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東北亜歴史財団の『領土海洋研究』 第15巻~第17巻

東北亜歴史財団独島研究所の『領土海洋研究』 第15巻~第17巻 目次
http://www.dokdohistory.com/kor/gnb02/snb01_01.do

第17巻 2019.07.03  (照会数273)
〇研究論文
 ナム・ヨンウ Klaprothのフランス翻訳本『三國接壌之圖』刊行に寄与した新藏の役割
 ムン・サンミョン 日本島根県のいわゆる「竹島の日」条例制定に対する韓国政府と国会の対応
 キム・ビョニョン、イ・サンギュン 日本中等地理教育の独島関連領土教育内容分析-学習指導要領及び解説と地理教科書を中心に
 チョン・ヨンシク 「ドクソム(独島)」の意味と由来
 アン・ドンニプ、シン・ウォンジョン、チェ・ジェヨン 独島の洞窟分布と地形的特性

〇史料解題
 イ・ウォンテク、チョン・ミョンス 蔚珍待風軒現版記文類資料の解題と翻訳

〇書評
 ホン・ソングン キム・ピルギュ教授の『国際法から見た韓国と日本の領有権主張』


第16巻 2019.01.04 (照会数90)
〇研究論文
 イ・ウォンテク 「蔚陵島事蹟」の文献学的検討
 ホン・ソングン、ソ・チョンジン 日本小中高改定学習指導要領及び解説と独島関連記述の問題点
 キム・ヨンフン、ホン・ジョンウン 英国言論媒体に表れた東海名称表記分析
 パク・ジニ 独島研究の動向と成果-独島研究所の『領土海洋研究』を中心に

〇史料解題
 イ・ウォンテク、チョン・ミョンス 蔚珍待風軒所蔵「完文」と「捜討節目」の解題及び翻訳

〇書評
 ホン・ソングン グルシュイコフ教授の『東海の鬱陵島と独島で』


第15巻 2018.07.02 (照会数94)
〇研究論文
 ソ・インウォン 1950年代日本の固有領土説の政治的紛争化矛盾点に関する考察
 チョン・ジェミン 歴史的権原の判断順序と判断方式
 パク・ペグン  「島」と「岩石」に関する南中国海仲裁判定と韓日間の海洋境界画定に対する含意

〇史料解題
 イ・ウォンテク 19世紀鬱陵島捜討史料解題及び翻訳

〇書評
 イ・ビョンテク 近代初期アジアの国境交渉:明代の中国とベトナムの事例



<コメント>
 この照会数を見れば、一日の来訪者数10数人~20数人のこのブログと人気の無さでいい勝負かも。
 
 コピーガードがかけてあるので翻訳は無理。全て日本語入力でやればできないことはないが、時間かかり過ぎ。それに見合うほどの中身も無さそうだ。

 しかし、チョン・ジェミン判事の名前を久しぶりに見たなあ。何を書いているのか、ちょっと読んで見ることにしよう。他の論文よりはまともだろうから。


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竹島無主地先占の矛盾?(6)

切取行為は無人島領有の四つの方法のうちの一つで、交渉、占拠、切取、戦争などで無人島の領有意志を表明する。交渉は、通告、公示をして、占拠も公示をしなければならず、戦争は武力占領、布告で、切取は非公示の方法を取る(55)
そして、日本の独島編入は軍事占領の一種と見ることが自然だ。無主地先占論で包装すれば他国の誤解を呼ばないので、露日戦争当時独島を無主地先占論で包装して編入することになったのだ。露日戦争の当時、鬱陵島と独島に望楼と無線通信を設置しようとする目的で日本軍艦が三回にわたって実測探査を繰り返したことは、独島を軍事占領してから編入しようとしたことが明らかだ。1905527日、対馬海戦で日本連合艦隊がロシア太平洋艦隊を先制奇襲攻撃で機先を制して決定的に露日戦争を終結したことは、鬱陵島・独島海域付近の戦闘でロシア太平洋艦隊の降参だった(56)
 
(55) 名嘉憲夫 2013前掲書 p184
(56) 海軍軍令部纂 1910 明治三十七八年海戰史』第3巻 春陽堂 p206
 
 
日本帝国の膨張期に取られた日本の島嶼編入の表面的根拠は無主地先占というが、実際は日本は戦争を準備するために島嶼を先占したのだ。1895年清日戦争の際には尖閣列島編入、1905年露日戦争中には独島編入、1931年満州事変直前には沖の鳥島編入、1939年中日戦争では南沙諸島編入が行われた。日本政府と海軍は、尖閣列島、独島、久米赤島、沖の鳥島などに軍艦を送って軍事的戦略地にした。そして、日本は、民間人の活動実績と開拓申請願などを無主地先占論を立証するのに重要な資料として使っている。沖の鳥島の場合は岩礁に過ぎないために先占を立証する活動がないのに、日本海軍は武力で沖の鳥島を編入した。日本は独島編入に関して中央政府の官報で告示せずに島根県訓令で秘密裏に地方管内だけに告示したので、その当時、日本国内では一般的に独島を韓国領土と認識していた。
19056月に東京博文館が出版した『露日戦争実記 第76編』では独島を韓国全図に含ませて韓国領土と表記している。そして1907年『大日本地名辞書』では独島を日本の領土に含ませなかったし、鬱陵島と独島を韓国領土に含ませて松島(独島)は『東国輿地勝覧』に出てくる三峰島だと紹介している(57)
   19073月、日本海軍省水路部発行『朝鮮水路誌』に独島を載せていて、独島を韓国人は独島と書き日本の漁師たちはリアンコ島と呼ぶ(58)という内容と島根県告示がない内容を見れば、独島は韓国領土だということが分かる。しかし、1 9076月になって日本海軍省水路部は『日本水路誌』に独島を挿入し、独島が1905年島根県所管に編入されたという内容を追加した(59)
1912年、史料編纂官であり東京帝国大学文学博士である藤田明が出版した『参考中等日本史地図』と『参考高等日本史地図』(60)の対馬海戦に立つ鬱陵島(松島)、竹島(リアンクルト)と表記して索引には鬱陵島(韓国)、竹島(韓国)、リアンクルト(韓国)と明記している。ここで日本で知られた独島の呼称である竹島とリアンクルトをいずれも韓国領土と明記するのは、日本での独島の名称の混乱を防止して独島を韓国領土と表記するためだ。そして、1924年と1931年に東京で発刊された日本教科書の『日本歴史地図』でも「独島は韓国領土」と明らかに示している。
 
(57) 吉田東伍 1907 大日本地名辭書 冨山房 p10831084
(58) 日本海軍水路部 1907.3 朝鮮水路誌第二改版 p451452
(59) 日本海軍水路部 1907.6 本州北西岸項 日本水路誌』 第4巻第3
(60) 藤田明 1912 『参考高等日本歴史地図 東京·大阪寶文館
 
 
. むすび
  国際法における領土獲得のうち、無主地先占の法理が西欧諸国によって植民地の獲得を合法化する役割を担当するのは否定できない。無主地の概念を植民地化の道具として発明し、文明という概念を利用して弱小国の侵略を正当化した。1888年、先占に関する万国国際法学会の決議は他国への通告を先占の要件に定めている。ある国家が島嶼を先に発見し、時には上陸して領有宣言をする場合、その国の編入と領有意思を他国に知らせなければ紛争が起きることになるという趣旨から出発する。単純に一方の宣言に止まる実力を行使する先占は先占の効力がなく、第三国がこれを認めてこそ条件が成立する。
日本政府が小笠原諸島と南鳥島[1898]を編入する時に他国への通告と承認を受けた理由は、西欧諸国が領有権をめぐって競争する状態だったためだ。そして、他国との領土紛争を防止するために他国に通告したし、このような手続きは、その当時作られた慣習国際法を基礎として行われたことが分かる。
しかし、日本が無主地ではない独島を強奪して秘密裏に編入したことは国際法上の先占の四つの要件を具備しなかったし、先占の条件が成立しないために日本が独島領有権を取得したということはできない。そして日本は、その当時の領土編入の論理として無主地先占論を用いて弱小国の島嶼を編入したし、西欧国家との領土紛争がある場合にだけ他国への通告という原則を適用した。弱小国に対しては一方的、軍事的に島嶼を編入して他国への通告という原則を守らなかった理由は、日本帝国の軍事的膨張期に強大国を刺激せずに弱小国の領土を先占して軍事的戦略地として使うためであった。日本はロシアを刺激せずに露日戦争で勝利するために、独島を無主地と言いつくろって日本が鬱陵島・独島での海上制海権を押さえて効果的にロシアの海軍力を制圧するために秘密裏に独島を編入したために、他国や韓国にも通告しなかったのだ。
日本が韓国政府に正式に通告せずに独島編入の事実を隠蔽しながら、島根県地方だけで閲覧できる程度の告示をしたことは窃取行為に該当する。日本は独島を秘密裏に不法的に編入したので、1905年の後にも日本国内の出版図書、歴史教科書、地図、水路誌などでも独島を日本領土で表記せずに韓国領土と表記していた。
そして、日本国内の各国大使館に通告しなかった行為は、その当時の国際法に照らして見れば正当に実施されたということはできない。日本は1877年「太政官指令」で日本の国境を画定したので、一般的に日本政府の官僚、右翼団体である黒龍会会員、日本漁民、中井養三郎などは独島は韓国領土だということを認識していた。だから日本政府が独島を無主地として先占したという論理は正当性が欠如して矛盾があるので、日本政府は他国に通告できなかったのだ。そして、日本が通告義務を行わないで独島を無主地と偽装して軍事的武力で占領したことは、国際法的に韓国の侵略行為に当たる。

