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イ・ヨンフン教授の竹島講義にKBSが反論(5)

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[イ・ヨンフン独島観の真実]⑤李承晩、金大中、李明博の独島は……

2019.09.08 KBS
http://news.kbs.co.kr/news/view.do?ncd=4278937

 「冷徹に于山島と石島の実体を見回さなければなりません。(独島から)挑発的な施設や観光も撤収しなければなりません。そうして、長く沈黙しなければなりません。その間、日本との紛争は低い水準で、一種の儀礼として管理されなければなりません。 (独島問題の)最終解決は遠い将来の世代に先送りしなければなりません。...」(イ・ヨンフン他、『反日種族主義』 p173)

 「イ・ヨンフン独島観の真実」シリーズの最後(第5回)は1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約の話から始めます。第二次世界大戦終了後、連合国が日本と結んだ条約で、対日講和条約が正式名称です。1945年に崩壊した日本の領土を定める時、独島は明らかに日本領土から除外されました。1946年の連合国最高司令官指令(SCAPIN)第677号もそうで、1950年に連合国が講和条約の事前準備として用意した「旧日本領土処理に関する合意書」もそうです。ここには大韓民国に譲渡すべき島に「独島」が含まれます。終戦後の連合国の雰囲気は、日本の領土基準を日本が侵略の野心を表わし始めた1894年以後に新しく取得した領土は全て戻すべきだと見ていました。(1894年は日清戦争が勃発した年)
 ところが、1951年に結ばれた対日講和条約は、第2条で「日本は韓国の独立を認めて済州島、巨文島及び鬱陵島を含む韓国に対する全ての権利を放棄する」と規定します。条約内容をめぐって韓日両国が独島に対して互いに激しく領有権主張をするとすぐにアメリカが独島を最初から抜いてしまったのです。この部分で、イ・ヨンフン教授は対日講和条約締結を一ヶ月後に控えた1951年8月、アメリカ国務部が独島領有権に関して韓国政府に送ってきた回答を紹介します。
 「独島に関して、私たちの情報によれば、通常、人が居住しないこの岩塊は韓国の一部として扱われたことがなく、1905年以来日本・島根県隠岐島の管轄下に置かれていた。韓国は以前にこの島に対する権利を主張したことがない。」

 この一節を紹介して、イ・ヨンフン教授は「読めば背筋が寒くなるほど正確な返事」と評価します。果たしてそうでしょうか。アメリカ国務部の回答一枚にそんなに高い価値を付与すること自体が非常に均衡を失った見解です。独島に対するアメリカ国務部の知識はどれくらい確かだったでしょうか。国内学者の研究の結果、アメリカ国務部が言及した「私たちの情報」のソースはまさに日本でした。日本の外務省は1947年6月に「日本本土に隣接する小島嶼」というパンフレットを作ります。ここに「リアンクール岩(独島)は韓国名が無くて韓国で製作された地図にも現れない」という内容を入れます。このパンフレットを持って、日本はワシントンのアメリカ国務部と東京の連合軍最高司令部に必死のロビー活動をします。1951年に結ばれたサンフランシスコ講和条約で独島が脱落したのもこのような背景下のことだったでしょう。条約に「独島」の言及がなくても独島が日本の領土になることはできないことです。

李承晩の強硬策
 独島に対する私たちの側の要求が貫徹できないと、サンフランシスコ講和条約の発効を目前にした1952年1月18日、李承晩大統領は「大韓民国の隣接海洋の主権に関する大統領宣言」(平和線、別名李承晩ライン)を公布して独島を韓国水域に宣言します。日本は10日後の口述書で「韓国の宣言で韓国は竹島に対する領有権を主張するが、その島は間違いなく日本の領土」と主張します。李承晩大統領は果断に独島を守りました。彼は李承晩ラインを越える日本漁船を制圧するために海軍を動員します。(1965年韓日漁業協定締結時まで日本漁船326隻が拿捕されて、3,094人の日本人が逮捕された)
  1965年韓日協定の時、独島問題は再び出てきます。この時も両国は領有権主張をして対抗します。結局、基本条約では独島に言及しない代わりに、4個の付属条項に「韓国が占拠した現状を維持する。ただし、警備員を増強したり新しい施設の建築や建て増しはしない」という内容を入れます。私たちの領有権が明示されてはいないが,この協定で私たちの実効的支配は認められます。協定以後、独島問題は30年間余り大きな問題なしで放っておかれました。
  独島が問題が再び持ち上がったのは、1998年9月に結ばれた新韓日漁業協定の時です。UN海洋法協約により沿岸200海里が排他的経済水域(EEZ)と設定されて、韓日両国間のEEZが重なることになりました。両国の海域は400海里にならないためです。これを契機に1996年に始まった両国間の漁業協定改定交渉が金大中大統領の時期である1998年9月に妥結します。この時、独島は共同水域(日本名暫定水域)に決定されます。愛国団体らと野党は「屈辱交渉」として強く反発しました。基点を当然独島にするべきなのに、なぜ日本の要求のとおり鬱陵島にしたのかという批判でした。すると政府は、「漁業協定の問題であるだけで領有権とは関係がない」という立場を堅持して、実用的な理由で「屈辱交渉」の主張に反論します。独島基点に固執しない代わりに、東海の黄金漁場と呼ばれる大和堆漁場に対する譲歩を勝ち取ったのです。この問題は憲法裁判所でも扱われましたが、憲法裁判所は2001年と2009年に「新漁業協定はEEZ境界画定や領土問題には影響を及ぼさない」として「独島周辺を中間水域に分類した韓日漁業協定は憲法に違反しない」と決定します。

