのは、朴正熙政権が請求権資金確保のために政治的企画に着手した1962年以後だ。 その年93日開かれた第6次韓日会談の第2次政治会談予備交渉で、伊関佑二郎日本外務省アジア局長は「国交正常化後にICJに提訴するということだけあらかじめ決めれば良い」と提案した。 これに対してペ・ウイファン韓国側首席代表は、「重要でもない島なのに加え韓日会談の議題でもないので、国交正常化後に議論しよう」と押し通した。
 
金鐘泌(キム・ジョンピル)当時中央情報部長の「独島爆破」発言も、日本の紛争化の試みを無力化するために意図的に独島の戦略的価値を低評価したと見られる。金氏は、最近中央日報のインタビューで、1962年大平正芳外相との請求権交渉で「独島爆破」に言及したことに関して、「どういう場合でもあなた方に渡すことはできない」と強調するための比喩だったと主張した。だが、韓米日の外交文書は独島問題に関する限り金氏の妥協的な態度をそこここで指摘している。 まず19621020日開かれた大平との1次交渉で金氏は「この問題をそれほど重要視しないとの態度で、そのような問題は放置しても支障がないという語り口で」、「明らかに(ICJ提訴に)承諾意志を表明することはなかったが絶対的に否定する態度ではなかった」と日本外交文書は伝える。続く二日後の池田勇人総理との会談で、金氏は二度にわたって冗談半分本音半分で問題の禍根をなくすためにこの島を爆破してしまおうと話した。 これに対して慌てた池田がかえって「これは感情的に対応してはいけない」としながら国際裁判に任せることが最善だと繰り返し主張したという。引き続き、一週間後である1029日のディーン・ラスク米国務長官との会談でも金氏が独島爆破に言及したとアメリカ外交文書は伝える。金氏は大平との請求権交渉を終えて帰国の道についた1113日の羽田空港でも、「冗談では、独島から金が出るでもなくカモメの糞もないから爆破してしまおうと話したことがある」と明らかにしたと韓国外交文書は語る。

金鐘泌の「第3国調停案」と「独島密約説」
 さらに金鐘泌氏は、日本が繰り返し独島問題のICJ提訴を主張するとすぐに「第3国調停案」を代案として提示して論議を呼び起こした。これは朴正熙当時国家再建最高会議議長の訓令とも違うものだった。 第2次金鐘泌―大平会談直前に通知された訓令は、「この問題は韓日会談の懸案問題ではなく、韓国民に日本の韓国侵略を想起させることによって会談の雰囲気を硬化させる恐れがあることを指摘」しろということだった。しかし、金氏の行動はここで一歩もっと出た。 金氏は、19621112日に開かれた会談で、初めには「この問題をICJに提出すれば、たとえ23年後としても勝敗の区別が明らかな判決が下されてきて適当でない」と日本側のICJ提訴案に対抗したが、後には、「むしろ第3国の調停に任せることを希望する。そうすることによって、この第3国が韓日関係を考慮して調停のタイミングおよび内容を弾力的に決定できるだろう」と話した。
独島が「調停」の対象だということを実質的に認めた金氏のこの言及に対して、当時の韓国外交部は次の通り評価した。「金部長の意図は、ICJ提訴のための日本側の強力な要求に対して体をかわして、事実上独島問題を未解決状態で維持するための作戦上の代案として示唆したものと考えられる。」 ここで「考えられる」と述べたのは、「第3国調停案」が政府訓令を越えた金鐘泌氏の単独提案であったことを強力に示唆する。 とにかく金氏が「調停」に言及した以後、日本はより拘束力のある「第3国調停案」を含めてどうにか独島を紛争化して韓日会談でこれを条文化しなければならないという立場を固めてより一層迫ることになる。その結果がまさに「未解決の解決」という鼻にかければ鼻輪式(翻訳者意味分からず)の「紛争解決に関する交換公文書」だった。
一方、金鐘泌氏は、前記の回顧で、1964年末から65年初めに金氏の三番目の兄であるキム・ジョンナク韓一銀行常務が丁一権(チョン・イルグォン)当時総理の代理人として日本を訪問して独島問題に関して別途の秘密合意文書を交換したといういわゆる「独島密約説」に対しては「流言」と一蹴した。しかし、少なくとも日本側の外交文書を参照する限り、キム・ジョンナク氏と独島共有論を主張してきた河野一郎当時日本農林大臣との極秘ラインが活発に稼動して関連文書まで作成されたという点は確認される。ただし、朴正熙大統領と佐藤総理など両国首脳がこれを承認したのかどうかなどは不透明だ。 日本外交文書は「当時の交渉内容の記録と両側が提示した文案などを保管している」と指摘しているが、日本政府はまだこれを公開していない。独島は日本の領土だと主張してきた日本政府でも、紛争の現状維持を骨子とした「密約」の存在を明らかにするのは国内政治的に負担になるためであろう。
 
