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安秉直先生の新大統領への注文

アン・ビョンジク教授 「朴当選人、知識人なら敢然と実践する姿勢が必要」
 
[崔・ 朴の時事トーク板] 236
テレビ朝鮮 2013.01.02
 
 

 
 
2日、「時事トーク板」には「元老経済学者」であり時代精神の理事長であるアン・ビョンジク(安秉直)ソウル大学名誉教授が出演した。
一時代を「社会主義者」として過ごして来たが、日本に滞在して社会主義の虚像を悟り、以後ニューライト運動を導いて保守勢力の代表的理論家として活動して来た彼は、既に十余年前から「国民大統合」の概念を公表、我々の社会の理念対立の解決方案を模索して来た。
 
アン教授は、保守と進歩の間の大決戦が展開された今回の第18代大統領選挙を振り返って、「ムン・ジェイン候補と比べれば、パク・クネ候補がはるかに準備が良くできていた。」とし、「社会階層を見ても、パク・クネ候補を押す階層がずっと安定的。ムン・ジェイン候補を押す階層は不安定で、その中に分派が多かった。」と語った。また、「選挙期間中にぶれたムン・ジェイン候補の“原則。 国政哲学と確かな設計図が無かったから敗れた。」と述べた。
 
また、今回の大統領選挙で2030 5060という世代間の葛藤が起きたことに対して、アン教授は、「2030世代はまだ書物を通じて外の社会を理解する世代。5060世代は自己の経験に即して方向を見るから、互いに合一することができなかった。」とし、「若い時に覇気を持って社会をきちんと設計すれば好きになると思うが、経験を積んで見ると経験依存性を理解するために、急に変わることは難しい。」と述べた。
 
今回の選挙で敗れた民主統合党の課題として、アン教授は、「二つの世代をいかに合わせて率いていくのかが野党が抱えた課題」とし、「現在民主統合党にいる人々が互いに調和すれば希望があり、それがなければ野党圏は分裂する。」と語った。
 
二分された民心と「国民大統合」という大きい課題を背負わなければならないパク・クネ当選人に対して、アン教授は、「知識人なら敢然と実践する姿勢が必要だ。」と語った。「すべての社会領域には必要な原則が必ずある。原則に即して事を処理するとしても、社会問題というのは人間の問題。温かく接近しなければならない。」と忠告した。「例えば、双竜自動車問題は非常に解決しにくい。」とし、「もともと一定の利害関係がある集団だから、貫徹させようと思っては事態はほぐれない。原則に従って、温かく近付くことが肝心。」と述べた。
 
 
 出演者 :アン・ビョンジク ソウル大学名誉教授
 放送日時 : 2013 1 2 () 11 50
 進行者 : チェ・ヒジュン取材編集長、パク・ウンジュ朝鮮日報文化部長
 
 
 
<コメント>
 パク・クネさんは「国民統合」という旗印を掲げてはいますが、さてどうなるか。
 
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「日本に謝罪ばかり求めて何になるか」安秉直2006

転載


5年も前の古いものですが、安秉直先生が韓国のテレビのインタビューに答えたことについて、日本のテレビが取り上げていたんですね。新聞記事はこちらにあります。→「日本に謝罪ばかり求めて何になるか」http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/25153315.html



ニューライトを捨てたのではない(4)


<インタビュー>
左右「国民統合」を唱える安秉直「時代精神」理事長

デイリーアン2009年10月3日

http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=dispute&articleid=20091003064447556h4&type=date


(続き)

  安理事長の「友情的関係」は柔軟性と尊重の意味がこめられていた。残念ながら、最近保守と進歩の共生モデルを模索するシンポジウムで確認できたのは「同床異夢」だったというのが現実。相変らず相手を圧倒したいとか主導権を取ろうとする争いは終わらない。

  安理事長は、これに対して、「健全な競争と協力に昇華させることができるのではないか」と問い返した。相手を認め、次に差を確認する。そして次からは差異から来る所感を話して少しずつ心理的距離を狭めて行く。互いを知らなければ誤解と虚像は増幅するものと決まっている。実体が分かったら話は変わる。不必要に神経を逆立てて難詰の刃を狙う理由も少なくなる。

  回り道だが、持続的にこのような過程を経れば安理事長が言う「友情的関係」も可能になるのかも知れない。しかし、相手に向けた敵意の溝は深い。
「敵対的な緊張感が強いが...」と問いかけたところ、安理事長は、「だから自由民主主義、特に自由主義を基本からやろうということだ。」と答えた。懐疑的で簡単に同意することができない記者に、安理事長は、「相手を敵対的なものと捉えて、一括りにしてしまうのは民主主義ではない。」と念を押すように言った。




(安)相異なる人々同士が協力できるかと、敵対的なのに可能なのかと言う話、間違いではないですね。そのように言う理由は分かっています。ところで民主主義、自由主義は一人ひとりの自立、主体性をいかして認めるんです。百人百色だから、すべて同じにはできないです。これを無理やりにまったく同じく合わせる? それは全体主義ですよ。共産主義は階級間の対立とこれに対する闘争が基本だが、民主主義はそうではないということです。



  安理事長は、「進歩左派は現在政権競争から疏外されているが、彼らにもいつかは奪取する機会を与えなければならない。」と言った。「保守右派が独占すれば健全性を失うことにつながる。」と言う憂慮からだ。ただ、「失敗に対する痛恨の反省と刷新、時代的精神の吸収がなければならない。」と言う条件が付いた。

  安理事長は保守右派にも「宿題」があると指摘する。国民統合に自発的に、そして粘り強く取り組まなければならないというのだ。




(安)我々の中には、まだ閉鎖的な民族主義や極端な理念二分法の陰が濃く残っているが、問題意識とは別に、見ようとしない雰囲気が強いですね。民主的手続きによって政権が変わって、保守右派が正しかったということが証明されたのではないですか。不信と否定を乗り越える出発点は保守右派にあります。
  保守右派は政権を新たにつくるのに寄与したし、その責任があります。残念なことに、保守右派は受動的な面が多いです。おおむね、個人の問題にはエゴイスチックな位に関心が高いが社会的問題に対しては無関心だったり沈黙することがかなり多いです。今、流れを主導する保守右派が先に手を差し出して分裂の痛みを治癒しなければなりません。





