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独島の「歴史的権原」 4

5.1.7 国土海洋部国土地理情報院 『独島地理誌』 (2009)
 国土海洋部国土地理情報部員が出版した『独島地理誌』では、512年新羅異斯夫将軍が于山国を征服して独島に対する韓国の歴史的な権原が成立したと、次のように記述している。

 独島が我が国の文献に初めて登場するのは512年だ。三国時代の歴史を記録した『三国史記』(1145)新羅本紀に于山国が新羅に帰服して新羅の一部になったという記録においてだ。『三国史記』の列伝と『三国遺事』にも同じ内容が収録されている。(注20)

(注20) 国土海洋部国土地理情報院 『独島地理誌』 (ソウル:国土地理情報院2009) p32

 上の記述もやはり新羅の異斯夫将軍の于山国征服によって独島の歴史的な権原が成立したと記述しているが、権原の維持と権原の代替に関しては何の言及も無い。特に権原の代替についての記述が無いので、やはり独島に対する韓国の歴史的な権原は今日の国際法上効力が無いのだ。

5.1.8 教育科学技術部 『守るべき私たちの地独島』 (2009)
 『守るべき私たちの地独島』では、独島の歴史的権原に関して次のように記述している。

 鬱陵島と独島が新羅の領土に編入されたのは新羅智証王13年(512)の時だ。『三国史記』によれば智証王13年の6月、新羅異斯夫が鬱陵島を征伐して新羅に帰服させ、年ごとに産物を受けたという記録がある。異斯夫は奈勿王の4代の孫で、智証王13年に何瑟羅州(江陵)の君主になって于山国を征服しようとした。異斯夫は、于山国の人々が荒っぽくて強かったので、力で屈服させるのが難しくなるとすぐに計略を考え出した。彼は木製の獅子を多数作って船に載せて于山国の海岸に到り、「お前たちがもし降参しないなら、すぐに獰猛な獅子を放って皆を踏み殺させるぞ」と威嚇した。すると于山国の人々は異斯夫が考えたとおり素直に降参して、毎年朝貢を捧げるといった。『輿地志』を始めとして各書の内容によれば、「鬱陵島と于山島(独島)はいずれも于山国の地」として于山国に鬱陵島と独島が含まれることを記録している。このような諸事実を推察する時、三国時代から独島は鬱陵島と共に我が国の歴史に登場したと推定されている。(注21)

(注21)教育科学技術部 『守るべき私たちの地独島』 (ソウル:教育科学技術部2009) p44

5.1.9 東北アジア歴史財団 『独島を正しく知る』 (2011)
 東北アジア歴史財団が出版した『独島を正しく知る』では、『三国史記』の新羅異斯夫が于山国を征服して新羅が毎年土産物を受け入れて来たという記録を引用して、正確にではないが独島に対する歴史的権原が新羅時代に成立したことを記述している。

 独島に関する我が国の最初の記録は『三国史記』(1145年)だ。ここでは新羅の異斯夫が于山国を服属させた内容が記述されている。本来、三国時代以前に鬱陵島と独島は于山国と呼ばれた。三国時代に于山国の人々が新羅大陸まで入ってきて略奪を行うと、新羅の伊湌異斯夫が于山国を征服することになった。……異斯夫が計略を用いて于山国の人々を服属させて毎年土産物を受け取ることになった(注22)。…… 512年に新羅に服属した于山国は918年に高麗が立てられた以後は高麗の支配を受けた(注23)。

(注23) 前掲書 p25

 上の記述は独島の「歴史的権原」という用語を使っていないが、その意味内容は独島の歴史的権原が新羅の于山国征服によって成立したという記述と見られる。しかし、上の記述は独島の歴史的権原の現代国際法による代替に関しては何の言及も無い。したがって、今日の韓国は独島の歴史的権原は歴史的権原を継承したものに過ぎず、今日の国際法上法的効力が無いのだ。
 要するに、『独島を正しく知る』は新羅の独島に対する歴史的権原の成立に関して記述しているものの、その「歴史的権原の代替」に関して論及していない。したがって、この歴史的権原は今日の国際法上法的効力が無いのだ。