イ・ドンジュン北九州大学国際関係学科副教授









<コメント>
 この方の肩書きは、冒頭には「教授」とあって文末には「副教授」とある。どっちが本当かな。また、「北九州大学」とあるのだがこれは「北九州市立大学」のことだろうか。
 
 というのはまあいいとして、この文章は、日韓国交回復50年に当たっていろいろな問題を振り返る中の一つとして竹島問題を取り上げてあるわけですが、一体韓国人読者に何を言いたいのか、ちょっと分かりにくい。全体として受ける印象は、「独島は日本との紛争地域になっているのだよ」ということを説明しているように見えるのだが、そういうことだろうか。日本の大学で国際関係を教えているということなので、比較的冷静に事実を見ておられるように見える。
 
 まあ、日本側の立場から見れば、上に書いてあることは全て、韓国政府の首脳は竹島は日本のものと分かっているものの日本に返すなどとは決して言えないので議論から逃げるのに汲々としている様子を示している、という印象になると思いますけどね。本当に自分のものなら、相手が返せと言うからといって爆破する必要はないわけで、金鐘泌さんは「本当は返さなければならないのだが返すわけにはいかないので爆破でもして問題を無くしてしまいたい」と言っているに等しいということを、この文章を読んだ韓国人たちは察することができるでしょうか。












KBSが竹島密約を追跡

 
50年前の韓日「独島密約説」追跡
KBS「時事企画の窓―光復70周年特集」夜10時放送 
 
2015-04-20 デジタルタイムス
 


KBS21日夜10時に放送する「時事企画の窓―光復70周年特集」で「独島密約説」を追跡、放送する。KBS提供
 
 
 
「竹島の日」行事、日本中学校教科書波動など独島をめぐる韓日の対立は相変わらずだ。 50年前である1965年、韓日両国が暗い過去を後にして正式に国交を結ぶ当時も同じだった。 韓日会談の期間、独島は熱い争点であり、両国は「分かった上での平行線」を走った。
 
 「独島密約説」がある。1965年当時、韓日両国が行き詰った韓日会談の突破口を用意するために独島をめぐって隠密な約束を結んだというのが要旨だ。 KBS21日夜10時に放送する「時事企画の窓―光復70周年特集」で「独島密約説」を追跡する。 密約の核心は二つだ。韓日両国がそれぞれ独島領有権を主張する。韓国が実効支配する現状をそのまま置く。 金鐘泌前総理の兄である故キム・ジョンナク氏と読売新聞のソウル特派員だった故島本ゲンロウの生前証言などを基に、『独島密約』という題名の本が出版されたことがある。
 
しかし、当事者の証言はあってもそれを後押しする証拠がない。独島密約が一つの「説」と受け取られた理由もそれだ。 韓日両国政府も、密約はなかったというのが公式の立場だ。取材陣は、両国政府の文書を対象に精密に追跡した結果、密約説を強く後押しする具体的資料を初めて確認した。相当数の専門家たちは密約の情況を立証する資料と評価している。
 
 「時事企画の窓―光復70周年特集」は、韓日協定大詰めの水面下の交渉をめぐる興味深い裏話と水面下交渉の内容が分かる文書の行方を伝える。
 
 




<コメント>
 さあて、どんな報道をするのかは分からないが、まあ大体ダニエルさんの本で重要な部分は明らかになっているのではないかな。
 
 
竹島密約についてはこのブログでも記事をいくつか書いていますが、とりあえずこんなところでも。
「『竹島密約』 韓国でも出版」  https://chaamiey.blog.fc2.com/blog-entry-1219.html
 
