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歴史的権原の判断 6

4) 小結
  歴史的推論を活発に試みて、歴史的凝固の概念を積極的に活用して歴史的権原を導き出す反対意見の接近方式にも大きな長所はある。特に国際法理論の観点では、近代国際法が誕生する前の時期や国際法が当初主舞台としたヨーロッパ以外の地域の領域主権を国際法の枠組みで説明できるようになるという魅力的な意味がある。権原の取得に主に焦点を合わせる先占、割譲、時効、符合などの様式論とは違って、権原の形成過程を動態的、複合的に捕えて説明を尽くすことができるという機能も断然引き立って見える。
  しかし、歴史的権原の概念が国際法理論的領域で有用性と意義が大きいとしても、裁判の準則として使われる局面でも必ずそうであったわけではない。裁判は誤った判断の時は当事国に大きな損害を加えるので、何よりも正確性が生命だ。不確かな推測や推論で誤った判断の危険を育てるよりも、慎重な態度で判決の誤りを減らそうとする接近方式が望ましい。多数意見が裁判所は歴史的事実の判断を尽くす専門性が不足しているという点に言及したとすれば、それもこのような脈絡であっただろう。専門性の不足にも拘わらず、必要ならば裁判所は歴史的権原を判断しなければならないが、その場合にも裁判所が歴史的推論を積極的にしなければならないのか、あるいは慎重でなければならないのかを決めるに当たっては、裁判所が果たして歴史的事実を正確に把握し尽くす能力があるかという問題が重要な判断根拠になるほかはない。
  先立って反対意見も言及したように、裁判官は歴史学者でもなく、裁判所が長期間にかけて歴史を緻密に研究できる条件を備えているのでもない。裁判官はもちろんだが、歴史学者でさえも永い歳月にわたる膨大な歴史の真実を明確にするのは決して容易なことではない。国内の裁判では、証拠と証人が存在していても、契約の存否だとか暴行の有無などとてもささいな基礎的な事実さえ確認が難しいことが少なくない。まして証人が存在することもなく、十分な証拠がないのが通常である数百、数千年前の領域主権の様相を裁判所が正確に推論し尽くすということは、現実的にかなり難しい。
  反対意見が試みたように権力の興亡盛衰から領域主権を判断することも、それ自体が色々な論理的問題を内包している。まず、多様な側面を同時に抱えている歴史と権力の興亡盛衰を極めて単純化して把握すること自体が真相を歪曲することにもなり得る。また、一つの国家の歴史や権力の政治的興亡盛衰が、直ちに特定の領域に対する法的権原の変動と直結されるものでもない。権力の興亡盛衰は支配領域を具体的に特定せずとも議論できるが、領域主権は該当領域が具体的に特定されることを前提とする。したがって、ある権力がある地域を概括的に統治したと言っても、その地域の範囲が具体的にどうだったのかは相変らず別に証拠をもって突き詰めなければならない問題として残ることになる。
  この事件において、反対意見は、カタール半島西海岸に関する議論がそのままハワル諸島に適用されるということを当然の前提として、カタール半島西海岸で展開した権力関係の様相を推論した結果をそのままハワル諸島の領域主権に代入している。しかし、ハワル諸島がカタール半島西海岸の一部を構成するといっても、半島全般で展開した状況が必ずハワル諸島に対して同様に展開したと見る根拠はない。このように、巨大な談論を論証の対象とすることになれば、論理的な弱点が数えきれないほど現れて来ることになる。反対意見は全ての歴史的分岐点は国際条約によって区分されるとしたが、条約の形でなくて成り立つ重要な歴史的行為はいくらでもある。 条約やその他の記録が残っていないからといってその頃歴史的に重要な事情は無かったと断定することもできないのだから、記録が残っている部分だけを連結して歴史的事実関係を推論するのも真実を歪曲することになり得る。
  要するに、歴史的権原の概念は、学術的には領域主権を後押しする事態を動態的、複合的に国際法の枠組みで表わせるようにして、ヨーロッパ以外の地域の領域主権を説明することができるという重要な意味がある。しかし、裁判の準則として過度に積極的に使われる場合、事態を過度に単純化させて真相を歪曲する可能性があって、結果的に誤った判断を招く危険がある。歴史的推論に対して消極的立場を見せた対象判決の多数意見や既存のMinquiers and Ecrehos判決、Land and Maritime Boundary between Cameroon and Nigeria判決など基準の国際判例が見せた立場もこのような考慮を基礎にしているものと見られる。

Ⅴ. 結び
  領域主権帰属紛争の訴訟は国際公法の裁判中でも最も重要な裁判だ。このような訴訟において、当事国はしばしば歴史的権原が自国側にあると主張する。そういう主張は現実的、政治的、外交的に強力なメッセージを投げかける。自国が最も古くから、最も長い年月、その領域を支配できる正当性を保有して来たという主張と違わないからだ。当事国が国際裁判で歴史的権原を主張する場合、裁判所はどう判断すべきなのか。他の権原よりもまず先に判断しなければならないのか、必ず判断すべきことなのか、判断するならばどんな方法で判断しなければならないのか。
  このような問題は、歴史的権原に特別な法的性格が認められるのかというような実体法的問題と、裁判所は歴史的権原をいかなる順序と方式で判断しなければならないのかという手続き法的問題が交叉する地点だ。これは学問的にだけでなく、実務的にも訴訟の勝敗に実質的な影響を与える重要な争点だ。このような問題について裁判所から明らかな答を得られなければ領域紛争の当事国も混乱に陥るほかはない。この問題について、対象判決の反対意見は裁判所は歴史的権原をまず先に判断しなければならないと強力に主張しつつ、歴史的権原を判断する場合、歴史的凝固の概念を頻繁に活用して積極的で包括的な歴史的推論をして見せた。先に述べたように、反対意見のこのような立場はそれなりの合理性があって、国際法の理論上でも大きな意義と魅力を持つことができる。しかし、裁判の準則として用いられる場合には歴史的権原の機能の限界が少なく無く、過度に積極的に用いられる場合、真相を歪曲して誤った判断を招く危険性もある。
  歴史的権原という概念を裁判の基準として用いるに当たっては色々な制約が存在するといっても、これを学術的にも無用だとか止揚しなければならない概念だと見るわけではない。歴史的権原の概念を動員すれば、国際法が確立されるより遥か以前の時期の国家間領域主権の様相や、国際法誕生の中心地である西ヨーロッパではないアジア、中東、アフリカ、アメリカなどの伝統的な領域主権の様相を国際法の枠組みで議論できて、その具体的様相を動態的、総合的に新たに説明することができるためだ。
  それでも、現在の歴史的権原の概念は国際法の判決例でたびたび言及される反面、学術的には研究が不充分な状態だ。歴史的権原の本質、定義、要件、効果、領域法上の位置、他の法理との関係について判例や学説は沈黙している。判例が歴史的権原という概念をしばしば使いながらもこのようにその法的性格を不明確なまま放置することは、領域紛争を体験する国家間に混沌を招いて領域法の秩序を不安定にする結果を招く。歴史的権原の本質や機能に関する研究がより一層深層的に行われなければならない理由だ。
(終)

歴史的権原の判断順序と判断方式
Maritime Delimitation and Territorial Questions between Qatar and Bahrain判決の反対意見を中心に
チョン・ジェミン/前判事、前外交部領土法律諮問官
 『領土海洋研究』 第15巻 2018.07.02 p48
東北亜歴史財団独島研究所


<コメント>
 国際法の難しい本など読むことは無いので、この論文で多少のことを勉強できたのはありがたい。

 竹島の場合、韓国側は歴史的なことがらを多々主張して来ることになるのだろうが、それはこの論文で紹介された反対意見と似たようなものになるだろう。つまり、「対象判決の反対意見は裁判所は歴史的権原をまず先に判断しなければならないと強力に主張しつつ、歴史的権原を判断する場合、歴史的凝固の概念を頻繁に活用して積極的で包括的な歴史的推論をして見せた」という形だ。

 だが、幸いに国際司法裁判所の現状ではそういう考えは採用されておらず、マンキエ・エクレオ判決の「裁判所の立場で決定的に重要なのは、中世にあったできごとについての間接的な推論ではなく、紛争対象の島々の占有に直接に関連する証拠だ」という考えが主流だ。

 そういう証拠なら日本側はいろいろと提出できるのに対して、韓国側には何もない。だから、もし裁判が行われる場合、裁判がごく普通に正常に行われるならば日本が圧倒的に有利なはずだが、現にこの論文で紹介されたような反対意見を持つ裁判官もいるのだから、油断はできない話です。



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歴史的権原の判断 5

3.検討
1) Minquiers and Ecrehos判決の原則
  既存の判例の立場は、反対意見とは違って積極的な歴史的推論に否定的だ。逆に、該当領域に対する直接的な占有に関連する証拠を中心に判断している。Minquiers and Ecrehos判決が代表的なものだ。この判決で、国際司法裁判所は、「英国の歴史的推論に一理はあるが、それだけでは紛争群島の領域主権を確定的に定めることはできず、この問題は窮極的に占有に直接的に関連する証拠に基づいて判断しなければならない」と宣言(注34)して、「裁判所の立場で決定的に重要なのは、中世にあったできごとについての間接的な推論ではなく、紛争対象の島々の占有に直接に関連する証拠だ」(注35)と判示した(注36)。

