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放送大学の領土問題講義

令和3年1月9日(土) 18:45~19:30放送
放送大学専門科目「日本政治外交史」第14回「戦後日本の領土問題」
講師 奈良岡聰智(京都大学大学院教授)


(サンフランシスコ講和条約、北方領土問題の説明-略)

 続いて、竹島問題について検討していきます。前述したとおり、講和条約の準備段階で竹島の領有権を巡る問題も浮上していました。竹島は1905年1月の閣議決定により日本領に編入されていましたが、それまでの経緯に関して、戦後、日韓両政府は真っ向から対立する主張を行って来ました。
  日本側の主張は以下のとおりです。まず、現在竹島と呼ばれている島は、17世紀半ばに日本は領有権を確立していた、また1905年の閣議決定によって竹島の領有権を日本は再確認した、というものです。他方で、韓国政府の主張は以下のとおりです。現在韓国で独島と呼ばれている島は地理的に鬱陵島の一部として把握でき、17世紀には朝鮮領であると確認されていた、また、1900年の大韓帝国勅令によって韓国は独島が鬱陵島の一部であると確認していた、というものです。
  しかし、これらの問題に関しては、最近、名古屋大学の池内敏教授が決定版とも言うべき著書を刊行し、多くの誤りがあるということを指摘しました。池内氏によれば、17世紀末までに日韓両政府が竹島/独島の領有権を確認あるいは確立したという事実は必ずしも確認できません。確実に言えるのは、以下の二点です。まず一つは、アシカ猟に従事していた日本の漁業者や、竹島周辺海域の制海権確保に関心を持っていた日本海軍の意向を受けて、1905年、日本政府が閣議決定によって竹島を領土に編入したということです。これは無主地先占の法理を適用したと言えるものでありまして、当時の国際法に照らして合法と言い得る措置でした。第二に言えるのは、遅くとも1904年から韓国政府は独島という名称を用いていたということ、そして、日本政府の領土編入の閣議決定の情報に接した韓国政府は、1906年の時点でそれに対する異論を表明し、調査を行っていたということです。すなわち、ここから、1906年の時点で韓国政府が独島ヘの領有意思を持っていたということが推定されます。しかしこの当時韓国と日本の国力の差は圧倒的でありました。その翌年、第二次日韓協約が締結され韓国は外交権を喪失し、1910年には韓国併合条約が締結されます。韓国の独立そのものが問題となる中で竹島/独島の領有権が大きな争点となることはありませんでした。
  竹島/独島の領有権問題が大きな問題となったのは戦後のことです。サンフランシスコ講和条約の中では竹島は日本から分離する地域として明記はされませんでしたが、どういった状態にあるのかということははっきりとは明示されていませんでした。韓国はこの条約の内容に不満を持っていました。竹島/独島の近海で操業していた漁業者たちからの要望が働いていたということも一因としてありますが、それよりも、当時の韓国では日本による竹島の領土編入は韓国併合の第一歩として行われたものであり、韓国併合条約が今や無効である以上、竹島の領土編入も無効であるという考え方が強かったことが大きな原因です。日本では竹島の領土編入は経済的な動機によるもので韓国併合とは無関係に行われたものだという見方が強かったのですが、韓国ではそのようには見られませんでした。その意味では竹島/独島の問題というのは韓国併合をどう見るか、韓国併合との関わりをどう見るかという歴史認識問題とも深く関わっていると言うことができます。
  
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  韓国政府は1952年4月に講和条約の発効が迫る中でこの年の1月に「李承晩ライン」をひき竹島/独島をその領域内に取り込むことを宣言しました。日本政府はこれに強く抗議をしましたが、韓国側はこれに反論し、以後、1965年まで両国間でお互いの主張の応酬が続きました。この間、1953年4月から韓国人の独島義勇隊が竹島/独島に居住し、翌年6月からは韓国の沿岸警備隊が同島に常駐を開始しました。日本は国際司法裁判所への付託を提案しましたが、韓国は応じませんでした。こうして竹島/独島の問題は1965年の日韓基本条約に際しても解決には至らず、その後両国間の大きな懸案として残されることになりました。
  この問題は21世紀に入るとますます大きな問題となり、日韓の間で外交問題として大きく取り上げられています。このように竹島/独島をめぐる日韓両国の対立には根深いものがあり、容易に解決を見い出せる状況にはありません。しかし、ここまで見て来たとおり、日韓両政府の主張には歴史的事実に反する牽強付会的なものも多く、そのことが過度な相互不信につながっている面もあります。まずは両国がそのような問題を一つ一つ丁寧に検証し、共有できる事実を増やして行く努力がまずは必要でしょう。

(この後は尖閣諸島問題の話-略)