5.1.10 東北アジア歴史財団 『私たちの土地独島に会う』 (2011)
 東北アジア歴史財団が出版した『私たちの土地独島に会う』では、韓国の独島の歴史的権原に関して次の通り記述・主張されている。

 『三国史記』(1145年 高麗仁宗の23年) 巻4の智証王の条には何瑟羅州(今の江陵地域)の君主である異斯夫が于山国を服属させたという内容が出て来る。『輿地志』などでは「鬱陵島ほか于山島(独島)全て于山国の地」として、于山国には鬱陵島と独島が含まれることを明らかにしている。 これによって、于山国が新羅に服属した6世紀から独島が鬱陵島と共に私たちの歴史に登場することを知ることができる。

 上の記述のうち「…于山国が新羅に服属した6世紀から独島が鬱陵島と共に私たちの歴史に登場することを知ることができる」という記述は、歴史的権原という用語を使っておらず明確ではないが、独島の歴史的権原が韓国にあるという主張だと解釈しても無理がないようだ。しかし、『私たちの土地独島に会う』では独島の歴史的権原の代替に関しては何も言及が無い。したがって独島の歴史的権原は現代国際法上の権原で代替されず、今日の国際法上の法的効力は無いのだ。

5.1.11東北アジア歴史財団独島問題研究所 『教授・学習課程案及び学習誌』 (2013)
 東北アジア歴史財団が出版した 『教授・学習課程案及び学習誌』は、新羅智証王13年に新羅が于山国の降伏を受けたという歴史的事実を次のように記述している。

 于山国は東側の海にある島で鬱陵島という四方百里の地だ。智証王13年(512年)に伊湌異斯夫が何瑟羅州の軍主となって…于山国の人々が怖れて全て降伏した。(三国史記智証王13年)(注24)

(注24) 東北アジア歴史財団独島問題研究所 『教授・学習課程案及び学習誌』 (ソウル:東北アジア歴史財団 2013) p15

 上の記述もやはり「歴史的権原」という用語を使っていないが、上の記述の全体の意味内容から見て、新羅の于山国降参で新羅が独島の歴史的権原を取得したという意味と解釈される。しかし、これもまた独島の歴史的権原の代替に関しては何も言及がない。したがって、独島の歴史的権原は今日の国際法上の法的効力が無いのだ

5.1.12鬱陵郡独島博物館 『韓国の地独島』 (2015)
 鬱陵郡独島博物館で刊行した『韓国の地独島』は、新羅の于山国征服によって独島の歴史的権原が取得されたと記述して、特に東国輿地勝覧について詳しく言及している。

 新増東国輿地勝覧は、朝鮮前期の社会的・地理的事項を総合的に編纂した『東国輿地勝覧』を修正・補完して刊行した地誌だ。朝鮮初期に製作された地理志の場合、国家の支配体制確立に目的を置いたので、朝鮮の地理的事項を把握すると共に軍事、行政、経済などの実用的側面に比重を置いて編纂した。だが、新増東国輿地勝覧は王権の威厳と儒教的支配原理を強化するところにその目的があったので、既存の地理誌の内容に人物、古跡などの事項を追加している。
 新増東国輿地勝覧は総木版本55巻25冊で構成されていて、この中で『巻45江原道編』に鬱陵島と于山島についての内容が収録されている。江原道の地図を挿入して該当行政区域の主な山と河川、峠などを表記していて、各郡県には首都から郡県までかかる時間を別に付記している。地図上で鬱陵島と独島は東抵大海と表記された朝鮮の東側海上に位置していて、独島に該当する于山島は鬱陵島の西側に位置していて実際と差異を見せるが、朝鮮の固有領土と認識していることが分かる。(注25)