2) Frontier Dispute (Burkina Faso/Mali) 判決の基準
  反対意見がFrontier Dispute (Burkina Faso/Mali) 判決が提示した権原とeffectivitesの関係に対する判断基準を歴史的権原にそのまま適用することが可能なのか疑問だ。 Frontier Dispute (Burkina Faso/Mali) 判決がeffectivitesとの関係で言及する「権原」という用語は、その意味が「歴史的権原」のような実体的権利ではなく証拠資料を指すものだからだ。 Frontier Dispute (Burkina Faso/Mali) 判決は、「権原」という用語はある権利の存在を立証する証拠とその権利の実際的源泉の二つを指すと前提においたが、脈絡上、上の判決が権原とeffectivitesの関係に関する四種の場合をいう時の「権原」は、このうちの前者の「証拠」を指す言葉として用いたように見える(注37)。しかし、通常、「歴史的権原」は後者の「権利の実際的源泉」に近いものだ。


(注34) Minquiers and Ecrehos (France/United Kingdom) Judgment, p.55
(注35) Ibid p.57
(注36) 反対意見は積極的な歴史的推論を許容する立場に立ちながらも、その根拠としてMinquiers and Ecrehos判決に言及して、「国際司法裁判所が多くの事件において必要な場合、歴史的な細部の事項を貫く分析を実施するのに躊躇しなかったということを観察するのは興味深い。例えば、Minquiers and Ecrehos事件で、裁判所は広範囲ながらも非常に詳しく数多くの政府活動の顕示の証明力を比較衡量した」としたが、この判決の趣旨に照らせば、この判決を例示に挙げたのが適切であったかは疑問だ。 Ranjeva and Koroma,Joint Dissenting Opinion of Judges Bedjaoui,p.176, para 98
(注37) Judgment, I.C.J. Reports, 1986, Frontier Dispute (Burkina Faso/Mali), p. 564.

3) 歴史的凝固理論
  反対意見は、歴史的凝固理論を主に主張して一時国際法学界で大きな反響を起こしたビショー(Charles de Visscher)の「歴史的発展の全体的観点からeffectivitesを評価しなければならない」という言葉を引用した。併せて、具体的に歴史的権原の判断を試演するに当たっても「歴史的凝固」という概念を何度も用いた。例えば、「19世紀の間、バーレーンは相対的に衰弱してバーレーンのカタール西海岸に対する権利の主張を英国が止めて、カタールのシャイフたちはカタール半島に対する権原を形成して凝固することができた」(注38)とか、「オスマン帝国がカタール半島を掌握するのに反対しなかった英国の行為は、疑問の余地なくカタール半島と付属の島々に対するカタールの権原を凝固させた」(注39)、「バーレーンは、このような沈黙で、カタールがハワルおよびツバラ地域に対する権原を凝固させて他の列強諸国からその権原の承認を受けることを防ぐことができなかった」(注40)、「1916年カタールのアル・タニ(Al-Thani)部族のアブドラ(Abdullah)シャイフがカタール全体を代表して英国と協定を締結し、カタールがバーレーンと対等な関係の承認を受けることによってその権原が確定的に凝固した」などとした(注41)。
  このように、反対意見は「凝固」という概念を用いて、歴史的事実から直接に特定の国家の完成された権原を推論するのでなく、歴史的流れを巨視的に展望しつつ、権原の形成から漸進的凝固を経て確定的凝固に至る過程を段階的に推論した。関連国であるバーレーン、カタール、英国、オスマン帝国の間の歴史的事実と、特にこれら各国の間で締結された条約の解釈を通じて当時の関連国の間の権力の行使範囲と限界を推論して、再びこれを根拠として権原の凝固過程を推論した後、再びこれを根拠としてハワル諸島に対するカタールの権原の存否を宣言したわけだ。

(注38) Ranjeva and Koroma, Joint Dissenting Opinion of Judges Bedjaoui, pp. 177~178, paras. 102~103
(注39) Ibid pp. 182~183, paras. 116~117
(注40) Ibid p.183, paras. 118~120
(注41) Ibid pp.187~188, paras. 133~136

  歴史的凝固という概念は、Anglo-Norwegian Fisheries判決で初めて登場した(注42)。この判決に裁判官として参加したベルギー出身の学者ビショー (Charles de Visscher) は、上の判決の直後である1953年に出版した著書Theorie et realites en droit international public (注43)において「歴史的凝固」という概念を理論的に提示した(注44)。この歴史的凝固という概念は領域主権を動態的、複合的に説明できるので、既存の先占、時効、割譲など領域主権の取得に重心を置いていたいわゆる様式論に比べて明確な長所があった。しかし、国際司法裁判所は歴史的凝固の概念を否定的に評価した。
Land and Maritime Boundary between Cameroon and Nigeria判決(2002)は、ナイジェリアの歴史的凝固の主張を棄却して、歴史的凝固という概念が領域紛争で用いられたことはなく、歴史的凝固理論は非常に論議が多く、非常に重要な事実及び法的変数を考慮する国際法上確立された領域取得の形式に代わることはできないとしたのだった(注45)。反対意見がそうであるように、歴史的推論を積極的にしようという立場は歴史的凝固理論を肯定的に評価しやすい。歴史的凝固という概念を動員すれば歴史的推論がはるかに容易になるためだ。反対に、歴史的推論に慎重な立場を取って該当領域の占有ないし実効的支配の実績をより重視する立場は、歴史的凝固理論を否定的に評価しやすい。このような側面でMinquiers and Ecrehos判決とLand and Maritime Boundary between Cameroon and Nigeria判決は一脈相通じる。

(注42) 裁判所は、ノルウェーの1869年及び1889年の勅令に対して英国を始めとする他の国家が60年余りの間何の異議も提起しなかったという事実を認めた後、それを根拠としてこの直線基線体制が一般的寛容(general toleration)の恩恵を受けることができ、この一般的寛容は他の全ての国家に強制できる「歴史的凝固」の根幹だと見た。 I.C.J. Reports、1951,Fisheries case,Judgment of December 18th 1951、p.138
(注43) この著書は1957年と1968年にP.E. Corbettが英文に翻訳してTheory and reality in public interna tional law、Princeton University Pressとして出ているので、本研究では1968年の翻訳本を引用する。
(注44) Charles de Visscher、1968,Theory and reality in public international law、Princeton University Press、p.209。彼は歴史的凝固が黙認だけでなく充分に持続した反対の欠如によっても成立するとしつつ、後者の反対の欠如に関しては、陸上領域の場合には紛争に関連する国家の反対の欠如を、海洋領域の場合には一般的諸国家の反対の欠如を意味するとした。
(注45) Judgments, I.C.J. Reports, 2002, Land and Maritime Boundary between Cameroon and Nigeria (Cameroon v. Nigeria: Equatorial Guinea intervening)、p.352. para. 65




歴史的権原の判断 4

Ⅳ. 歴史的権原の判断方式
  先ほど述べたように、歴史的権原を一番最初に判断しなければならないかということに対して否定的な立場を取っても、歴史的権原が判決の結論に影響を及ぼす主要な争点になった場合にはこれを判断しなければならない。問題はどのように判断するのかだ。何かの微視的事件の存否を判定するのではなく歴史を判断するにおいては、そのスケールが大きくて証拠資料が不足するほかはないので、意味ある結論を導き出すためには歴史的推論が広範囲に介入する外は無い。ここで、歴史的推論をどれくらい積極的に許容するかによって、大きく二種類の方式に区分することができる。すなわち、一つは歴史的推論を幅広く許容して巨視的な歴史的観点から歴史的権原を抽出する方式で、もう一つは、該当領域の占有に直結する事情だけを根拠あるいは証拠として、当事国間の実効的占有の実績を比較する方式だ。反対意見は前者の方式を主張したが、以下ではこの立場の妥当性を批判的に検討して見ようと思う。

1. 反対意見の方法論的原則
  反対意見は、基本的に、裁判所は積極的かつ包括的に歴史的推論ができなければならないという立場だ。このような立場から、反対意見は、対象判決が歴史的事実を一次元的に単純羅列するばかりで、そこから法的結論を導き出さなかったとしながら、それは一般的な論理的推論の観点から有用ではないと批判した(注20)。反対意見は、さらに、裁判所が領域紛争を解決するためには、関連の歴史的事実を統制して、解釈して、法的意味を付与することによって法的結論を導き出さなければならないと強調した(注21)。

(注20) Ranjeva and Koroma, Joint Dissenting Opinion of Judges Bedjaoui, p.175. para.96。「したがって、本判決が歴史的事件を繰り返したり一次的に羅列しただけで、それが裁判所の役割であるのにそこから法的結論を導き出さないのは遺憾だ。本判決の歴史的記述は単線的な事件の羅列に過ぎず、それが一般的な論理的推論の観点からも役に立ったものか疑問を感じる。すなわち、本判決は両国の歴史的権原に関して薄いエックス線写真のように一次元的なスキャン写真を提供するだけで、ハワル諸島の歴史的権原を確定してその保有者はどちら側なのかを決めることが抜けていて、それは相変らずの課題として残された。」
(注21) Ibid ., pp. 175~176. para. 97

