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昭和6年の満蒙情勢(6)

<満蒙の状況>(6)

参謀本部支那課長陸軍大佐 重藤千秋
京城日報 1931.6.25-1931.7.4(昭和6年)

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00458229&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00458229


  石油は、目下、石油鉱として満洲に発見されたものはありませぬ。しかし、最近伝えられるところによると、興安嶺附近に一つの石油鉱脈があるだろうと伝えられております。しかしこれは、果してあるかどうかわかりませぬが…又、間島の北の方にもどうも石油がありはせぬかということが伝えられております。要するに、これらのことはまだ将来の開発に待たなければならぬことでありますから、明確には申上げられませぬけれども、少くとも撫順炭坑に対する…オイルシェール問題は、石油に対する…日本の石油問題を解決するという所には参りませぬけれども、幾らかこの石油問題に対して光明を与える一資源であります。このオイルシェール問題に対しても、支那との間に相当難しい問題が起っている訳でありますが、とにかく石油ということに関しても幾らか満蒙というものによって補いがつくという訳です。

  その次に貴重なものは衣料の資源でありますが、御承知の通り日本に羅紗地になる羊毛というものは殆んど日本の内地にはないと言ってよいのであります。年々、我々は1億万円以上の輸入を外国から仰いでおります。これはもちろん、日本人は羊毛のないくせに贅沢をしているそうで、互いに着ている羅紗の羊毛の如きは、世界中で日本の軍人ほど立派な羊毛を使っている服を着ているものはないということを、これは赤十字の者が言っておりましたが、恐らく嘘ではないと思うのであります。が、そういう、つまり贅沢はしておりますが、要するに羊毛というものに関して全然これを外国から仰いでおります。

  現在満蒙における羊毛でありますが、これは、もともと蒙古人が羊を飼うというのは毛を取るというのは主でなく、彼らは肉を喰うのが主で、緬羊の繁殖は非常な困難でありますけれども、目下満鉄でやっております緬羊の改良事業が進みましたならば、まず200万頭ぐらいの緬羊を得ることはそう困難ではあるまいといわれております。もちろん、日本の力が奥の方にでも延びるようになりますと、この事業もまた、満蒙における羊の数は200万やそこらではないのでありますから、もっと増えるかもしれませぬが、今のところでは先ず200万頭ぐらいにはなり得るという見込みはあるようであります。

  それから綿花であります。つまり、綿であります。この綿は、日本の輸入品としては一番大きな額を占めておりまして、昨年あたりからは幾らか減っておりますが、従来綿の輸入は年に6億円に上っております。しかし、これは日本で加工致しまして更に売出しますので、日本としてはこの綿は輸入をしても決して輸入だけにはならずに日本の貿易品として非常に大事なものであります。満洲方面の綿は、今のところ必ずしもこれらの要求を満たす訳には行きませぬ。しかし、棉の栽培地として適当である土地は少くも120万町歩はあるということでありますから、そうなりますと、この棉の方面につきましても、相当、満蒙方面の開発ができれば日本の力によって解決し得るということになります。

  そのほか、吉林方面の森林ですとか、あるいは黒竜江、松花江方面における水産事業でありますとか、そういうことは日本人の手により、日本の資本によって完全に開発されましたならば、日本の資源を完全に満蒙によって補い得るとは申されませぬ。少くとも日本人の生活の必需品であるものは、大体においてこの満蒙から持って来るということができると思うのであります。即ち、我々が満蒙を研究致しますのには、どうしてもこれらの日本の必要というものを考えまして、これを主体として進まなければならないことだろうと思う。

  然るに、この満蒙方面の現在の情勢はどういうことになっているか、また、その解決のためにはどういうふうな事態を惹起するであろうかと言うことになりますが、長くなりますから、この点についてはまた次の時にお話しようと思うのであります。

(完)

元のデータ作成:2003.8 神戸大学附属図書館
一部を読みやすく書き換え



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昭和6年の満蒙情勢(5)

<満蒙の状況>(5)

参謀本部支那課長陸軍大佐 重藤千秋
京城日報 1931.6.25-1931.7.4(昭和6年)

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  これについては、私がここで我田引水的に申し上げるばかりでなく、加藤高明氏が英国大使から日本の外務大使になって帰ります時に、時の英国の外務大臣であったエドワード・グレーと合って、『自分は外務大臣となった以上は、満蒙方面に関する日本の権利はこれ以上に主張したいと思う。従って、この日本の主張に対してどうぞ英国も御尽力、御後援を願いたい』というので話しましたところ、エドワード・グレーは、『それは無論のことで、満蒙という土地は日本が尊い血を流して得た土地であるから、これに対して日本が発展をされるということは、無論各国とも異存のあるところでなく、当然のことである』ということを加藤大使に述べております。これは、私は直接聞いた訳ではありませぬけれども、当時のロシアの書記官でありましたか、参事官でありましたか、本多熊太郎氏がその事を明確に言うておりました。今の松岡洋石氏もそういうふうに言っております。

  その結果が即ち、加藤高明氏の外務大臣の時分、大正4年から日支交渉というものになった訳であります。即ち、満蒙に対しては、日本は当然これに対して発展をし得る権利があるということは、私が主張するまでもなく、各国もまたこれを認めているところである訳であります。