  以上の領土問題はいずれも困難な問題ですが、冷静かつ粘り強く、交渉による解決を目指すべきです。その際、当事国は「固有の領土」という主張の危うさについて自覚すべきでしょう。領土問題の当事国は自国の領有権の正当性を主張するためにその地域が固有の領土であると主張しがちです。しかし「固有の領土」の意味するところは実は非常にあいまいです。大陸続きのヨーロッパでは、国境とは変遷するものだという観念が受け入れられていますが、自然の国境線を多く持つ北東アジアでは国境線を絶対視し係争地域を固有の領土と見なす風潮があります。しかし、そもそも北方領土、竹島、尖閣諸島いずれにおいても前近代のあり方は近代のそれとは大きく異なっており、各当事国の固有の領土だと絶対視することはできません。当事国は歴史に謙虚になり、各地域の歴史的変遷を事実に即して理解し、それを今後の交渉の基礎とする努力をすべきだと考えられます。(終)


<コメント>
 北方領土問題はどうやって日本領土の返還の道筋をつけるのかという「交渉」の問題であり、尖閣諸島問題は中国が日本の領土を力で奪取しようとするのをいかに防ぐかという「国防」の問題であるのに対し、竹島問題は、韓国の主張することはウソばかりであることを指摘する「事実探求」の問題であるという特色があります。そして、韓国のウソというのは、ありとあらゆる事柄に及ぶので、そのウソを暴く日本側の指摘も実に多くの細かいことを言うことになります。なので、「外交史」という広い分野を専門とする学者さんにとっては北方領土問題や尖閣諸島問題はわりと正確に把握できる対象であっても、竹島問題の全貌を正確に把握するのはちょっと大変なのです。だから、韓国側の言うウソに幻惑される部分が出て来る。この講義の竹島解説も的外れです。「竹島/独島の問題というのは韓国併合をどう見るか、韓国併合との関わりをどう見るかという歴史認識問題とも深く関わっている」と解説してありますがね、竹島問題と韓国併合との関わりなんて何も無いのに、韓国側が竹島不法占拠から話をそらすために持ち出した「日本による竹島の領土編入は韓国併合の第一歩として行われたもの」などというごまかしを真に受けるのはだめですよ。

  「サンフランシスコ講和条約の中では竹島は日本から分離する地域として明記はされませんでしたが、どういった状態にあるのかということははっきりとは明示されていませんでした。」という理解も外交史の先生としては驚くべき間違いだ。

  また、池内本にも幻惑されていますね。「韓国政府の主張も日本政府の主張も、どちらも問題がある」という説をすっかり信用しておられるようだ。日本政府のいう「固有の領土」の定義すらも調べてないのでしょうね。それから、池内本を「決定版」と高評価しているということは、講義では出ていませんが、まず間違いなく「島根県竹島問題研究会の委員のいうことは信用ならない」と思っているはずです。
  あと、細かいところだが「遅くとも1904年から韓国政府は独島という名称を用いていた」という理解も間違い。これは現地(鬱陵島)の住民たちがそう書いているという情報であって韓国政府の公式なものではありません。韓国政府は1906年の時点で日本の竹島編入に異論を表明したというのも間違いです。
  最後の結論として「当事国は歴史に謙虚になり、各地域の歴史的変遷を事実に即して理解し、それを今後の交渉の基礎とする努力をすべきだと考えられます」と結んでありますが、日本側はそういうふうにしているものの、ロシアも韓国も中国もそんなことを聞く耳は持たないのだから、その上でどうするかを述べて欲しいところです。まあ、それは現実問題としてなかなかいい手がないから日本政府も苦労しているわけですが。







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テーマ : 韓国
ジャンル : 海外情報

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No title

どうせ読んでも無駄だろうと思いましたが案の定でした。
まあおおかた予想がつきそうなものですが、京都大学系の似非研究者に期待するだけ無駄です。
何しろ四十年一日でまともに調べてさえいない。

No title

私も竹島問題をかじり始めたころは、于山島?石島?アルゴノート島?波浪島って何だよ!って「幻惑」されまくった覚えがあります。
つくづく竹島問題はこういう総論的な浅く広い解説には極めて不向きなテーマだと思います。なのにこの人下調べをロクにしてない・・・
北方領土問題ではいちおう両国外務省の共同作成資料集がありますし、あんな感じで、両国共同で一つ一つ史料を丁寧に検証し、共有できる事実を増やしていく努力は必要とは思いますね。于山島の正体の検証の段階で韓国の机がひっくり返りそうですが。

No title

>あと、細かいところだが「遅くとも1904年から韓国政府は独島という名称を用いていた」という理解も間違い。これは現地(鬱陵島)の住民たちがそう書いているという情報であって韓国政府の公式なものではありません。韓国政府は1906年の時点で日本の竹島編入に異論を表明したというのも間違いです。

細かいところではなく、けっこう重要なところだと思いますよ。

>韓国政府は1906年の時点で日本の竹島編入に異論を表明した

第二次日韓協約で韓国は外交権を失っていたため抗議できなかったというのが韓国の主張らしいけど、嘘なんですね~

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