  反対意見は、歴史的権原とeffectivitesの関係についても具体的な基準を提示した。まず、次のとおり歴史的発展の全体的観点からeffectivitesを評価しなければならないという歴史的凝固理論を主唱したビショー(Charles de Visscher)の言葉を引用したり、広範囲かつ詳細に政府活動の顕示を比較衡量したMinquiers and Ecrehos判決に言及した(注22)。併せて、反対意見はFrontier Dispute (Burkina Faso/Mali) 判決が提示した権原とeffectivitesの関係についての判断基準を歴史的権原にそのまま適用しつつ、この基準がeffectivites、歴史的権原及び法的権原の間に存在する弁証法的関係の構造を樹立したと評価した(注23)。その判断基準は、権原とeffectivitesの関係を次の四種類の場合に分けている(注24)。
① 権原とeffectivitesが互いに符合する場合: 現実の状況が法的権原から派生する権利の行使を確証するので、裁判所が決定を下すのに何の問題もない。
② 権原とeffectivitesが互いに符合しない場合: 権原が優先する。裁判所としては特別な困難無く、通常effectivitesより権原に優先順位を付与しなければならない。
③ 領域主権の証拠としての権原が不明な場合: effectivitesがその権原を解釈するのに重要な役割をする。この場合effectivitesは権原と結びついて権原に真の姿を付与することによって裁判所が決定を下す助けになる。
④ 権原が不存在の場合: この場合、裁判所がより積極的な関与を要求するが、ここでeffectivitesが絶対的に重要な役割をして、一種の残余(residual)権原を構成する。
  反対意見は、国際判例が歴史的事実と行為に対し法的結果を付与するまた別の規則と原則を発展させて来たとして、他の判決で提示された権原の成立要件が歴史的権原に適用されると見た。その例として、Legal Status of Eastern Greenland判決で提示された権原の要件である実効的占有のような客観的要件 (corpore possessio) と主観的要件 (animus possidendi) が必要だとした判示を挙げた(注25)。


(注22 Ibid、p.176. para.98。「司法作用の一環として、裁判所は国家権力が特定領域に対して過去に行使してきた権限の顕示を秤に掛けなければならない。実際に作動したeffectivitesを区別して歴史的権原を形成する凝固の程度を分別し遂げるのは、歴史の横糸と縦糸の中で可能だ。 このような作業は本質的に司法的なものであり、歴史的資料に実際に適用することは容易ではないが、それでもこれを断念してはいけないのだ。ビショー(Charles de Visscher)は次の通り述べた。“国際裁判官は、正確に年代順に描写することが不可能な遠い過去の歴史的起源で曖昧になる状況を扱うために、しばしば取り組まなければならない。経験的に見る時、歴史的発展の全体的な観点からeffectivitesを評価する必要がある”。このような司法的作用を実行するに当たって、国際司法裁判所が多くの事件で必要な場合に歴史的な細部事項を貫く分析を実施することを躊躇しなかったということを観察するのは興味深い。例えばMinquiers and Ecrehos事件で、裁判所は広範囲ながらも非常に詳しく数多くの政府活動の顕示の証明力を比較衡量した。」
(注23) Ibid pp.176~177、para. 99
(注24) Judgment、I.C.J. Reports、1986、Frontier Dispute (Burkina Faso/Mali) p.587
(注25) Ranjeva and Koroma, Joint Dissenting Opinion of Judges Bedjaoui , p. 177, para. 100

2 反対意見の歴史的権原判断の試演
  反対意見は、ハワル諸島一帯をめぐる歴史的事実を整理して歴史的権原の存否と帰属を判断した。バーレーンを支配したアル・ハリファ(Al-Khalifa)王朝とカタールを支配したアル・サニ(Al-Thani)王朝が当初どこからどのように由来したのかから始めて(注26)、相互の間の戦争と英国及びオスマン帝国による支配の時代をたどりながら、両部族の権力関係や権力が及ぼす範囲がどのように変遷したかをハワル諸島に及ぼす影響力を中心に論じた。それで、反対意見は、重要な歴史的事実関係を確定した後、その歴史的段階ごとに歴史的権原の凝固の程度や形成の有無を次のとおり一々評価した。

- 「19世紀の間、バーレーンが相対的に衰弱して、バーレーンのカタール西海岸に対する権利の主張を英国が止めて、カタールのシャイフたちがカタール半島に対する権原を形成して凝固することになった。」 (注27)
- 「1867年にはカタールの人ベドウィン(Bedouin)をバーレーン当局がカタールで逮捕してバーレーンの法廷に立たせたことがあった。すると、それまでバーレーンに服従してきたカタールが反乱を起こし、カタール半島からバーレーン人たち追い出して、これに対する報復としてバーレーンがカタールを侵略すると両国間に戦争が起きた。これを法的に評価する時、カタール半島に対するバーレーンの権原が終了してカタールの権原が形成し始めたものと評価することができる。」 (注28)
- 「英国とバーレーンが締結した1868年協定に基づいて、バーレーンはカタール半島に対して何の主権的権利も持たないと認めた。法的な観点から、この協定は、1861年に既に締結された他の協定と共に、明確にバーレーンの権能がカタールに及ばないように禁止するものだった。1860年代は、英国が出現したことでバーレーンはカタール半島に対する権原を喪失していた。」 (注29)
- 「オスマン帝国がカタール半島を掌握するのに反対しなかった英国の行為は、疑問の余地無くカタール半島と付属の島々に対するカタールの権原を凝固させ、1867~1868年の間の英国の行為を補充してカタールの権原を完成させた。」 (注30)
- 「一方、バーレーンも、1871~1937年の間にオスマン帝国及びカタールのシャイフたちがカタール半島に権能を行使することに対して何の抗議もしないで黙認した。…(中略)…バーレーンはこのような沈黙によって、カタールがハワル及びツバラ地域に対する権原を凝固させて他の列強諸国からその権原の承認を受けることを妨げることができなかった。」 (注31)
- 「アルサニ部族のジャシム(Jassim)シャイフは、オスマン帝国を背景として、次第にハワルを始めとするカタール半島全域に対する権原を強化して行った。」 (注32)

  反対意見はこのように歴史と法の接点を分析した後、最終的には次のように結論を下した。
- 「過去バーレーンがハワル諸島に対する歴史的権原を持ったとしても、1868年に英国とバーレーン及びカタールの間に条約が締結されたことによって、バーレーンはカタール半島に対する領域主権を喪失した。このような条約は一つの権原の終了と新しい権原の誕生を意味するが、この新しい権原はバーレーンとは区別される新しい実体であるカタールに帰属する。カタールの権原は徐々に強化されて、1916年の英国との条約を通じて確定的に凝固した。」 (注33)


(注26) Ibid p.174、paras. 91~92
(注27) Ibid, pp.177~178, paras.102~103
(注28) Ibid, p.179, paras.105~106
(注29) Ibid, pp.179~180, paras.107~109
(注30) Ibid, pp.182~183, paras.116~117
(注31) Ibid, p.183, paras.118~120
(注32)Ibid, p.183, para.121
(注33) Ibid, p.188, para.136


<コメント>
 ということは、この判決(多数意見)は「1939年の英国決定について、バーレーンだけでなくカタールも明示的、暗黙的に同意したのでハワル諸島はバーレーンに属する」と判断したのに対して、反対意見は「1868年に英国とバーレーン及びカタールの間に条約が締結されたことによって、バーレーンはカタール半島に対する領域主権を喪失して、カタールが権原を持つことになった。それは1916年の英国との条約を通じて確定的に凝固した。」と言っているわけで、そもそも結論が違うし、その違いは何年の条約を決定的なものと見るかで違いが生じている。こういう違いがあるから、反対意見としてはどうしても「歴史的権原を審査すべし」と言わざるを得ないことになる。だから、この問題は「歴史的権原は必ず審理すべきか」という問題ではなくて、単に結論の違いで対立している問題に過ぎないような気がする。

歴史的権原の判断 3

歴史的権原の判断順序と判断方式
Maritime Delimitation and Territorial Questions between Qatar and Bahrain判決の反対意見を中心に
チョン・ジェミン/前判事、前外交部領土法律諮問官
『領土海洋研究』 第15巻 2018.07.02 p48
東北亜歴史財団独島研究所