  安理事長は、保守右派が国民統合の解答を提示するために、常に研究して深刻に悩まなければならないと言った。既得権を取っていた保守右派陣営の譲歩と理解を望む進歩左派陣営に、本当の自由民主主義の実現と法治主義の確立、市場経済体制の発展を受け入れさせるためには理論的体系が切実に必要だという話だ。

  所信と信念が入り混じって、捻れて混沌とした世の中だ。誰かの所信は「守旧」となり、別の所信は「愛国」や「民主」になる。そしてその「所信」は状況によって相異なる評価を受ける。力任せに自己の意を貫徹するということが驚異的なことで、大部分の所信はたちまち風波のように流される。

  しかしこの老学者は違った。「思想的転向」の後、彼の関心は常に「自由主義」にあったし、論争を躊躇せず力強く自由主義の地図を描いて行っている。 安理事長の描く地図が「従心所欲不踰矩(心が望むところに従うが、法道に行き違わない)に触れることができることを応援して事務室のドアを閉めて出た。閉まるドアの隙間から、安理事長がインタビューのために置いていた本をまた取り上げる姿がふと見えた。

  「大博打のようだって? 自由民主主義は、自由民主主義らしい社会になろうとするなら、健全な思想だけ取り出して、脱落させる行為は止揚するが、左右合作式の曖昧な論議はだめだと言うのが信念」と句読点を付けた安理事長の挑戦がどんな方式で形を成すのかは分からない。しかし、真正な意味での「合理的保守」に成長する大きな過程に安理事長の挑戦が力を加えるだろうと言うことは明らかだ。


(終わり)

ニューライトを捨てたのではない(3)


<インタビュー>左右「国民統合」を唱える安秉直「時代精神」理事長

デイリーアン2009年10月3日

http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=dispute&articleid=20091003064447556h4&type=date

(続き)


(問)現在の保守と進歩はとても違う。差異を表す「違う」ではなくて是非を正す「合わない」と言う言葉が思い浮かぶほどに平行線なのだが、両者を結ぶことができる共通点があるのか。

(答)「北韓の先軍政治が正しい」とか「北韓式の独裁体制が人民を安楽にする」と思う人はいないだろう。「この国が良くないから畳んでしまって新たに作ろう」と言ってもこれに全面的に同意する人もほとんどいないだろう。

  いつまでも87年民主化当時にとどまることはない。経済が発展するほど、政治、社会、理念も発展しなければならない。韓国の自由民主主義は「大人」に成長しなければならないのに、「闘争」のみを強調するのは望ましくない。

  まだ対立的な側面だけが拡大再生産されているから不可能だといわれるが、考えて見れば我々の中の「共通点」もいくらでもある。保守も進歩もまだ「先進化」することができなかったということと、陣営の論理に拘泥しているということ、そしてこれからは大韓民国という体制を否定することができないということだ。大韓民国の中で自由と繁栄、人間的権利を享受しているし、この体制が危なくなればすべての価値が喪失するということを保守、進歩、皆が分かっている。なおかつ、進歩も保守も「先進化」の必要性を痛感している。

  見方によっては否定的な側面もある「共通項」だが、互いを連結することができるという点では示唆的だ。悟ることができなかった共通点を捜してみれば、対立は緩くなり関係は柔らかくなる。



        

  進歩左派陣営は、保守右派陣営を過去の反共主義と権威主義から脱することができなかった蒙昧な守旧勢力と見て、 保守右派陣営は、進歩左派陣営を従北主義及び社会主義として大韓民国の正統性を軽視する勢力だと見る悪循環は今も続いている。それで、安理事長の論理は、美しいがおろそかに手をつけることができない「ホープ・ダイヤモンド」のようだった。当為性に導かれて手を伸ばせば、むしろさらに大きな混乱がやってくるという気がした。

  安理事長に「理想論ではないか」と再び問うたところ、彼は「そうではない」と返事した。声に力が入り、身を寄せて来た。


            



(答)時代的課題に対する認識が自覚されないからです。国民が「統合」と「疎通」を願う理由は、繰り返される葛藤に嫌気を感じたからです。自由民主主義はこんなものだと進歩左派陣営が言うが、韓国で実現しなければならない民主主義とは何なのかを見せてくれるのは確かに失敗しています。そうであれば、根からきちんと悩んで考えて見なければならないじゃないですか。盲目的な憎悪、狂気じみた毒舌、実体がない偽り煽動では目を覆うことができないです。そんな時代は過ぎ去っています。「共生」を唱えながら後ろで刀を抜く行動に国民がどれほど身震いしていますか。




「陣営の論理を克服することが最初の歩み」と語り始めた安理事長は、「自由民主主義の基本に帰れば解答が出ること」と言った。





(問)安理事長の話は説得力があるが、憂慮する人もかなり多い。時期尚早という言葉もあるが...

(答)先進化というのは一人ひとりの特性が発現されて、調和を成して和音を合わせることだ。自由民主主義の先進化とは、自由民主主義を自由民主主義らしくしようということだ。自由民主主義の体制内では多様な思想が共存しなければならない。

  自由民主主義体制を支える基本思想である自由主義は、本質的に懐疑主義を内包している。「私が正しい」という絶対的正当性を持たない。「自由は正しいのか」、「この方向は妥当なのか」などを絶えず懐疑するのだ。自らを正しいと思うが、同時に他の思想にも正しい点があり得るから、自分の以外の者が間違いと言う根拠はないという態度を取る。だから、自由主義の中では自由主義、社会主義、社民主義、はなはだしくは共産主義まで多様な思想が呼吸することができるのだ。

  もちろん、その基準は明確でなければならない。大韓民国体制に対する肯定が基本土台だ。自由民主主義体制を規定した憲法秩序を陰謀と暴力によって転覆させないという約束はしなければならない。そうでなければ共存することができない。先進国の場合も、自由民主主義憲法体制を承認する限り共産主義も許容される。そういう意味で、韓国においても、政治理念として自由民主主義と社会民主主義のような基本理念の外にも、社会主義や共産主義など多様な思想が共存しなければならない。

