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独島の「歴史的権原」 3

韓国政府の独島の歴史的権原主張に関する研究
金明基(明智大学名誉教授)
嶺南大学独島研究所 『独島研究』 第29号(2020.12.30) p173


5. 韓国政府の独島の歴史的権原主張内容に対する批判
5.1歴史的権原主張の内容
  韓国政府は、国際慣習法によって認められている「歴史的権原の代替」を受け入れていない。すなわち、韓国政府は、独島の権原に関して、歴史的権原は現代国際法による権原で代替されない限り現代国際法上効力が無く、歴史的権原は現代国際法によって代替された以後は現代国際法上の法的効力が無いという「歴史的権原の代替」の国際慣習法を受け入れていない。
  韓国政府は一般的に独島の歴史的権原を主張するが、その代替に関してはいかなる主張もしたことがない。これは、韓国政府の政策当局に歴史的権原は現代国際法によって代替されるのでなければ国際法上の効力が無いという「歴史的権原の代替」の国際慣習法の不知の結果と見られる。もちろん、歴史的権原の代替の主張がなくても、独島の権原ではない歴史的事実の記述・主張としての意味が否定されるのではなくて、国際法上の効力が否認されるだけだ。
  韓国政府が新羅の新羅智証王13年に于山国を征服して取得した独島の歴史的権原を主張して来た先例を見れば、次のとおりだ。

5.1.1外務部 『独島問題概論』 (1955)
  外務部が刊行した 『独島問題概論』では、『三国史記』の記録を引用して、智証王13年于山国を降伏させ独島は我が国の島であることに二言は必要ないと、次のように記述している。

  三国史記に、新羅第23代智証王131年(西暦512年)の記録に木製獅子で于山国人を降参させたとなっている。このように、最初には国名として于山、島名として鬱陵(ウッルン)だと『三国史記』に採録されていて、高麗時代に下ってウルヌン、ウィヌン、インヌンあるいはムルンなどの別称が生じ、我が国に属した島であることは二言を要しない。(注14)

(注14)外務部 『独島問題概論』 (ソウル 外務部政務局 1955) p7-8

  上の記述では「歴史的権原」という用語を使っていないが、その意味内容は、新羅の異斯夫が于山国を降参させたことで独島の領土主権の歴史的権原が新羅に帰属した、という歴史的権原の主張と見られる。しかし、歴史的権原の代替に関しては何の論及もない。したがって、新羅によって取得された歴史的権原は今日の国際法上法的効力が無いのだ。要するに、上の記述は新羅が取得した歴史的権原を明確に記録しておらず、また歴史的権原の代替に関して何の論及もない。上の記録によれば、今日の国際法上、独島領有権の歴史的権原は法的に効力が無いのだ。


5.1.2韓国外務部の公式見解である韓国政府の見解3 (1959)
 「韓国政府の見解3」は、新羅智証王13年(512年)に于山国が新羅に帰属したと次の通り記述している。

  既に新羅智証王当時に于山国が新羅に帰属したという事実と、その于山国を朝鮮初期に到っては明確に鬱陵・于山両島を包括的に認知して、官撰地理誌をはじめとするその他公的記録に収録されて、したがって鬱陵島の独島と于山島すなわち独島も領域の一部と明確に見なされていたという事実にわずかの疑問も抱く余地がない。(注15)

(注15) The Korean Ministry of Foreign Affairs, The Korean Government’s Views Reputing The Japanese Government’s Version of the Ownership of Dokdo (September 24, 1956) (January 7, 1959)

5.1.3 Establishment of Right History Corp.、Dokdo:Korean Territory Since the Sixth Century、2005
  東北アジア歴史財団の前身である正しい歴史確立企画団が刊行した「Dokdo:Korean Territory Since the Sixth Century」は、独島の歴史的権原に関して次のように主張している。

Korean sovereignty over Dokdo dates back to the 6th century. According to the records of Samguk Sagi - (History of the Three Kingdoms), Korean sovereignty over the island was established with the incorporation of Usanguk - (“guk” means “state”) into the Kingdom of Silla, one of the three ancient kingdoms of Korea, in 512 A.D. Samguk Sagi records that in 512 A.D., Yi Sa-bu, a Silla government official subjugated the island state in that year. The territory of Usanguk comprised the islands of Ulleungdo and Usando - (present-day Dokdo). Historical facts surrounding this event and the establishment of Korean title to Dokdo are further buttressed by medieval Korean records: Sejong Sillok Jiriji - (Geographical Appendix to the Annals of King Sejong) and Sinjeung Dongguk Yeoji Seungnam - (Revised and Augmented Version of the Survey of the National Geography of Korea), published in 1454 (注16)

(注16) The Establishment of Right History Corp, Dokdo: Korean Territory Since the Sixth Century (Seoul: ERHC, 2005), p.4