3 検討
1) 歴史的権原の論理的先決性の有無
  反対意見は、歴史的権原は領域紛争で通常「論理的に」一番最初に検討しなければならない争点だとした。しかし、歴史的権原はその発生時点が時間的に他の権原より先んじているだけであって、後に発生した他の権原と必ず論理的な先決関係に置かれているのではない。もちろん、始原的権原と派生的権原の関係にある場合ならば派生的権原を検討するに当たって始原的権原としての歴史的権原を検討することが論理的に必要だと見ることができるだろうが、歴史的権原の存否とは関係なく後に発生した権原の存否や運命が決定される場合もいくらでもある。むしろ、領域主権の紛争において確立された決定的時点の法理を考慮するならば、決定的時点を基準として最近に発生した権原から逆順で判断することが効率的で合理的だ。歴史は過去から未来に向かって不可逆的に流れるものだから、時間的に後で発生した権原が先に発生した権原を改廃することはできるがその逆は考えにくいためだ。対象判決が1939年の英国決定の拘束力から判断した次に、その拘束力が認められるや残りの争点を判断しなかったのもこのような脈絡だ。例えそれ以前に該当領域の主権がカタール側に帰属していたといっても、これをバーレーンに帰属させる1939年英国決定の拘束力がバーレーンとカタールに及ぶ以上、判決の最終結論は逆にはならないのだ。
2) 「優越する権原」の識別のために全ての権原を判断すべきか
  反対意見は、歴史的権原を判断せずには裁判所はいかなる権原が「優越する権原」なのかを識別しにくいと見た。いかなる権原が優越する権原なのかを判別する作業は、関連する権原や根拠を総合的に検討した後に初めて可能になるというのが理由だった。しかし必ずそうであったのではない。ある一つの権原の存否が他の権原の存否とは関係なく独立的に決定される場合も存在する。例えば、先に見たように対象判決において当事国に対する1939年英国決定の拘束力を認めることになれば、それ以前に歴史的権原の帰属がある当事国に定まっても判決の最終的結論が変わる余地が無い。対象判決が他の争点を検討する必要がないと宣言したのもこのことを前提としたものだ。
  もし、ある権原が優越する権原なのかどうかを独自に判断することが初めから不可能ならば、全ての領域主権帰属紛争事件において歴史的権原だけでなく他の全ての権原の存否をいちいち全て検討してこそ結論を導き出すことができる。しかしそれは可能なことでも望ましいことでもない。判断が不要な争点を選び出して判断しないことにするのが国内外の裁判の実務である理由だ。裁判は法的紛争を解決するための制度であって、単純に当事者の知的好奇心の充足のための制度ではないためだ。当事者が訴訟を提起するにあたって訴えの利益を要求されるのも、このような趣旨からだ。
3) 歴史的権原だけを特別に取り扱わなければならない理由の存否
  それでも反対意見が裁判所は歴史的権原を必ず判断すべきであったと主張するのは、歴史的権原自体に何かの特別さがあるためであるはずだ。しかしその特別さとは何なのかについて、反対意見は明らかにしない。むしろ、反対意見が取っている論理的立場を考慮すれば、反対意見が歴史的権原の存否を必ず判断しなければならない不可避の理由がある。反対意見は1939年英国決定の拘束力を認めない。1939年の英国決定に対してカタールが同意したり黙認したことは無いだけでなく、その時から今まで引き続き抗議をして来たと見る(注15)。当事国が提起した権原や主張を時間の逆順で検討して見ても1939年英国決定の拘束力を認められないので、それ以前の歴史的権原を検討すべき法律的実益が生じるのだ。

(注15) Ibid、pp.154~159、167~170

4) 反対意見が提示した判決例に対する検討
  反対意見は、既存の国際裁判所の判決例も歴史的権原を判断して来たことを歴史的権原を先に判断しなければならない根拠として挙げた。しかし、先に述べたとおり、その判決例の大多数は「歴史的権原」という用語を使っていない。その判決の対象になった権原を歴史的権原だと甘受できるとしても、その権原は該当事件で判決の結論を左右する核心的争点ではなかった。 判決の結論を左右する核心的争点ではないのに、単に歴史的権原ないし歴史的過程を通じて発生した権原という理由で裁判所が本格的に判断したものではなかった。反対意見が例として挙げた判例の中には含まれていなかったが、Sovereignty and Maritime Delimitation in the Red Sea仲裁判決(1998)は、歴史的権原が判決の結論に影響を及ぼさないのに歴史的権原を正面から判断した珍しい事例だ。この仲裁裁判は、領域主権に関する国際判例に反映された他の国際法の原則、規則、慣習が多くあるにも関わらず歴史的権原に最も多くの関心を傾けるとしたが、その理由は、当事国が1996年10月3日付の仲裁協定を通じて仲裁裁判部が「特に」歴史的権原に基づいて判断することを明確に要請したためだった(注16)。結果的に、この仲裁判決はエリトリアとイエメンの双方に歴史的権原は認められないと見て、他の原則に従って結論を下した(注17)。
  対象判決以後に出たものではあるが、Sovereignty over Perdra Branca /Pulau Batu Puteh、Middle Rocks and South Ledge (Malaysia/Singapore) 判決(2008)は、1844年頃までのマレーシアの始原的権原をひとまず認めた後、その後の灯台設置をめぐる1980年ごろまでの事情を根拠として領域主権はシンガポールに移転したという結論を下した(注18)。この判決がマレーシアの始原的権原を判断したことは、判決の結論に影響を及ぼさない不必要な争点をあえて判断したものと見ることはできない。対象判決は領域主権が当事国の明示的、暗黙的合意により移転することがあるという法の原則を前提としておいて(注19)、これに従って、マレーシアの始原的権原が色々な事情に照らして暗黙的合意によってシンガポールに移転したと判断したと見るが、黙示的合意による領域主権の移転を説明するためには、当初の権原の存否と内容を特定することが必要だからだ


(注16) Territorial Sovereignty and Scope of the dispute、9 October 1998,Award of the Arbitral Tribunal in the first stage of proceedings between Eritrea and Yemen、114 IRL 1,p. 241,para. 114.
(注17) Ibid.、pp. 242~243,paras. 121~122;p. 311,para. 448;p. 243,para. 125.
(注18) Judgment,I.C.J. Reports、2008,Sovereignty over Perdra Branca / Pulau Batu Puteh、Middle Rocks and South Ledge (Malaysia/Singapore),p. 49.para. 117;p. 96.para. 276
(注19) Ibid.、p. 50.paras. 120~121.

5) 裁判所の専門性
  反対意見は、裁判所が歴史的事実を判断できる専門性や条件が不足していても、それでも歴史的権原を判断するのが裁判所の責務だとして多数意見を批判した。この下りから、多数意見は裁判所の内部的に歴史的事実の判断に対する裁判所の専門性不足を言及したのだと推察することができる。しかし、推測すれば、これは歴史的権原をあえて判断しなくても良い場合にまで敢えて積極的に判断する必要はないという根拠の一つの考慮事項として言及されたものであって、多数意見も裁判所が歴史的権原を判断しなければならない場合にそれを判断することに反対はしなかっただろう。ただし裁判所が歴史的権原を判断する場合、歴史的推論に対して慎重な態度を取るのか積極的な態度を取るのかを選択する時、歴史的事実を判断する裁判所の能力上の限界が実質的に相当な影響を及ぼすことはあるだろう



<コメント>
 「歴史的事実を判断する裁判所の能力上の限界が実質的に相当な影響を及ぼすことはあるだろう」という指摘は重要で、竹島の場合、韓国政府の言うウソ八百が東洋史を良く知らない法律家には何かもっともらしいものとして受け止められるかも知れないという危険性は良く認識しておくべきだろう。





歴史的権原の判断 2

Ⅲ 歴史的権原の判断順序
1 反対意見の要旨
  反対意見は、この事件で歴史的権原を一番最初に判断すべき理由を重複的に提示しているが、この研究では分析の便宜のためにこれを四種類に区分して整理した。まず、裁判所が歴史的権原の判断をもらす場合、裁判の信頼が疑いを受ける。領域紛争で通常論理的に一番最初に調査する争点は歴史的権原で、歴史的権原は当事国の間の重要な争点なのだが、裁判所がその判断をもらす場合、審理を忠実にしなかったとか判断を遺脱したような印象を与える(注9)。
  二番目に、裁判所が歴史的権原を判断せずに何か他の権原が裁判の勝敗を分ける「優越する権原(better title)」なのかどうかを生半可に確定することは誤った判断の危険を招く。いかなる権原が優越する権原なのかを判別する作業は関連する多様な権原や根拠を総合的に検討した後に初めて可能になるものであって、そうせずにある権原を確定的で論議の余地なく優越する権原だと判決することはできない(注10)。 


(注9) Ranjeva and Koroma,Joint Dissenting Opinion of Judges Bedjaoui, p.152. para.14。「(本判決が歴史的権原を判断しないことは)疑わしくて危険な選択だ。それが疑わしい理由は、特に領域紛争の場合に、通常、論理的に一番最初に問題になる段階が、その権原が現在までも相変らず有効なのかの有無を離れて、その領域に関する始原的歴史的法的権原を探すためだ。それだけでなく、当事国が争っている数多くの他の法的根拠に対して答えないことによって、裁判所が当事国(と判決文を読む読者ら)に彼らが重要だと考える問題に対して非常に不完全な審理をしたという遺憾な印象を残すことになるためだ。言い換えれば、裁判所は不正確な判決文を出してしまう危険だけでなく、完ぺきな判断に失敗する危険まで負うことになる。そうして、裁判所は判断遺脱という疑惑を受ける危険に晒される。」
(注10) Ibid、pp.152~153. para.14。「併せて、この選択が危険な理由は、この事件で提示された多様な根拠が性格上簡単に排斥できるものではないためだ。その中の一つ根拠だけを持って確定的で論議の余地ない結論を導き出して、それでもって裁判所は違う根拠を調べる必要が無くなったと言うことのできない事件だ。この事件は、他の多くの事件と同じように、一つの根拠から導き出される結論が違う根拠にしたがって実効的に攻撃されたり無効化されて強力に反論されることになる。国際法の科学というものは、一つの論理が別の論理を完全に排斥したり不必要にさせる数学的科学と同じ程度に厳格だったり論理的に確実だというものではない。この点は、国際法で初めて何かの領域権原が認められるとしても、そこに止まらず、引き続いていわゆる「優越する権原(better title)」があるのかどうかを検討しなければならないという事実により裏付けられる。」 
併せて、反対意見は、裁判所が歴史的権原の判断を引き続き回避する場合、しばしば現状を承認する結果になってしまうという憂慮も表わした。Ibid.、p. 175.para.95。「私たちがこのような事件を最大限に列挙するのは、このような事件がいかに多いかを示すためだけでなく、裁判所が歴史に対する判断能力が相対的に不足しているという理由から、できるだけ現在の状態を承認して歴史に関して判断することを自制しなければならないという観念に反論するためだ。私たちはこのような見解に同意しない。」