(注25) 鬱陵郡独島博物館 『韓国の地独島』 (鬱陵郡:独島博物館2015) p17

 上の鬱陵郡独島博物館の記述で独島の歴史的権原の取得に対しては記述しているが、歴史的権原の現在の国際法上の権原の代替に対しては何も言及がない。したがって、今日、独島に対する歴史的権原は国際法上の効力が無いのだ。

5.1.13慶尚北道 『独島 正しく知る』 (発行年度不表示)
 慶尚北道が出版した『独島 正しく知る』は、新羅の于山国服属によって独島に対する歴史的な権原が取得されたと次のとおり記述している。

 独島は西暦512年新羅が于山国を服属して以来韓国の領土になったと記述して、独島が韓国の領土になった明確な歴史的権原は512年新羅が于山国を服属して于山国には鬱陵島だけでなく独島も含まれていて、その歴史的根拠は世宗実録地理志に明確に表示されている。(注26)

(注26)慶尚北道 『独島 正しく知る』 (大邱:慶尚北道 発行年度不表示) p21-22

 慶尚北道が出版した『独島 正しく知る』でも新羅の于山国征服によって独島の歴史的権原が成立したと記述しているが、その歴史的な権原が現在の国際法によって代替されたという言及が全く無い。したがって、上の見解によれば独島の歴史的な権原は国際法上今日の効力は無いのだ。

5.1.14外交部 『大韓民国の美しい領土独島』 (発行年度不表示)
 外務部が刊行した『大韓民国の美しい領土独島』は、『世宗実録地理志』を引用して、6世紀初葉(512年)新羅が于山国を服属させて独島に対する統治の歴史は新羅時代まで遡る、と次のように記述している。
 
 朝鮮初期の官撰書である『世宗実録地理志』(1454年)には、鬱陵島(武陵)と独島(于山)が江原道蔚珍県に属する二つの島だと記録されています。また、二つの島は遠くなく晴れた日には望み見ることができると記録しています。また、二つの島は6世紀初葉(512年)に新羅が服属させた于山国の領土だと記録しているので、独島に対する統治の歴史は新羅時代まで遡るのです。(注27)

(注27) 大韓民国外交部 『大韓民国の美しい領土独島』 (ソウル:外交部 発行年度不表示) p6

 上の記述は「歴史的権原」という用語を用いていないが、その意味内容は独島に対する歴史的権原を主張しているものと見られる。しかし、歴史的権原の代替に関しては何も言及がないので、上の歴史的権原は今日の現代国際法上の効力が無いのだ。

5.1.15 Dokdo (発行年度不表示)
 東北亜歴史財団が英文で出版した「Dokdo」には、智証王13年(512年)に異斯夫の于山国征服によって新羅が独島を併合した、と次のように記述している。

Korean title to Dokdo dates back to the 6th century. According to the records of SamgukSagi, Korean sovereignty over the island was established with the incorporation of Usanguk into the Silla Kingdom, one of the three ancient kingdoms of Korea, in 512 A.D. SamgukSagi records that Isabu, a Silla government official, subjugated the island state in that year. (注28)

(注28) North East Asian Historic Foundation, Dokdo (Seoul:NEAHF, Published date non indicated), p.16

 上の記述では「歴史的権原」という用語を使っていないが、その意味内容は異斯夫が于山島を征服して新羅が独島に対する歴史的権原を取得したという主張と見られる。しかし、この歴史的権原の現代国際法による代替に関しては何の論及もない。歴史的権原は現代国際法によって代替されなければ法的効力がないので、上記に記述された異斯夫の于山国征服によって成立した独島に関する歴史的権原は、今日の国際法上法的効力が無いのだ。



<コメント>
 「異斯夫の于山国征服によって成立した独島に関する歴史的権原」は「今日の国際法上法的効力が無い」という以前に、そもそもそんなものが発生したという証拠が無い。


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