こんなのもあります。
「独島密約が示す意味」 https://chaamiey.blog.fc2.com/blog-entry-1265.html
 
 
密約を破ったのは韓国側だから、日本政府は密約に拘束されずに自由に動けるようになった。だから国際広報などもいささか活発になっている。国際司法裁判所で解決しようという申し入れをするようにもなった。密約の件では日本政府は格別困ることはないのだろう。
 



 

竹島密約が示す意味

<獨島問題の真實・日本語訳>
 
独島密約が示す意味
2011/07/02
 
 

○ 竹島/独島問題は解決しなければならないものとして解決したものと見做す。したがって韓日基本条約では言及しない。
○ 独島は今後、大韓民国と日本共に自国の領土と主張することとする。お互いにこれに反論することに異議を申し立てない。
○ 将来に漁業区域を設定する場合、両国が独島を自国領土にする線を区画設定して、二つの線が重複する部分は共同水域にする。
○韓国は現状を維持して、警備員を増強したり新しい施設の建築や建て増しはしない。
○この合意を今後ともずっと守って行く。
   * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 日本と韓国が日韓基本条約を締結して国交を正常化したのは1965年6月のことですが、その5ヶ月前である1965年1月に、上のような「独島密約」が日本の国務大臣河野一郎と韓国の丁一権国務総理の間に合意されたそうです。
 この密約は、日本が独島の領有権を主張することを認めて、韓国が独島を自由に利用することを制限する内容ですね。韓国の人々も韓国政府も独島は歴史的、地理的また国際法的にも明白に大韓民国固有の領土だと主張するものの、それが事実なら何でこのような「密約」を結ぶ必要があったのでしょうか。韓国政府は、独島は歴史的、地理的また国際法的にも明白に大韓民国固有の領土だとして日本政府の独島主張を無視しても構わなかったはずです。
 実際は違います。独島は実は韓国の領土ではなく韓国が不法占拠している日本の島です。韓国政府の首脳はそれを充分に分かっています。もちろん、国交正常化交渉に関係した当時の韓国政府首脳もよく分かっていました。

 竹島/独島問題の解決は14年間にわたる韓日国交正常化交渉の中で最後まで大きな問題として残りました。日本政府は日韓国交を正常化させると同時に必ず竹島が日本に返還されるように要求しました。しかし、韓国政府がそれを認めて日本に返還しようとすれば何も知らない国民が怒って国交正常化が実現しないだけでなく、政権が倒れてしまう危険性もありました。だから竹島/独島問題は解決できる見込みがなかったのです。

 そのため、竹島/独島問題の解決を将来の国民に任せるためにこの「密約」が作成されたのです。この「密約」は、「独島は歴史的、地理的また国際法的にも明白に大韓民国固有の領土」ではないことを証明しているようです。
 日本政府は、「我が国と韓国の間にそんな密約はない」と言いますが、韓国人の皆さんはどう思いますか?  「独島密約」は韓国には独島の正当な領有権がないことを示しているから、「ドクトヌンウリタン」と思う韓国の人々は、「そんな密約はあるわけがない」として全面的にその存在を否定しなければなりません。
 
 

『竹島密約』 韓国でも出版

独島紛争を生んだ朴正熙政権の密室外交の黒幕
『独島密約』
ノ・ダニエル著作、キム・チョルフン翻訳/ハンウル 2万4千ウォン
 
ハンギョレ新聞 2011/5/13
http://www.hani.co.kr/arti/culture/book/477918.html
 

 

  1965年1月11日夕方、ソウル城北洞の汎洋商船所有主朴健碩の邸宅のホームバー。日本の国務大臣の密使である宇野宗佑・衆議院議員(後に総理)、丁一権韓国国務総理と金鍾洛(金鍾泌氏の兄)、韓一銀行常務文徳周外務次官、シマモト・ゲンロウ(読売新聞ソウル特派員)ら5人が集まった。14年間進行してきた韓日会談妥結の最大の争点だった「独島問題」に関する密約が最終確定する瞬間だった。そして5ヶ月後、日本の対韓支援と韓日強制併合条約無効化宣言等を含んだ韓日基本条約が公式締結されて両国の国交がついに正常化する。
 
