逆風を怖れる言論、そして反日感情
(チェ・ソギョン著『キムチ愛国主義』2010年 より)
先に書いた「天皇」の呼称問題でも分かるように、韓国の言論は、韓国内では「日王」という表現を使い、英語、中国語、日本語の時にはEmperorあるいは天皇という表現を使う。 言論が韓国内の批判を恐れるためだ。
1980年代までは「天皇ではなく日王と呼ぼう」というのは個人の意見に過ぎなかった。社会的共感も少なく、天皇という呼称が批判を受けることもなかった。だが今は、政治家や言論が仮にも間違って「天皇」という言葉を口にすることは非常に困惑することになる。
両国間に歴史問題や外交問題で衝突がある時に韓国社会の反日感情が高まることは理解できるが、言論は一貫性のある「基準」を持たなければならない。大衆の好みにだけ合わせて心地よいことを言ってはいけないからだ。さらにはファン・ウソク教授の事件のように大きな声を出す「多数」が間違っている場合もあるのだから言論は「苦言」をためらってはいけないのだが、果たして大衆に苦言を呈した言論はどれくらいあったのか疑問だ。
いつからなのか、韓国の言論は国民の反発を恐れている。そうすると、韓国の歴史、伝統、国民的偶像の批判にはうっかり口を開くことができない。 2006年5月21日のロサンゼルス・タイムズが「韓国では‘キムチ愛国主義’のためにキムチが健康を害するという事実を言うことがダブー視されている」と報道したのも、韓国内の雰囲気をよく伝えていると言える。忠北大学の研究チームが「キムチと味噌を過剰摂取すれば胃ガン発生率が50パーセント以上増加する」(注1)と発表したが、韓国言論はこの事実をほとんど扱わなかった。
(注1) 「韓国でキムチ批判はタブー、ロサンゼルス・タイムス ちくりと」京郷新聞2006年5月22日
韓国が世界に最も自慢する食べ物の代表格である「キムチ」の批判は、韓国の伝統を否定することになって「韓国卑下」と認識されるためだ。この事例は言論よりは「学界」のタブーだと言えるだろうが、言論が直接報道しないで「米国言論」の口を借りて伝えたという点も、この問題がやはり気まずいテーマであることを示す大きな課題だ。問題が生じたなら非難の矢は「米国言論」に向けられ、韓国言論は回避することができるためだ。(これは日本の言論もしばしば使う方法であり、日本国内で言論のタブーと見なされるテーマに対しては、わざわざ外信に情報を流してから外信を再引用したりする。)
韓国が自慢する伝統、偉人を批判するのが「タブー」ならば、日本をほめたり日本と比較して韓国社会を批判するのは「命を投げ出す行為」と言っても言い過ぎではない。韓国で英雄として歓迎されたプロレスラーキム・イルが、「私は日本の人々は素晴らしいと思う。いろいろ学ぶ点が多い。しかし、韓国でそういう話をすることはできない。韓国人が韓国のことを悪く言うのか、あいつは親日派だ、というような声を聞く。」という話をした心情はいかばかりか。(注2)
(注2) 小針進『韓日交流スクランプル』(大修館書店)
もしキム・イルが生前にこうした話を公にしたならばどうなっただろうか?彼の予想通りに「親日派」という声を浴びせられ、一瞬で英雄から売国奴になったり、一時の韓国の英雄を今さら突き落すこともできず、言論の沈黙によって最初から報道されなかったかも知れない。キム・イルは「一個人」なのでそんな話はできなかったかも知れないが、少なくとも「言論」であるならば、国民の反発や非難を覚悟してでも客観的な記事と事実を報道しなければならないのではないか?
「怒り」を煽る報道姿勢
反日感情を引き起こすのに最も効果的な方法は、「怒り」を注入することだ。 つまり、韓国人が怒りそうな部分を刺激する。いくつか例を挙げてみよう。
まず、韓国の危機や漢国人の失敗を見て日本が快哉を呼ぶという内容(IMF危機の時に日本が支援要請を断ったという記事や、キム・ヨナが失敗した時に日本ネチズンの中に「転ぶことを望む者がいる」という内容の記事を書くこと)。
二番目に、嫉妬心を誘発する記事(米国やヨーロッパには日本マニアがいるが、韓国に関してはよく知らないと愚痴をいう読者投稿を掲載)。
三番目に、韓国と韓国人を侮蔑したという内 容(ノ・ムヒョン前大統領を「ノ氏」と表現したと激怒する反応)。
刺激的な内容は確かに読者、視聴者の目を引くが、そのような素材にだけ頼るのは社会に良くない影響を及ぼすことになる。したがって韓国言論が不明確な報道や恣意的解釈で「日本たたき」に焦点を合わせているという点は非常に残念な部分だ。日本を絶対悪のように描きながらもテレビ放送局が毎年日本の番組の盗作疑惑を指摘されるという現実に違和感を感じるのは、敏感過ぎるためなのだろうか? 誤りを批判するのは言論の義務であり使命だと言えるが、国民感情を「怒り」に導く姿勢はやめなければならないだろう。
<コメント>
あおコ~ナ~、キム~イル~こと~おおき~きんたろお~(大歓声)
さて、韓国のマスコミは、この『キムチ愛国主義』という本のことは知りもしないか、知っていても「何言ってやがる」という程度にしか思っていないんでしょうねえ。この本が出てから3年ぐらいたつのに、この3年間で韓国の日本報道の質が向上したという印象は全くない。
「誤りを批判するのは言論の義務であり使命だと言えるが、国民感情を「怒り」に導く姿勢はやめなければならないだろう。」というのは全くそのとおりで、ぜひそうなるよう願いたいものですが、それ以前に、韓国のマスコミの日本関係報道には、竹島問題を初めとして「誤り」が多過ぎる、ということも大きな問題でしょう。