  さて、それでは、満蒙という所はどれだけ日本に対して価値のある所であるかという問題であります。これは、満蒙の資源はまだ充分に開発されておりませぬ。満蒙の大体の広さは日本の1.7倍に当たります。大体において満蒙というとすこぶる空漠たる名称でありますが、現在我々の称している満蒙という地方は、日本の2倍に達しませぬけれども、面積においては約1.7倍ぐらいの広さになります。そして、この間に住んでいる人には…最も人口の密度の多い今の遼寧省、昔は奉天省といわれた土地でありますが、この遼寧省が日本の人口密度から申しますと、ちょうど秋田県と匹敵する人口密度を持っております。その外の吉林省であるとか、黒竜省であるとかいう方面は、人口密度が更に疎散であります。従って、この方面にはまだまだ人口が非常な勢いを以て入り得る余地があるので、ある人の統計では、満蒙方面はまず一億万の人口をもって行っても大丈夫であろうということを言っております。

  そして、この満蒙から出るところの各種の資源でありますが、これは御承知のように日本人の主食は米であります。ところが日本の米の産出額は近年、年々300万石の不足を告げているのであります。これらの米は、支那あるいは仏領印度支那暹羅という方面から輸入されておりまして、これによって日本は主食を得ている訳になる。が、もし満蒙方面が開発できて…現在の満蒙はまだ水田の経営が完全に行渡っておりませぬから、日本のこの主食を完全に満たすおそれはありませぬが、しかし研究の結果によると、将来水田が開発されますれば日本の主食を補って充分余りがあるのであります。調査したところによると、満蒙の水田が開発されたならば、この土地から千万石の米を産出するということは決して困難ではないと言われております。

  また、朝鮮人の主食…私は最近の朝鮮人が果たして粟を主食としておるかどうか存じませぬが、とにかく粟は年々2万石以上満蒙から朝鮮の方に入って来ております。これによって朝鮮人の生活の保障が出来ているわけである。また、我々の日常生活上なければならぬ醤油、味噌の原料であります大豆でありますが、これは日本における大豆の産額は330万石ぐらいしかできませぬが、日本で使用しております大豆の量は780万石からに上っております。450万石が満洲から輸入されている。食塩も、現在日本内地にできます食塩を以て国民の生活を満している訳ではないのでありまして、これも将来満蒙方面の塩の発達によって補い得る見込みがあるのであります。それから工業資源と致しましては鉄でありますが、これは目下のところ、本渓湖に支那側と共同の鉄工業があります。この鉄工業が、現在日本が満蒙において経営している唯一つの鉄工業であります。その外の産業は殆んど満蒙においては成立っておりませぬ。

  これは後で申し上げますが、ついでだから一寸申します。皆様の御承知の通りに、昭和製鋼所というものが造られる計画があります。これは御承知の鞍山地方の鉄鉱を利用して製鉄事業を始めようというのでありまして、この鞍山地方の鉄の埋蔵量は、確実ではありませぬけれども、目下鞍山鎮およびその附近で日本の持っている権益と申しますか、埋蔵されている鉄の量は約7億トンであろうということは言われております。そうなりますと、仮に鞍山の鉄鉱が貧鉱であって平時においては余り算盤が採れないにしても、有時の際における鉄の騰貴を考えますというと、この7億トンの鉄は日本のためには非常な大事な資本であります。



(続く)

昭和6年の満蒙情勢(4)

<満蒙の状況>(4)

参謀本部支那課長陸軍大佐 重藤千秋
京城日報 1931.6.25-1931.7.4(昭和6年)

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  元来、満蒙という土地は、昔は扶余と称せられて全く漢民族とは別なものであります。そうして、この満蒙に漢民族が入りかかったのは、満蒙民族が支那を統一して、その統一の結果、いわゆるキンギンバックというものを造って満洲人を支那の領土の中に入れたので、満洲の中が空虚になった。そこで、その空虚に乗じて漢民族が段々入って来た。清朝は、これは大変だというので漢民族の満洲侵入を止めようと致しましたけれども、時の勢いというものはなかなかそう巧く行かずして、逐次漢民族は満蒙方面に勢力を扶植するようになりまして、最近においては殆んど満洲、満洲民族というものは極く僅かしか存在しておりませぬので、総て漢民族のために征服され、蒙古方面も、内モンゴルは僅かに西烏穆泌の方に幾らか残っているだけでありまして、大部分は漢民族によって征服され、モンゴル民族は漢民族の足下に踏みつけられて行くか、若しくは段々追い詰められて、外蒙古方面に逃げて行くという状態でありまして、今は満洲、蒙古は漢民族に亡されるようになりましたけれども、もとは決して漢民族のものではなかった。

  のみならず、この満洲というものは日清戦争から日露戦争までの間、如何なる危機にあったかということは、私がここで細かく申し上げなくても、すでに皆様の御承知の通りであると思います。又、日清戦争後の下関講和条約でも、この満蒙方面は漢民族にとっては必ずしも必要でないという李鴻章あたりの頭ではありましたけれども、何しろ清朝発祥の地であるから、満洲というものを余り沢山取られるということは甚だ困るということが彼らの考えであったようであります。従って、日本が下関の講和条約で支那から取りましたのは遼東半島の一部で、その広さは1万5,820平方哩かであったのであります。これは三国干渉で支那に還して、その後ロシアが租借をしたのは千何平方哩かでありまして、その外に五十幾らかの中立地帯が設けられておりました。今日本が借りておりますのは、その千幾らかの土地であって、これを日清戦争直後の日本の取り得たものと比べますと非常に小さいものであります。