 「独島・竹島問題、解決しなければならないということで解決したものと見なす。したがって条約では言及しない」といういわゆる「未解決の解決」状態で韓日政府間の領有権解決を持ち越した独島密約は、2007年に初めて公開されて韓日間に大きな波紋を起こした。 日本通の政治経済学者であるノ・ダニエル(Roh Daniel )氏が当時の朴正熙政権の密使として韓日交渉の水面下で活動した金鍾洛氏と日本側連絡責任者のシマモト・ゲンロウなど主要な関係者たちを直接取材して確認した内容だった。
 ノ・ダニエルが書いた「独島密約」は、この独島密約の内容と進行過程、背景を豊富な資料とインタビューで現代史ドキュメンタリーのように再構成した本だ。日本で先に発刊されたこの本が韓国語に翻訳されて16日に出版される。著者は、「日本と韓国の間に竹島に関するある約束がある」という中曽根康弘元総理の耳打ちで独島密約を取材し始めて20年近くこの問題に食い込んで本を書いた。
 
 本を読んでみれば、1996年6月に金泳三政府が独島の領有権主張を強化する時まで、韓日両国の政府がなぜ静かな外交に一貫したかを一歩遅れて類推してみることができる。「両国が自国の領土と主張するのを認め、同時にそれに反論することに異論がない」という独島密約の最初の条項が相当期間有効に守られたのだ。
この本は、当時の韓国が経済発展のために日本の資金が必要ではあったとは言え、日本の領有権主張に口実を提供した朴正熙政権の対日密室外交の黒幕を暴露する。韓国の外相と駐日韓国大使が密約の事実を知らないまま実務交渉で独島領有権の主張をして密約の実体を知る日本側外交官たちの嘲弄を買う場面も、恥ずかしいが厳然たる私たちの現代史だ。第二次大戦以後、連合国と日本のサンフランシスコ講和条約で日本が韓国領と認められていた独島を日本が返還しなければならない領土対象から外す過程などを見れば、日本政府がどれくらい強力な外交活動と歴史資料調査を実施したのか知ることになる。
 
  韓国の軍事政権が独島密約を最後まで守ったことに対する著者の評価は、示唆するところが大きい。「満州軍官学校や日帝の陸軍士官学校を卒業した先輩たちを誇らしく思う彼らにとって、日本と仲良くするということは本能に近い観念だったのだ。こういう背景から全斗煥と盧泰愚が大統領の椅子にあった時まで独島密約の精神は伝えられて、結果的に守られていたわけだ。」
 
キム・ドヒョン先任記者
 
 
 
<関連記事>
 
韓日協定締結の5カ月前に「独島密約」あった
中央日報 2007.03.19
 

<コメント>
 まあ、この「竹島密約」、国家間の公式な約束としてではなく、交渉に携わった要人同士の協定として、たぶん実在していたんでしょう。
 
 この本の韓国語版も出版されるというのは、竹島問題に少しばかりいい影響を与えると思われます。「独島は地理的、歴史的、国際法的に完全に我が国の領土のはずなのに、日本の領土権主張を認めるこういう合意がなぜ必要だったのだろうか?」と考えることのできる韓国人がどれくらいいるかにはよりますが。
 
  このハンギョレの記事は、見出しに「独島紛争を生んだ」とつけてあることからも分かるように、朴正熙政権が日本びいきだったためにこういう密約を結び、そのことによって独島紛争を生んだと考えているようですから、密約の意味を深く考えてはいませんね。これからこの本を読む韓国人たちの反応を象徴しているのかも知れません。
 
 密約の存在は韓国の竹島領有権が正当なものではないことを示しているから、「ドクトヌン・ウリタン」と叫ぶ韓国人は、「そんな密約はあるはずがない」と存在を全否定すべきですね。
 
 
 
 