  何よりも、自由主義は排他的ではない。これをいつのまにか私たちは忘れていたのではないかと思う。60年という短い時間で社会、政治的に屈曲を経験したし、理念的にも悪路をかきわけて来なければならなかった。自由主義の寛容と説得は活躍の場がなかった。自由民主主義は、一つの共同体の構成員たちが友情的関係を基礎にした寛容と説得の過程でのみ成り立つことができることを再確認する時だ。


(続く)

ニューライトを捨てたのではない(2)


<インタビュー>左右「国民統合」を唱える安秉直「時代精神」理事長

デイリーアン2009年10月3日

http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=dispute&articleid=20091003064447556h4&type=date

(続き)

(問)ニューライトの母胎だったのに、あえて「ニューライト」の名前を下ろす必要があったのか。ニューライトに合う「何か」が国民統合にあるという話か。

(答)ニューライトを捨てたのではない。まずそのことを明確にしておきたい。ニューライト精神を継勝、発展させたものが国民統合だ。ニューライトはオールドライトとは違い、本来の意味の自由主義をこの地で実現することを主張した。その延長線上で、建国と産業化を通じて経済が発展して民主化が成り立つことができたということ、ひいてはそのすべての過程が大韓民国を世界でも模範的な国家に成長させたことをニューライトは見せてくれた。

  建国や産業化は、当時の時代が要求する役割を果たした。ただ自由民主主義を行うための前提条件、すなわち厚い中産層と企業の発達などが充分でなかったために、内容的には反共主義と権威主義を採ったのだ。建国と産業化の時代は、韓国内外の情勢を考えればそうなるしかなかった理由が明らかだ。世界的に左右対立の時期で、共産主義者たちは地下活動を通じて自由民主主義を転覆させようと活動していたし、北韓には共産主義が強力に形成された状態だった。企業は未成熟で中産層はまともに形成されなかった。自由民主主義を守って市場経済を発展させるために反共主義と権威主義は一つの選択だった。

  今は状況が変わった。反共主義的自由民主主義や権威主義的自由民主主義ではなく、文字どおりの自由民主主義が実現しなければならない。ただニューライトが胎動した時には左偏向的な面があったから保守右派をいかして政権交替を強調したのであって、今は新しい政権の中で自由主義を具体的に実現するために国民統合を強調することになったのだ。
  政権が変わって大衆的騒擾が続いた。統合の結節点なしに葛藤が持続したが、ますます度合いが激しくなるという感じだった。これは決して望ましくない。ニューライト運動を始めた責任感から、大きな構想を描かなくちゃいけないと言う気がした。それが国民統合だ。


(問)国民統合とそのための疎通と共存は、窮極的に私たちの社会が志向しなければならない方向だというのはそのとおりだろう。しかし、果して可能なのか。

(答)私には必然的なことで、結局そのようになるだろうと言うそれなりの信念がある。実は進歩左派陣営では私に「物知らずの話だ。 保守反動として烙印を押されているのに国民的支持を受けられるのか」と言って冷笑的な反応を見せる。保守右派も同じだ。私に対して色眼鏡を掛けて見る人もいる。しかし、時代の流れとして疎通と共存、国民統合をしなければならない時期へ来たと思う。

  韓国社会は国民統合の条件が成熟している。建国当時には大韓民国号はどこにどう進むのかということに対する自覚と確信がなかった。そんなわけで反共の性格の強い自由主義が有効だったし、自由民主主義が発展することができる産業化のために権威主義的性格が強く現われたりした。今は産業化と民主化を経て市民社会が成熟し、社会が安定の段階に立ち至った。これまで保守と進歩は反目して対立して迷った。発展の過程でそういう部分は刺戟剤になることもできるが、安定した社会で極端な二分法は障害物になるだけだ。

  なおかつ、広くは先進各国、狭くは韓国だけ見ても、自由民主主義こそが成功した体制であることが立証されたのではないか。体制競争は消耗的で、共産主義に対する賞賛や美化を認める国民もいない。体制選択を超えて、これからは安定した体制の中で「どんな未来を作るのか」を考えなければならない時だ。


(続く)

「ニューライト」を捨てたのではない




「ニューライトを捨てたって? 継勝発展しようということだ」
「保守でも進歩でも、陣営の論理から離れて意思疏通して見よう」

<インタビュー>
左右「国民統合」を唱える安秉直「時代精神」理事長
「繰り返される葛藤に国民は不安…正しい自由主義を夢見る」

デイリーアン 2009年10月3日

http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=dispute&articleid=20091003064447556h4&type=date


  やさしくない質問を口の中でくどくどと繰り返しながら、麻浦区大興洞にある「時代精神」事務室のドアを開いた。「ニューライトの代父」と呼ばれる安秉直(アン・ビョンジク)理事長(73)とのインタビューのためだ。

  最近、「疎通」と「共存」を強調して保守-進歩が大きいフレームで「統合」するモデル作りに乗り出した安理事長に対する視線は冷笑的だ。思想的転向をしたという理由で保守右派内部では「また左へ転向するのか」と憂慮する反応を見せ、進歩左派では「もっともらしい理屈だけで何をしようというのか」と懐疑的な反応だ。
特に保守右派の視線はより冷たい。安理事長の所信をけなしたり皮肉る人もいて、憂慮する人々も少なくない。「政治をしようとしているのではないか」と言う批判も出た。

  論争を楽しむこの老学者にあからさまに尋ねるのがちょっとすまなくて具合が悪いのは、このためだった。 保守右派運動の一軸がいわゆる「アスファルト右派」の「街頭闘争」だったとすれば、他の一軸は「ニューライト」の「刷新」だった。左偏向という言葉がめずらしくなくなくなったのも、 保守右派政権の必要性に国民が確信は持てないがそれでも共感したのも、非難を恐れずに乗り出した安理事長のような人物たちがいたから可能だった。だから自分に向けられた保守右派陣営からの批判は特にこたえるはずだ。しかし、この老学者はたんたんと語った。

 「私に向けられた視線が冷笑的なことは分かっています。意思疎通をしよう、共存する社会を作ろうと言ったところ、進歩左派陣営では「物知らずの話」と言い、保守右派陣営では「元々左側だったのではないか」と言いますね。」