  また、この満蒙というものは、今申し上げた清朝時代においてすらもそういう観念でおった。即ち、僅かに清朝発祥の地であるということで支那人のために重んぜられておりましたのみならず、今の支那ができあがる革命前においても、孫文が日本に亡命をして東京において同盟会というものを組織を致しました。この同盟会というものは、今の支那における国民党の前身であります。その同盟会を組織致しました時に、彼は、この同盟会によって減満興漢という幟標を立てたのであります。つまり、満洲を亡ぼして漢民族を興すということであります。つまり、今の支那の総理であります孫文の30年ばかり前の頭は、満洲というものは支那の必ずしも領土でなければならぬという観念ではなかったのであります。

  又、ロシアから日清戦争後この満洲はどういう状態に置かれたか。北清事変の直後、満洲方面に団匪事件の影響が起って、ロシアは勝手に兵力を扶植し、とうとうしまいには、各国が北京において団匪事件の最後の交渉を支那とやっている際に、ロシアは支那の本土はどうでもよいが満蒙方面に関して俺とお前と特に一つ交渉しようじゃないかと云うので、満洲に関する露支両国の単独交渉がはじまりかかったのであります。が、これは日本の抗議によって、又英国の抗議よって幸いにしてこの交渉はなかったのでありますけれども、当事における満洲の情勢は、この露支両国の直接交渉があったならばなお一層困難なる状態に置かれておったということは明らかであります。

  のみならず、ここに我々の忘れてならぬことは、日清戦争後、支那はロシアとの間に一種の秘密同盟を結んで、そうしてその相手を日本に置いたのであります。この露支密約なるものは、日露戦争当時は何処の国も知らず、日本も知らなかったのであります。即ち、支那は日露戦争当時までは全く日本を敵国として扱っておった。然るに日本は、この敵国として取扱っておった支那に対して、満洲からロシアを駆逐して満洲の土地を支那に還してやったのてあります。この秘密条約はその後1910年でありましたか、李鴻章の子供がロンドンにおいて我々に発表したのによって初めてそういう密約があったかということに驚いた位でありますが、その公然と発表されたのは、ワシントン会議の際に支那全権によって斯の如き密約があったということが発表されました。

  従って、この露支密約ということは事実であったに違いないのであります。もし日露戦争後の日支交渉の際に斯の如き密約があったということを日本が知っておったならば、又各国が知っておったならば、満洲における日本の権益は、今日以上もっと大きな権益が主張されておったに違いないのであります。

  また支那は、盛んに大正4年の日支交渉によっていわゆる21ヶ条と申しますが、この21ヶ条問題は、その後逐次、日本が放棄致しまして僅かに21ヶ条に残っておりますことは、満洲における租借期限の延長と商租権問題くらいです。商租権というのは、満洲における土地を日本人が商売的に借りて物を勝手に使い得るという権利であります。それ位のもので、後の条約の大部分はすでに支那にお返しした。それから99ヶ年の延長期限と申しますのは、なるほど日本がロシアからポーツマス条約によって受けた権利は25年でありました。鉄道は35年でありますが、この25年しかロシアが租借しておらなかったというその根本の理由は、これはロシアと支那とが租借問題および鉄道敷設問題を交した時に、ロシアは99ヶ年を主張して支那もすでに受諾しておったが、当時の日本は遼東、大連を99年もロシアに借られては…99年の権利があるということは、当時の国際慣例からいえば全くその国の領土に等しい。それは大変だからそういうことをやっては困る。これは25ヶ年に短縮してくれということを日本が持出し、当時の露国の肚の中も、25年経てばもう後はこういう所は自分の領土になることは明瞭であるから、強いて今我々が99年を主張して日本の感情を害する必要はない、25年で結構だというので25年になったのであります。

  また、日露戦争において、我々の先輩、ここに参列されている御方には直接この戦役に参加された方もかなり沢山あると思うが、私は当時士官候補生で不幸にしてこの戦争には参加することができませぬでしたけれども、とにかく、我々の先輩が国力を賭して10万の生命と20億の金を投出して、この満蒙からロシアの力を追いのけたので、この追いのけたということがもしなかったならば、満洲という土地がロシアの地図に塗り替わり、ひいては支那本土の状態まで非常な影響を及ぼしておったであろうということは、これは無論現在から申しますと一種の想像ではありますけれども、しかし当時の状態から見て決して不可能のことではない。必ずそうなっておったといっても決して私は誤りでないと思う。


(続く)

昭和6年の満蒙情勢(3)

<満蒙の状況>(3)

参謀本部支那課長陸軍大佐 重藤千秋
京城日報 1931.6.25-1931.7.4(昭和6年)


