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荒唐無稽の『アリラン』 (続き)

荒唐無稽の『アリラン』
反日種族主義の打破(8) 李承晩TV 2018/12/27
(続き)
 千島列島とはクリル列島のことですが、御覧の地図で、北海道から東北の方向に続くその島のことをいいます。今はロシア領ですが1945年までは日本の領土でした。1943年、アメリカとの太平洋戦争の戦況が傾くとアメリカがアラスカから、北側から、千島列島を攻撃し始めました。日本軍は急いで千島列島を軍事基地化するために大規模土木工事を行いました。その時多くの朝鮮人労務者たちが動員されました。『アリラン』第12巻はその工事現場を背景にしています。小説によれば、工事は飛行場滑走路を造って周辺に飛行機の格納庫を作る仕事でした。小説によれば、1944年初めにようやく工事が完成しました。日本軍はウソの空襲警報を鳴らして1000人に上る朝鮮人労務者たちを防空壕に閉じ込めました。そして30分間にわたり手榴弾を投げ、機関銃射撃を加え、彼らを抹殺しました。防空壕の入り口はコンクリートで塞がれました。作家はその場面を次の通り劇的に描写しました。

  「防空壕の入口から何かが次々に流れ出始めた。それは真っ赤な血だった。機関銃は30分以上乱射された。時間が経つにつれ、血は小川の水のように流れて出ていった。そこに徴用で連れられてきた1千余人は、結局、一人さえも生き残ることができなかった。千島列島のあちこちの島で、そのような形で4千人も死んでいったのだ。」

(12:32) この場面はアリラン全巻の中でも最も残酷な場面です。1千人を防空壕に閉じ込めて手榴弾と機関銃で虐殺をしたというのです。血が小川の水のように流れ出たといいます。読者たちは限りなく残酷な日本軍の蛮行に身震いをしたことでしょう。
 しかしながら、この虐殺は事実ではありません。私は千島列島の軍事施設工事に関する色々な記録や史料を検討してみました。ちょうど北海道に行く用事があったときに、札幌で関連の専門家に色々質問もしてみました。作業環境が劣悪で作業は困難で数多くの犠牲者が出たのは事実です。しかし、上のような虐殺はありませんでした。そういう記録や証言は見つけられませんでした。何よりも、この小説の前後の文脈において、大量虐殺のその理由が分かりません。露出している飛行場滑走路と格納庫施設が何で重大な軍事秘密だとして工事に従事した労務者たちを虐殺するという話ですか。当時、千島列島と近くの北海道では、1945年8月に戦争が終わるまでいろいろな所で似たような工事が進行中でした。苦労して動員した労働力を虐殺する合理的な理由を見い出すことができない、そういう時代でした。私は、この部分で、小説家趙廷来自身が虐殺の狂気に囚われている、そういうふうに判断しました。それで彼を批判する論文を書かざるを得なかったのです。
(14:12)趙廷来の『アリラン』は商業的に大きな成功を収めただけでなく、文化的にも大きな成功を収めました。小説の舞台になった金堤の現地に「趙廷来アリラン文学館」が建てられました。時間があれば一度立ち寄って御覧ください。虐殺と収奪の狂気に満ちたそういう小説のあらすじが、もっともらしい絵と写真の資料でよく展示されています。「アリラン文学の村」というものも金堤に作られています。20世紀前半、この金堤地方は、海水の侵入と河川の氾濫を防止する大規模な土木工事が展開されました。大規模な干拓事業が行われました。その結果、韓半島で唯一地平線が見えないという広大な平野が造成されました。近隣には群山という新しい港湾都市が開発されました。小説『アリラン』は実際の歴史とは関係の無い幻想の歴史を描きました。虐殺と収奪と・・・・が狂気で書かれた歴史でした。それによって商業的、文化的に成功したのです。
 なぜそうなったのでしょうか。韓国社会に潜む種族的文化、そのシャ―マニズムとトーテミズムの世界を立派に形象化したからです。アリランの小説で、私は、一つの社会を先進社会に導く勤労、貯蓄、協同、信頼、分業、交換、開放、通商の信頼を見い出すことができません。そういう信仰を感じることができません。一人の人間がそういう美徳で物語りを完成していく近代人というものを探すことができません。それは、互いに愛し合い、助け合う人間社会ではありません。富強の種族が弱小種族を収奪して虐殺する野蛮の世界です。韓国の民族主義は韓国の近代史をそのような種族主義的特徴で感覚しています。
 小説家趙廷来だけがそうだったのでもありません。植民地時代に関する韓国の歴史自体がそういう種族主義的特質に忠実なのです。趙廷来の小説を絶賛で迎えた韓国の国文学それ自体がそういう種族主義的特質に忠実なのです。私たちの近代の歴史は本当にそういう野蛮の歴史だったでしょうか。その点を次の講義でもう少し具体的に扱うことにします。ありがとうございました。



<コメント>
 チョ・ジョンレのこの小説は、日本国、日本軍、日本国民に対する巨大な名誉棄損です。イ・ヨンフン教授が指摘してくれなかったら、韓国人の間ではこれが事実だとして定着してしまったことでしょう。本当なら日本人の学者かジャーナリストが反論すべきことでしたよ。韓国のベストセラーなのだから、韓国に関わりを持つ日本人の学者、ジャーナリストであればこの小説を知っている人もいたはずだろうが、しかし誰も声を挙げなかった。代わりに韓国人がウソを指摘してくれた。日本人の一人としてイ・ヨンフン教授に深く感謝したい。 