  安理事長は、「耳があるからそんな話は自然と聞こえてくるもの。しかし問題ではない。私も年齢70を過ぎたから、怖いものもない。」と冗談のように言いながら笑って見せた。疎通と共存に対する彼の信念は確固だった。見ようによっては、彼の旗印は理想論だと片付けることもできるのだ。孔子が「正しい道」を強調して自分の理想を実現しようと考えたが、10年という放浪生活のあげく現実的には意味を広げることができなかったように。そして、当時、孔子の「理想」はすぐに実現できない「宿題」であったように。しかし安理事長は「必然的に成り立つもの」と確信するように言った。彼の語り方は清潔でやや低かったが、ぶれない信念で熱意を抱いていた。


(問)時代精神に名称を変えて「国民統合」を目標に立てた。理念的志向点として国民統合とは、抽象的であいまいではないか。

(答)国民統合は先進化のための必須条件だ。建国、産業化、民主化そして先進化に進むのが韓国現代史の発展段階なのだが、先進化に進入するための前段階が国民統合だと思う。まだ国民統合についてはっきりと理解する人が少なく、多くの誤解があるようだ。


(問)ニューライトの母胎だったのに、あえて「ニューライト」の名前を下ろす必要があったのか。ニューライトに合う「何か」が国民統合にあるという話か。

(答)ニューライトを捨てたのではない。まずそのことを明確にしておきたい。ニューライト精神を継勝、発展させたものが国民統合だ。



(続く)

日本の植民地支配によるものであっても、変化は変化


ニュー・デイリー アン・ビョンジク先生インタビュー
2009-04-16
http://www.sdjs.or.kr/bbs/board_view.php?bbs_code=bbsIdx2&bbs_number=87


              (6)

(問)労働運動を10年したと言うことですが、変革運動に対する今の考えはどうですか?

(答)私は労働運動を直接したことはなくて、指導のみをしました。そのころは、マルクス理論によってプロレタリアが運動の主役だと思ったので、弟子たちに労働運動をしなさいと言ったんです。プロレタリア階級が革命の一番中枢的な勢力だから、弟子たちは偽装就業をしました。ところがその理論も変わって、一般プロレタリアは視野が限られるから、レーニンの「前衛党理論」というものが出ました。前衛党はプチ・ブルジョア中心です。これは共産主義理論の矛盾ではあるが、プチ・ブルジョアであれば全体的な姿を見るだろうということです。レーニン、スターリン、毛沢東、すべてプロレタリアではないプチ・ブルだったんです。本来は労働階級が革命の主役にならなければならないのだけれども、実際はそうではないので、それがコンプレックスになりました。それで、どうすればプロレタリア出身がリーダーになることができるのか絶えず悩みましたが、結果的に、ただ一度も歴史の中でそれが成立したことがないです。理論と現実が違ったんです。


(問)現在の経済危機が長期化すれば、若い青年層が大韓民国を否定する側に付いてさらに増えるのではないでしょうか?

(答)アメリカの住宅景気後退をきっかけにして発生した経済危機の深刻度は、1929年の世界大恐慌の衝撃にも匹敵する側面があると言ったりします。もちろんそういう面もありますが、異なる点があるとすれば、あの当時にはおびただしい大量失業があったことです。30~40%位の失業率があったし、国民所得が急に縮小して半分になりました。しかし、今は1929年のような衝撃だと言いながらも、失業が深刻ではあるがその時ほどは高くないです。国民所得も少しずつ減少することはしたが、思ったほどには縮まってはいないです。

  大恐慌以後、経済学理論が飛躍的に発展しました。普通に発展したのではないです。従来、経済学とは所得理論と価格理論だったが、その後ゲーム理論というのが出て、制度経済学と福祉経済学が発達しました。それで、30年前の経済学と今の経済学は比較自体ができません。今は、本当に社会の隅々まで経済学が皆分析する状況になりました。

  私が見通すには、今年の上半期あるいは下半期までは厳しいが、すぐ回復するものと見ます。アメリカのガイトナー財務長官の方策を見れば、原因がどこにあるのか正確に分かっていることが見えます。結局、不良債権をどう整理して崩壊した住宅景気をどんなに活かすのかがカギで、まさに方策はその点に照準を当てているんですよ。アメリカで不良債権整理が始まるからアメリカ経済が少し苦しんでいるんじゃないですか? 各国があのように対応し始めたら、世界の景気は今年の下半期から回復するんではないかと思います。

  仮に景気が継続して悪くなると言っても、韓国社会が非常に不安定になるとは見ません。なぜかと言うと、大韓民国の正統性を理解して経済と民主主義の発展を認めて我が社会を肯定的に見る絶対的数字はあまり多くはないが、経済と民主化によって恩恵を受けた社会的階層が非常に大きくなったからです。大韓民国の正統性を否定して反対する人々も、自分たちが享受する成果に対しては決して放棄することができないんですよ。そんな階層が多くなりました。自分たち自らを中産層だと認識してもしなくても、その階層自体はたくさん増えました。

  そして、韓国の企業が相当に発展してしまいました。資本主義と市場経済を否定しようとすれば企業を否定しなければならなくなるが、どんな政権でも、これらを無視する経済政策を展開することができますか? 万一、金正日が南韓を襲ったと仮定するとしても、それは、金正日が政治的には支配することができるが経済的には企業と市場に支配されるしかない構造です。金正日が経済政策を変えないというなら、企業を統制する方法がないはずです。
  このような状況を正確に認識すれば、韓国がぶつかった困難について苛立たしさを感じないで長期的な視野を持って対処することができます。それで、もう少し自信感を持ちなさいと私はニューライトの人たちに話します。左派が執権しても少し傾きかげんになるだけで、根本を変えることはできないです。そのように自信感を与えるからニューライトに対する韓国社会の世論が変わりますね。韓国社会がそんな構造を持っているということを私たちが深く認識することがすごく重要です。


(問)「植民地近代化論」に対して批判を多く受けたが、これについてもう少し具体的な説明をしてください。

(答)一つだけ、私が逆に質問して見ましょう。植民地以前には、中国より韓国が社会的、経済的に遅れていたんです。ところが、植民地以後は韓国が中国より社会的、経済的に先に進みました。これを認めますか? それを認めるのであれば、植民地近代化論でも非近代化論でもどっちでもいいです。ともかく変化と発展があったということだから。本質的な変化を、私たちではなく日本人たちが持って来たということのため、悔しくて自尊心を傷つけられることはあるが、それでも変化は変化です。

  重要なことは私たちが変化したということであって、しきりに他の話を持って来ながらこれを否定してはいけないのですよ。蛇足が体になってはいけないということです。明らかなことは、朝鮮後期商品経済論では説明が不可能だということです。我々の立場では日本帝国主義から抑圧と支配を受けたということになるけれども、もう少し巨視的に見れば、日本は韓半島が世界的変化を感じるようにしてくれた一種の触手に過ぎないのです。


(問)結局、グローバルな観点なのか、それとも民族主義の観点なのかによって評価が変わり得るということですか?