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  しかし、万一何らかの動機によって戦時になりますと、全く日本というものは経済的にも、国民の生活にも、更に一層の不安を見なければならぬ次第であります。そこで、かくの如き国内の状態および国内の資源傾向である以上は、我々日本人民が生存上この補給をどこかに求めなければならぬということは明らかであります。また、これをどこかに求めるということは、国家として堂々主張し得る権利であると思うのであります。

  最近の国際情勢は非常な平和主義が唱えられております。誠に結構なことでありまして、平和主義というものが確立して進んで行くということは、幸福には違いないのであります。しかしながら、不幸にして各国の経済状態は非常な不公平な分配をされているのであります。そうなると、この不幸なる国家をもっているものは、何処にか生存の途を求めなければならぬ。即ち、これが、如何に口で平和を唱えられても、ある時期には武力を行使してでも国家の運命を開拓しなければならぬという状態になる原因であります。とにかく、国家が喰えないということになれば、何処にか活路を求めるということをやらなければならぬ。

  そこで、我々が世界地図を拡げてこの活路を求める所は何処であるかということを考えると、歴史的の関係を持ち、又地理的の関係を持っている支那、ことに満蒙方面であるということは誰しも否定できない問題でありまして、ここに我々が満蒙ということに関して真剣に研究をし、又真剣に考えなければならぬ問題ということになる訳であります。

  然るにこの満蒙問題は、そういう状態にあるに拘らず、ややもすると国民に忘れられて、ある者は極端なる平和主義に心酔して自然の成り行きにまかせるより仕方がないと言い、ある者は国際主義に耽溺して他国の領土を日本が勝手にするなどということは以てのほかであるというようなことを考えるものもある。これは、日本における有数なる政治家、学者等の間に相当強い根拠を持った議論であります。しかしながら、これを日本の一般の人民の生活状態を対照して見ますと、すでに皆様も御承知でありましょうが、内地の昨今の状態、これは世界的不況ということもありましょうけれども、ほとんど政治的にも、経済的にも、財政的にも、何にもかも行き詰まりの態であると思うのであります。

  政府はわずかに6千万かそこらの赤字問題で非常に騒いでおります。これは政府としては騒ぐのは無理もありませぬが、しかしその一方において、我が国の農民の負債は50億以上であります。今、各地方の農村に行って御覧になると判りますが、100戸ある農村の中で全く負債をしておらぬ農家は僅かに3軒か4軒しかないのであります。ほとんど総ての農家は負債をしております。つまり、赤字を出しております。これは決して最近の不景気だけから来た訳でなくして、農家は従来から肥料の購入であるとか、色々なことによって将来の農産物を当て込んで金を借り込んでいる訳でありますが、僅かに政府が5、6千万の赤字で騒いでいるどころでなく、農家はかくの如き沢山な赤字を出しております。また、これは確実な統計ではありませぬけれども、日本の在貨、つまり金の国内にある高は、まだ11億あるように唱えられておりますけれども、私どもの聞きました方面の実業家から言わせますというと、すでに8億位しか金はないということであります。

  これは、金解禁後、逐次貿易の貸借関係からして外の方に出て行く訳です。御承知のように、日本の国際貿易は年々1億数千万円の輸入超過をしておりますので、これらの貿易の輸入超過を防ぐためには、無論色々な方策によって国際貸借はバランスを取って行きます。日本でも、鉄道省が観光局を作って外国の旅客に対する客引きを政府がやりはじめたが如きは、国際貸借のバランスを取りたいためであります。即ち、今の日本の経済状態は客引きまでしなければ立ってゆかぬという悲惨な状態になっているのであります。

  そういう状態でありますから、日本としてはどうしてもどこにか日本の生存の途を求めなければならぬ。その生存の方面は満蒙以外にはないということに帰着いたしますそこで、この満蒙というものは、ただ今申上げましたように、色々の人が支那の領土であるから日本が手にすることはいけないというような、色々な思想的主義からして反対を唱える者が多いのでありますが、はたして満蒙というものは、現在国際上においてこそ支那の主権の下に存しておりますけれども、これは完全に支那のものであるかどうかを歴史的に考察して見る必要があると思う。


(続く)


<コメント>
 若干、侵略国家の雰囲気が出て来た? さて、どうでしょうか。

昭和6年の満蒙情勢(2)

<満蒙の状況>(2)

参謀本部支那課長陸軍大佐 重藤千秋
京城日報 1931.6.25-1931.7.4(昭和6年)
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  また、日本が支那と共存共栄をするということは、日本が足りない物資を支払から受け取って、この受け取った品物を日本で加工してこれを支那に売りつけ、即ち四億万を有する支那の民衆に売りつけて日本が食って行こうというのがいわゆる支那との共存共栄という眼目でありますが、今申し上げましたように関税の障壁がありますというと、日本自体の産業は自分の国に原料を持たないのでありますから、支那が関税によって日本の輸入品の価格をつり上げて、その間に自国の産業を開発するということになりますというと、日本の輸出品というものは逐次支那に圧迫されるという傾向を呈することは明らかであります。