  三番目に、歴史的権原の判断は裁判所の能力の範囲外にあるのではない。歴史的権原を判断することは、法的原則や規則に従って歴史的事実を解釈してそれに対して法的意味を付与する純粋な司法的作用だ。今日の国際法は、歴史的事実を統制して、解釈して、法的意味を付与して、そこから法に含まれる法的結論を導出する作業ができる「枠組み」を創設できる原則と規則を保有している(注11)。特に、全ての歴史的分岐点は国際条約として表されて、裁判所は条約解釈において広範囲な経験がある(注12)。歴史的権原の判断は裁判所の責務であり、裁判所が歴史的事実を判断できる専門性や条件が不足しているからといって回避できるものではない(注13)。
  四番目に、既存の国際裁判所が判決したLegal Status of Eastern Greenland (1933)、Anglo-Norwegian Fisheries(1951)、Minquiers and Ecrehos(1953)、Sovereignty over Certain Frontier Land(1959)、Right of Passage over Inidan Territory(1960)、Temple of Preah Vihear(1962)、Fronier Dispute (Burkina Faso/Repuplic of Mali)(1986)、Territorial Dispute(Libyan Arab Jamahiriya/ Chad)(1994)、Kasikili/Sedudu Island(1999),Western Sahara(1975)、Gulf of Fonseca case(1917)等の国際判例も歴史的権原を判断して来た(注14)。


(注11) Ibid.、pp.175~176.para. 97。「今日の国際法は、歴史的事実を統制して、解釈して、法的意味を付与して、そこから法に含まれる法的結論を導出する作業ができる「枠組み」を創設できる原則と規則を保有している。このような作業は裁判所の役割の核心として裁判所が当然履行しなければならない義務であって、歴史の専門家ではないという適当な理由で回避できるものではない。事実上、これは歴史知識の問題ではなくて歴史的事実の輪郭を形成する諸規則と諸原則を適用する問題だ。このような観点から、裁判所の接近が未知の領域における危険な冒険と見なされてはいけない。むしろ正反対に、これは裁判所の機能及び管轄権に関する純粋な司法的作用だ。」
(注12) Ibid p.188. para.136
(注13) Ibid. p.174. para. 93。「認められるように、裁判所は歴史学者たちの学問的集いでもなく、二つの当事国の過去についての歴史研究ができる条件も揃わなかった。しかし、裁判所は特定の事件において歴史によって困難が生じるのならば、その困難に直面しなければならない。法的接近が引き起こす多様な困難さがあっても、歴史的諸事件と領域紛争の相互作用の説明をやり遂げなければならない。浮沈の過程と歴史との不確かな関係の中で、権原の形成、後続的凝固あるいは消滅の多様な可能な段階に基づいて、ある権利が実効的に発生することになる。したがって、法律家は権原創設の基準と条件を識別して、二種類の競争的権原の中で「優越する権原」を選択して、「派生的権原」と「始原的権原」及び「絶対的権原」と「暫定的権原」を互いに区別する方法などを習得しなければならない。」
(注14) Ibid.、pp.174~175.para. 94。「国際フォーラムでは人々が考えるよりもはるかにしばしば歴史的権原が争点になっているので、法はこの問題を解決しなければならない。いくら歴史に対して専門知識がなくて歴史を判断する条件が不足するといっても、裁判官は彼らの前に提起された領域紛争を解決しなければならない義務があるのだ。仲裁者たちが歴史的権原を扱わなければならない数多くの国際仲裁が存在した。国際裁判所も歴史的権原に対する判断を回避できなかった」。これに加えて、対象判決がツバラ地域の領域主権に対しては歴史的事実を検討して歴史的権原の存否を判断したのに、ハワル諸島に対してだけは同じ方式で判断しなかったことも一貫性がないという点を指摘した。Ibid、p.177. para.101。

2 多数意見の立場の推論
  反対意見はこのように裁判所は歴史的権原を先に判断すべきだったと強力に意見を表明しているが、多数意見はこれに対して何の言及もしない。単に、1939年の英国決定でハワル諸島の領域主権の帰属を決めることができるので、始原的権原を始めとする他の争点に関しては判断する必要は無いとしただけだ。多数意見のこのような立場と反対意見で強調された論調を総合して見れば、多数意見は内部的に次のような根拠で歴史的権原を判断する必要がないと主張したものと推論される。
  最初に、訴訟の勝敗に影響を及ぼさない争点をあえて判断する必要がない。二番目に、提示された全ての権原の存否を明らかにしなくても「優越する権原」の存否を確認することができる。三番目に、裁判官たちは歴史学の専門家ではなくて裁判所には歴史を明らかにする専門性が不足するので、裁判所が必ずしも必要ではない場合にまで歴史的権原の存否を積極的に明らかにすることはかえって誤った判断の危険を招く。


<コメント>
 「訴訟の勝敗に影響を及ぼさない争点をあえて判断する必要がない」という考え方は当然のことですが、実際には「それは本当に訴訟の勝敗に影響を及ぼさないのか」ということが問題になるので難しいところでしょうね。
 
 竹島問題の場合、ぎりぎり理屈で言えば、「竹島はサンフランシスコ講和条約で日本領として残った」ということだけで決着させることができるので、それ以前のことは一切審理する必要は無くなるわけですが、果たしてそれで通用するかという問題になるでしょう。

歴史的権原の判断 1

歴史的権原の判断順序と判断方式
Maritime Delimitation and Territorial Questions between Qatar and Bahrain判決の反対意見を中心に

チョン・ジェミン/前判事、前外交部領土法律諮問官
 『領土海洋研究』 第15巻 2018.07.02 p48
東北亜歴史財団独島研究所

I. はじめに
  領域紛争裁判において当事国が歴史的権原を主張する場合、裁判所としては他の根拠に先立って歴史的権原の存否から判断すべきか、あるいは歴史的権原が訴訟の勝敗に直結しない場合ならば歴史的権原をあえて判断しなくても良いのか。国際司法裁判所が2001年に宣告したMaritime Delimitation and Territorial Questions between Qatar and Bahrain判決(以下「対象判決」という)が正にこの問題を直接間接に取り扱った(注1)。対象判決事件において、当事国はハワル(Hawar)諸島の領域主権の根拠として、始原的権原、effectivites、地図、隣接性の原則、uti possidetis jurisの原則、ハワル諸島がバーレーンに帰属するとした1939年の英国の決定を主張した。国際司法裁判所は、この中で1939年の英国決定について、バーレーンだけでなくカタールも明示的、暗黙的に同意したのでハワル諸島はバーレーンに属すると結論を下しつつ、このように結論を下した以上、歴史的権原を始めとする他の争点はことさらに判断する必要は無いとした(注2)。
  これに対して、ベドウィ(Bedjaoui)、ランジェバ(Ranjeva)、コロマ(Koroma)裁判官の合同反対意見(以下「反対意見」という)は、対象判決が伝統的に領域主権の帰属を定める鍵の役割をしてきた歴史的権原の問題を回避したのは衝撃的で遺憾であるとして痛烈に批判し(注3)、さらに進んで歴史的権原の判断基準を提示して直接ハワル諸島の歴史的権原の判断を試演して見せた。反対意見の強い論調とその論理を見る時、国際司法裁判所の内部で多数意見と反対意見の間には激しい論争があったのだろうということを推量して察することができる。しかし、多数意見は歴史的権原をなぜ判断しなかったのか、一般的に歴史的権原を先に判断する必要は無いものなのかについて何の言及もしなかった。そこで、この文では、多数意見がいかなる立場で歴史的権原を判断しなかったのかを推論した後に、国際裁判所が歴史的権原を必ず先に判断しなければならないかを検討してみようと思う。併せて、反対意見が示した歴史的権原を判断する方式の適正性も調べて見たい。

(注1) 対象判決の審判対象は、ハワル(Hawar)諸島とツバラ(Zubarah)地域の領域主権帰属と海洋境界画定だ。ツバラ地域の領域主権は裁判官の全員一致でカタールに帰属した反面、ハワル諸島の領域主権は裁判官数12対5でバーレーンに帰属した。Merits, Judgment, I.C.J. Reports、2001,Maritime Delimitation and Territorial Questions between Qatar and Bahrain, pp.116~117。本事件の主な争いの対象はハワル諸島の領域主権の帰属であったので、以下の対象判決に対する言及はハワル諸島の領域主権帰属に限定する。
(注2) Ibid. p.85. para.148。「1939年英国決定に基づいて裁判所がこのように結論を下した以上、裁判所が始原的権原の存在、effectivites及びuti possidetis juris原則に基づいた当事国の主張を判断することは不必要だ。」
(注3) Ranjeva and Koroma, Joint Dissenting Opinion of Judges Bedjaoui,p. 188.para.136