(答)もっと深刻な説明もできます。自分たちの歴史と文化遺産を自ら破壊した民族が、まさに私たち自身です。植民地時代の掠奪も、経済的観点で見ようとすれば、一種の取り引きでした。生きて行くことにだけに没して私たちの遺産と遺物を市場に出して売った人々は誰ですか? それさえ、日本人たちがこれを買って行って保存したから、その時代の遺産と遺物がなんとか残っているのです。全体的に見る時、植民地時代に破壊された割合は10%に過ぎず、90%は私たち自らが投げ捨てて売ったと言えます。

  近代化ということは、自尊心と感性で話すことはできません。国民啓蒙教育がいつから始まりましたか? 資本と技術の蓄積がいつから成り立ち始めましたか? 植民地時代を経て自由民主主義を基礎にした建国が成立する中で初めて近代化の芽が撤かれたのではないでしょうか? そして、それを朴正煕が完成したのです。原因のない結果は決して存在することができません。近代化の過程なしには経済発展は不可能だが、李承晩も否定し、朴正煕も否定し、植民地も否定したら、近代化と経済成長がある日急に空から降って来たという話ですか? そんなことを言ってはいけません。
  ある意味では、朴正煕がとてもうまく暮らしやすくしてくれたため、結果的に私たち国民がいまだに目覚めていない側面もあります。

(終)


[自由民主と市場経済の見張り番 ニュー・デイリー/newdaily.co.kr]



<コメント>
  歴史認識についての実に分かりやすい啓蒙文でした。少しでも多くの韓国人がこういう考え方を持つようになって、「しきりに他の話を持って来」ないようになってほしいものです。

  ニュー・デイリーの社長自らがこういうインタビューを行ったということは、ニュー・デイリーという媒体はニューライト思想の強力な支援者であるようです。

 
  文中の「大韓民国の正統性を否定して反対する人々も、自分たちが享受する成果に対しては決して放棄することができない」については、産経新聞の黒田さんが実例を紹介しています。
「ソウルからヨボセヨ 左翼5つの大罪」
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090425/kor0904250313000-n1.htm

「ニュー・ライトは暴露屋だから嫌われる」


ニュー・デイリー アン・ビョンジク先生インタビュー
2009-04-16
http://www.sdjs.or.kr/bbs/board_view.php?bbs_code=bbsIdx2&bbs_number=87

              (5)

(問)「新植民地半封建経済論」と共に386世代をとらえたのが、朴玄采先生が主張した「新植民地国家独占資本論」というフレームで私たちの社会を見ることでした。朴玄采先生が書いた「民族経済論」は 386世代の必読書でしたね。朴玄采先生は亡くなるまでその理論を結局修正しませんでしたよね? ところで、チョ・ジョンレ氏の小説「太白山脈」に出て来るモデルが朴玄采先生であることが分かっていますが。

(答)実は、チョ・ジョンレ氏の小説に出て来るのは、たいてい虚構です。事実ではないです。朴玄采先生の誇張された言葉を聞いて書いたのです。こういうふうに言えばチョ・ジョンレ氏にはさほど打撃にならないと思いますが、チョ・ジョンレ氏が私に嘘をつけないのが、私と朴玄采先生と付き合いながら話を聞いたからです。その時は70~80年代だったが、朴玄采先生とは思想的には違ったが人間的には反目したことはないです。

  朴玄采先生の「新植民地国家独占資本論」でも「新植民地半封建経済論」でも、基本的には同じはずです。両方とも階級矛盾とか民族矛盾だとか言いますが、基本的には民族矛盾を優先視する理由は、植民地という概念が入って来たからです。マルクスは決して植民地というものを入れて民族矛盾を語ったことがないです。毛沢東が植民地という概念と階級という二つの概念を持って植民地論を分析したから理論的に崩壊したのです。二元論は成立しないのですよ。
  それを私たちは今までよく分からなかったので、私がいくら話しても人々はそれを理解することができないです。理論が崩壊する理由は、資本主義理論と植民地理論を結合させる方法がないんですよ。そこから、ペク・ナクチョン氏の分断体制論が成立しないということも私が証明したんです。

  多くの体制が総合される、そんな体制は世の中にないです。この体制ならこの体制であり、あの体制ならあの体制で、多くの体制をすべて総合して分断体制というのが理屈に合いますか。ペク・ナクチョン氏は私の批判に対して返事ができなかったです。自分は非良心的だと思っているはずです。学者ならば、間違いだったと言うか、反論するか、どちらかはしなければならないんですよ。
  基本的にはその理論が問題ではなくて、「新植民地半封建論」でも「新植民地国家独占資本主義論」でも、理論的に間違っただけでなくて、それはすべて実は毛沢東理論だったということなのです。


(問)アン・ビョンジク先生と朴玄采先生の主唱した理論が、そして太白山脈という小説の中に美化されたそんな理念が、まだ一部で真実として受け入れられているわけで、それについてはどう見ますか?