  本年の1月から5月までの日支貿易は、相場の関係は無論ありまするが、非常な変調を来しておりまして、従来日本の支那に対する貿易は、大体日本からの輸出が4億から5億の間にあり、支那からの輸入は3億から4億の間にありまして、大体において日本は支那に対して一億内外の輸出超過をしておりまして、支那は非常な日本の御得意であったのでありますが、本年の1月から5月までの統計によりますというと、これは新聞の発表でありますから(東京日々新聞の発表)果して正鵠を得ているかどうか存じませぬが、今の日本からの輸出貿易は逆になりまして約500万円の輸入超過を示しておるということで、これは無論銀が非常に安いために日本からの品物が支那側としては非常に高く買わねばならぬ、支那の品物は銀が安いために日本は非常に安く買うという、この金銀の開きが最大原因をなしておるのでありましょうけれども、しかし、今の関税という問題も決して見のがすことはできないであろうと思うのであります。この趨勢は今は変態的の傾向をもってこういう数字が表れておりますが、私は、遠からずこの趨勢はこの傾向を変態的でなくして正則的にかくの如き状態を呈するのではなかろうかと思うのであります。

  そうなりますというと、今申し上げました日支共存共栄ということは、日本は非常に日支共存共栄を希望はするけれども、支那側としては自分の国で沢山な原料を持って自分の国の工業が自然に発達しさえすれば、必ずしも日本というものを必要としないのであります。つまりこれは経済的に、単に経済的から見ますと、共存共栄というものは支那にとっては必ずしも希望をするところではないのであります。しかし日支共存共栄ということは、これは民族あるいは人種という上から申しますと、将来においてはこの両国が手を握って白色人種に対抗するということは、どうしてもそういう傾向を呈さなければならぬということは、この共存共栄の非常に大きな意味でありますが、支那の現状は、なかなかそういう遠大なる理想に向って進むという傾向はないのであります。

  また、ある人は産業立国ということを非常に唱えております。これも、できるならば頗る結構なことであります。しかしながら、産業立国と申しましても、日本の持っております産業資源が果してこの産業立国を樹つるに適するかということになります。日本の産業として、自分の国から出てこれを海外に加工をして売出す物は、わずかに生糸と絹織物だけであります。そのほか海産物等もありますが、この海産物も北洋漁場あたりがいよいよ駄目になるということになりますと、この海産物も甚だ心細くなる次第でありますが、とにかく、生糸、絹織物だけは産業立国としてやって行ける資格を持っておりますが、そのほかの産業は、一つとして国内の資源を国内で加工をして売出し得るような品物はないのであります。

  例えば、対支貿易の中で最も大きな部分を占めております綿糸あるいは綿布というものも、その原料でありますところの綿花は国内にはほとんどないのであります。その大部分は支那、インド、アメリカ合衆国から輸入を致しまして、それを日本で糸にし、織物にして初めてこれを支那に売り込む、そうしてその鞘を取ってようやく国民の生活の一助としているという状態であります。

  ところが近年になりまして、国内における色々な労働問題からして、日本国内における賃金が段々高くなります。一方、支那は輸出をする綿花に重税を課する。そこでこれらの綿花を日本に持って来て紡績によって加工致しましても、段々採算ができないようになって来つつあります。そこで最近の日本の紡績界の傾向は、逐次工場を支那に移している。支那人を使っている。支那の綿花を買上げてあの地で支那の紡績をやって、そうして支那に売り込もう、あるいは印度方面に売り込もうという計画に逐次変りつつあるのであります。

  こういう傾向でありますので、この綿糸、綿布というようなものも、原料のない悲さには如何に日本が産業立国を唱えて、この産業によって国家の行き詰まりを打開しようと致しましても、もともと産業の資源がないのでありますからして、すでにここに非常な無理が起る訳であります。

  のみならず、先刻申した関税というものがあって、日本からの輸出品が重税を課せられるということになりますと、ただ今でこそ支那の工業は日本に比べて幼稚でありますから綿糸、綿布の事業が成立って行きますけれども、支那の税が重くなるということになりますというと、支那の産業が自然に発達して日本と支那との産業の違いが関税のかかりということと差引されまして、遂には日本からの輸出というものは杜絶するという運命に進まなければならぬ時代がくるということを覚悟しなければならぬと思う。そのほかの品物につきましても、日本が支那に出している雑貨類の如きも、現在こそ相当売れておりますけれども、この雑貨の如きも支那方面で逐次自分の力でつくろうという傾向が段々進んで参りますから、なかなか土台のない産業立国というものは、机の上でこそ成立つ議論でありますけれども、現在の国家組織においてはこの産業立国ということも、我々日本のような貧弱なる資源を持っている国家としては、頗る不安であると言わなければなりませぬ。これは平時における大体の日本の状態であります。



(続く)


<コメント>
 参謀本部と言っても軍事のことばかりではなく、さすがに、国際関係の基礎である経済・貿易問題をちゃんと把握していますね。

昭和6年の満蒙情勢(1)

<満蒙の状況>(1)

参謀本部支那課長陸軍大佐 重藤千秋
京城日報 1931.6.25-1931.7.4(昭和6年)


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(過日、在郷軍人指導講習会のため竜山偕行社において試みられた講演の速記)

  私は、ただ今参謀長殿より紹介に預かりました重藤であります。本日は皆様に支那、特に満蒙方面の事情をお話する機会を得ましたことは私の誠に光栄とし、かつ欣快とする次第であります。