1930年代日本の領土編入政策研究における独島無主地先占論の矛盾点
  ソ・インウォン/韓国領土学会研究員
  『領土海洋研究』第11 2016.07.01
東北アジア歴史財団独島研究所


<コメント>
「無主地先占論の矛盾点」なんていう題名があったので、どんなするどい指摘が書いてあるのだろうかと思って読んで見たが、まるでだめな論文でした。日本の竹島編入の経緯についていろいろ批判してあるのだけれども、この人の前提では1905年には竹島は韓国の領土だったということなのだから、編入の経緯が不当だというところに焦点を当てるよりも、韓国の領土を奪ったのだから違法だと単純に言えば良いのではないか。論旨がはっきりしていないように思う。
水路誌とか教材とかを引き合いに出すのは無意味だというような細かい指摘はする価値もなさそうです。この論文でえらく強調されている「通告」については、島根県の『竹島問題100問100答』の第16項に簡潔にまとめられている。無主地の先占で通告は成立要件ではありません。

なお、「むすび」の冒頭に次の文章があります。

「国際法における領土獲得のうち、無主地先占の法理が西欧諸国によって植民地の獲得を合法化する役割を担当するのは否定できない。無主地の概念を植民地化の道具として発明し、文明という概念を利用して弱小国の侵略を正当化した。」

こういう言い方は良くありますが、日本の無主地先占による竹島編入には明確な証拠があって、それ自体を否定することはなかなかできないので、印象を悪くするためにこういうことを言うのでしょう。(国際法は「狼どもの法だ」というような表現もどっかで見たような気がする。)
しかし、この文章には間違いがあります。「無主地先占」の法理それ自体には何も問題はありません。「誰のものでもないものは、それを見つけて取った者のもの」という考えは人間社会のどこでも通用する話でしょう。問題なのは、西欧諸国が、既に大勢の人間が住んでいる場所を「文明水準が低いから無主地だ」と定義したことでしょうね。現在の価値観からすればこれは非常に問題のある行為だったということにもなるでしょうが、「無主地先占」それ自体の問題ではないし、まして日本の竹島編入とは何の関係もないことです。「無主地先占の法理」が植民地獲得を合法化したのではなく、「文明水準の低い場所は無主地だ」という考えが植民地獲得を合法化したのです。



 

竹島無主地先占の矛盾?(5)

日本政府は無主地の発見は先占の要件ではなくて未完成の権原(inchoate title)と考えて、独島を先占するために独島の豊富な漁業資源を広告した。そして、中井養三郎という漁師が領土開拓をするように整えて、これを利用して独島を軍事戦略的要衝地に作っていく戦略を立てたのだ。
  中井養三郎は1903年に独島で初めてアシカ猟の試験をした(42)。その成果から今までの全ての潜水器漁業をやめてアシカ猟に従事することに決心して、独島でアシカ猟を独占するためにリャンコ島(独島)の領土編入と貸下げ願を申し込むことにした。当時、中井養三郎は独島を韓国領土と認識して韓国政府に独島貸下げ願を申し込むことを決心していた。
「竹島その由来と運命」という論文(43)でも当時中井養三郎が独島を韓国領土と認識している内容が出て来る。この論文のリャンコ島(独島)領土編入及び貸下げ願に関する資料は、主に中井養三郎の息子である中井甚二郎(東海区水産研究所資源部長)から借りたものだ。そして、1910年に作成された中井養三郎の竹島事業経営概要を見れば、中井がその当時も独島を韓国領土と認識して事業経営概要を作成して、リャンコ島(独島)領土編入及び貸下げ願を提出するには、当然、統監府に行って議論しなければならないということを念頭に置いているという内容(44)が出てくる。この部分に統監府についての言及が出てくるが、韓国に統監府が設置されたのは独島編入閣議決定の1年後である1906年で、韓国が日本の保護国になった時期だ。これは、中井養三郎が1910年当時でも独島を韓国領土と考えていたということを示す。
1904年、中井養三郎は独島貸下げ願を申し込む前から独島を鬱陵島の付属島と考えて韓国統監府に貸下げ願を提出しようと努力する過程(45)で、外務省政務局長山座円次郎、農商務省水産局長牧朴真、海軍省水路部長肝付兼行などと相談した。
 
(42) 田村清三郎 1953 中井養三都庁提出した履歴書 1910 竹嶋 島根県広告文書課資料(翻訳者注:「広報文書課」だろうなあ)
(43) 三浦桂祐 1953.8 竹島その由来運命 水産界 大日本水産会出版部
(44) 田村清三郎 1953 中井養三事業経営概要 1910 竹嶋 島根県広告文書課資料
(45) 田村清三郎 1953前掲
 
 
その過程で日本政府は独島編入が戦略的に重要だと感じることになって、露日戦争で独島を軍事的要衝地として使うために、中井養三郎の独島貸下げ願を利用して独島を編入することにした。しかし、日本内務省は露日戦争中の不利な国際情勢を勘案して独島貸下げ願を却下した。その理由は、露日戦争で勝機を捉えるためにできるだけ国際社会とロシアを刺激せずに独島を秘密裏に編入するためだった。
当時、ロシアが鬱陵島に対する森林伐採権を持ち出したのは、鬱陵島の森林だけでなく南下政策上で鬱陵島と独島が持っている戦略的価値を高く評価したためだ。鬱陵島は、1888年以来ビティアズ(Vitiaz)号艦長だったマカロフ(Makarov)提督によってロシア側にその戦略的価値が知らされた(46)。当時、日本は露日戦争を準備して、鬱陵島・独島での制海権を押さえて効果的にロシア海軍を制圧するために秘密裏に独島を編入したので、他国や韓国に通告しなかった。日本が独島を軍事的目的で使うために秘密裏に不法に編入したことは、鬱陵島・独島が露日戦争でどれくらい軍事戦略的に重要な位置だったかが分かる。
露日戦争勃発前に、日本は陸軍、海軍、外務省3省の局長級幹部たちが晧月会を組織した。この組織で対ロシア戦争を準備していた山座円次郎外務省局長は、独島を露日戦争時の無線通信基地として活用するために独島編入の先に立った。山座円次郎は韓半島侵略はもちろん独島編入にも積極的に活動して、右翼団体である玄洋社の影響を受けた対外強硬派で、彼の独島強奪の野欲は中井養三郎事業経営概要に良く現れる。
山座氏は、このような時局なのでかえって領土編入が急務だといった。望楼を建築して無線あるいは海底電信を設置すれば敵艦を監視するのに非常に容易だろう。特に外交上内務省のような考慮をする必要がない。当然早く請願書を本省に回付しなければならないと意気揚揚だった(47)
 
(46) 崔文衡 1985 「ロシアの鬱陵島活用企図と日本の対応 『独島研究 韓国近代史資料研究協議会 p368369
(47) 時局ナレバコソ其領土編入緊要トスルナリ望樓建築無線若クハ海底電信設置セバ敵艦監視上極メテ用意ナラズヤ外交上内務顧慮スルコトナシラクカニ願書本省回附セシムベシト意気軒昂タリ。 田村清三郎 1953 中井養三事業経営概要 1910 竹嶋 島根県広告文書課資料
 
日本と韓国の沿岸地域にあって、望楼と電信の設置は露日戦争を遂行するのに確実な方式と見ることができた。日本は海軍巡洋艦を軍事戦略上重要な島に全て送り、その島と沿岸地域の地形学的測量は望楼、無線通信所、海底通信などの設置のための最適な場所を探すためだった。それで、日本は独島に新高軍艦、対馬軍艦(48)、橋立軍艦(49)等を三回送り、戦争を準備するために独島に望楼を設置するに適合するところを探査して望楼と無線通信を設置した。1904925日、新高軍艦(50)は独島の東島頂上に平坦なところがあって望楼を23個建てることができると判断し、本格的に鬱陵島と独島に望楼を設置した。190572日に独島望楼を起工してこれを竹島(独島)仮設望楼と命名して、819日からその業務を開始した(51)
日本は1877年「太政官指令」で国境を画定したので、一般的に日本政府官僚、右翼団体である黒龍会会員、日本漁民、中井養三郎などは独島を韓国領土と認識していた。しかし、日本政府は日露戦争で独島を軍事戦略地として利用するために独島を無主地と広報して独島を武力で編入した。その当時に帝国主義国家が新領土を開拓する過程で、無主地先占論は不法に領土を編入することを正当化する手段だった。
 
(48) 海軍省 1904.10 軍艦対馬戦時日誌 防衛省防衛研究所所蔵(C09050 402400)
(49) 海軍省 橋立艦長 福井正義 1905.4 橋立戦時日誌 防衛省防衛研究所所蔵(C09050390400)
(50) 海軍省 1904.9.25 軍艦新高行動日誌 防衛省防衛研究所所蔵(C09050456800)
(51) 海軍軍令部編 1905 極秘明治三十七八年海戰史』 第4部第4巻 p276
 