II. 歴史的権原に関する一般的議論
1 学説
  海洋法上、歴史的権原の概念は1982年国連海洋法協約第15条などに明示的に規定されていて、それに関する研究結果も豊富だ。反面、領域法においては歴史的権原を規律する確立された規範を探すのが難しく、学問的にも歴史的権原の概念についての説明は少ない。不充分ながら、これまでの国際法学界の歴史的権原の概念に関する研究結果を総合して見れば、次のとおりだ。
  歴史的権原の最も代表的で包括的な研究はブルーム(Y. Z. Blum)のロンドン政経大学博士論文であり、1965年に単行本として出版されたHistoric Titles in International Lawだ(注4)。この著書の結論において、ブルームは、先占、割譲、時効など領域取得の形式と歴史的権原の差異点について、前者は権原の起源を追跡できる即刻効果が発生する瞬間的行為に土台を置いている反面、歴史的権原は一連の作為、不作為及び慣行が累積的な効果を導き出すことによって国際法上有効な権原を生成及び凝固させる長期的過程の産物だと記述した(注5)。
  ショー(M. N. Shaw)は、「時効、黙認又は長く持続して法による権原と認められた占有などによって生成されて凝固した権原」というエリトリアとイエメンの間のSovereignty and Maritime Delimitation in the Red Sea仲裁判決(1998)の定義を引用して、歴史的権原の概念は長い歳月にわたって抵抗なしに確立されて正確な出処が不明な領域権原をいうとした(注6)。ブラウンリー(Brownlie)は、今日の領域紛争訴訟においては国家の主権行使の他にも古代の権原、始原的権原、歴史的権原の概念なども主張の根拠として提示されていて、国際裁判所は古代の権原あるいは始原的権原の概念を認めつつ、それを後押しする証拠を要求しているという現実を認めた。これらの概念を裏付ける根拠としては、太古的権原(immemorial possession)や歴史的事実に対する一般的評判及び見解を立証する証拠などがあって、特にアジアでは伝統的国境が重要な役割をするといった(注7)。
  2012年に改訂されたThe Max Planck Encyclopedia of Public International Lawのアンドレア・ジョー(Andrea Gioia)が執筆した「歴史的権原」の部分に従えば、当初、歴史的権原の概念は、19世紀末に領海の基線に関する一般的規則が適用されない湾や海水の存在を正当化するために生じたが、以後、国際法文献が歴史的権利という一般的分類を包括的なものへと発展させ、その中で歴史的権原の凝固過程を通じて取得した陸上領域主権だけでなく、それに達し得ない通行権、漁業権、海洋境界画定方式に関する歴史的権利などを含ませたとした(注8)。


(注4) この著書は、歴史的権原の根拠を求めることに多くの分量を割いている。まず歴史的権原の根拠を時効に求めることが妥当なのかを検討して、国内法上の時効制度の類推の可能性、国際法上の時効制度の認定の可否、時効に関する判例及び国家慣行などを分析した後、司法上り時効制度は国際法に類推適用しにくく、国際法上では時効制度の存在と機能が不確かなので歴史的権原の根拠を時効に求めることはできないという結論を下した。代わりに、彼は、歴史的権原を一種の慣習法上の規範と見て、歴史的権原の形成過程を特別慣習法の形成過程と対等に把握した。Y. Z. Blum、1965,Historic Titles in International Law,Springer Science + Business Media,B.V.、pp.4~99
(注5) Ibid. p.335
(注6) M. N. Shaw、2005,Title to Territory,Dartmouth Publishing Company,pp. xx~xxi
(注7) J. Crawford、2012,Brownlie’s Principles of Public International Law、8th ed.、Oxford University Press, p.22
(注8) Andrea Gioia、2012 「Historic Title」 in Max Planck encyclopedia of public international law,Oxford University Press, p.814。彼は、さらに、正にこのような傾向が相当な混同を引き起こす源泉になって、歴史的権利の一般的範疇を設定することが有用なのかということに疑心を生じさせたと指摘した。

2. 判例
  国際裁判所の判決例も、歴史的権原の概念を明確に説明している場合は稀だ。歴史的権原に初めて言及したAnglo-Norwegian Fisheries判決(1951)は、海洋法上の歴史的権原に関するものだ。領域法上の歴史的権原を扱ったとしばしば言われる Minquiers and Ecrehos 判決(1953)は、実状は当事国の歴史的権原に関する論争を要約して前提とする下りで歴史的権原という用語を使っただけであり、裁判所が直接判断する部分で歴史的権原に言及したものではなかった。さらに、歴史的権原を本格的に検討して歴史的権原の法的性格に対しても意味ある言及をした判決例としては Sovereignty and Maritime Delimitation in the Red Sea仲裁判決(1998)があるが、この判決例もやはり歴史的権原の概念、要件、効果などに関する明確で十分な説明を提示できていない。
  以後、対象判決の反対意見が歴史的権原に関する判断順序や判断方法という実務的に重要な問題を投げかけた以後としては、Sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh,Middle Rocks and South Ledge(Malaysia/ Singapore)判決(2008)が注目に値する。この判決例では、暫定的なものとしてではあるが、裁判所は最初にマレーシア側の始原的権原の成立を認めた。対象判決において反対意見が強力に表明した歴史的権原をまず判断しなければならないという立場が、Sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh,Middle Rocks and South Ledge(Malaysia/Singapore)判決(2008)で裁判所が結論的に手を上げなかったマレーシア側の始原的権原を暫定的にせよ認める判断をしたことに対して影響を及ぼしたかも知れない。



<コメント>
  韓国で竹島問題について語る人物で信用できるのはイ・ヨンフン教授とこのチョン・ジェミン氏くらいです。なお、チョン・ジェミンさんは三年くらい前に裁判官を辞めて政府の一般公務員として「防衛事業チーム長」という職に就いたのだそうです。


チョン・ジェミン判事の独島講座

チョン・ジェミン「独島判事」、「理性的で略的な対応を」
 
ノーカット・ニュース 2014-02-26
 
慶尚北道は、26日、道庁講堂で「国際法と共に見る独島の話」というテーマで大邱家庭裁判所のチョン・ジェミン判事を招いて新慶北アカデミー講座を開催した。
 
 

 
 
チョン・ジェミン判事は、「未来の独島の運命は国民の水準と力量にかかっている」として、「日本に対する盲目的な怒りが愛国を保障するものではなく理性的で戦略的な対処が必要だ」と語った。
 
  チョン判事は、韓日間の独島裁判を扱った小説である『独島イン・ザ・ハーグ』を出版したことを契機に外交部の独島法律諮問官として2年間活動し、『小説異斯夫』で毎日新聞社主催の浦項国際東海文学賞を受賞したし、最近『ポヘミアンラプソディ』で世界日報主催の世界文学賞を受賞した。
 
   昨年には「大韓民国歴史博物館韓国現代史教養叢書」の一つとして『国際法と共に読む独島現代史』を執筆するなど多数の独島関連著書を残して、「独島判事」として広く知られている。
 
  キム・クァニョン慶尚北道知事は、「今後、独島に対して実効的管理の水準を高める一方、日本の独島領有権主張が論理的に虚構であることを説明できる学問的、法律的研究をより一層強化したい」と明らかにした。
 
 
 
 
 
 
<コメント>
 うん、やっぱりこの人は常識的なことを言う人です。韓国人たちがこの人の話を聞くのはいいことです。
 
 
 
 
 

チョン・ジェミン判事は任期終了

外交部の「独島判事」、来月里帰り

 
2013/07/28連合ニュース
 
 
「広報よりも独島領有権論理の強化に集中すべき」
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(ソウル=聯合ニュース) 韓日間の独島紛争を扱った小説を書いたことが契機となって外交部の独島法律諮問官として勤務しているチョン・ジェミン判事(36)が、二年間の外交部派遣勤務を終えて、来月、元の職場である裁判所に復帰する。政府消息筋は、28日、「一種の研究安息年(翻訳者注:安息年は将来に備えてあらかじめ一年程度休養する休暇)の形式で外交部で勤務して来たチョン判事が来月戻る」とし、「裁判所側と緊密に協議したが、例外的な形態の勤務だったのでチョン判事の後任はないことになっている。」と話した。
 
 チョン判事は、2009年、「河智還」(ハ・ジファン)というペンネームで法廷小説『独島イン・ザ・ハーグ』を出版した。この本は、自衛隊の艦艇を独島近辺に派遣する日本の戦略などから独島領有権問題がオランダ・ハーグ所在の国際司法裁判所(ICJ)で審理されることになる仮定的状況を扱っている。チョン判事の外交部勤務は、この小説を読んだイ・ギチョル外交部国際法律局長(当時)が彼と裁判所に外交部の独島業務を提案して成立した。 当初の派遣期間は1年だったが、外交部の度重なる要求を大法院が異例ながらこれを受け入れ、昨年8月に派遣期間が1年延びた。
 