  お話し申し上げますことは多岐に亘ると思いますが、要するに、支那、特に満蒙問題が将来どういう影響を日本に及ぼすであろうか。また、満蒙問題のために、我々国民として、国防上どういう覚悟を持たねばならぬかというようなことが、結局私の結論になると思っております。そのつもりでお聴き取りを願いたい。

  まず、満蒙方面の事情をお話し申上げます前に、現在における日本の状態を一通り申上げて見たいと思うのであります。すなわち、満蒙問題を我々が研究をし、かつこれに向ってどういう風に進んで行かなければならぬかということをお話をし、かつやって行くには、現在の日本の国情がぜひこれを必要とするからでありまして、決して空漠にただ満蒙問題を研究する次第ではないのであります。

  御承知のごとく、我が日本が欧洲大戦後世界の一等国として国際的に相当重きをなすようになったことは同慶至極でありますが、しかし、その国家の内容というものは、果して世界各列強と同様に内容充実したる国家であるかということを考えて見ますと、遺憾ながら、名前こそ世界の一等国であり、あるいは三大強国の一つであるとか言われておりますけれども、その内容は甚だ貧弱であると言わなければならないのであります。

  我が邦の人口は強国としての人口…人口そのものは決して恥ずかしいことはないのであります。しかしながら、この人口の住む国家の領土と申しますと、人口の密度から申しまして非常に窮屈な生活をしております。統計によりますと、我々は1平方㎞の中に146人という平均の密度を有しているようであります。そうして、これらの人口は、年々非常な勢いをもって増加しております。
  昨年の統計は、私の旅行中に新聞に発表されたところによりますと、91万2千人という増加であったようであります。つまり、我々日本人は年々100万に近い人口の増加を示している。然るに、日本人の海外移民の状態は殆んど八方ふさがりでありまして、僅かに南米ブラジル方面に一部の移民が行われている。しかし、これもすでに北米方面における移民の経過と同じことに…余り遠くない将来においてこの方面の移民もふさがりそうな傾向をすでに現出しております。

  そうして、その移民の数は一昨年が1万9千何百人、昨年が2万千人余であります。つまり、最近における移民は政府が相当力を入れて移民に努めておりますけれども、その結果は僅かに2万内外の移民でありまして、これをただ今申上げました100万に近い人口の増加を対応して見ますというと、誠に九牛の一毛に過ぎないというのであります。この状態をもって押し進んで行きましたならば、我々日本民族の将来というものは、甚だ悲観すべき状態に陥るということは、これが考えでも明らかなるところであります。

  一方、私どもの隣接しております国家は、ソビエトロシアにしましても支那に致しましても、合衆国に致しましても、領土は支那は日本の約17倍、ロシアは約90倍、合衆国は約10倍というような非常な大きな領土を有して、しかも彼等の国はその天然資源に非常に恵まれているのであります。即ち支那に致しましても、現在こそ彼ら等はその内政的に色々複雑な状態を呈しておりますけれども、しかし支那自体がある程度に開発されて参りましたならば、彼らの国家的生活は、これを日本に比べますというと非常な裕福な国家であるのであります。

  支那と日本と比較しますというと、お金持と貧乏人との差よりも更に酷いような状態を呈しているのであります。アメリカ合衆国に参りましても、無論のことであります。又、ソヴィエト・ロシアに致しましても、彼れが最近いわゆる産業5ヶ年計画を樹てて、非常な無理をしてこの5ヶ年計画のために約900億ルーブルという金を注ぎ込んで、戦時状態の気分で国家の基礎を造っておりますために、人民は相当苦しい思いはしておりますけれども、とにかく国内における資源が豊富でありまからして何とか食っているのであります。

  隣邦にはこういう大国を控えて、その中にこの日本というものは一等国という空名だけを以て、実際頗る振るわないという状態にあるのであります。しかし、日本国民の中に、日本は何とかしてその立国の方針を樹てなければならぬというので、ある人は日支共存共栄ということを盛んに唱えております。これは、若しそういうことが出来るならば誠に結構でありますが、近来の国家制度におきましては関税の障壁が設けられて、自国の産業の発展のためには外国の貿易品に対しては高い税金をかけて物価を高くする、自国の産業の不備を補って価格の平均を取ろうといういわゆる産業関税策というものが行われ、この趨勢はほとんど各国とも盛んに行っております。

  最近、新聞あたりでも御覧の通りに、日本とアメリカとの間には安南方面における関税問題がやかましく唱えられております。更にインド方面に対する関税もまた、日本との間に色々問題を惹起しております。支那との間は…従来支那は関税に関しては各国と特殊な契約、条約を結んでおります。関税を勝手に引上げることも出来なかったのでありますが、本年の1月から支那は不完全ながら関税目主権を獲得致しました。まだ完全なる関税自主権には到着しておりませぬけれども、とにかく主義として関税自主を認め、特殊の品物に対してある種の制限が設けられているだけでありますが、これも追い追いこの関税自主という権利を行使する時期もそう遠くはないのであります。そうなりますと、日本と支那との貿易というものは非常に困難になって参ります。゜


(続く)