密約の存在を否定した政府答弁書

平成19年3月20日提出
質問第135号

竹島問題をめぐる日韓密約に関する質問主意書

提出者  鈴木宗男


竹島問題をめぐる日韓密約に関する質問主意書

一 密約は認められると外務省は認識しているか。

二 竹島問題をめぐり日本と韓国の間で密約が締結されたことがあるか。

三 2007年3月20日付読売新聞朝刊が、「『竹島領有 日韓が密約』韓国誌報道 1965年 双方が主張黙認」との見出しで、「19日に発売された韓国の月刊誌『月刊中央』は関係者の話として、竹島(韓国名・独島)の領有権を巡って日韓が1965年1月、自国の領土と主張することを互いに黙認し合う密約を交わしていたと報じた。
 同誌によると、建設相時代に密約交渉を担当していた河野一郎氏の特命を受けた宇野宗佑自民党議員(後の首相)が訪韓し、韓国の丁一権首相(当時)に「解決せざるをもって解決したとみなす」と記された密約文書を渡した。朴正熙大統領(同)も承認したという。同年6月に調印された日韓基本条約で竹島問題について触れないことも合意していた。
 密約文書には、①日韓両国がともに竹島を自国の領土と主張することを認め、反論に異議を提起しない②韓国が竹島を占拠している現状を維持するが、韓国は警備員の増強や新施設の建設は行わない-などの付属条項が含まれていた。
 韓国で保管されていた文書は朴正熙大統領の暗殺後、全斗煥大統領が燃やしたという。当時の関係者の一人は本紙に対し、密約文書の存在を認め、『日韓基本条約調印を実現するために編み出した知恵だった』と話している。」
との記事を掲載していることを外務省は承知しているか。

四 2007年3月19日に発売された韓国の月刊誌「月刊中央」に掲載された竹島問題に関する記事(以下、「記事」という。)が公電で外務省に到着した日時分を明らかにされたい。

五 「記事」の全容を明らかにされたい。

六 四の公電は山田重夫外務省アジア大洋州局北東アジア課長に配付されているか。

七 「記事」に関する対外応答要領を外務省は作成したか。作成したならば、その内容を明らかにされたい。

八 1965年に河野一郎氏の特命を受けた宇野宗佑自民党議員が訪韓し、韓国の丁一権首相に「解決せざるをもって解決したとみなす」と記された密約文書を渡したという事実があるか。

九 竹島の領有権をめぐる密約問題について、外務省は真実を国民の前に明らかにする用意があるか。

 右質問する。





平成19年3月30日受領
答弁第135号

  内閣衆質166第135号
  平成19年3月30日

                    内閣総理大臣 安倍晋三

  衆議院議長 河野洋平 殿

  衆議院議員鈴木宗男君提出竹島問題をめぐる日韓密約に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。


  衆議院議員鈴木宗男君提出竹島問題をめぐる日韓密約に関する質問に対する答弁書

一、二及び九について

  我が国としては、大韓民国による竹島の不法占拠は、竹島の領有権に関する我が国の立場に照らし受け入れられるものではないとの立場に基づき、竹島の領有権の問題の平和的な解決を図るため、従来より外交努力を不断に行ってきているところであり、このような我が国の立場に反する約束を両国間で秘密裡に行うようなことは当然認められず、御指摘の「密約」が我が国と大韓民国との間で行われたとの事実はない。

三について

  御指摘の報道については、外務省として承知している。

四について

 御指摘の公電は、平成19年3月20日午前6時25分に外務省において受信した。

五について

 御指摘の「記事」は、大韓民国で発行されている月刊誌「月刊中央」に、同誌編集委員が執筆したものとして掲載されている。この「記事」によれば、河野一郎国務大臣(当時)と丁一権大韓民国国務総理(当時)との間で、竹島問題に関し、「解決せざるをもって解決したとみなす。したがって条約では触れない。」とする「秘密協定」が署名されており、これには、「竹島は今後、韓日両国が自国の領土であると主張することを認め、同時にこれに反論することには異議を提起しない。将来、漁業区域を設定する場合、両国が竹島を自国領土とする線を確定し、二つの線が重複する部分は共同水域とする。現在、韓国が占拠している現状を維持する。しかし、警備員を増強したり、新しい施設の建築や増築は行わない。両国はこの合意を引き続き守っていく。」との「附属条項」が付されていたとされている。
  同「記事」は、このような内容のほか、1965年1月、ソウルにおいて、宇野宗佑衆議院議員(当時)が丁一権大韓民国国務総理(当時)にそれらの文書を渡したとされていることを含め、それらの文書が署名されるに至った経緯等に関し、先に述べた編集委員が金鍾珞氏から聴取したとされる事項等を基に記述されている。

