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竹島論争~半月城式まとめ(8)

2000年以後の独島/竹島関連日本学界の歴史学研究
朴炳渉/日本竹島=独島研究ネット
嶺南大学独島研究所『独島研究』 第29号(2020.12.30) p43


 一方、勅令第41号になぜ于山島の名が無かったのかという疑問に対して、朴炳渉は次のように主張した(注77)。于山島は「鬱陵島争界(元禄竹島一件)」以後に海禁・捜討政策が続く中で、その位置や存在がますます曖昧になった。1882年、鬱陵島検察使李奎遠は王命を受けて于山島を探索したが確認できなかった。彼は鬱陵島民から于山島や松竹島というのは近辺にある小さい島だとだけ聞いて、船で鬱陵島を一周した。また、高いところに上がって周囲を眺めたが于山島は発見できず、竹島(デッソム)と島項(ソムモク、観音島)を確認しただけだった。また、鬱陵島に住む朝鮮人と日本人たちが1900年ごろに共同で于山島を探索したが発見できなかった。さらに1913年にも于山島探索計画があったが、前の于山島探索が失敗したことが分かって計画は中止された。このように、官撰書にしばしば記載された于山島は、大韓帝国時代には所在が分からない伝説の島になってしまった。このため、所在の分からない于山島は勅令などの法令に掲載することができなかった。代わって、実在が確認されたトクソムが勅令に石島表記で記載されたのだ。
 以上のような論証を考慮したのか、池内は、「石島=独島」説は「とうてい成立することのできない謬論」という見解を修正した。彼は「トルソム(石島)-トクソム(石島/独島)-ドクト(独島)という音韻変化説は客観的で文献的な傍証」(注78)が現れたと主張した。池内が取り上げた文献は奥村亮の証言を記録した上の『竹島漁業の変遷』だ。また、池内は「勅令第41号の石島はどの島である可能性が一番高いと考えられるのか? という質問に対して、そういう質問を受ければ竹島[独島]だと答えるほかはない」と答えた(注79)。


(注77)前掲文p53-54
(注78) 池内敏 『日本人の朝鮮観はいかにして形成されたか』 (講談社 2017) p242 ; 池内敏 「竹島(独島)の活用実態と領有権」 『獨島研究』23号 (2017) p278
(注79) 朴炳渉 「【書評】池内敏 竹島―もうひとつの日韓関係史」 (朝鮮史研究会会報 209号 2017b) p23-24

 これは画期的な変化だ。池内は独島問題において影響力が大きい歴史学者であるから、この話は注目を浴びた。下條正男はこの件を「韓国側の隠れた宣伝工作」と見て、次のように述べた。

 韓国側の隠れた宣伝工作だけは巧妙に行われている。 [池内の2016年書籍に対する]書評を書いた朴炳渉氏は、朝鮮史研究会5月月例会(2017.5.20)で池内氏に「勅令第41号の石島はどの島である可能性が最も高いのか?」と質問すると、池内氏は「勅令の石島は竹島=独島だと答えるほかはない」と回答したと書評の最後に特記した。しかし、それは池内氏らしい回答であり、石島は島項(観音島)であって独島ではない。朴炳渉氏は『朝鮮史研究会会報』の書評欄を利用して「勅令の石島は竹島=独島」というプロパガンダを行ったのだ(注80)。

 かつて池内は、「1900年10月時点で大韓帝国政府として竹島/独島に対する領有意思が明示されたとは見るのは難しい」、「竹島/独島は‘我が国固有の領土’という日本側、韓国側いずれの主張も決定的なものだと言うことはできない」(注81)と主張した。この主張を土台にして、中野徹也は日本の独島に対する無主地先占論を主張した(注82)。ところが、土台となる池内の見解が基本的に変わったとすれば、中野の検討は無駄になることになる。今後、池内の変化が日本でどんな影響を与えるのか注目される。

(注80) 下條正男 「実事求是 第51回 慶尚北道独島史料研究会編 竹島問題100問100答批判2 に対する批判(1)」 (2017年12月21日掲載) https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-2/jitsuji-51.html
(注81) 池内敏 「竹島/独島論争とは何か」 『歴史評論』 第733号(2011) p26及び31
(注82) 中野徹也 「1905年日本による竹島領土編入措置の法的性質」 『関西大学法学論集』 61 巻 5号 (2012) p144-156


<コメント>
 
 「代わって、実在が確認されたトクソムが勅令に石島表記で記載されたのだ。」って言ったって、独島は于山島だったんでしょ? だったら、トクソムの実在が確認されたというときに、何で「これが于山島だ」ってならなかったのかな。というか、そもそも1900年の勅令41号制定前に韓国政府が竹島(独島)を認知したっていう証拠を挙げるべきですよ。

 それから、「今後、池内の変化が日本でどんな影響を与えるのか注目される」んですかね? 池内さんが何をどう言おうと、日本の竹島領有権に対して格別影響を与えることはないですよ。






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No title

>所在の分からない于山島は勅令などの法令に掲載することができなかった。代わって、実在が確認されたトクソムが勅令に石島表記で記載されたのだ。

この主張だと、歴史的経緯と独島の領有権は完全に切断されていることになりますから、単純に日本と韓国の「無主地先占の先後」の問題に帰着することになります。(問題が整理されるのは良いことです。)
そうなると、
・勅令41号の石島はどの島か?
・石島=独島が裁判上認定されるためにはどういった証拠が必要なのか?
・仮に石島=独島だと裁判上認定された場合、韓国の領有権は成立しているのか?
・抗議不存在の法的な評価はどうなるか?
あたりが論点でしょうか。

No title

鬱陵島では「石島」とも「独島」とも書し得るような発音で呼ばれていたという主張で、事実上一島二名ですが韓国政府がそう認識していたかどうか疑問です。(役所はどこでも文書主義ですから、石島≠独島と認識する可能性が高い。)
抗議不存在の理由はここにあるかもしれません。

石島の出現がかなり唐突だし、「鬱島郡ノ配置顛末」と整合しないので私は疑問ですが可能性が0とまでは言いません。

No title

なるほど、案外とまともな記事ですね。

おはようございます!

おはようございます!半月城氏「鬱島郡ノ配置顛末」はスルーでしょうかw(竹島問題100問100答Q37など)。

最新記事(9)が、はいっていますが、この記事に近いのでヤフー転載のある記事を、紹介しておきます→JBプレス金 遥楽・竹島が映す韓国の「言った者勝ち、やった者勝ち」という記事がありました(コメ欄もおもしろい)https://news.yahoo.co.jp/articles/44d6d80aa3e9a46f706d9904bc9d9d32612eccfd (2ページ)

筆者のお名前からして、また「石島」について、トクソムとか方言が出てくれば読むのをやめようかな!?と思っていました。しかし、さにあらず!表題とおり筆者は、この問題を客観的に見ているようにみえます。
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Chaamiey

Author:Chaamiey
別名 茶阿弥
男性 熊本県在住
写真は元飼い猫のちゃあみぃ

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