 その間、チョン判事は、外交部領土海洋課所属の独島法律諮問官として独島領有権問題に関連したICJ訴訟に関する手続き・実体法的な研究業務を担当した。ICJの手続き上、日本が提訴しても「ICJ議論不可」の立場を持つ我が政府が応じなければ裁判が行われることはないが、仮定の状況に備えた論理の開発が領有権の強化にも役立つという考えから実施された業務だ。チョン判事は、独島領有権に関して、「政府は、広報よりは国際法的な論理の強化に集中すべきだ」とし、「政府や学界であまり言及されていない部分を研究して新しい論理を提案し、その中で学界や大衆から批判を受けて生き残った内容を再び政府の論理として補強しなければならない。」と明らかにした。
 
 彼はこのような考えから、外交部勤務の経験などを基礎にして、今月初めに大韓国際法学会にサンフランシスコ講和条約(対日講和条約)を主題にした論文を発表した。この条約は、日本が独島領有権を主張する時に提示する主な根拠だ。
「対日講和条約第2条が韓国に及ぼす効力」という題名の論文において、彼は、条約の分析を通じて「国際法的に日本の主張が根拠があるとするためには、その条約で独島が日本領と確定するだけでなく本来から日本領であることが立証されなければならない」と指摘した。これは条約それのみで日本の主張が立証されるのではない、との意味だ。
 チョン判事はまた、国際法的な対応能力の向上という面から、懸案への対応よりは国際法律局が国際法関連の業務にだけ専念できるようにする業務環境を作らなければならないと助言した。
 来月19日まで外交部に出勤する彼は、現在、独島問題に関して国際法的論理で接近する本も執筆している。
 
 
 
 
<コメント>
 今後は裁判所で早く出世して憲法裁判所とか大法院の裁判官になり、慰安婦や労働賠償のトンチキ判例を変更してもらいたいなあ。
 
 

チョン・ジェミン論文(7)(終)

IV. 結論
この論文では対日講和条約第2(a)の効力が第三国である韓国に対しても及ぶのかどうかについて、第三国に権利を付与する条約規定の法理と対世的効力の法理の観点からそれぞれ検討した。
対日講和条約第2(a)は日本の義務を規定しているだけであって、韓国に何らの権利や義務を発生させない。しかし第21条は韓国に第2(a)の利益を持つ権利を付与している。第21条を解釈するにおいては、時制法の理論と第三国に権利を付与する条約規定の有効性に関する過去の国際慣習法も関係がある。
 
  2(a)と第21条によれば、第2(a)が独島を韓国領と決めたと解釈される場合、韓国は第21条に基づいて日本に対して独島に関する権利を主張することができる。反面、第2(a)が独島を日本領と決めたと解釈される場合には、当事国ではない韓国に日本の独島領有権を認めなければならない義務が発生するものではない。
一方、客観的体制を創設する条約に関する法理は一般的に広く受け入れられていると見ることはできず、これを認めるとしても、当時の韓国、ソ連、中国、台湾などが取った態度を考慮する時、対日講和条約がこのような条約に該当すると見るのは難しい。
ただし、紅海島嶼紛争に関する仲裁判定の趣旨を対日講和条約に適用すれば、独島が本来韓国領である場合には例え対日講和条約第2(a)が独島を日本領に決めたとしてもこれは韓国に対して有効にならない反面、独島が、仮定としてだが本来日本領である場合には、韓国を含めて対世的効力を持つ。
 
以上の議論を総合すれば、次のような四種類の場合に分けて考えることができる。
まず最初に、独島が本来韓国領であり、対日講和条約が独島を韓国領と決めたとすれば、日本は対日講和条約の下で独島を韓国領と認定しなければならない条約上の義務を負担することになり、韓国はこれに対して相応する法的権利を持つことになる。二番目に、独島が本来韓国領であったのに対日講和条約が独島を日本領に決めたと仮定すれば、当事国でない韓国は独島を日本領と認定しなければならない条約上の義務を負担しないだけでなく、この条約の規定が対世的効力を持つこともできない。三番目に、独島が本来日本領であったのに対日講和条約が独島を韓国領に決めたと仮定すれば、当事国である日本は独島を韓国領と認定しなければならない条約上の義務を負い、このような条約の規定は対世的効力も持つ。四番目に、独島が本来日本領であり、対日講和条約が独島を日本領に決めたと仮定すれば、当事国でない韓国は条約上の義務を負うのでは無いが、そういう内容の対世的効力を受けることになる。
 
このように見れば、日本が対日講和条約を独島領有権の法的効力ある根拠として主張できるのは、四番めの場合に限られる。言い換えれば、日本が韓国に対して対日講和条約を独島領有権に関する法的効力のある根拠として提示するためには、対日講和条約において独島が日本領に確定したことだけでなく、独島が本来日本領であったということまで全て立証しなければならないのだ51) このように見れば、独島領有権を巡る議論においては、対日講和条約自体よりはそれ以前の事情が決定的だということが分かる
 
 
                     
51) この二つの前提を共に満たすのは難しいと見るが、その問題は本稿が想定した議論の範囲外であるからここでは詳述しない。
 
 
 
要約 
この論文では、対日講和条約第2(a)の効力が当事国ではない韓国に対しても及ぶのか否かを、第三国に権利を付与する条約規定の法理と対世的効力の法理の観点からそれぞれ検討した。
対日講和条約第2(a) 自体は韓国に法的効力を発生させないが、第21条は韓国に第2条の利益を持つ法的権利を付与する。したがって、対日講和条約第2(a)が独島を韓国領と決めたと解釈されるなら韓国は第21条によって独島に対する権利を日本に対して主張することができる一方、対日講和条約第2(a)が独島を日本領に決めたものと解釈されるとしても、当事国ではない韓国はこれに拘束されない。
一方、対世的効力を持つ客観的体制を創設する条約に関する法理は一般的に広く受け入れられていると考えることができず、当時の韓国、ソ連、中国、台湾など旧日本領土に対する主要な利害関係国たちの態度に照らして、対日講和条約が客観的体制を創設する条約だと見るのも困難だ。
ただ、紅海島嶼紛争に関する仲裁判定の主旨を対日講和条約に適用すれば、独島が本来韓国領の場合には例え対日講和条約が独島を日本領に決めたとしてもこれは韓国に対して有効ではない一方、独島が本来日本領であった場合には、対日講和条約の領土条項は韓国に対しても対世的効力を持つことができる。
このような内容を総合して見れば、日本が韓国に対して対日講和条約第2(a)を独島領有権の根拠として提示するためには、対日講和条約が独島を日本領と定めたということだけでなく独島が本来日本領ということまで立証しなければならない。
このように見る時、独島領有権問題は対日講和条約よりはそれ以前の事情が決定的に左右することが分かる。
 
(翻訳終わり)(太文字、下線による強調は翻訳者による)
 
 
 
 
 
 
 
<コメント>
  先日、この論文のニュース記事につけた感想の繰り返しになりますが、この論文に対する私の見方を書いておきます。
 
 韓国政府は、もし仮に竹島/独島問題を国際司法裁判所で争うことにしようかと思ったとしても、裁判で争うための武器を持っていません。サンフランシスコ講和条約の規定によって竹島は日本領土とされていることに対する反論ができないのです。まあ、もし裁判になったなら条約第2条(a)の文言は例示なのだとかSCAPIN677がどうだとか主張することはするでしょうが、そんなことが通用するとはいくら韓国政府でも思ってはいないでしょう。一発で負けてしまうのだから裁判に踏み出しようが無いのです。
 
 そのことを見てとったチョン・ジェミン判事は、サンフランシスコ講和条約第2条(a)の規定には争う余地があるという理屈を見つけ出して来たわけです。しかも、その理屈は、「条約の効力は、結局は竹島/独島がもともと日韓どちらのものであったかによって異なる」というものであるわけですが、これは、完敗という答えしか見えていなかった条約解釈において一応の論争ができるだけでなく、韓国人一般が絶大な自信を持っている「独島は昔から韓国のもの」という歴史的経緯という材料をも用いることが可能な論理であって、全体として韓国人たちの心情をかなり満足させそうな主張になっています。
 
 チョン・ジェミン判事は、かねてから「独島問題は法律的に解決されるべき」、「国際司法裁判所において解決すべき」という立場ですから、この論文は、そういう自己の信条を具体化させたものですし、韓国政府に、日本と論争するための(切れ味が鋭いかどうかは置くとして)一応の武器を与えたことになります。
 つまり、国際司法裁判所で日本と正面から論争できるような「形」を作ったというのがこの論文の大きな意味です。こういうことをやった韓国の研究者は今まで誰もいなかったのだから、チョン・ジェミン青年は実にいい仕事をしたと思います。
 
 ですから、日本側としては、この論文を、韓国の他の研究者の愚にもつかないたわごとと同列にしていきなりガンガン叩いて叩き壊すのでなく、「ほー、なるほど、そういうふうに来ましたか、じゃ、一つそれで裁判でもやってみましょうか」と生温かく見ておけばいいんじゃないかと思いますね。
 なお、念のために書きますが、彼の論によれば、日本が最も厳しく強いられるのは、「日本が韓国に対して対日講和条約第2(a)を独島領有権の根拠として提示するためには、対日講和条約が独島を日本領と定めたということだけでなく独島が本来日本領ということまで立証しなければならない。」ということなわけですが、これは日本側から見ていささかの問題もないでしょう。
 