六について

 御指摘の公電は、お尋ねの課長に配付されている。

七について

 外務省として、御指摘の報道に係る事実関係等を内容とする対外応答要領を作成した。

八について

 政府として把握している限りでは、御指摘の事実は確認されていない。





日本政府は密約を否定

◇竹島問題「密約ない」=政府答弁書

  政府は30日午前の閣議で、日本と韓国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)に関し、1965年1月に日韓双方が互いの主張を黙認する趣旨の密約を結んでいたとする韓国誌の報道を否定する答弁書を決定した。 鈴木宗男衆院議員(新党大地)の質問主意書に答えた。

  答弁書は「韓国による竹島の不法占拠は、わが国の立場に照らし受け入れられるもの
ではない。平和的な解決を図るため従来より外交努力を行っている」と強調。 その上で「わが国の立場に反する約束を両国間で秘密裏に行うことは当然認められず、『密約』の事実はない」としている。

時事通信 2007/03/30
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007033000439 (リンク切れ)

密約の成立

<密約の成立>

  韓国の大統領府(通称青瓦台)の後方にある低い山を越えると城北洞という町がある。昔から富豪や権力者達の邸宅が立ち並ぶところだ。静かな山には昔は雉が沢山いたらしい。「雉の海」という名のある路地を登ると朴政権の時栄えた「汎洋商船」のオーナーの邸宅がある。朴政権が終わった後自殺によって故人になった朴健碩(パク・コンソク)の自宅だ。 韓国では朴健碩より彼の弟の朴東宣(パク・トンソン)が有名だった。朴政権の時ワシントンのワォーターゲート・ホテルを本拠地にし、米国政治家達に巨額の賄賂を撒き散らしたワォーターゲート・スキャンダルの主役だった。

  嶋元によると、その邸宅のホーム・バーで河野と丁一権の間の全ての秘密取り決めが行われた。丁一権と同郷出身で親友である朴健碩の邸での秘密打ち合わせにいつも顔を出したのは、河野の密使である宇野、韓国側から丁総理、金鐘珞、文徳周(ムン・トクジュ)外務次官の3人、そして斡旋役の嶋元の合計5人だったと嶋元は証言する。金鐘珞の話によると、宇野の役割はあくまても河野の趣旨がきちっと伝えるかを確かめることで、自分の意見を述べることはなかった。

  64年の暮れにソウルに来た宇野は、日韓正常化条約の主要項目について河野・ 金鐘珞折衝で大体固まった取り決めの内容を丁に言い伝えた。そばには金鐘珞本人と嶋元がいった。金鐘珞の記憶では、その時点で竹島・独島問題を除いて主な議題については合意が済んであった。佐藤政権の反対を切って、韓国が朝鮮半島での唯一合法政府であるという項目を自分が勝ち取ったと、金鐘珞は誇る。日韓関係においての昔の条約の無効化時点ついては、「もはや」という一つの副詞で片付けるアイディアを出したのは河野だった。その案を聞いて、朴大統領は「さすが河野先生だ」と感心したと金鐘珞は伝える。

  しかし、残りは竹島・独島であった。14年間の日韓会談で折り合いができなかったこの問題において、韓国側の一貫した立場は「独島はわが領土で紛争の対象にならない」ということだった。その上に、朴政権が加えたスタンスが「独島の話は国交正常化の後」だった。政権の生命線である経済5ヵ年計画を進めるために日本からの資金が絶対必要だった朴政権は独島と李ラインについて強行姿勢をとるのを恐れた。一方、自民党政権は一貫して竹島問題を国際紛争に位置づけ、国際裁判所に付するという立場を守った。

  竹島問題で取り決めが膠着状態になったことを河野に報告した宇野はすごく叱られ直ぐ東京に戻ったと、金鐘珞は記憶する。ソウルからの報告は秘密保持のためいつもソウルの龍山にある米軍基地のホット・ラインを使った。嶋元によると、受話器を取ると直に東京が出る情報系統の電話だった。宇野がソウルにきたらいつも同行した特派員嶋元の車には朴大統領の警護室長が「8282」というナンバー・プレートを用意してくれたという。8282(パリパリ)は韓国語読みで「早く早く」を意味する。