満蒙鉄道交渉

<満蒙鉄道交渉と日本>

断乎たる態度で進め
京城日報 1931.5.29(昭和6年)


http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00102445&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00102445


  日支満蒙鉄道交渉は、3月6日の張学良、木村両氏の会商の結果、交渉を専門委員の手に移すこととなっていたが、最近に至り双方の準備ようやく整い、いよいよ本月中には実質的交渉を開始する運びとなった。

  二流三流どころの専門家の会合ではあるが、会議の結果は、日支両国の国交に多大の影響を及ぼすべきのみならず、あるいは行き詰っている満蒙問題に方向転換の機会を与うるほどの重大性を持つもので、この会議に対する両国の態度及び対策如何が異常なる国際的興味を惹起しつつあるのは怪しむに足らぬ。

  この会議は、果して円満に進捗するであろうか。而して円満なる成果を齎し得るであろうか。停頓に停頓を重ねること、東支鉄道に関する露支会議の如くならざるや否や、我らはまずこの点について多大の懸念を懐かざるを得ない。もし、この会議によって文字通りに円満なる妥協点を発見し、従来日支両国の親交を害したる障害物を乗り越え得たとすれば、それこそ予想外の大成功であり、東亜の平和のため一大福音たるを失わぬ。そのような好結果を齎し得ざるとも、満蒙問題解決の鍵を見出して、多少なりとも紛糾せる事態を改善することができれば、真にしあわせと言わねばならぬ。

  鉄道問題に対する日本側の主張は、極めて簡単明瞭である。ただ、満蒙における既得の特殊利益を何らの侵害を受けることなく、そのまま保持するを得ればそれで十分である。それ以上に一歩を進むる意志もないが、それ以下に一歩を退く意志もまた断じてない。従って、支那側が既得権の切り取りを策するとすれば、交渉が決裂するのは免れ難きことである。これは、日本国民の総意なりと称するも過言ではなかろう。従って、もし支那側が不穏当なる利権回収論を振り廻すが如きことあらば、熱鉄相打って火花を散らすが如き不詳なる結果を生ずべきを覚悟せねばならぬ。

  聞くところによれば、支那側の交渉大綱は過日の東北鉄道会議においてすでに決定し、しかしてそれは頗る辛辣なる要求を包蔵するものであって、満鉄を回収するか、少くとも日支合弁にせんとする提案がその主なるものだということであるが、一方、在満洲邦人の有識階級を網羅したる『全満日本人自主同盟』は、満蒙利権保持、幣原外交鞭撻の運動を起しつつある有り様で、鉄道問題に関する両国の関係は、会議の開催前においてすでに険悪の兆候を呈しているのである。既得権の保持と満鉄の回収との間には余りに大なる距離がある。一挙にこれを飛び越えようとする支那側に無理があるのは勿論で、その『無理』を日本に対して押し通し得るとなさば、それは非常なる間違いである。

  我らは、鉄道問題を中心として日支の外交が同じところをグルグル廻りつつある現状から早く脱却したいと思う。それには、日本側において止むを得ずんば、自由行動に出づる覚悟が必要だと思う。退嬰譲歩も場合によりけりで、満洲における特殊権益だけは断乎として保持せねばならぬ。この位の覚悟がなければ、満蒙鉄道問題の解決は幾んど不可能なりと称してよかろう。


元のデータ作成:2002.6 神戸大学附属図書館
部分的に現代文ふうに書き換え。

満蒙の権益

<満蒙の特殊地位、実質的に空に帰す>

支那側の鉄道敷設いよいよ積極的に進行

京城日報1930.12.12(昭和5年)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00102382&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00102382



【東京電報】支那当局の満蒙における鉄道敷設は最近積極的に進行し、満鉄の併行線並びに交叉点を初めすでに約1200哩の完成を見、我が満鉄並びに安奉線の二倍に垂とする勢いを示し、この秋よりその連絡運転をはじめた結果、満鉄は大打撃を受け、しきりに関係当局と協議を重ねているが、支那側が満蒙に鉄道を増加するは単に営業上の収益を得るのみならず、開墾を助長し地価を昂騰せしむることに大なる利益あり。

  これが投資は最も有利となるので、張学良氏と某々国との間に借款の密議が進められている外、南京政府も5000~8000万元の債権を発行し、これに投資することについて蒋、張両氏間に諒解成立したと伝えられている。而して支那側は更に胡蘆島及び営口の築港を進めているので、いよいよこれら支那鉄道の完成後は、満鉄は南満洲の一小鉄道に過ぎなくなり、又、目下支那側が鉄道敷設に着手している地方は重要農耕地たるべき可能性が多いこと等の関係から、満蒙における我が国唯一の手がかりなる満鉄並びに大連は殆んど価値なき存在となるおそれあり。満蒙の今後の発展見るべきものある際、我が国の満蒙における特殊地位は実質的に空に帰するに至ると憂慮されている。



データ作成:2002.6 神戸大学附属図書館

張学良

<どこまでが事実か? 容易ならぬ画策>

満洲における日本勢力の駆逐が『一生の事業也』と張学良氏決意を語り
蒋氏も其具体案に賛成

京城日報 1930.12.12(昭和5年)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00478631&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00478631