(答)「新植民地半封建社会論」を受容する人々は、基本的には従北主義者です。そうでなければそんなことは言えません。進歩新党は従北主義が嫌いで離れたし、彼らはマルクス=レーニン主義者たちです。今は従北主義者も多くなく、マルクス=レーニン主義者も少数です。そんな理論に対して同調的で自分の所信のない人々があまりにも多いです。そのように付和雷同する人々は、結局は大韓民国の正統性を否定する人ですが、そんな人々が多い理由は、大韓民国が第一世界先進資本主義のように自生的、自主的に発展したのではなく、「キャッチアップ」を通じて発展したから大韓民国の歴史の中に恥ずかしい部分がとても多いと考えるからです。
  植民地、韓米同盟、権威主義政権などを経て国家が形成されました。「キャッチアップ理論」は、第三世界の国家はそうする外には近代化国家になれないというものです。そういうふうにして、先進資本主義では想像もできない短い時間に経済と民主主義をどちらも成就してしまったのです。

  大韓民国には、無残に正義が敗れて不正義が勝利した、そんな歴史があるかのように言いますが、それは本質ではなくて現象に過ぎないです。本質は、そういう中で、大韓民国というものがどんな社会も経験することができなかった早い速度の変化を経験したということです。それを説明する理論を継続的に供給しなければなりません。それで、否定的なものではなく、こんな肯定的な要素を継続して教えなければなりません。
  第三世界はこんな過程を通じて発展するしかないのです。表面的には恥ずかしいことのように見えるが、本質は新しい発展した社会を作るすごく躍動的な過程でした。それを充分に説明することができます。ニューライト思想というのはまさにそれなのです。


  植民地の過程で何もなかった、経済的に発展したこともなく、思想的に発展したこともなかったのに、どうやって1948年に制憲憲法を作って自由民主主義国家を建設することができたか? まさにそういう問題ですよ。世界のどんな国家が、経済もならず近代教育もなくて自由民主主義国家として誕生することができますか? 李承晩が40年間アメリカで正式教育を受け、そんな社会をバックアップしてくれることができるアメリカという外勢があったから可能だったのです。そんなに貧しくて後進的だった国が、如何にこのように急に成長したのか? それは輸出入国というそんな過程のため可能で、輸出入国にするために政治的に権威主義をやったんです。
  私とイ・ヨンフン氏を標的に売国奴として罵倒する理由は、私たちが一番彼らの敵だからです。思想的にですよ。こういうふうにあからさまに説明をしてしまうからです。


(問)金九先生が執権していたらどうなったでしょうか?

(答)多分、執権はできなかったでしょう。あのような空想家が執権することはできないです。もししていたら、当時に、左右合作というのは結局共産主義に帰結するものでした。その頃は、資本主義は何の可能性もなかったです。結局、韓国資本主義は、内部では我々が自由民主主義体制を建設して経済発展をなして達成したが、外部的に韓米同盟がなかったら不可能だったはずです。

  ところが、それを我々は認定をしないんですよ。だから、しきりに歴史が変に変わるんです。韓米同盟があって朝鮮戦争を経て、70万軍隊を養成したから近代化の原動力が生じたんです。70万軍隊が生じてその勢力があったから、その人々が単純な軍隊ではなくてアメリカ式で全部訓練されたそんな勢力があったから、60~70年代の経済開発が可能だったんです。そんな過程をすべて無視して、クーデターは嫌いだが経済成長は良いと言ってはいけないです。人間について話すとき、肉は落として骨だけ取り上げて説明してはいけないでしょう? 肉がなくて骨だけの人なんていないじゃないですか。
  大韓民国が、今、立派な国家になろうとすれば、大韓民国がどんな過程を通じてどんなに正当に成り立った国家なのかをきちんと学生たちに教えなければなりません。それが核心です。それで代案教科書のようなものを作ったんです。それは、大韓民国を正当化して、大韓民国を作った人々の光栄のためにそうするのではなく、今生きている私たちの将来のためにそうしているのです。

  大韓民国を根拠とせずに、どこに私たちの自由と幸福を担保してくれる社会が別にありますか? 大韓民国を否定してそんな社会をまた作ろうとすれば、大韓民国を作る以上の苦痛が後に伴わなければなりません。私たちが自由で幸せな国家を作るためには何を基礎にしなければならないか、その出発点を確認しなければなりません。
  一番重要なのは、今生きている私たちの幸せを誰が担保してくれるのか、それをどう確認するのか、それがなければ大韓民国は正当でも不正でも関係がないはずです。どのような国家と社会的背景の中で生活が成り立っているのか、今の我々国民は分かっていません。



(続く)


<コメント>
 いやあ面白い。このあたりがこのインタビューの核心部分です。至って当たり前のことばかりではあるわけですが、実に適確な分析だと思います。

 私は、日本に向かって「過去を反省しろ」といつまでもしつこく言ってくる韓国人というのは、たぶん、「大韓民国の正統性を否定する人」であり、「キャッチアップを通じて発展したから大韓民国の歴史の中に恥ずかしい部分がとても多いと考える」人たちなのだろうと思っています。

「進歩派」は実は保守的で、保守的な自由主義者が一番進歩的

ニュー・デイリー アン・ビョンジク先生インタビュー
2009-04-16
http://www.sdjs.or.kr/bbs/board_view.php?bbs_code=bbsIdx2&bbs_number=87


              (4)

(問)変わろうとしない 386世代の信念は、果して宗教でしょうか?

(答)私が見るには怠慢だと思います。何故ならば、絶えず真理を追い求めて掘り下げなければならないのに、一応固定的なことと思うようになればそれを財産だと思ってこれを守ろうと思うようになります。それで、そういう人々が一番保守的になります。
  その人々が進歩派と言うが、人類社会で進歩的だと表現される集団が一番保守的です。一番保守的な自由主義者たちが一番進歩的です。進歩主義者たちの信じる社会は決して変わらないのです。自由主義者のほうが絶えず変わって行きました。社会的、歴史的な躍動性を殺すのが進歩主義者たちです。

  我々は進歩派だと名乗ろうという人々もいましたが、私はこれに反対しました。あちら側が進歩だと言い、私たちも同じく進歩だと言えば、結局負けます。保守の価値を立証することができなければ絶対に進歩に勝利することはできません。保守が進歩に比べてなぜ価値があるのかを国民に説明することができたら、保守が勝利することができます。もともと進歩とか保守とかは一種の固定的な表現であり、この絶対的価値を国民に説得することができなければ勝つことができないです。真正な保守の価値を国民に教えて認識させなければなりません。



(問)キパラン社から出版した対談集「大韓民国、歴史の岐路に立つ」の序文で「私の学問的業績が早く時代遅れになって消えることを願う」と言われたが、その業績とは何をおっしゃったんですか?