  宇野をソウルから急遽呼び戻した河野が東京で金鐘珞と顔を会わせた時、季節は既に65年の正月に入っていた。当時金鐘珞はソウルと東京を随時に往来し、日帰りで往復したことも多かった。アメリカのジョンソン大統領との会談のため佐藤首相は10日に出発することになっていた。ジョンソンとの会談で日韓の国交正常化は済んだということを確認するのは佐藤にとって絶対条件だった。それをクリアするのが河野の仕事であって、政敵佐藤に失敗したと報告するのは河野のプライドが許せないし、自分が首相になる道にさらばを告げることだった。

  そこで河野、宇野、金鐘珞の3人が頭を絞って打ち出した案が「未解決の解決策」であった。当事者達が「河野の名案」と賞賛したが、金鐘珞は「実は自分が」出したという。いずれにせよ、この案は日韓両側に都合のよい案だった。韓国側としは、「独島の話は正常化の後」という既存の立場にぴったり会うものだった。日本側としは、解決策が見えないものを「棚上げ」して置くのはそう悪い話ではない。また、「密約」というは世界どこの国より日本で愛用された政治商品だった。

  竹島について合意に達した河野は宇野と金鐘珞を急遽ソウルに行かせた。それで、丁総理以下当事者達が朴健碩邸のホーム・バーで集まったのは1月10日だった。その場にいた嶋元の記憶によると風景は次のようだった。宇野は河野が用意した紙を出して丁に読み伝えた。無論、日本帝国陸軍の将校だった丁は日本語をよく分かっていた。嶋元によると、河野が用意した紙は、A4の普通の洋紙に文字をタイプした4-5枚だった。密約文とも言える紙を原本のみだった。その場で、メモを取った嶋元の記録によると、竹島に関する内容は次のように大きな原則と4つの条項がつけられていた。



    竹島・独島問題は、解決せざるをもって、解決したとみなす。従って、条約では触れない。

  (イ) 両国とも自国の領土であると主張することを認め、同時にそれに反論
  することに異議はない。

  (ロ) しかし、将来、漁業区域を設定する場合、双方とも竹島を自国領として
  線引きし、重なった部分は共同水域とする。

  (ハ) 韓国は現状を維持し、警備員の増強や施設の新設、増設を行わない。

  (ニ) この合意は引き継いでいく。




  河野との交渉内容の詳細を金鐘珞はすでに朴大統領に報告していた。東京にいる時には、外務部ではなく、当時ソウル真中の南山にあった中央情報部を通じて報告し、緊急や極秘事項についてはソウルに飛んで来て直接に相談した。従って、竹島密約についても朴大統領は宇野の言い伝えの時点で既に承知していた。それで朴健碩邸での会合の翌日の12日には朴大統領の裁可が降りた。

  それをもって宇野と嶋元は龍山の米軍基地へ飛び入って河野に伝えた。「オヤジ、やりました」。その一報を貰って、河野は直ぐアメリカに電話を掛け佐藤に日韓正常化のため全ての整地作業が終わったということを報告。それが12日の夜で、ワシントンの時間ではまた12日朝の佐藤・ジョンソン会談が始まる寸前だった。それで、13日の「佐藤・ジョンソン声明」には、「アジアの平和と進歩」を宣言しながら中国やベトナムの問題を言及することがあっても韓国については一言も出ないわけである。



◇ロー・ダニエル氏/文藝春秋2007/9号記事元本
http://daniel-roh.net/board/lib/down.php?db=board4&number=1&fname=Takeshima_Mitsuyaku.doc

竹島密約

<韓日協定締結の5カ月前に「独島密約」あった>

中央日報 2007.03.19

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=85628&servcode=200§code=200


  42年間も迷宮入りしていた韓国と日本の「独島(日本名・竹島)密約」の実体が表れた。 「月刊中央」は19日発売された創刊39周年記念4月号で、「韓日協定締結5カ月前の1965年1月11日当時、日本建設相・河野一郎の特命を受けてソウルを訪問した宇野宗佑自民党議員が城北洞(ソンブクドン)の朴健碩(パク・コンソク)汎洋商船会長の自宅で丁一権(チョン・イルクォン)国務総理に会い、‘未解決の解決’を大原則に全4項からなる独島(ドクト、日本名・竹島)付属条項に合意した」と暴露した。「月刊中央」は特に「その独島密約は翌日の1月12日に朴正煕(パク・ジョンヒ)大統領の裁可を受け、これを知った宇野議員は13日、その間秘密維持のために利用してきた竜山(ヨンサン)米軍基地から日本の河野建設相に電話でこの事実を知らせ、河野はこれを当時訪米中だった佐藤栄作首相に伝えた」と明らかにした。