2. 独島編入の正当性欠如
独島問題の本質は、1905年領土編入の正当性の可否にかかっている。日本の韓国侵略の意図が明確な時点で独島を強奪したということは、韓半島侵略の野心を示すものだ。また、露日戦争中、韓日議定書の軍事戦略上必要な地点を臨機に収用できるとする項目によって日本海軍が独島を強占した状況で領土編入を断行し、その当時韓国の外交権も剥奪されていて韓国は抗議することができないときに独島を強奪したということは、韓半島侵略の野心を示すものだ。
19042月韓日協定書が締結、8月には第1次韓日協約が締結された。190511月に第2次韓日協約が締結されて韓国は日本の保護国になり、1910年に韓日併合条約によって韓国は日本に併合された。このような状況によって、当時の韓国政府は日本に独島編入の不当性を抗議できなかった。
太寿堂鼎は当時の韓国の立場について同情を禁じ得ないといって、独島が編入された19052月から11月の間に抗議しようと思えばできる地位にあったといった(52)(翻訳者注:原著を読んでいないので、この一文の意味が良く分からない。) しかし、韓国政府が1905年に島根県が独島を編入した事実を知ることになったのは、1906327日、独島を視察した島根県第三部長神西由太郎など45人が波風を避けて鬱陵島に避難して沈興沢郡守を表敬訪問した時だった(53)。神西部長は独島視察の途中の気象悪化で鬱陵島に寄港しただけで、独島編入を韓国に通告しようとする意図を持って訪問したのではなかった。日本が韓国政府に正式に通告せずに偶然の契機で知ることになった鬱陵島(翻訳者注:「鬱島郡」ですね)郡守沈興沢はすぐ翌日の329日に江原道観察使及び内部に報告した。沈興沢の報告書を受けた江原道観察使代理春川郡守李明来は、1906429日に議政府に報告した。このような行政的措置は、勅令第41(1900)に基づいて独島を継続して管轄していたことを示している(54)。日本は独島編入の事実を周到綿密に隠して島根県地方だけで閲覧できるように告示することによって、韓国が日本の保護国になる時までその事実を隠し、韓国が抗議することができないように計画を立てたのだ。領土編入に対する非公示は日本が独島を強奪した切取行為だ。
 
(52) 太寿堂鼎 1966 竹島紛争 『国際法 外交雜誌64 4·5 p131
(53) 朝鮮史編輯会 朝鮮史64 p570池内敏 2016 竹島-もうひとつの日韓関係史 中公親書 p179(翻訳者注:「親書」と書いてある)
(54) 外交部 「独島に関する15の一問一答. http://dokdo.mofa.go.kr/kor/dok­do/faq.jsp

(続く)

<コメント>
 上の文章にあるように、韓国人たちはどうしても「日本は独島を軍事的目的で使うために秘密裏に不法に編入した」と思いたいわけですが、竹島編入の前の1904年の日韓議定書によって、日本は「軍略上必要な地点を臨機收用することができる」ということになっていたので、竹島が仮に韓国領であったとしても軍事目的利用は可能だったわけです。だから、軍事目的で使うためにぜひとも竹島を日本領に編入しなければならなかったということではありません。




竹島無主地先占の矛盾?(4)

4. 島嶼編入事例の矛盾点
193310月に日本外務省条約局が発行した『国際法先例彙集』には明治期に日本が先占した島嶼である小笠原諸島(1876)、硫黄島(1891)、久米赤島・久場島・魚釣島(1895)、南鳥島(1898)、沖大東島(1900)、沖ノ鳥島(1931)などの各事例の領土編入の経緯を含めた全般的な解説が添付されていて、付属資料として各事例の解説に引用された国内法令とそれに関連した外交文書が掲載されている。例えば小笠原諸島の場合、編入当時には駐日各国公使(アメリカ、英国、ドイツ、フランス、ロシア、スペイン、イタリア、オランダ、オーストリア、ベルギー、デンマーク、ペルー)あてに通告したし、全ての国家にこれに対する了解を求めた(33)という点は、独島編入と比較できる。そしてこの研究には独島の編入経緯に関する説明と資料公開がないだけでなく、小笠原諸島を除く残りの島々に対する詳しい編入経緯と資料公開がない。
沖の鳥島の編入の場合、日本は環礁に対する先占の事実がなく、実際に先占したこともなかった。日本内務省は、海軍の圧力で軍事的必要によって形式上東京府の行政権の下に置いた。そして、日本政府は、沖の鳥島の編入に対して言論発表をするのは適切でなく、外交的に無主地先占の宣言と通告の手続きは必要がないと判断して、閣議決定後に内務省の公示だけをした。1922年、日本政府は測量艦満州号を送ってダグラス環礁(Douglas Reef)を調査して水上飛行機の基地を建設して(34)19319月に(翻訳者注:「の」だろうなあ)満州事変に備えるために19317月に沖の鳥島を編入した。
 
(33) 際法先例彙集研究会 2004 「研究報告 国際法先例彙集する研究 外務省外交史料官報』 第18 p100
(34) 名嘉憲夫 2013 領土問題から国境画定問題 明石書店 p172
  

南沙諸島の場合、19333月に日本は国際連盟を脱退するや否やフランス政府にフランスの領有権宣言の撤回を申し入れた。これに対しフランスは民間会社が採鉱したことは日本の先占に該当しないと主張した。1930年代、日本海軍はアメリカが東南アジアへの海上通過の目的で領土獲得を計画しているのに備えて、将来潜水艦基地を作る目的で南沙諸島環礁での日本人の経済活動を支援した。フランス政府はフランスの領有権を認めれば日本人の経済活動を認めるという通告をしたが、日本政府はこれを拒否した。日本国内では中日戦争を準備しながら南下の重要な拠点として軍事的戦略地として使うために、19393月、日本の植民地である台湾の高雄に編入した(35)。これに対しフランス政府は日本に強力に抗議し、アメリカ、英国、オランダ、オーストラリアもこのような日本の不法行為は自国の安全保障に大きな脅威になると非難した。結局、日本は南沙群島を軍事的目的で戦争を遂行するために領土編入をしたため、他国の承認を受けることができなかった。

沖の鳥島、南沙諸島の編入は、尖閣列島と独島の編入過程と比較すれば、戦争を遂行するために軍事的戦略地として編入をして、無主地先占論を利用して他国に通告しないで武力で編入した点が似ている。そして、無主地にあって日本人の発見、経済活動などによる先占があっても、先占の要件である他国への通告(翻訳者茶々:違うでしょ)がないならば先占は成立しない(36)
 

(35) 名嘉憲夫 2013前掲書 p175

(36) 田喜三 1933.9 無人島先占論 中央公論p89
 

. 無主地先占論による独島編入の正当性欠如
1. 日本政府の無主地先占の戦略
1877年「太政官指令」(37)における鬱陵島・独島をめぐる明治政府の対応は、無主地先占論において重要な示唆点を与えている。日本は国境画定時期(18741881)に北海道、千島列島(1875)、小笠原諸島(1876)、沖縄(1879)を編入して日本の国境を画定した。韓国と日本の場合、1833年、日本政府は日本人による鬱陵島侵入に対する韓国政府の抗議を受け入れて日本人を送還した。その後の1877年、日本政府は西側の国境を画定する時「太政官指令」で鬱陵島と独島を韓国領土と認定して国境を画定した。
「太政官指令」は、内務省でも独自に調査して、島根県の報告を基に鬱陵島と独島は韓国領土であることを認めて日本領土ではないと結論を下した。こういう重要な「太政官指令」は日本政府の領有権主張に不利なので日本の外務省では言及するのを敬遠していて、外務省のパンフレット「竹島問題に関する10のポイント」にもこういう重大な決定を全く載せていない。
しかし、1900年代に日本は無主地先占論を利用して領土編入をした経験から独島を編入する作業に着手した。日本の領土編入は開拓、貸下げ願申請、戦争遂行のための軍艦派遣及び軍事施設設置、閣議決定、地方内告示などの手順を踏んで行われた。1901年の黒龍会会報は、葛生修亮が独島に対して使った「日本海中の未発見の島」(38)を載せて無主地である独島を発見したという業績を広報して、日本の領土を切り開くのに積極的に利用した。主に独島の漁業価値が相当高いために、独島を無主地と広報して当時の無主地先占論で独島を強奪しようとする野心を表わし始めた。
 
(37)務省 1877.3 日本海内竹島外一島地籍編纂方伺立公文書館所蔵(A07060000300)
(38) 龍会 1901 日本海中 未発見 一島 『黒龍会会報1·2 p107
 
 
黒龍会会報では、独島がまだ英国の海図や日本、ロシアの海図に載っておらず、韓国の地図にも載っていないという(39)など誤った情報を掲載して独島を無主地と広報した。1849年にフランス船舶リアンクル号が独島を初めて発見して以後、フランスの水路誌に登場しているにも関わらず、日本水路局はフランス水路誌の情報を把握できなかった。
  その後、日本水路局は『寰瀛水路誌』(1883)、『朝鮮水路誌』(1894,1899)を発刊して独島を韓国地図に含ませて韓国領土であることを認めた。その後に発刊された黒龍会会報は、独島を未発見の一島と広報するために水路誌の事実を隠したのだ。また、独島はフランス、英国、ロシアの海図に正確に記録されていて、黒龍会会報の内容が誤っていたことを反証している。黒龍会が独島を未発見の一島と知らせようとする意図は、独島を無主地として広報することによって領土編入における国内的あるいは国際的世論を有利に形成するためだった。
「日本海中の未発見の島」の内容の中で、鬱陵島から帰ってきた者は晴れた日にこの島(鬱陵島)の峰の高いところから東南側に遠く島があることが分かるという部分(40)で、韓国漁民が鬱陵島を漁業根拠地として独島で漁業をするのは鬱陵島と独島は一つの付属島であって韓国領土であることを知ることができる。また、韓日漁民はこの島を「ヤンコ」と呼ぶほど独島を明確に認識していた。そして、葛生修亮の著書『韓海通漁指針』(1903)の目次に独島が江原道の鬱陵島の付属島として紹介されたこと(41)は、独島が韓国領土であることを立証する証拠だ。1901年の黒龍会会報で独島にアシカが多くて漁業の邪魔になるという内容を記述しているが、1903年になって独島にはアシカとアワビのような高価な魚類資源が豊富だと記述して、未来の有望な漁場として日本漁業従事者が開拓する必要があると紹介している。これは日本漁民に、独島を日本領土として開拓しようと誘導する内容だ。
 