1965年以前の漁業水域
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1965年韓日漁業協定
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1998年韓日漁業協定
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韓国の強硬対応が問題なのか。
  イ・ヨンフン教授は『反日種族主義』の本で李承晩大統領から金大中大統領まで、歴代政府の独島政策を概して肯定的に評価します。イ教授の説明を聞いてみましょう。
 「(独島という)この困難な問題をめぐって李承晩政府以後の歴代政府は賢明に対処して来ました。独島は私たちの領土という立場を守りながらも、相手方を刺激する攻撃的姿勢は自制してきました。そのような姿勢で1965年に両国間の国交を正常化して友好的関係を増進して来ました。」
  イ教授は金大中政府の時にあった韓日漁業協定も賞賛します。
 「金大中政府が韓日間の漁業協定を改定して独島を含む海を両国の共同漁労区域に設定したのも同じでした。一部の民族主義者たちは漁業協定の改定を非難しましたが、金大中政府はそれに振り回されることなく賢明に対処して来ました。」

  しかし、イ教授の称賛はここまでです。彼は盧武鉉政府の時期から始まった独島に対する我が政府の攻撃的姿勢を叱っています。
 「2003年盧武鉉政府から変わりました。盧武鉉政府は独島に対して攻撃的姿勢を取りました。独島に色々な施設を設置して、住民を入居させて、民間の観光を推奨しました。すると日本政府が抗議して、それが再び韓国政府と国民の強硬な対応を呼ぶ悪循環が増幅されました.....」

  イ教授の主張は妥当なものでしょうか。彼の話のとおり、独島に対して攻勢的な立場を取り始めたのは盧武鉉政府の時と見ることができます。盧武鉉大統領は2006年4月26日の韓日関係特別談話を通じてこのように話しました。
  「独島は私たちの土地です。独島問題ももはや静かな対応で管理できない問題になりました。独島問題を主権守護のレベルで正面から扱って行きます。」(2006年4月26日)

  先立って盧武鉉政府は2005年3月24日から独島に対する民間人観光を制限的に許容しました。独島問題に対するこのような攻勢的な態度は、後に続いた李明博政府でもそのまま継承されます。李明博政府は独島への全面的な観光を許容したのに続き、2012年には韓国大統領としては初めて独島を訪問します。イ・ヨンフン教授はこのような政府の攻勢的な独島政策を批判します。
  「金大中政府まで続いた歴代政府の冷静な姿勢に戻る必要があります。1951年に米国国務部が明らかにしたように、独島は巨大な岩の塊りに過ぎません。.....冷徹に于山島と石島の実体を見回さなければなりません。挑発的な施設や観光も撤収しなければなりません。そして長く沈黙しなければなりません。その間、日本との紛争は低い水準で、一種の儀礼として管理されなければなりません。」
  物静かな対応を強調する趣旨ですが、イ教授のこのような論旨は何か異常です。 均衡を失った感じです。私たちだけがじっとしていれば独島は静かなのでしょうか。

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  2012年現職大統領として初めて独島を訪ねた李明博大統領(左側)と大統領になる前の2016年に独島を訪問して一日泊まった文在寅大統領

 2006年ノ・ムヒョン大統領の特別談話は日本の独島挑発に対応したものでした。日本は2005年以後毎年防衛白書で独島が日本固有の領土、すなわち「独島は日本の領土」というごり押し主張をしています。先立って2004年に小泉日本総理は「竹島は日本の領土」という妄言をしました。日本・島根県は2005年、2月22日を竹島の日と定める条例を作って、毎年記念式もします。2008年中学校学習指導要領解説書に独島関連言及が入ると、2014年1月に「独島は歴史的にも国際法的にも日本領土であり、韓国が不法占拠中」というあきれる内容を教科書に載せました。

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2014年、日本・島根県松江市の県民会館で開かれた「竹島の日」記念式の様子[写真出処:聯合ニュース]