(答)すべての学問的業績は、相対的で不安定です。絶対真理というのは存在しません。誰の研究、思想、理念でも皆絶対的な真理として存在することができないです。それが破られない限り、人類がそれ以上幸福な境地に進むことができないです。それが破られながら新しい真理がさらに発見されなければなりません。

  そうするためには、植民地近代化論や低開発国状況での「キャッチアップ仮説」とか科学的統計整理とか、そういうものがとても重要です。こんな仮説を持ってしばらくは努力しなければならないが、そういうものが必要のない社会に早くなれば先進国になります。そういうものが相変わらず正しい状況であれば、韓国はずっと過渡期状況のままだということです。早く脱却しなければなりません。70年代と80年代前半期までで一番重要な研究と言えば「植民地半封建社会論」と「韓国民族主義研究」です。それを裏付ける経済学的研究が少々あります。80年代中盤以後では「中進資本主義論」を筆頭として「キャッチアップ理論」を開きました。そんなことを中心にしてさまざまな文章を書いたんです。



(問)まだ怠惰の中にいる人々の目を、どう開くようにしなければなりませんか?

(答)今まで申し上げたことが核心です。80年代中盤までは、韓国社会は自生的、内在的に民族主義が発展して、外勢は帝国主義勢力であって韓国が生活できないようにする存在だと言う考えが主流をなしていました。それが思想の中心になっていたが、韓国の労働運動、民族運動、民主化運動、皆がそういう仮説に立脚していました。しかし、韓国社会はむしろ先進諸国との協力を通じて高度成長をなし、高度成長を通じて国力が培養されたために自主性がさらに培養され、それとともに韓国社会に自由が付与されて民主主義が実現した、このような状況をきちんと認識しなければなりません。そんな認識なしには絶対に思想転向を期待することはできません。

  人間の思想形成というのは理論を通じてなされることが多いけれども、根本的にはすべての人間は生活人です。自分の生活が何によって支えられているのか、その根本が分かれば自分の思想が変わるようになっています。君は大韓民国に住んでいるから今の月給をもらっている、もし北にいたなら君の生活はどうなっていただろうか、そのように問うて見ること、それ以外の方法はないです。自分の生活を反省できるように、いつも刺激を与えなければなりません。



(問)「新植民地半封建社会論」というフレームで韓国社会のすべてのものを分析して来られました。そんな先生の文章で勉強して来た多くの学生たちは、そこにとどまったままで、これ以上変わらないようです。どうすれば良いですか?

(答)それがとても難しいところです。人間が思考のフレームを壊すということは、変化するということを意味します。変わるということは、それ以前の人間関係を皆捨てるということを意味します。自分が住んでいる社会との関係を断絶して新しい関係を形成するということは、死の深い穴に入って行ってから出る苦痛を甘受すればこそ可能です。煉獄を通過しなければならないのですよ。それも自らしなければなりません。一粒の小麦が腐ると新しい芽が出ます。

  思想的転向というのはそう簡単にはできません。理念的衝撃を受けただけではだめであり、自分の生活に対する反省を通じて悟らなければなりません。宗教や真理というのは、ある瞬間にふと悟ることがなければならないんです。単純な論理ではだめです。生活を通じて行われなくてはならない、単純な理論ではだめです。



(問) 先生の世代が作っておいた変わろうとしない人々を、どうにか変化させることはできないでしょうか?

(答)初めに私が日本から帰って来て個別的に私の後輩や弟子たちを説得して見ましたが、到底不可能でしたね。これではだめだと思って、従来私たちが運動する時の表現のように、そんな時には思想闘争をするしかなかったです。それで思想闘争を始めました。人々を救済するためには思想闘争の外にはなかったです。それで中進資本主義論を書いて、社会主義論に対してずっと間違いだと批判しました。今でも、右派に属しているからと言って左派の人々と話をしないわけではないです。なぜその人々が間違っているかを常に指摘することで、それがその人の生活の中で証明されるように、生活を通じて自らが感じるようにしなければなりません。



(問)キム・ムンス京畿道知事を念頭に置いてのお話ですか?

(答)そうです。私が弟子である彼に、「お前、今までは労働者はお前を必要としていたが、今からはお前を必要としないぞ。」と言いました。「労働者たちが今は成熟して、お前のような知識人は必要性が消えたな。お払い箱だ。」というわけです。彼が監獄に入って出て来てまた接触したわけですが、もう労働者たちが成長して彼の必要が消えたんです。すると彼が1年後に尋ねて来て「先生のおっしゃるとおりでした。大変なことになりました。」というわけです。その後完全に変わるまで7~8年も付きあって説得しました。その過程で仁川事態を経験し、そんな過程を通じて彼は変わりました。
  私がそれでも幸せなことは、学問の弟子たちはすべて1年で変わりました。しかし、思想闘争をする人は5~10年かかりました。私が付きあいながら説得したのは、私に原罪があるから。やっぱり時間を持って、生活をしながら徐々に変わる以外には方法がないです。



(続く)

「我が国は理念が過剰だから、科学が山に行ったりします」


          安秉直(アン・ビョンジク)社団法人「時代精神」理事長(73)


「植民地・李承晩・朴正煕を否定しながら経済成長は認めるのは理屈に合わぬ」

ニュー・デイリー アン・ビョンジク先生インタビュー
2009-04-16
http://www.sdjs.or.kr/bbs/board_view.php?bbs_code=bbsIdx2&bbs_number=87

                 (3)

(問)なぜだったんですか?

