昭和6年の満蒙情勢(6)
<満蒙の状況>(6)
参謀本部支那課長陸軍大佐 重藤千秋
京城日報 1931.6.25-1931.7.4(昭和6年)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00458229&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00458229
石油は、目下、石油鉱として満洲に発見されたものはありませぬ。しかし、最近伝えられるところによると、興安嶺附近に一つの石油鉱脈があるだろうと伝えられております。しかしこれは、果してあるかどうかわかりませぬが…又、間島の北の方にもどうも石油がありはせぬかということが伝えられております。要するに、これらのことはまだ将来の開発に待たなければならぬことでありますから、明確には申上げられませぬけれども、少くとも撫順炭坑に対する…オイルシェール問題は、石油に対する…日本の石油問題を解決するという所には参りませぬけれども、幾らかこの石油問題に対して光明を与える一資源であります。このオイルシェール問題に対しても、支那との間に相当難しい問題が起っている訳でありますが、とにかく石油ということに関しても幾らか満蒙というものによって補いがつくという訳です。
その次に貴重なものは衣料の資源でありますが、御承知の通り日本に羅紗地になる羊毛というものは殆んど日本の内地にはないと言ってよいのであります。年々、我々は1億万円以上の輸入を外国から仰いでおります。これはもちろん、日本人は羊毛のないくせに贅沢をしているそうで、互いに着ている羅紗の羊毛の如きは、世界中で日本の軍人ほど立派な羊毛を使っている服を着ているものはないということを、これは赤十字の者が言っておりましたが、恐らく嘘ではないと思うのであります。が、そういう、つまり贅沢はしておりますが、要するに羊毛というものに関して全然これを外国から仰いでおります。
現在満蒙における羊毛でありますが、これは、もともと蒙古人が羊を飼うというのは毛を取るというのは主でなく、彼らは肉を喰うのが主で、緬羊の繁殖は非常な困難でありますけれども、目下満鉄でやっております緬羊の改良事業が進みましたならば、まず200万頭ぐらいの緬羊を得ることはそう困難ではあるまいといわれております。もちろん、日本の力が奥の方にでも延びるようになりますと、この事業もまた、満蒙における羊の数は200万やそこらではないのでありますから、もっと増えるかもしれませぬが、今のところでは先ず200万頭ぐらいにはなり得るという見込みはあるようであります。
それから綿花であります。つまり、綿であります。この綿は、日本の輸入品としては一番大きな額を占めておりまして、昨年あたりからは幾らか減っておりますが、従来綿の輸入は年に6億円に上っております。しかし、これは日本で加工致しまして更に売出しますので、日本としてはこの綿は輸入をしても決して輸入だけにはならずに日本の貿易品として非常に大事なものであります。満洲方面の綿は、今のところ必ずしもこれらの要求を満たす訳には行きませぬ。しかし、棉の栽培地として適当である土地は少くも120万町歩はあるということでありますから、そうなりますと、この棉の方面につきましても、相当、満蒙方面の開発ができれば日本の力によって解決し得るということになります。
そのほか、吉林方面の森林ですとか、あるいは黒竜江、松花江方面における水産事業でありますとか、そういうことは日本人の手により、日本の資本によって完全に開発されましたならば、日本の資源を完全に満蒙によって補い得るとは申されませぬ。少くとも日本人の生活の必需品であるものは、大体においてこの満蒙から持って来るということができると思うのであります。即ち、我々が満蒙を研究致しますのには、どうしてもこれらの日本の必要というものを考えまして、これを主体として進まなければならないことだろうと思う。
然るに、この満蒙方面の現在の情勢はどういうことになっているか、また、その解決のためにはどういうふうな事態を惹起するであろうかと言うことになりますが、長くなりますから、この点についてはまた次の時にお話しようと思うのであります。
(完)
元のデータ作成:2003.8 神戸大学附属図書館
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