  安倍政府になって日本の独島領有権主張は強化されています。最近ではロシア軍用機が独島近くの私たちの防空識別区域(KADIZ)に無断進入するとすぐに、日本官房長官が自分たちの領土への侵入を抗議する声明を発表したこともあります。独島の紛争地域化を狙う日本の意図にまきこまれる必要はないですが、独島に対して挑発の程度を高めている日本に対抗した私たちのこのような対応は、「強硬対応」ではなく「正常な対応」と見るべきではないでしょうか。
  5回にわたるこのシリーズは経済史学者イ・ヨンフン教授が書いた『反日種族主義』の本に出てくる独島論に反論するためでした。一枚の地図があります。独島が私たちの土地であることは長い話も必要ないことです。
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  朝鮮時代の捜討使張漢相の日記でシリーズを終えます。シリーズの第1回が出た後、捜討使張漢相の独島観察記録(1694年)を詳しく紹介してほしいという読者からの要請がありました。次のような内容です。
  「雨が上がって雲が晴れた日、山に入って中峰に登って見ると、南側と北側の二つの峰が聳えて向き合っていて、これが三峯だ。西側には曲がった大関嶺の姿が見えて、東に海を望めば東南の方向に島一つがかすかにあって、鬱陵島の3分の1にならず、距離は300余里に過ぎない。そして南側と北側には大海が広がって水の色と空の光が同じだ......島の峰に登って彼の国の疆域を詳しく調べると、遠くて目に映る島はなく、その距離がどれくらいになるのか分からないが、鬱陵島の地理的形勢はおそらく彼の国と我が国の間にあるようだ。」 (張漢相、鬱陵島捜討記、1694年)

  張漢相は鬱陵島の中峰に登って東海岸の大関嶺を見て、東南側では独島を見ました。南側と北側には大きな海が広がっていて、日本の疆域には島が無いと言いました。これはどういう意味でしょうか。鬱陵島と独島が私たちの疆域にあって日本の疆域には何も見られないという意味でなくて何ですか。朝鮮人も独島を明確に朝鮮の疆域と認識したのです。「独島が私たちの固有領土であることを証明する証拠は一つもない」というイ教授の主張は、だから誤りなのです。

(ユン・チャンヒ記者)



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No title

この後の、18世紀の史料はさらに決定的です。
鬱陵島から、天気が良ければ見ることが出来るかも知れない島のことを、彼らは、「日本山」と呼んでいました。于山島は竹嶼のことであり、現在の竹島は、日本山だったのです。
これを証するのは、朝鮮王朝の記録のひとつである承政院日記の
英祖四十五年(1769 年)十月十六日の条、「日本山望見者」
同、十月十七日の条に、「鬱陵島地圖入之、而日本山則無所望見、故不爲畫矣」
同、十一月二十七日の条に、「鬱陵一島、 距倭境不遠」
とあります。鬱陵島本島が、朝鮮の領域の東端であることが明白なのです。

No title

この答案から、当時の朝鮮知識人の共通理解が明快です。それは、日本に通ずる「関東路に属する鬱陵島が境界の地である」ということです。

王若曰。
欝陵島、遥在東海中。輿地勝覧、屬之江原道。雖云我國地、而水路険遠、人烟不通。
祖宗朝、刷還逃民、遂虚其地矣。
近来、倭人貪其篠蕩・鰒魚之利。假名竹島、指為厥土、請禁我民越境漁採。
屡遣近侍、暁諭竹欝之虚實、境界之有別。而終無聴順之意、頗有生梗之端
(中略)
臣伏讀聖策曰、
欝陵島止虚其地矣。
臣圭復、再三隕越于下臣、窃伏推環海、立国畫野分界。
而退彼欝島、亦載版籍地、属関東路。通日本漲海、連天人烟不接。
https://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2011/10/tokyo-teachers-union-denies-japans.html

No title

現代韓国人が、史料を正しく読まずに、妄想を広げても虚しいばかりです。
はからずも、張漢相の原文からは、「三峯島」とは、鬱陵島のことであることが分かります。昨年のレーダー照射で問題になった「三峯号」という船の名前も、史実では、「独島」とは無関係でした。
参考コメント
https://y294maself.blog.fc2.com/blog-entry-609.html#comment

御多分に漏れず、ユン・チャンヒ記者も、漢字の史料を読むことが出来ないようです。
1690年代に、朝鮮と日本で、その帰属が問題になったのは、鬱陵島だけでした。

粛宗二十二年十一月二十一日(グレゴリオ暦の1696年12月15日)に行われた李朝の科挙の「文科殿試」において、鬱陵島をめぐる日本との外交問題が、国王からの試問として出題されました。このとき、「申徳函」という受験者が、対句を多用した美文調の答案を残しています。これは2011年に見つかったもので、本ブログにも記事がありました。
https://chaamiey.blog.fc2.com/blog-entry-1356.html

No title

「イ・ヨンフン教授の竹島講義にKBSが反論(1)」
https://chaamiey.blog.fc2.com/blog-entry-3258.html
にも投稿しましたが、同じ部分の現代語解釈が、この記事の末尾に出ていますので、こちらにも、張漢相の原文を投稿します。

雨霽雲捲之日、入山登中峯。則南北兩峯、岌嶪相向、此所謂三峯也
西望大関嶺、逶迤之状
東望海中、有一島、杳在辰方。而其大、未満欝島三分之一。遠不過三百餘里
(中略)
登島山峯、審望彼國之域、則、杳茫無眼杓之島。其遠近、未知幾許。
而地形、似在於彼我間。鼎釜、取竹之路、彼人所為。緑由馳報状。
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Author:Chaamiey
別名 茶阿弥
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