 で、いい論文はできましたが、しかし、これで韓国政府がすぐに裁判に踏み出そうとするということはもちろんありません。裁判が行われるためにはそういう環境(国民大衆の気分)が最も重要です。日本側のやるべきこととしては、これまでやってきたような広報活動をさらに強く展開していく、ということに尽きるでしょう。
 
 
 
 
 

チョン・ジェミン論文(6)

客観的体制を創設する条約が広く受け入れられると言っても、対日講和条約の領土条項がこのような類型の条約に当たるかは疑問だ。特別報告者 Waldockに従えば、客観的体制を創設する条約になるためには当事国たちが国際共同体の一般的な利益(generalinterest)に係わって客観的体制を創設する意図がなければならない。41) しかし、対日講和条約の場合、韓国、中国、台湾、ソ連など旧日本を取り囲んだ領土に対して主要な利害関係を有する国々が、締結の過程で全て排除された。 特に、中国は1951 815日と918日の二度にわたって明示的に対日講和条約の効力を否定し、このような立場は釣魚島問題に係わって今までも変わりがない。42) 対日講和条約の核心当事国である日本は、ロシアに対して千島列島の領有権に関して対日講和条約の文言と違う主張をしている。43)
先に見たように、対日講和条約第2条に関して、韓国と日本も互いに異なる意見を持っている。そういう状況を考慮すれば、対日講和条約の当事国諸国が日本を中心にした東北アジアの一般的な利益に関連して客観的体制を創設したと考えるのは難しい。44)
 
 
                     
41)  Special Rapporteur Waldock, Third Report of the Law of Treaties, Yearbook of the International Law Commission, vol.II(1964), p.26.
 
42) 中華人民共和国外交部ホームページ "The issue of Diaoyu Dao""Full Text: Diaoyu Dao, an Inherent Territory of China" "On August 15,1951, before the San Francisco Conference, the Chinese government made a statement: "If the People's Republic of China is excluded from the preparation, formulation and signing of the peace treaty with Japan , it will, no matter what its content and outcome are, be regarded as illegal and therefore invalid by the central people's government." On September 18,1951, the Chinese government issued another statement stressing that the Treaty of San Francisco is
illegal and invalid and can under no circumstances be recognized." の部分。 http://www.fmprc.gov.cn/eng/topics/diaodao/t973774.shtml, 2013. 3. 13訪問。一方、台湾は、当時のアメリカとの関係を考慮して、対日講和条約に対して明示的に反対をしなかった。 Chi Manjiao, "The Unhelpfulness of Treaty Law in Solving the Sino-Japan Sovereign Dispute over the Diaoyu Island", East Asia Law Review, 2011, pp.170-171を参照。
 
43) ロシアは、ヤルタ協定で千島島がソ連に割譲されることに合意し、日本もポツダム宣言を通じてこれを認めた後、対日講和条約を通じて千島島に対するすべての権利, 権原及び請求権を放棄したと主張する。イ・ソグ前掲書 95p。 これに対して、日本外務省は、対日講和条約で日本が千島列島に対する権利を放棄するという部分は旧ソ連が対日講和条約に署名しなかったから効力がないと主張している。 日本外務省パンフレット "Japans Northern Territories" "Under the San Francisco Peace Treaty of 1951, Japan renounced all right, title and claim to the Kurile Islands, and to the southern part of Sakhalin which it had acquired by the Portsmouth Peace Treaty of 1905. However, the islands of Etorofu, Kunashiri, Shikotan and Habomai are not included in the Kurile Islands. In addition, the Soviet  Union did not sign the San Francisco Peace Treaty." の部分。 http://www.mofa.go.jp/region/europe/russia/territory/index.html 2013. 3. 15訪問
 
44)  Ian Brownlie, Public International Law, Sixth edition, (Oxford University Press, 2003), pp.130-131、ヤルタ会談、ポツダム宣言などのように第1,2次世界大戦以後の戦勝国諸国が敗戦国の領土を共同の決定で処分し、このような処分は平和条約が発効する前に効力が発生するものと考えられるが、このような処分ができる戦勝国の権限の根拠が何なのかについては満足な説明を提示しにくいと言う。しかし、この部分は平和条約ではなく平和条約締結前の戦勝国諸国の決定に関するものであり、 一部の国々がある処分の有效性を認めることを前提にする論議だという点で、平和条約の対世的効力自体が疑問視される対日講和条約の領土処分とは直接的な関連性がない。
 
 
 
2. 紅海島嶼紛争に対する仲裁判定における対世的効力
講和条約の対世的効力については、ローザンヌ平和条約第16条の対世的効力に言及した1998年エリトリアとイエメンの間の紅海島嶼紛争事件に対する仲裁判定 45) が多くの示唆を与えてくれる。ローザンヌ平和条約第1646)は、本条約で特別にトルコ領と規定していない領土と島々に対する全ての権利と権原をトルコが放棄することと、これら領土と島々に対する処分は関連の当事国たちによって決定されるという主旨を規定している。
エリトリアはこれを根拠として該当の島に対する紛争は国際法上の領土取得に関する一般的な法理によって決められるべきと主張した。47) 一方、イエメンは該当の島に対して、始原的、歴史的、伝統的権原を引き続き保有していると主張しつつ、ローザンヌ平和条約第16条はイエメンの権原に何らの影響を及ぼすことができないとした。48)
 
これに対して、まず、仲裁判定部は、ローザンヌ平和条約がイエメンに法律的に有害でもなく有益でもないということを前提に置いた。ひいてはローザンヌ平和条約の締結当時に紛争領土に対する権原がイエメンにあったならローザンヌ平和条約はその権原を当事国ではないイエメンの同意無しに処分することができないという点も確かにした。しかし、検討の結果、ローザンヌ平和条約が締結された当時の該当の島に対する権原はイエメンではなくトルコにあったとした。同時に、国境や領土に関する諸条約も、本来は当事国の間でだけ有効なものだが、法的現実においてはこれらが対世的効力(erga omnes)を持つ場合があると述べた。その根拠は、もしある国家 A Bに権原を移転したならば、CAよりも強い権原を持っていない以上、C A B の間の譲渡が効力がないと主張することは法的に無意味(legally without purpose) だからだとした。49)
 
 
                            
45) AWARD OF THE ARBITRAL TRIBUNAL IN THE FIRST STAGE OF THE PROCEEDINGS
(TERRITORIAL SOVEREIGNTY AND SCOPE OF THE DISPUTE)(以下、「紅海島嶼紛争仲裁判定」という。) http://www.pca-cpa.org/showpage.asp?pag_id=1160  201333日訪問
 
46) 原文は次のとおり。 Turkey hereby renounces all rights and title whatsoever over or respecting the territories situated outside the frontiers laid down in the present Treaty and the islands other than those over which her sovereignty is recognized by the said Treaty, the future of those territories and islands being settled or to be settled by the parties concerned...
47) 紅海島嶼紛争仲裁判定 para. 19.
48) Ibid. para. 31, 34.
 
 
 
ここで注目すべき部分は、仲裁判定部が平和条約と言えども第三国の同意無しに第三国の権原を処分することはできないという点を明確にしたという点だただ平和条約の当事国が該当領土を有効に処分できる権原があった場合に限って、その領土を処分する条約が対世的効力があると見たのだ50) この時、対世的効力が生じる根拠は、第三国がその効力を否認することが法律的に無意味なためというものだった。
この事件判定に見るように、対世的効力は必ずしも第三国の意思に反して権利を剥奪したり義務を賦課する効力を意味するのではない。つまり、第三国の意思に反して権利を剥奪したり義務を負担させる効力を対世的効力と呼ぶことが多いが、そこまで至らなくとも、第三国がその効力を否認することが法的に無意味な場合も第三国に法的な影響を及ぼすという点でこのような効力を対世的効力と呼ぶことができるのだ。
紅海島嶼紛争に関する仲裁判定の趣旨を対日講和条約第2条に適用してみれば、対日講和条約は同意無しに非当事国の領土を処分できない。 ただし、日本が、本来、問題の領土に対して適法な権原を保有していた場合には、対日講和条約にともなう領土処分は非当事国がこれを否認することが法律的に無意味だという次元で対世的効力を持つ。したがって、独島が本来韓国領だった場合には、例え対日講和条約第2(a)が独島を日本領と決めてもこれは韓国に対しては有効にならない。反対に、独島が、仮定としてだが本来日本領だった場合には、対日講和条約第2(a)が独島を日本領と決めたか韓国領と決めたのかに関係無く、韓国に対しても対世的効力を持つ。
 
 
                  
49) Ibid. para.153
50) 私見では、この場合にも条約自体が対世的効力を持つのではなく、そういう有効な領土処分自体が対世的効力を持つとも考えられる。
 
 
 
 
 
(下線は翻訳者による) 
(続く)
 
 
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別名 茶阿弥
男性 熊本県在住
写真は元飼い猫のちゃあみぃ

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