(39) 龍会 1901前掲書 p108

(40) 龍会 1901前掲書 p108

(41)葛生修吉(翻訳者注:「修亮」の書き間違い)1903 韓海通漁指針 黒龍会

 
(続く)

<コメント>
 黒龍会が竹島について意図的に無主地だとウソをついたようにおっしゃるが、実際無主地だったんだから、他に言いようもないだろ。いろいろと書いてあるけれども、結局はこの時点で「独島は韓国領だった」という大前提でものを考えているだけの文章です。



竹島無主地先占の矛盾?(3)

1873年、小笠原諸島の有力者キャプテンベンジャミン・ビルが在京アメリカ公使を訪問してアメリカの統治を希望すると、すぐにアメリカ政府はこれを受理した。当時、この島に居住するアメリカ人は25人、英国人は17人、フランス人は4人だった(24)187511月、日本政府は探検隊を派遣して島民たちから服従の宣言を受けた。187610月、日本政府は小笠原諸島で実施すべき新法令で小笠原諸島に官庁を設置して官吏を派遣する規則を制定した。そして1017日、寺島外務卿は在日本の各国公使に新法令による取り締まりをするという趣旨を通告した。寺島外務卿が送った書信は下のとおりだ。
 
アメリカ、オーストリア、ベルギー、デンマーク、フランス、ドイツ、英国、オランダ、イタリア、ペルー、ロシア、スペイン、西欧各国公使あて書信
日本南海中の所属島である小笠原諸島は、昨年1875年に日本政府から官吏を派遣して実体を調査した。だんだん移住者の増加に対して、このほど該島に官庁を設置して官吏を派遣するための別紙規定に伴う取り締まりをすることになったので、このような次第を通報する(25)
 
日本の通告に対して、ドイツ、フランス、オランダなど西欧国家は、単に了解する趣旨を述べたり、条約の範囲内において条項に従う趣旨を述べる回答を送った(26)
 
(24) 外務省条約局 1933前掲書 p2
(25) 外務省条約局 1933前掲書 p2
(26)外務省条約局 1933前掲書 p2
 
   18761025日、ドイツ弁理公使フォン・アイゼンデハー(von Eisendecher)1017日付書簡で日本の属島である小笠原諸島取り扱い規則の送付の件を承認して、日本政府に通知した。1877121日、フランス代理公使セント・カンタン(St. Quentin)は、去る18761017日の小笠原諸島の官庁設置及び官吏派遣の決定趣旨と別紙規則を承認するのは、日本とフランスの間に結んだ条約で上の規則と条約の趣旨に抵触する件が無ければ施行できるが、万一ひとつの条項でも抵触の件がある時は施行できない、という趣旨を回答した(27)1877126日、横浜駐在オランダ弁理公使ベッカリン(V. Weckkerlin)は、小笠原諸島に官庁を設置する書簡と別紙規則について承認し、上の規則は日本及び各外国と締結した条約に適合しなければならないと主張して、自国民の船舶及び貨物などに関して上の規則を遵守するように指示すると回答した。
しかし、アメリカ、英国などは治外法権の権利を主張する立場を取ってその新法令が自国民に及ぶことを否認し、これに対する措置として日本政府と文書をやりとりした。この通告に対して、英国公使ハリー・パークス(Harry S. Parkes)は直ちに日本外務省に寺島外務卿を訪問し、横浜など開港地で外国人が持っている治外法権の特典を小笠原諸島居住民にも認めてもらいたいと要求した(28)。これに対し、寺島外務卿は、小笠原諸島は開港地ではないので他の開港場の外国人と同一視できないといった。
アメリカ公使ジョン・ビンガム(John A. Bingham)は、小笠原諸島の港則第7条と細則第12(添付資料参照)に対して米日修好通商条約(1858)の治外法権の権利を主張した。 これに対して日本政府は、小笠原諸島の特殊事情を考慮して軽犯者は同島規則によって取り締まる趣旨を回答し、これで小笠原諸島の編入を終わらせて、日本はこの時点で東側の国境を確定した。結局、日本政府の罰則適用において外国人は自国領事の判決に従うのを認めたが、小笠原諸島に対する主権は各国いずれも日本の主張を黙認する形となった(29)
小笠原諸島編入の場合、無人島である小笠原諸島を最初に発見した人物は日本人ではなくオランダ人だったので、日本政府は小笠原諸島を編入する時いささか慎重に対処した。日本政府は確実な現地調査をしたが、1840年の日本人の漂流を別にすれば、日本人はそれ以前200年近く小笠原諸島に行かなかった。その間に色々な西欧国家が領有権宣言をして、また30年にわたって外国人が居住していて、1861年当時には西欧国家が小笠原諸島の領有権をめぐって競争した状態だった。
 
(27) 外務省条約局 1933 前掲書 p11
(28) 外務省条約局 1933 前掲書 p33
(29) 外務省条約局 1933前掲書 p18
 
 
    <表1>独島と小笠原諸島の領土編入比較表

独島      小笠原諸島
編入年度       1905年      1876年
編入の論理     無主地先占論    無主地先占論
編入の目的     経済的利益及び   無主地先占論
          軍事的要衝地    軍事的要衝地
所属国        韓国        無主地
他国への通告と承認 秘密裏に編入  米英など西欧12ヶ国
 
 
独島と尖閣列島の編入当時は他国へ通告をしなかったが、小笠原諸島を編入する時にはアメリカと英国が領有権宣言をしていたし、両国の住民が住んでいたので通告するほかはない状況だった。小笠原諸島編入の成功要因は小笠原諸島の領有権に対する英国の消極的な姿勢と英国の領土になることに対するアメリカの牽制であり、これらの要因は小笠原諸島が日本に帰属するのに有利に作用した。そして英国とアメリカの力学関係と当時の英日両国の協力を必要とした日本政府と英国との関係から出発する。 1861年、日本で壌夷派による攻撃が強くなってロシア軍艦による対馬占拠という事態が起きて、日本政府も英国の協力が必要だったし英国もロシアを牽制するために日本の協力を必要とした(30)
1902年の日英同盟は、露日戦争の時に日本に最大限有利にその力を発揮した。英国は参戦はできないが最新式無線電信機などの新技術情報を日本に提供したし、日本は連合艦隊の主な艦船を英国から購入した。そして日本はバルチック艦隊の動向情報提供、バルチック艦隊のスエズ運河通行の拒否、バルチック艦隊への石炭供給の妨害(31)などで英国から最大限の支援を受けた。特に鬱陵島・独島の間の海戦で日本連合艦隊は旗艦三笠を始めとしてほとんど英国製を使った(32)
 
(30) 名嘉憲夫 2013 領土問題から国境画定問題 明石書店 p118
(31) 小池明 2011 日本海海戰三六式無線通信機 歴史春秋出版社 p104
(32) 小池明 2011前掲書 p103
 
   結局、小笠原諸島編入当時の他国への通告と承認はその当時の慣習国際法に従ったものであり、日本は色々な国家間の領土獲得競争において先占の優位を占めるために通告の義務を果たしたのだ。そして、日本は領有権原を取得する過程で他国との領土紛争を防止するために、19世紀に作られた慣習国際法を遵守して通告の義務をしたのだ。

<コメント>
 この論文執筆者のソ・インウォンさんは、無主地先占には通告の義務があるというのが当時の慣習国際法だったと言いたいわけですが、ここに挙げられている小笠原諸島の例を見れば、小笠原諸島の存在は既に西洋諸国に知られていて、現にアメリカ人やらイギリス人などが住んでいたのだから、先占して日本の領土にしようと思うならば通告が必要だと考えるのは当たり前です。通告が必要とされる状況があったから通告をしたのです。これが通告の義務についての慣習国際法を証明するとは言えないでしょう。
 
 そのあたり、ソ・インウォンさん自身にも混乱が見られます。上の文章の末尾ですが、前半に
「結局、小笠原諸島編入当時の他国への通告と承認はその当時の慣習国際法に従ったものであり、日本は色々な国家間の領土獲得競争において先占の優位を占めるために通告の義務を果たしたのだ。」と、後半に「そして、日本は領有権原を取得する過程で他国との領土紛争を防止するために19世紀に作られた慣習国際法を遵守して通告の義務をしたのだ。」と書いてあるのですが、通告が絶対的義務ならば、領土獲得競争において先占の優位を占めるためであろうとなかろうと、他国との領土紛争を防止するためであろうとなかろうと、とにもかくにも通告をしなければならないですよ。しかし、ソ・インウォンさん自身、日本が目的をもって通告したという事実を認めている。これでは通告が絶対的義務だということの説明にはなりません。

 あと、表1ですが、1905年の竹島の所属について、ぬけぬけと「韓国」と書いてあるのは笑ってしまった。

 

竹島無主地先占の矛盾?(2)

2. 先占における他国への通告義務とその事例
先占の意思表示は、一定の地域を先占して取得することについて明確な意思表明をすることで可能だ。国際法はその方法について細則を定めている。国権を先占地域に設定する宣言書の発行または宣言することは、一般的にその権利を行使するものと言える。強大国またはその関係国に外交上の通知を知らせることが当然だが、必須要件ではないとしている。しかし、19世紀の国際社会では他国への通告(notification)の必要性について論じることになった。1885年ベルリン会議の一般議定書は、アフリカでの先占に対して通告の義務を定めた。これを受け入れる形で、1888年の先占に関する万国国際法学会の決議は他国の通告を先占の条件に定めた(11)。国際法学者たちも、領土編入の対外的通知は義務ではなく、実効的支配の根拠があれば良いと主張している。(翻訳者注:この文脈で、国際法学者たち「も」と書いてあるのは少々意味不明。)
日本の国際法学者である高橋作衛は、通告の義務について、実力占領の事実がある時にはそれは最も正確な意思表明で証明されるので通告は必要ではないと解釈している(12)。しかし、日本が通告の義務を行わずに独島を無主地と偽装して軍事的武力で実力占領したことは、その当時の植民地支配を正当化する強者の論理であり、国際法的に韓国侵略行為に該当する。
倉知鉄吉は、1885年ベルリン会議一般議定書に対して、オーストリア、ベルギー、デンマーク、フランス、ドイツ、英国、オランダ、ポルトガル、ロシア、スイス、アメリカなどはいずれもこの宣言書を承諾して約束したが、この問題は日本と直接関連がないと記述している(13)。日本は、ベルリン会議の一般議定書は該当条約国がアフリカ海岸の一部を先占する時にそれを他の条約国に通告するように規定されていて、これはアフリカ海岸にだけ適用される規則だと批判している。
 
(11) 田喜三 1933.9 無人島先占論 中央公論 p88
(12) 高橋作衛 1904 平時国際法論 日本法律学校 p373
(13) 倉知鉄吉 1899 『国際公法 日本法律学校 p87
 
 
しかし、ドイツがマーシャル諸島(1886)を先占した時、そしてフランスがマダガスカル(1897)を先占した時に先占を他国に通告した事例があるように、アフリカ以外の場合にもこの規則が適用されると解釈する例もある(14)。また、ベルリン会議一般議定書は世界の最優秀の国際法学者が網羅されたもので、その決議は最高の権威を持つ(15)ので、その当時日本政府は先占の四要件を遵守しなければならないのが国際法上慣例と言うことができる。
187610月、日本政府は小笠原諸島に官庁を設置して官吏を派遣する新法令を制定した。そして1017日、寺島宗則外務卿は小笠原諸島を新法令により取り締まりをするという趣旨と領土編入の意思をアメリカ、オーストリア、ベルギー、デンマーク、フランス、ドイツ、英国、オランダ、イタリア、ペルー、ロシア、スペインなど西欧各国に通告し、第三国から領土編入の承認を受けた。このような手続きを見れば、日本政府は国際法上通告の義務を遵守していて、これはその当時の一般的な慣習国際法と見える。慣習の効力範囲は全ての国家に対して一般国際法としての効力を持つ。慣行に参加しなかった国家と慣習が成立した以後に出現した新生国家もまた、慣習の効力範囲の中にある(16)。その当時、日本は1885年ベルリン会議一般議定書を熟知していたし、日本の領土編入にあって他国への通告および承認の手続きを行ったことを見れば、倉知鉄吉が主張した日本の論理には矛盾がある。
 
(14)Lindley, M. F., 1926, The Acquisition and Government of Backward Territory inInternational Law, London: Long­mans, Green, p.295
(15) 田喜三 1933.9 無人島先占論 中央公論 p87
(16) 柳原正治·森川幸一·兼原敦子編 2013 プラクティス国際法講義2 信山社 p18
 
そして、1930年代の日本の国際法学者である横田喜三郎は、他国に通告しなくても良い義務は少数説であり、1888年万国国際法学会決議は他国への通告を必要としたと主張している。また、1885年のベルリン会議一般議定書もアフリカ海岸での先占に対して他国への通告が必要だとした。これに対する少数反対論もあるが、先占を完了するためには通告する必要があるとしている(17)①先占の主体は国家でなければならず、②対象地は無主地でなければならず、③実効的な占有を伴わなければならず、④国家が領有意思を表明すべきこと、が先占条件の四種類であり、この先占が成立するためには上記の四つの条件が常に備わらなければならない。このうちの一つだけ欠けても先占条件が成立しないために領土権を取得できない地が無主地だと主張している(18)
ある国家が島嶼を先に発見して、時には上陸して領有権宣言をする場合、その無主地の編入と領有意思を他国に知らせなければ紛争が起きることになる。西欧諸国が領土を取得する過程のうち、領土紛争を防止するためには他国への通告と承認が必要だということ(19)がその当時の慣習国際法だと言える。
南鳥島の場合、1897年に水谷新六が領土編入貸下げ願を提出すると、直ちに日本政府は閣議決定によって1898年東京府告示第58号で東京府所属として小笠原諸島の所管に置いた。この過程で、1889年、アメリカ人ローズヒル(Rosehill)が南鳥島に対する歴史的権原を主張したが、アメリカ政府はローズヒルの異議の提起を認めなかった。19021月、ローズヒルがアメリカ国務部から占領許可を受けて南鳥島への遠征に出るという噂を聞いた日本政府は、駐米高平小五郎公使を通じて、その島は既に1898年東京府の管轄に置いたという事実とその根拠を提示するように指示した。そして、もしこの島に対する占領許可が既に付与されたとすれば、両国間のむだな紛争を避けるためにその許可を取り消す措置を採択するようにアメリカ政府に勧告した(20)。アメリカ政府は、これに対して細かく調査するために該当官吏に移管するという意を回答した。その後、アメリカ政府は訓令に基づいて、ローズヒルに紛争を起こさずに米日両国政府間の外交的折衝によって解決するという内容の書面を通知することによって終了した。
日本政府が無主地先占にあってアメリカに通告して承認を受けたことは、アメリカとの領土紛争の素地を遮断するためであり、このような手続きはその当時作られた慣習国際法を基に行われたことが分かる。
 
(17)田喜三 1933.9 無人島先占論 中央公論 p88
(18) 田喜三 1933前掲書 p88
(19) 高橋作衛 1904 平時国際法論 日本法律学校 p373
(20) 外務省条約局 1933 別紙 乙号 『国際法 先例彙集(2) p40
 
3. 小笠原諸島の場合
小笠原諸島は、徳川幕府時代に小笠原民部大輔貞頼が徳川家康の命を受けて伊豆半島から南航して、八丈島の南方海上で発見した島という。島の港に領土標柱を2個立ててこの島を小笠原諸島と命名して以来、23回にわたってこの島を訪ねる者はあったが、永住する者はいなかった。小笠原諸島の名前が発見者である小笠原貞頼の姓に由来することが伝えられたのは18世紀前半からで、この人物の実在は証明できないが(21)、島名の由来は伝承されて来た。小笠原貞頼の発見は架空の話だが、小笠原諸島を最初に発見したのは、1639年、オランダ人マチス・クウォストと見える(22)
19世紀から帝国主義列強は無主地先占論による領土獲得競争に苛烈となり、小笠原諸島編入に対する関心度が高まった。1817年から捕鯨船乗船の外国人が次第にここに居住し、1827年英国軍艦ブロッサム(Blossom)号がここに銅碑を立てて去った(23)
1828年、ベーリング海沿岸を測量して多くの島を発見したロシア航海家リトケ提督は、小笠原諸島が帰属のない無人島だと判断してロシア領土に編入しようと提案したが、ロシア政府はこれに応じなかったという。1853年、ペリー艦隊一行がここに碑石を立てたが、アメリカ議会の追加認定はなかった。
1864年、日本政府は官吏及び移民者80人を小笠原諸島に送って統治することにしたが、14ヶ月過ぎて日本政府の長州征伐のために居住者を全て疎開させた。その後、島は混乱に陥って、犯罪が増加するとすぐに島民は日本政府に支配を要請した。
 
(21) 大熊良一 1969 千島小笠原島史考 しなの出版 p155
(22) 安岡昭男 1980 明治維新領土問題 教育社 p175
(23) 外務省条約局 1933 國際法 先例彙集(2) p1

(続く)

<コメント>
 日本の竹島編入について「軍事的武力で実力占領したことは」なんて書いてあるが、日本は竹島を武力占領なんてしていない。海軍の望楼設置のことでも言っているのだろうか。

  アフリカ海岸での先占については、列強が大勢でアフリカを植民地にしようとしていたときのことだから、つまり競合する可能性があるから、「ここは先占したぞ」と通告しておかないと揉めることになるから互いに通告し合うことにしたんでしょ。通告義務を定めたと言ったって、無主地の先占というもの全般に通ずる原則というようなものではありません。


竹島無主地先占の矛盾?(1)

1930年代日本の領土編入政策研究における独島無主地先占論の矛盾点
  
ソ・インウォン/韓国領土学会研究員
  
『領土海洋研究』第11 2016.07.01
東北アジア歴史財団独島研究所
 
. はじめに
最近改定された日本外務省の「竹島問題に関する10のポイント」(20143)で、日本は1905年に閣議決定により独島を島根県に編入して領有意思を再確認したと主張して、既存の無主地先占論を削除した。そして日本は、独島編入の無主地先占論がうまく受け入れられないので、独島が歴史的に日本以外の領土だったことがないという固有領土説に独島編入の根拠を変えている。そこで、こういう日本の独島編入論理の矛盾点に対して、19世紀国際法の無主地先占論理の正当性と他国への通告(notification)の原則を分析する必要がある。

1930年代に入って、日本は本格的に領土編入政策に関する国際法的研究を実施した。 日本外務省外交資料館所蔵の「各国領土発見及び帰属関係雑件」、1933年日本外務省条約局発行「国際法先例彙集」などが代表的な研究結果だ。そして1930年代に日本の国際法学者が著述した国際法の書籍などがある。このような資料を中心に無主地先占論の意味と日本の領土編入の論理を分析して、無主地先占論による島嶼編入はその当時帝国主義が行っていた弱小国侵奪の論理であり独島の不法編入と正当性の欠如について証明する。

日本の小笠原諸島と独島の編入過程、そして他の島嶼編入事例から無主地先占の戦略と他国への通告の義務を守らなかった理由について比較・分析して、日本の領土編入論理の差異点と矛盾点を証明する。そして、日本が無主地先占において他国への通告をした事例を分析して、通告の義務がその当時国際法上の慣例であったことを証明する。
最後に、1905年に島根県の所管に独島を編入する時、日本が独島を韓国領土と認識しながら独島を秘密裏に不法的に編入した経由を分析し、無主地先占論の矛盾点について証明する。そして、1905年の島根県告示以後にも日本国内の書籍と地図には独島を韓国領土と表記している内容を中心に、日本の無主地先占における他国への通告の正当性の欠如について証明する。
 
. 無主地先占論の理論と実際
1. 19世紀の無主地先占論の概念
19世紀国際法では領域主権が及ばない地域は無主地と見ることができる。無主地の領有意思を持って実効的に支配する国家が、その無主地を自分の領域として取得することができる。結局、領域取得の意思とその意思の存在を立証するための国家活動、実効的支配が無主地の領有のための要件となる(1)
先占による領有が有効であるためには四つの要件を充足しなければならない。①先占の主体は国家でなければならず、②対象地は無主地でなければならず、③実効的な占有を伴わなければならず、④国家が領有意思を表明しなければならない(2)
 
(1) 小寺彰·岩沢雄司·森田章夫編 2010 講義国際法2 有斐閣 p244
(2) 日本外務省外交史料館 帝国政府領土権主張問題1, 1929(昭和4)72 日~1939(昭和13)32日-國際法上先占要件 各国領土発見及歸屬関係雜件1 p25
 
   先占は、国家が無主の地域に対する領土主権を取得することをいう。国際法上の先占の要件として、先占の主体は国家であり、先占は国家行為(a state act)をすることが要求され、次のような条件が必要だ。国家が官憲に命令して先占を行う場合と、国家から委任または命令を受けた個人あるいは開拓会社が国家のために先占する場合をいう。客体に関する条件において、先占の客体は無主の土地であることが要求される。住民がいない土地は無主地であり、遺棄された土地(dereliction)は無主地になる。野蛮族(原住民)が占拠する土地は無主地になることに関して論争の余地があるが、一般通説及び実際はこれを無主地と見ている(3)。野蛮族(原住民)の土地を先占するために条約を締結するのは消極的な通説だといい、先占にあってまず野蛮族(原住民)に対して保護権を設定するのが一般的だ。発見は先占の要件ではなく、発見者あるいは発見国はその他の別の優先権を有しているが、未完成の権原(inchoate title)ということができる。

  パスカル・フィオレ(Pasquale Fiore:イタリアの法学者)によれば、あらゆる文明国の法的領有下にない地域であって未開の原住民だけが住む所は先占によって取得できるといい(1890)(4)、英国の法学者ローレンス(T. G.Laurence)による無主地はあらゆる文明国の領有の部分にない地域を指し、原住民による低い文明水準と政治的結合の達成も、先占によって彼らの領地取得を阻止するに充分ではないとした(1895)(5)

先占は無主地に領土主権を設定して、その設定について認定を受けなければならない。少なくとも先占国の権力を行使するに十分な地方官憲の存在が必要だというのが一般通説であり、先占は実力的または実効的支配が必要だとする。単純に一方の宣言に終わる実力行使は先占の効力がなく、第三国から先占を認められてこそ先占の条件が成立する(6)
 
(3) 同上
(4) 杉原高嶺 2008 国際法講義 有斐閣 p280
(5) T. J. Lawrence, 1895, The Principles of International Law, Boston, New York etc. D. C. Heath &Co, pp.146147
(6) 日本外務省外交史料館 帝国政府領土権主張問題1, 1929(昭和4)72日~1939(昭和13)32日-国際法上先占要件 各國領土発見及帰属関係雜件1 p26
 
 
さらに、先占の実効性に関する上のような通説に対して、一定の例外の場合には、最小限の条件として先占国市民の移住とその他の被先占地域の実効的支配の事実があればその条件が満たされる。中央政府の行政実務で無主地への権力行使が届かなくても、軍隊または警察をしばしば派遣して事実上の実効的支配を行い、または野蛮族(原住民)から税金を徴収することは、先占地域の領域取得を認められことを充足する。
実際の先占の法理が西欧諸国によって植民地獲得を合法化する役割を担当することは否定できない。無主地の概念を植民地化の道具として発明して、文明という概念を利用して弱小国の侵略を正当化した。このような行為に対して、木戸孝允は万国公法が弱小国を奪う一つの道具(7)という信念を持っていた。
無主地を文明という基準で判断するのは、19世紀国際法学者の独創的な見解だと言える。19世紀末の国際法学者ホール(Hall)は、領域を取得できるのは文明国または半文明国に限定されている(8)とし、ローレンスは、無主地というのは文明国の占有下にない土地の部分だと定義している(9)。このような文明基準を利用したヨーロッパ中心主義的指向は、フェンウィク(Fenwich)の指摘にもよく現れる。彼は、文明国が非文明人に対する明確な区別を国際法は行わないが、全般的に見れば国際法は遊牧民の権原を認めなかったし、定住したとしてもその文明水準がヨーロッパ基準以下の場合にはその権原は認められないとしている(10)このように、無主地先占の法理は強大国が文明国の基準として弱小国を植民地にするのに正当性を確保する良い材料になったし、こういう一方的な行為は道徳的にも法的にも正当化することに利用された。
 
(7) 日本史籍協会 1967 木戸孝允日記(1) 東京大学出版会

(8) William Edward Hall, 1924, A. PearceHiggins ed., A Treatise on International Law, 8th ed., p.125p.127

(9) Lawrence, supranote 38 at 146149

(10) Charles G. Fenwick, 1934, Interna­tionalLaw 2nd ed., p.251


(続く)

<コメント>
 冒頭に「最近改定された日本外務省の「竹島問題に関する10のポイント」(20143)で、日本は1905年に閣議決定により独島を島根県に編入して領有意思を再確認したと主張して、既存の無主地先占論を削除した。」と書いてあるが、外務省は10ポイントを改定したことがあったかなあ。出たときから変わっていないように思うのだが。

 その次に、「そして日本は、独島編入の無主地先占論がうまく受け入れられないので、独島が歴史的に日本以外の領土だったことがないという固有領土説に独島編入の根拠を変えている。」とあるが、これも日本政府の主張をちゃんと理解できていない。



太政官指令の国際法的効力?(8)

. 結び
1. 要約・整理
上述したことを次のとおり要約・整理することにする。
(i) 「太政官指令文」は1枚の文書でなく、「太政官指令文」本文とそれに付属した14個の付属文書で構成されている。そして「太政官指令文」本文は「太政官指令文」主文と「太政官指令文」理由で構成されている。
(ii) 「太政官指令文」本文と「太政官指令文」付属文はいずれも『太政類典』と『公文録』に登載されて公示されている。したがって「太政官指令文」は単純な日本の国内文書でなく、国際法上の通告あり国際的効力がある文書だ。
(iii) 「太政官指令文」主文は「竹島外一島の件について本邦(日本)は関係が無いということを心得ること」と指令した。これは日本が朝鮮の鬱陵島と独島に対する領土主権を黙示的に承認したものだ。
(iv) 「太政官指令文」の理由は「元禄5(1692)に朝鮮人が入島して以来、旧政府(江戸幕府)と該国(朝鮮)との往復の結果、結局本邦(日本)は関係が無いということを聞いて……」と記述されている。これは安龍福事件の以後、日本政府が朝鮮の鬱陵島と独島の領土主権を明示的に承認したのを確認したものなので、日本政府が朝鮮の鬱陵島と独島の領土主権を明示的に承認したものだ。
(v) 「太政官指令文」付属文書は大部分が安龍福事件以後に日本政府が朝鮮の鬱陵島と独島の領土主権を明示的に承認したことを確認したものだ。したがって、これも日本政府が朝鮮の鬱陵島と独島の領土主権を明示的に承認したものだ。
 
2. 政策対案の提議
次のような政策対案を提案することにする。
(i) 「太政官指令文」で日本政府が朝鮮の鬱陵島と独島に対する領土主権を黙示的・明らかに承認したということを、対日独島政策に積極的に反映する。
(ii)今までの韓国が日本の領土である独島を不法占拠しているという日本政府の主張に対して消極的・守勢的な対応戦略を、日本が「太政官指令文」を通じて韓国の独島領土主権を明示的・暗黙的に承認したから独島は韓国の領土という積極的・攻勢的戦略に果敢に転換する。
(iii) 上記(i)の結果、日本は禁反言の原則により独島の領有権が日本に帰属するという主張をすることができないということを対日独島政策に反映して、これを第三国に対する広報政策に反映して独島問題に対する第三国の理解と支持を獲得して、また、国内的独島広報政策に反映して国民の領土意識を高揚して愛国心を鼓吹する。
(終)

国際法上の「太政官指令文」の法的効力に関する研究
  金明基/明智大学名誉教授
東北アジア歴史財団独島研究所『領土海洋研究』第11(2016)p220



<コメント>
この論文は、(1)元禄竹島一件のときに江戸幕府は鬱陵島と今の竹島を朝鮮領と認めた、(2)明治10年太政官指令も幕府の決定を承継して、鬱陵島と今の竹島を朝鮮領と認めた、(3)その太政官指令は「公文録」と「太政類典」に収録されたことによって全世界に公示され、それは朝鮮国に対して通告があったことになる、(4)だから、禁反言の原則によって、日本は竹島が日本領だなどということはできない、という理屈になっています。

 このうち(1)と(2)は大抵の韓国の研究者と一部の日本の学者がしょっちゅう言っていることで、目新しくもない妄想です。この論文のキモは何と言っても(3)ですね。((4)は(3)の結果として出て来る話です。)

 で、その(3)ですが、そんなことをいう根拠は何かと言うと、チョン・テマン先生が「官報制度の導入以前に最高国家機関である太政官が指令文を確定して島根県に下達した後、「日本海内竹島外一島を日本領土外と定める」という題名を新しく付けて『太政類典』に正書して記録したということは、今日の官報に公示したと見ることができる」と言っているだけのことでした。


公文録・・・・・・1868年から188512月まで太政官が受け付けた政府各組織及び地方の郡県から受け付けた文書を官庁別、年月別に収録した日本明治前期の政府公文の原簿

 

太政類典・・・・・・慶応3(1867)から明治14(1881)までの太政官日記及び日誌、公文録などから典例条規(先例・法令等)を採録・浄書し、制度、官制、官規、儀制等19部門に分類し、年代順に編集したもの


この論文は、文書をきちんと整理して編纂したり、その中から先例となるものを写し書きしてまとめておいたりすればそれは全世界に公示したことになると主張する、やっぱりヨタ話でした。


まあ、チョン・テマン先生がこんなことをいうのは分かるが、金明基先生は何の根拠もないそういう妄想を何の検証もすることなく自分の論文に引用した。いや、ただ引用しただけでなく、それつを自分の論文の骨格に据えた。引用でこういうウソを拡大再生産することのほうが罪が重いような気もする。





 

太政官指令の国際法的効力?(7)

2) 「太政官指令文」による朝鮮の鬱陵島・独島領土主権承認
(1) 「太政官指令文」の主文による承認
 「太政官指令文」の主文は次の通り規定している。
 
稟議趣旨の竹島外一島の件について本邦は関係が無いことを心得ること。
 
上の主文は主文自体に朝鮮に関することという記述が無いだけでなく、同主文を朝鮮に通知したことがないので、同主文は日本の国内的なことであって同主文は朝鮮に対して効力が無いといえるが、同主文は前述したように「太政官指令文」に含まれて『太政類典』と『公文録』に収録された(81)
 
 (81) チョン・テマン 2014 前掲文 p1819
 
『太政類典』と『公文録』は今日の『官報』のような機能を担当するもので(82)これらを通じて「太政官指令文」の主文は日本国内だけでなく朝鮮を含む世界全ての国家に公示された。だから、「太政官指令文」主文は朝鮮に対して公示されたのだ。この主文において「竹島外一島は本邦と関係がない」というのは明示的に朝鮮の鬱陵島と独島の領土主権を承認したものではないが、「竹島外一島は本邦と関係が無い」ということは黙示的に朝鮮の鬱陵島と独島の領土主権を承認したものだ。「竹島外一島は本邦と関係が無い」ということは、次の通り黙示的承認の要件を充足している。黙示的承認の最初の要件である「承認によって受諾されることに合理的な疑問がなく」(83)、また、これは二つ目の要件である「承認と理解されるものと解釈される特別な措置」(84)で、三番目の要件である承認の効果を排除する特別な意思表示が無いので(85)、これは朝鮮の独島領有権の黙示的承認なのだ。

(82) チョン・テマン 2014 前掲文 p19
(83) Lauterpact, 1948 前掲書 pp.370371
(84) Shaw, 1997, 前掲書 p.310
(85) Shaw, 1997, 前掲書 p.310


 
(2) 「太政官指令文」の理由による承認
 「太政官指令文」の理由は次の通り規定している。
 
元禄5年、朝鮮人が入島して以来旧政府と該国との往復の結果、結局本邦は関係が無いということを聞いていると上申した稟議の趣旨を……
 
上の「太政官指令」の理由で「元禄5年、朝鮮人が入島して以来旧政府と該国との往復の結果、結局本邦と関係が無い」というのは、1692年の安龍福事件以来日本と朝鮮間の往復外交交渉の結果、日本政府によって鬱陵島と独島は朝鮮の領土と承認されて鬱陵島と独島は日本と関係が無いということだ。これは、安龍福事件以来、朝鮮と日本間の外交文書の往復によって鬱陵島と独島が朝鮮の領土と承認されて、これらは日本と関係が無いという意味だ。すなわち、安龍福事件以来、日本と朝鮮間の外交文書によって日本は鬱陵島と独島の領有権を既承認していたということだ。
  安龍福事件以来、日本が朝鮮の鬱陵島と独島の領有権を明示的に承認したということを「太政官指令文」の主文の理由で提示しているが、これは「太政官指令文」が上記の日本による朝鮮の鬱陵島と独島に対する領土主権の承認を再確認したのだ。
「太政官指令文」理由もその内容で朝鮮に対する通告が告示されて、また、朝鮮に対して個別的な別途の通告がなかったのでこれも日本の国内的措置であり朝鮮に対して効力が無いと見ることができるが、「太政官指令文」の理由も「太政官指令文」主文のように『太政類典』と『公文録』に収録されて、これは日本国だけでなく朝鮮を含めた世界全ての国家に公示されたのだ。したがって「太政官指令文」の理由は朝鮮に対して公示されたのだ。
同理由のうち、「往復の結果、結局本邦と関係が無いということ」は、(i)安龍福事件以来、朝鮮と日本間の外交文書の交換の結果、日本が鬱陵島と独島に対する朝鮮の領土主権を明示的に承認したことを(86)再確認したものだ。したがって、これは朝鮮の鬱陵島と独島領土主権を明示的に承認したものだ。(ii) 「本邦と関係が無い」というのは「日本は朝鮮の鬱陵島と独島に対する領土主権を承認する」と表現したものではないので、朝鮮の鬱陵島と独島に対する領土主権を黙示的に承認したのだ。
 
(86)チョン・テマン 2014 前掲文 p15 ; シン・ヨンハ 1996 前掲本 p66。外交文書の交換は交換覚書(exchange of notes)という名称の条約であるから、これは条約による鬱陵島と独島の領有権が朝鮮にあるという明示的承認だ。
 

 (3) 「太政官指令文」付属文による承認

  「太政官指令文」の付属文は14個の項目で構成されている。これら14項目の大部分は朝鮮の鬱陵島と独島の領土主権を承認したものだ。特に「渡海禁止決定理由」、「外交交渉窓口である対馬の実務者が朝鮮に送った問い合わせ」、「日本漁民の渡海禁止を朝鮮に通知した外交文」等は日本が朝鮮の鬱陵島と独島の領土主権を明示的または黙示的に承認したものだ。
日本が朝鮮の鬱陵島と独島の領土主権を明示的・黙示的に承認した付属物を「太政官指令文」に付属させたことは、日本が朝鮮の鬱陵島と独島に対する領土主権の承認を再確認する意味を持つ。もちろん、「太政官指令文」の付属文はその付属文自体にこれを朝鮮に通告するという規定がないだけでなく、同付属文は実際に朝鮮に通知したことも無いので同付属文も日本の対内的措置であって日本の国内法上の効力しかないと見ることができるが、「太政官指令文」付属文は「太政官指令文」主文及び「太政官指令文」理由と共に『太政類典』と『公文録』に収録されて日本国内と朝鮮を含む世界全ての国家に告示されたものだから、これも日本が朝鮮の鬱陵島と独島に対する領土主権の承認を再確認する意味を持つことだ。
要するに、「太政官指令文」が韓国の独島領土主権を明示的に承認したものなのか、または黙示的に承認したものかは同指令文の構成の部分により異なるものだ。 (i) 「太政官指令文」の主文は日本が朝鮮の領土主権を黙示的に承認したものであり、(ii)「太政官指令文」の理由は、安龍福事件以来日本と朝鮮間に朝鮮の鬱陵島と独島に対する領土主権を明らかに承認したことを再確認したのだ。これは明示的承認の再確認であるから明示的承認だ。 (iii) 「太政官指令文」の付属文は、安龍福事件以来、朝鮮と日本間に鬱陵島と独島に対する領土主権が韓国にあるという明示的承認を再確認したものだ。すなわち、「太政官指令文」は安龍福事件以来鬱陵島と独島の管轄権が朝鮮にあるという明示的領土承認を再確認したものであるから、これは朝鮮の鬱陵島と独島に対する領土主権を明示的に承認したものだ。しかし、「太政官指令」の付属文のうち朝鮮の鬱陵島と独島の領土主権を明示的に承認したのではないものは、たまたま(←翻訳者注:この翻訳は良く分からない)鬱陵島と独島の領土主権を黙示的に承認したのだ。鬱陵島と独島の領土主権が韓国に帰属すると黙示的に承認したのだ。
 
 (続く)


<コメント>
  『太政類典』と『公文録』は今日の『官報』のような機能を担当するもので(82)な~んて書いてあるので、お、ヨタ話だと思っていたら根拠があったのか、と思って(注82)を見れば、何とあの「日本領域参考図」のチョン・テマン先生のお名前があるではありませんか。

(82) チョン・テマン 2014 前掲文 p19 というのは 「朝鮮国交際始末内探書及び太政官指令と独島」(『独島研究』第17号) というもので、p19は↓ここにあります。

https://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/56597445.html  「4) 『太政類典』公示」の項です。

  チョン・テマンさんがそんな根拠を書いていたかなあ、と思いながら読み返して見たら分かりました。







言っているだけです。





 誰かが思いつきを書いたら、それが次の論文に引用されて事実であるかのようになってしまう。こうして歴史は作られる。

日本人 「歴史を作るのだ」

韓国人 「歴史を作るのだ」



太政官指令の国際法的効力?(6)

(3)領土主権の承認方法
領土主権の承認は、一般的な承認のように「明示的承認」によることもできて「暗黙的承認」によることもできる。また「黙認の方法」によることもできる。暗黙的承認はある行為に伴う容認(事実や事態の受諾)だが、黙認は何の行為も伴わない無作為それ自体である(53)。明示的承認は一方的明示的宣言(unilateralexpress declaration)の方法によることもでき、条約の規定(treaty provision)方法によることもできる(54)。英国によるヤンマイエン(Jan Mayen)島に対するノルウェーの領土主権の承認は前者の方法の一例であり(55)、東グリーンランド紛争で常設国際司法裁判所がデンマークと別の国家間の条約がグリーンランドに対するデンマークの領土主権の承認の証拠になると判示したのは後者の方法の一例だ(56)
承認は、それが国家の承認(recognition of state)でも政府の承認(recognition ofgovernment)でも、交戦団体の承認(recognition of belligerency)でも外国判決の承認(recognition of foreign judgement)でも、領土主権の承認(recognitionof territorial sovereignty)でも、承認する主体の意図の問題だ(57)
 
 
(53) Malanczuk, 1987, 前掲書 p.154
(54) Brownlie, 1998, 前掲書 p.157
(55) AJIL, 1993, vol.27, Supp., p.92
(56) PCIJ, 1933, Series A/B, No.53, pp.5152
(57) Schwazenberger and Brown, 1976, 前掲書 p.57; Jennings and Watts, 1992 前掲書 p.169; Lauterpact, 1948, 前掲書 pp.370371; USDepartment of State, December 13, 1940, G. H. HackworthMemorandum(Whiteman, 1963, 前掲書 p.48); Shaw, 1997 前掲書 p.310
 
 
この承認の意図は明示的に(express)表示されることもでき、暗黙的に(implied)表示されることもできる(58)。明示的な表示は宣言(declaration)や通告(notification)のような公開されたあいまいではない形態(an openunambiguous form)または意思疎通の形態(communication form)によることもできる(59)
暗黙的承認の要件は、(i)黙示的表示はある承認で理解されるものと解釈される特別な措置(particularaction to be interpreted as comprehending any recognition)によるもの(60)(ii)これは承認によって受諾する意図について合理的な疑問がない全ての場合(in all cases in which there is no reasonable doubt as to theintention …… to grant recogtition)であること、(iii)承認の効果を排除する特別な意思表示がないことだ(61)。これは承認の意図を明示的・直接的承認に直接的に表示するのではないが、承認と推定される他の行為を通じて承認の意図を間接的に表示するものであるから、これを間接的承認(indirect recognition)ともいう(62)
暗黙的承認と解釈される行為は、承認の推定を創出する(such act creates a presumption of recognition)(63)。つまり、暗黙的承認は承認の意図の推定を本質とする(64)。推定は法(rule of law)による事実の認定だ(65)。推定は見做し(regard)と違って反証(contrary evidence)が許される。反証によって、推定によって認められた事実が覆されることになる(66)。したがって、承認によって認知される措置をした当事者は、承認と認定される効果を排除するためには承認の効果を排除する明示的宣言をすることができる(may make an express declaration)(67)
 
(58) Shaw, 1997, 前掲書 p.310; Henry Campel Brack, 1979, Bracks Law Dic­tionary , West, p. 678; Jenningsand Watts, 1992, 前掲書 p.169; US Depart­ment of State, 1940, 前掲書 p.49(White­man, 1963, 前掲書 p.48); Rosalyn Hig­gings, 1963, The Development of International Law through thePolitical Organs of the United Nations, OxfordUniversity Press, p. 140; Frowein, 1987, 前掲書 p.345; Grantand Barker, 2009, 前掲書 pp.507508; Article7, Monte­video Convention 1993 on Rights and Dutiesof States.
(59) Shaw, 1997, 前掲書 p.310
(60) Shaw, 1997, 前掲書 p.310
(61) Lauterpact, 1948, 前掲書 p.378
(62) Shaw, 1997, 前掲書 p.310
(63) Q. Wright, 1858, Recognition, Inter­ventionand Ideologies,IndianYear­book of International Affairs , vol. 7, p. 92; Whiteman, 1963, 前掲書 p.52
(64) Brownlie, 1998, 前掲書 p.94; Laut­erpact, 1948, 前掲書 p.369; Jennings and Watts, 1992, 前掲書 p.94; Lauter­pact, 1948, 前掲書 p.369; Q. Wright, 1858, 前掲文 p.92
(65) Brack, 1979, 前掲書 p.1067
(66) Brack, 1979, 前掲書 p.1067
(67) Shaw, 1997, 前掲書 p.310
 
 要するに黙示的承認は承認の意図があると解釈される行為を通じて間接的に承認の意図を表示する間接的承認であり、黙示的承認は承認と解釈される行為によって法によって承認の意図が推定されるのだ。推定は証拠によるものでなく、法(rule of law)による事実の認定だ。推定は反証が許されるから、黙示的承認と解釈される行為をする当事者は法によって認められる承認の効果を排除するためには明示的な反対の意思を表明して黙示的承認と推定される効果を排除することができる。
黙示的承認は本質的に禁反言と同じ範疇に属する(68)。したがって黙示的承認をした国家は、その承認以後、承認と矛盾・抵触する行為は禁止される。また、承認は、より大きな相互理解のための不可避な趨勢によって影響を受ける(the more and more affected by the inevitable trend towards greatermutual understanding)(69)
 
(4)領土主権の承認の効果
. 禁反言の効果
禁反言の効果は「通告の効果」で前述したことと同じだ。領土主権の承認は国際法上の一方的法律行為で法的拘束力(legal binding force)を持つ(70)。その法的拘束力の根拠は「約束は守らなければならない(pacta suntserevanda)」の原則の適用に求めたり、禁反言(estop-pel)の原則と信義誠実(good faith)の原則に求めたりもする(71)。領土主権の承認は禁反言の法的効果を創出する(72)。ブレアビヘア寺院紛争(1962)で、国際司法裁判所は承認には禁反言の効果が認められると次の通り判示したことがある。
当事者の承認、その宣言、その行為あるいはその沈黙によって国際裁判所に請求している権利に明確に反する態度を堅持してきた当事者はその権利を請求することから禁止される(73)
. 領土権原の妥当性確立の効果
領土主権の承認は領土権原の取得に非常に重要な証拠(prove of great importance in theacquisition of title of territory)となる(74)。したがって領土取得に非常に重要な役割をする(75)。すなわち、領土主権の承認は領土権原の妥当性を確立する(establishing validityof territorial title)(76)
. 領土権原の凝固効果
領土主権の承認は疑わしい権原を明白な権原に転換して(turn a doubtful title into good one) (77)より良い相対的権原(better relative title)を提供し(78)、相対的権原(relative title)が絶対的妥当性(absolute validity)を持つこととなって(79)領土権原の凝固(consolidation of title to territory)の効果を持たらす(80)

(68)Schwarzenberger and Brown 1976, 前掲書 p.56; Lauterpact 1948, 前掲書 p.369
(69)M. Lachs, 1959 Recognition and International Co-operation,BYIL, vol.35, p.259
(70)Wilfriend Fiedler, 1984, Unilateral Acts in International Law,EPIL, vol.7, p.520
(71) Fiedler,1984, 上の文 p.520
(72) PCIJ, 1933, Series A/B, No. 53, pp.6869
(73) ICJ, 1962, Reports, p.40
(74) Shaw, 1997, 前掲書 p.351
(75) Malanczuk, 1987, 前掲書 p.154
(76) Schwazenberger, 1957, 前掲文 p.323
(77) J.G.Starke,1984, Introduction to International Law, 9th ed., Butterworth, p.148
(78) Ott, 1987, 前掲書 p.107
(79) Schwazenberger and Brown, 1976, 前掲書 p.99
(80) Schwazenberger and Brown, 1976, 前掲書 p.99
(続く)

<コメント>
 こういう基礎理論はどうでもいいのですよ。そもそも適用の対象を間違えているんだから。

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