【東京電報】上海発某所着電
  南京における蒋、張妥協々定の真相に通ぜる支那要人が極秘なりとて漏らせるところによれば、張学良氏が南京滞在中蒋介石氏と各種問題につき協議せる中、日本に関する問題については学良氏は最近数年間の満洲における日支繋争問題、特に日本軍駐屯独立守備隊の行動、朝鮮人問題等を蒋氏に報告、左の如き排日計画を具陳し蒋氏の賛成を得たといわれる。

一 排日教育を盛んにし、永久的計画の下に対日精神教育を実施。

二 ロシアと親睦を図り満洲問題に関し日本を制せしむ。これがため露支交渉の速かなる解決を図る。

三 満鉄を孤立せしめ、日本をしてこれを安価に支那に譲渡するの止むなきに至らしむる如く、支那鉄道及び港湾の建設に努む。

四 外交上日本との懸案は全て南京外交部に移し、日本側から焦慮的態度に出づるを待って交渉を進め、つとめて有利なる条件にて解決を図る。

五 交通に関連する日本の債権又同じ。

六 国防計画は日本を主なる仮想敵国として立案す。

七 漸次排日を断行し、日貨停制を実施し、日支経済断交に導く。

八 公使館の南遷に伴う北支駐屯列国軍隊の撤退と同時に、日本の満洲撤兵を要求し、もしこれを承認せざれば大々的排日行動を開始し、その責任は日本側に委すること。

  なお、学良氏は天津において某先輩に対し満洲における日本勢力の駆逐をもって彼一生の事業となすとの決意を述べ、今は絶好の機会なりと語り、又南京到着の時蒋氏が「予め日本側の諒解を求めたか」と質したるに、学良氏は、日本の満洲における現勢は決して恐るるに足らず、張作霖時代はいざ知らず、現在は何をなすにも日本の諒解を得る必要なし、と豪語し、蒋介石氏も大いにこれを賞賛したと。


データ作成:2003.10 神戸大学附属図書館

支那の満蒙鉄道策

<支那の満蒙鉄道策、日本の取るべき態度>

京城日報 1930.12.5(昭和5年)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00102376&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00102376



  上海よりの電報によれば、蒋介石氏と張学良氏との間に東北四省の鉄道、財政、交通諸機関を南京政府の管轄下に移す基礎的了解が成立し、満洲鉄道に関する支那の対日態度が硬化するに至ったということである。張氏がこれらの諸機関を中央に移管する代償として年額四百万円の軍政費の補給を受ける約束が成立したという別電と照合すれば、右の報道は必ずしも架空の説にあらずして、相当の真実味を有するものであろうと考えられる。

  いわゆる鉄道政策の硬化なるものが、どの程度まで日本の対満洲政策と相杆挌するものであるやは不明であるが、従来の例に徴し、支那側が一層露骨なる挑戦的態度を示すであろうことは想像するに難くない。果して然りとすれば、日支の共存共栄を対支外交の眼目とする日本にとっては、等閑視すべからざる重大問題なりと言わねばならぬ。今からみだりに神経を尖らし騒ぎ立てるのは大人気ないが、満蒙に対する特殊利益擁護のため適当の対策を講じ置く必要がある。毎度ながらの立ち遅れで、じりじりと特殊利益圏を縮小さるるが如きは甚だ感心せざることである。

  支那が東支鉄道にクーデターを断行したると同じく、非常識にして無遠慮なる外交気分を以て日本に臨むものとすれば、それは東亜全局の平和を撹乱するものたるのみならず、結局は支那の為に不祥の結果を招来すべきは言うを待たない。日本は条約により確保されたる満蒙特殊地位だけはいかなる犠牲を払っても擁護するの用意もあれば覚悟もある。南満鉄道を中心とする日本の利益圏を侵害することが支那の利益なりと考うることは、日支親善の基調を破壊する危険なる観測に外ならない。

  かつて米国の錦愛線借款計画に厳重なる抗議を提出したるその同じ理由は、今もなお仮然として存在するのである。日支の親善と共存共栄に忠実なる日本は、最近数年来、吉海線敷設その他の不法にしてかつ非友誼的なる支那側の行為を忍んで来たが、これ以上の忍耐を強いらるべき理由はない。もし支那側にして伝えらるるが如き挑戦的行為に出づるとすれば、日本は猛然としてその非を責むべきである。友誼外交、温情外交を継続する能わずんば致し方ないではないか。

  われらはむしろ蒋・張の提携による政局の安定を機会として、かって日支間で協定した満蒙開発計画を積極的に実現すべきであると考える。例の満蒙五鉄道計画も、久しく一片の空文として葬られた観があるが、その一部たる洮昂鉄道の開通せる今日、よろしく一歩を進めて洮南、赤峰、熱河線の敷設に着手すべく、吉会線の如きもよろしく支那側の偏見を打破しその実現を急ぐ必要がある。日本の資力と技術とを除外して満蒙の天然資源を開発する道はない。われらは、支那側がこの点に反省せんことを望むと同じ理由において、わが外務当局の強き意志の発動を期待するものである。


データ作成:2002.6 神戸大学附属図書館

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Author:Chaamiey
別名 茶阿弥
男性 熊本県在住
写真は元飼い猫のちゃあみぃ

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