(答)なぜなのか、私もよく分からないです。当時、私も捕まったりしたが、その時、中央情報部の知り合いが、「君のよう人物は反対運動をしてもかまわないのさ」と言うんですよ。その理由をつくづくと考えて見れば、1980年初めに学生たちが学校を攻撃するのを、私が出て行って止めたんですよ。私たちは良い社会を作るためにこのようにしているのに、これは違うと言いました。多分、そういうことが中央情報部に報告されていたのか分からないが、「あんたは、たぶん社会が危ない状況になればとても役に立つ人間になるだろう」、 そう言われましたね。
  そして、私が事実上、当時の361人教授宣言を主導したが、キム・ジンキュン先生がしたことだと思われていました。当時、私は演説をしに行かなければならなくて、印刷物をキム・ジンキュン先生に見てくれと言ったことが理由でした。ペク・ナクチョン氏は中央情報部の監視が厳しくて、とても気を付けなければならない状況だったんです。

  ちょうどそのころ、私の名前が国際的にかなり知られた状況だったので、東京大学へ来て教えないかと言う提案が来ました。私は外国に留学したことが一度もなかったのです。行きたかったが、解職された人たちを後押ししなければならなかったので、断りました。私が去ることは人を裏切ることになると思いました。大変でした。金を集めにあちこち行ったり。ところが、その人たちが幸いにも 84年秋学期に復職しました。私がその人たちに東京大学に行っても良いかと尋ねたら、「あなたも苦労を多くしたから行って来なさい」ということで、行くことになりました。


(問)東京大学から帰って来るや、落星垈研究所を作ったんですね? イ・ヨンフン先生のチームと一緒に。

(答)私が日本に行って来て、1987年に落星垈研究所を作ることになった決定的なきっかけは、当時、手元に金が少しばかり生じました。イ・デウォン教授と私が不動産投資をしたことがあったんですが、それが急に何十倍にもなったのでこれを売ることにしました。イ教授に、「これは、あなたと私が個人的に使えば罰当たりになるから、一緒に出資しよう」と言って、そうして研究所を作りました。

  研究所を作る時に感じたのは、理念というものは客観的な事実の裏付けが無ければ人を欺くことになるということです。我が国は理念が過剰だから、科学が山に行ったりします。科学の基礎になるのは結局は統計です。それで統計の整理を始めました。長期の統計を整理して真実を明らかにする、そんな動きは、当時、日本に既にありました。
  韓国近代100年の統計の流れを見れば大きい山脈がどう流れているのか分かるはずだと考えました。到底無理だと思っていた第三世界の資本主義の成功は非常に世界史的な大きい流れだから、微視的分析では真理が分かりにくいと思いました。そのようにして研究所活動が始まりました。

  第一世界を見る目と第三世界を見る目は違わなければなりません。歴史的経験が違うからです。ここで一番重要な点は、第一世界の近代化及び資本主義は、自生的に、内部から経済の動力が出て徐々に成立して発展したということです。どうしてそのようになったか、 世界の資本主義が最初にそこで成立した国家だからです。外から影響を受けて発展したのではないんですよ。16世紀中葉にイギリスを中心に大西洋で資本主義が成り立つ時は、はじめから自生的な過程でした。これを、経済史理論あるいは歴史理論では、資本主義移行理論だとして、どうやって資本主義が自生的に発展するのか、それだけを常に研究しました。

  キム・ヨンソプ先生の「朝鮮後期資本主義萌芽論」も大きく見れば学術的にそれと同じ流れです。ところが、日本で、「1930年代中盤に日本資本主義が内生的にのみ発展したのではなく、世界の資本主義の影響を受けて発展したのではないか? 日本の資本主義というものは、西洋の斜陽産業が日本に渡って来てこれを日本が効果的に受容したからできたことではないか」という理論が出ました。アカマツカナメ(赤松要)の「雁行型経済発展論」がそれで、雁の隊列のように、先進国が先に行けば後発国が先進国の影響を受けてこれに付いて行くというものです。

  1960年代の韓国のような経済を分析する時には「キャッチアップ理論」がすごく有用です。その前にコセンクローンが19世紀ヨーロッパの後発資本主義の国々を分析した「後発性理論」を60年代に発表しました。このような一連の研究を総合して見れば、後発資本主義であればあるほど先行資本主義から影響を受けて発展するというのです。キャッチアップ過程が成り立つのですね。

  落星垈研究所が多くの学問的成果を出すことができたのは、第一に「キャッチアップ仮説」があったので可能でした。これを持って是非を決しようとすれば、理念闘争にしかならないです。この「キャッチアップ理論」を土台として100年間の統計を持って証明するから、そんなに簡単に反駁することができないのです。何故ならば、統計というものは1~2年分析すればできるというものではないからです。10年位は分析しなければならないが、既に 20年以上もこのような作業をして来ました。このような研究成果を土台にして、韓国社会を、理念ではなく客観的な流れを持って見てみようと思いました。だからと言って、理念が無いということではないのです。理念があるということが分かるから、分析する時に理念を排除しようと努力するんです。理念が先行して客観的事実を歪曲すれば、これは科学ではないです。


(問)60年代中盤から 80年代中盤までは、自分が間違っているかも知れないという懐疑を持ったことは無かったのですか?

(答)それは哲学認識論の問題です。社会主義者としてヘーゲル哲学とマルクス哲学を持っている時には絶対的認識ができたと思いました。事物に対する絶対的認識が可能で、科学的にすべて解明することができ、本質に近付くことができ、それで、そのことに対して懐疑を持つ必要がなくて、自然の法則のように歴史の法則も絶対的な真理だから信念を持たなければならないというのがマルクス主義です。それでマルクス主義は理念が強いんです。
  それで、ヘーゲル哲学を捨ててカント哲学に変えました。人間の認識は相対的なはずです。ある銅像の写真を撮ったらこれを完全に理解することができると考えるけれども、事実は一カット一カットを取ったに過ぎないのです。これを総合することができる道具が私たちには無いです。社会というものは非常に複雑なので、これを絶対的に認識することはできません。元々観察というのは自分が見たい角度から見たものに過ぎないです。自分が見たものだけが真理で他人が見たものは真理ではないですか? それも真理であり得るわけです。すべての人が把握した真理というものも、事実は相対的なはずです。他の真理を排除することはできないのです。まさにそこに寛容という思想が芽生えるのです。

  自由主義が社会主義と争って勝った理由は、自由主義がいつも余裕をもって思考するから、自分が間違ったことを修正して、絶えず自己反省をするからです。自分が正しいと思えば反省することができないです。私はとても宗教的な人間だが、まさにこの理由のために宗教に帰依することができないです。宗教を持たないからといって人間的ではないというものではないです。



(続く)

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Chaamiey

Author:Chaamiey
別名 茶阿弥
男性 熊本県在住
写真は元飼い猫のちゃあみぃ

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