  上のように、「Dokdo:Korean Territory Since the Sixth Century」で新羅の異斯夫将軍が于山国を征服して新羅の独島による領土主権が成立したと記述しているが、独島の歴史的権限の代替に関しては上で言及した諸資料と同じく言及が全くない。


5.1.4国立中央博物館 『行きたい私たちの土地独島』 (2006)
  国立中央博物館が出版した『行きたい私たちの土地独島』でも、新羅の異斯夫将軍による于山国の征服によって新羅の独島に対する歴史的権原が成立したと記述している。

  異斯夫(生没年不詳)は奈勿王の4代の孫で、姓は金氏であり、新羅智証王(500~514)と法興王(514~540)、真興王(540~576)の代に活躍した将軍であり政治家だ。また、鬱陵島と独島を私たちの歴史に登場させた人物でもある。新羅智証王13年(512)に何瑟羅州(今の江陵)の君主であった異斯夫は于山国を服属させた。『三国史記』によれば、船に木で作った獅子を多数積んで于山島の海岸に到り、もし降参しなければこの猛獣を放つと威嚇する計略を用い、于山国の人々はそれを本物の猛獣と思って降参したという。鬱陵島で発見される遺跡・遺物だけから見れば、異斯夫の征服以前の于山国がどの程度の勢力圏を形成していたのかは正確に分からない。しかし、于山国王于海が対馬を攻撃して対馬島主の娘を連れてきたという伝説や、新羅軍の于山国征伐の時、力だけを前面に出した攻撃でなく巧妙な計略を立てなければならなかったということを見る時、于山国の人々は今日の鬱陵島、独島などの地を含んだ島嶼地域とそれを巡る海および東海岸一帯を基盤とした海上勢力であったことを察することができる。(注17)

(注17)国立中央博物館、『行きたい私たちの土地独島』 (2006) p128

  上の国立中央博物館の記述も独島の歴史的権原が新羅異斯夫将軍の于山国征服によって樹立されたと記述しているが、この歴史的権原が現在の国際法上の権原で代替されたことに対して何の言及も無い。したがって歴史的な今日の法的に効力が無いのだ。

5.1.5日本外務省の独島広報パンフレット反駁文(2008)
  東北アジア歴史財団が公刊した「日本外務省の独島広報パンフレット反駁文」(2008年)は、次のとおり新羅の独島に対する権原が記録された官撰文献を列挙して独島が韓国の領土であることを間接的に主張している。

  独島は鬱陵島から肉眼で眺めることができて、鬱陵島に人々が居住し始めた時から認識することができた。そのような認識の結果、世宗実録地理志(1454年)、新増東国輿地勝覧(1530年)、東国文献備考(1770年)、万機要覧(1808年)など韓国の数多くの官撰文書に独島が明確に表記されている。特に、東国文献備考(1770年)、万機要覧(1808年)等には「鬱陵島と于山島はいずれも于山国の土地であり、于山島は倭人がいう松島」と明確に記録している。松島は当時日本人たちが呼んだ独島の名称だ。(注18)

(注18)東北アジア歴史財団独島問題研究所 「日本外務省の独島広報パンフレット反駁文」(2008) 第2項

  上の記述では韓国の独島の歴史的権原が新羅智証王13年に成立したと直接的に明示されてはいないが、列挙された官撰文献の内容には韓国の独島に対する歴史的権原が新羅智証王13年に異斯夫の于山国征服によって樹立されたと記録されているので、「歴史的権原」という用語を明らかに使っていないがこれは独島の権原が新羅時代に成立したことを主張するものであるから、結局、これは独島の歴史的権原を主張しているのだ。しかし、ここでもやはり歴史的権原の代替に関しては論及がないので、独島の歴史的権原自体は今日の国際法上法的効力が無いのだ。

5.1.6慶尚北道 『独島叢書』 (2008)
  慶尚北道が出版した『独島叢書』では、新羅智証王13年に異斯夫将軍が于山国を服属させて我が国の独島による歴史的権原が取得されたと次の通り記述している。

  独島が我が国の固有領土になったのは三国時代である西暦512年(智証王13年)に于山国が新羅に服属してその一部になった時からだ。この事実は『三国史記』新羅本紀智証王13年の条と列伝異斯夫の条に2度も記録されている。(注19)

(注19) 慶尚北道 『独島叢書』 (大邱:慶尚北道2008) p76

  上の慶尚北道が出版した『独島叢書』にも新羅異斯夫将軍の于山国を服属させ我が国の独島に対する歴史的権原が成立したと記述しているが、この歴史的な権原が現在の国際法によって権原の代替を成したという言及が全くない。したがって、この見解にも今日の独島に対する歴史的権原は国際法上効力が無いのだ。


<コメント>
 国際法の専門家が書く文章がこれなのか? 「権原の代替」がどーのと難しいことを言う前に、国際法理論適用の前提となる事実の認定のやり方を研究しなおすべきだろう。





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