  この過程で核心の役割を果たした人物は金鍾泌(キム・ジョンピル)元総理の実兄、金鍾洛(キム・ジョンラク)当時韓一(ハンイル)銀行専務であることが明らかになった。 金鍾洛氏(88)は韓日協定の屈辱交渉反対集会に対する責任を負い、外遊に出た弟・金鍾泌当時中央情報部長の‘代打’として、朴正煕大統領の絶対的信任を受け、独島問題解決に乗り出した。 金鍾洛氏は今回の独島密約を探査追跡した「月刊中央」客員編集委員ノ・ダニエル博士とのインタビューで、「韓国と日本が独島問題を‘今後解決すべものとしてひとまず解決と見なす’というアイデアは自分が出した」と述べたうえで、「こうして独島密約は結ばれ、当時の朴正煕軍事政府は韓国が韓半島の唯一の合法政府という明言を日本から受けること、経済開発に必要な経済協力資金の確保という2つの問題をともに解決したことになった」と明らかにした。キム氏は特に「朴正煕大統領が暗殺された後、全斗煥(チョン・ドゥファン)氏が政局を主導し始めながら、大きな問題になる可能性があったため、写本が一つもない独島密約文書を燃やしてしまった」とし、「そこにはソウルと東京を行き来する飛行機内で休まず清書した記録も含まれていた」と告白した。

  「月刊中央」が韓国と日本の生存者証言と資料を踏まえて追跡した独島密約は、「解決せざるをもって、解決したとみなす。従って、条約では触れない」という2文を中心に、「(1)独島は今後、韓日両国ともに自国の領土と主張することを認め、同時にこれに反論することに異議を提起しない(2)将来、漁業区域を設定する場合、両国が独島を自国領土とする線を画定し、2線が重複する部分は共同水域とする(3)現在韓国が占拠した現状を維持する。 しかし警備員を増強したり新しい施設の建築や増築はしない(4)両国はこの合意をずっと守っていく」という4つの付属条項を付けていた。

  これに関連し、当時読売新聞ソウル特派員として独島密約のため丁一権-河野の連結に決定的な役割を果たしたシマモト・ゲンロウ(80)は「1965年初め、汎洋商船の朴健碩右会長の自宅で宇野宗佑議員が丁一権総理に独島密約文書を渡す席に出てきて、金鍾洛、文徳周(ムン・ドクジュ、当時外務次官)の3人がいた」と証言した。韓日協定の障害物除去のために結ばれた独島密約はさる42年間、韓日両国間で絶妙にも文句その通りに守られてきた。 韓国が独島を占有した状態でお互い自国の領土と主張し、相手に対する反論を提起しているのがまさにそれだ。 ただ、金泳三(キム・ヨンサム)政権当時、独島に新たに接岸施設を建設したことで、「新しい施設や建築または増築はしない」という約束が初めて破られた。

  独島密約の実体を追跡取材したノ・ダニエル博士は「韓国と日本が外交公式ラインを排除したまま私的チャンネルを通じて独島問題を妥結しなければならなかった全過程が明らかになった」とし「韓日関係正常化の過程で兄の金鍾洛氏は独島、弟の金鍾泌元総理は経済協力資金をそれぞれ受けて締めくくった金氏兄弟の秘密の動きに妙なアイロニーを見ることができた」と語った。

  今年5月、今回追跡した「独島密約」の全貌を日本でまず単行本で出した後、韓国語で出版する予定だ。


金相軫(キム・サンジン)「月刊中央」記者 <kine3@joongang.co.kr>

プロフィール

Chaamiey

Author:Chaamiey
別名 茶阿弥
男性 熊本県在住
写真は元飼い猫のちゃあみぃ

最新記事
最新コメント
カレンダー
03 | 2021/04 | 05
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
来訪者数
カテゴリ
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR