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竹島問題紙上討論会(終)

jake  推薦 : 546  反対 : 2  作成: 2010-05-11 20:44:02
Mr.Xさん>
 1948815日に大韓民国が成立しましたが、3日後の18日に李承晩は「対馬は韓国領」とする声明を出しています。それを受けて、9月には外務部(現・外交部)が「対馬島属領に関する声明」を出しています。さらに194917日には、李承晩は年頭の記者会見で「対馬を返還すべきだ」と語りました。その翌月(2月)、李承晩は韓国軍一斉に釜山に集結させ、3月には釜山で揚陸訓練を開始しました。これは対馬返還のデモンストレーション、ないしは対馬上陸作戦を画策したのではないかといわれていますが、少なくとも私は李承晩の意図を確認できていません。ともかく、北朝鮮との緊張が高まっている時期でもあり、兵力を南部に集結させ上陸訓練を行っていることに対し、その意図はともかく、米軍は何をやってるんだと怒ったことは容易に想像がつきます。まあ、米政府は195179日、ダレスが梁裕燦(ヤン・ユンチャ)韓国駐米大使を通じて韓国の対馬返還要求を拒絶しています。
 
jake  推薦 : 461  反対 : 2  作成: 2010-05-11 21:04:40
Mr.Xさん>
 次に、米軍が李承晩の竹島占拠を黙認・容認したかとどうかいうのは、あまり問題ではないです。なぜなら、米軍には両国の領土や国境線を確定させる権限がないからです。また、李承晩は正規軍を竹島占拠に投入したわけではなく、独島義勇守備隊という準軍事組織(民間人の義勇軍)を使ったわけですから、正規軍と違って軍としては口出しをしにくかったということはあるかもしれません。
 ただ、竹島がどちらに帰属するかについて米国の立場は明らかです。それは講和条約草案の策定の経緯、ラスク書簡、梁大使とダレスの会談などさまざまなものから確認できます。アメリカはポツダム宣言やGHQSCAPIN・マッカーサーラインを持ち出して竹島領有を正当化しようとする韓国に、それは間違いであることを表明し、在韓大使館などにもそうした韓国政府の主張に同意しないよう通達を行っています。
 
jake  推薦 : 353  反対 : 4  作成: 2010-05-11 21:05:07
Mr.Xさん>
 (続き)しかし、米国の李承晩の竹島占拠に対する対応は非常に抑制的でした。なにしろ朝鮮戦争のさなかですから、当時の朝鮮半島の不安定な情勢を勘案して韓国に強く出ないほうがよい、韓国を追い詰めないほうがよいという判断が働いていたかもしれませんね。また、朝鮮戦争の帰趨を考えてのことでしょうが、米国務省内部ではあらかさまに日本領というアメリカの解釈を表明するダレスやラスクに対して、もっとあいまいにすべきだと考える人々もいたようです。その動きは国務省の内部文書などにみられます(しかし、米の公式立場になることはありませんでした)。
 で、米政府は日韓2国が二国問題として平和裡に領土問題を話し合う問題だとして一歩下がるんです。そういう立場から、国際司法裁判所に付託しようという日本の立場を支持しました。米国も朴大統領の時代まで、何度も説得を試みました。まあ、韓国はそれを拒絶したわけですが。
 
jake  推薦 : 393  反対 : 9  作成: 2010-05-11 21:26:15
Mr.Xさん>「当時の超大国だった大英帝国と米国が日本の後ろ盾になってくれたからこそであることは認識しています」--
 これは好意でも何でもなくて、各国の国益からです。どの国も日本を応援しようとか、日本の安全を保障しようとしたわけではない。イギリスも極東にロシアの兵力を引きつけておいてほしいという思惑からです。その結果、日本がどうなろうが知ったことではないといった感じです。また、投資という経済行為です。日本は外債を通じて戦費を調達しようとしましたが、当初は思うように集まりませんでした。しかし、戦況が推移するにつれ、日本に投資しようという国が増えていきました。ほとんどの国は日本がボロ負けすると思っていたが、意外に善戦して、もしかしたら勝てるんじゃないかという観測が広がってきたからです。友だち付き合いができたからということではない。
 
jake  推薦 : 385  反対 : 7  作成: 2010-05-11 22:01:18
Mr.Xさん>
 話があれこれ前後して申し訳ない。大韓民国は1948年に建国しましたが、それは異常な誕生でした。国際法上は国土を持たない国として出発したからです。朝鮮半島の権原は相変わらず日本にありました。米国などの存在を後ろ盾に、半島南部を実効支配しているに過ぎなかったのです。本来なら、講和条約が先に成立し、日本がその権原を放棄してから次に韓国が建国するというのが本来の順番でしたが、極東の情勢がそれを許さなかったということですね。韓国が建国に当たってそうした点を米国などとどのように調整したか、興味深いところですが、少なくとも李承晩政権はそれを理解していたようですね。アメリカに対馬の返還を要求したり、講和条約の策定段階で執拗に介入し、韓国の要求を含ませようとしたことに、李承晩の理解が現れています。その後、思い通りに行かなかった領土確定にポツダム宣言やSCAPINを持ち出したのは確信犯的な難癖です。それをいまだに、韓国政府は撤回していないんですね。
 
Mr.X  推薦 : 7  反対 : 1229  作成: 2010-05-12 01:18:32
ジェイク氏へ:
 御返答ありがとうございます。またいろいろと教えて戴きました。対馬は地理的には日本列島より朝鮮半島に近い位置にありますが、古代に倭国が朝鮮半島南部を支配していた頃から倭国が実効支配していたという歴史的経緯により日本の領土であり、米国の極東専門家もそれを知っていたから韓国の対馬領有を認めなかったのでしょうね。李承晩は米国の支持なしには政権を維持できない立場にありましたから、米国の承認なしには対馬を占拠できなかったということですね。
 
Mr.X  推薦 : 7  反対 : 1199  作成: 2010-05-12 01:37:20
引き続きジェイク氏へ:
 米国は李承晩の竹島侵攻を阻止しなかったが、米国の見解は竹島は日本領であるということだったわけですね。そしてこの問題は当事国である日本と韓国に託されたわけですね。反日の権化のような李承晩大統領は竹島を日本に返還しませんでしたが、日本の経済力と技術力を借りて韓国を近代化しようとしてそれに成功した朴正煕大統領も結局は竹島を日本に返還しませんでしたね。独裁者の朴大統領といえども、竹島を日本に返還すると宣言して韓国全土で暴動が勃発したら治安を維持できないと考えたのでしょうか?
 
Mr.X  推薦 : 7  反対 : 1306  作成: 2010-05-12 02:08:38
 再びジェイク氏へ:
 日露戦争は日本にとっては自衛のための祖国防衛戦争でしたが、英米から見るとロシアが極東全体を支配することによって極東での英米の利権が失われる事態を防ぐために極東の新興軍事大国である日本をロシアと戦わせた戦争というわけですね。ですから日露戦争で日本が勝利を収めて極東でのロシアの勢力が後退し、ロシアに代わって日本が極東で大きな力を持つようになると英米は日本を警戒するようになり、特に第1次世界大戦後に世界の3大海軍国となった米国と英国と日本は軍艦の建造で競い合うようになり、日本が満洲事変、日華事変を通じて中国との全面戦争に突入すると米英は中国を支援し、日本への石油の輸出を止めて日本を追い詰め、ついに日本が米英に宣戦することによって太平洋戦争の勃発に至りました。
 英米はロシアの極東支配を阻止するためには日本を支援しましたが、日露戦争後にロシアに代わって日本が極東で大きな力を持つようになると今度は中国を支援して日本を追い詰め、戦争に持ち込んで日本を叩き潰しました。国際政治とは確かに各国の国益のぶつかり合いなんですね。
 
 
(転載終わり) 
 
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