 イ・ヨンフン教授が講義の中で言っていましたが、彼が最初に『アリラン』を批判したのは2007年です。そのときの論文と、それに対して小説家が空しい反論をして来て、またMBCテレビがイ・ヨンフン教授に陰湿な攻撃を仕掛けて来て、そういうものに対してイ・ヨンフン教授が見事な切り返しを見せた再反論の論文の全文翻訳があります。その目次はここにあります。https://chaamiey.blog.fc2.com/blog-entry-3220.html イ・ヨンフン教授の『アリラン』批判 書庫目次
 特に、再反論の翻訳(8)の部分はイ・ヨンフンという人の知識人としての誠実さ、不屈の意志といったものが感じられる、ちょっと感動する文章です。皆さん、ぜひ読んで見てください。

 

荒唐無稽の『アリラン』

日本人必見の動画です。


荒唐無稽の『アリラン』

反日種族主義の打破(8) 李承晩TV 2018/12/27
https://www.youtube.com/watch?v=SA1p0xayea8&t=5s

 こんにちは、危機韓国の根源、反日種族主義の今日の主題は「荒唐無稽のアリラン」です。私たちの民謡のアリランではなく大河小説『アリラン』のことです。その作家趙廷来(チョ・ジョンレあるいはチョ・ジョンネ)氏は、今日の韓国で最も広く知られた大衆的な人気小説家です。彼が書いた大河小説『アリラン』、この本ですが、このアリランは12巻で350万部も売れたといいます。彼の小説が商業的に大きく成功したのは、20世紀後半の韓国の時代精神と精神文化を表わすのに成功したからです。その時代精神と精神文化とは何であるか、これを指摘するのは難しいことではありません。一言でいって反日種族主義です。反日種族主義の標本を大河小説『アリラン』に見い出すことができます。趙廷来は韓国人の反日種族主義の感情を文学的に立派に描写しただけでなく、それを刺激して促進するのに大きく寄与しました
  私は2007年、今から11年前に『時代精神』という季刊誌に寄稿した論文で、この小説家趙廷来を「狂気に満ちた憎悪の歴史小説家」と定義して批判したことがあります。私がこの作家趙廷来氏のその精神世界をそういうふうに規定したのは、彼が小説のあちこちで日帝が韓国人を狂的に虐殺する場面を描写しているのですが、それは歴史的に実在しないとんでもない捏造であるためです。歴史小説のことで何で捏造なのかどうか是非を問うのか、そのようにお考えになるかも知れませんが、私は、いくら歴史小説だといっても素材となった歴史的環境が実際の歴史とかけ離れた話を作り出すことはできないと考えます。読む人々がそれを実在した歴史だと錯覚しやすいからです。まず、次のような虐殺場面の一つを紹介します。

 「ええと、今から重大な事実を発表するので皆しっかり聞け。あそこに縛られているチャ・ガプスは昨日地主総代に暴行を加えて致命傷を負わせた。その蛮行は正に総督府が推進している重大事業である土地調査事業を悪意で妨害して攪乱する許すことのできない犯罪行為である。したがって、罪人チャ・ガプスは警察令によって銃殺刑に処する。」
 日本刀を抜いて立つ駐在所長の渇いた叫びだった。(翻訳者注:冒頭の「ええと」というのはこの場面ではふさわしくない間の抜けた言い方ですが、イ・ヨンフン教授が「ええと」と発音しているので、小説原文にそのように書かれているものと思われます。) 
 「射撃用意!」 駐在所長が日本刀を振り上げて叫んだ。4人の巡査が一斉に銃を構えた。「撃て!」 銃声が震えた。チャの身体はいきなり跳ね上がったかと思うとすぐに崩れ落ちた。そして左胸から真っ赤な血があふれ始めた。駐在所長と巡査たちはすぐに立ち去った。しかし村人たちは離れようとはしなかった。彼らは皆目を閉じて立ち続けた。「よりによって堂山木に・・・・・・」 誰かがつぶやいてぎりぎりと歯ぎしりをした。

  総督府が1910年から1918年まで施行した土地調査事業を背景とした一場面です。忠清北道金堤郡竹山面ウェ里がその舞台です。チャ・ガプスという農民が土地の申告をしたものの地主総代は申告書に印鑑を押そうとしませんでした。土地を奪われることになったチャ・ガプスがちょっと地主総代の胸を押しました。後ろに倒れた地主総代は脊椎が折れる重傷を負いました。すると金堤警察署竹山駐在所の所長がチャ・ガプスを村の堂山木に縛り付けて即決で銃殺した場面です。このように、一線の駐在所の警官が即決で人を銃殺する場面はアリラン小説で他の村を舞台としてもう一度出て来ます。作家は、土地調査事業の期間にわたってこのような警察の即決による死刑で全国で4千人余りが犠牲になったと語っています
(04:54) 作家によれば、総督府が土地調査事業を行った目的は土地の収奪でした。農民たちがそれに抵抗すると、すぐにこのように現場の警察が即決で銃殺するという弾圧を欲しいままにしました。この銃殺場面は『アリラン』を読んだ数十万の読者たちの胸に深い傷を残しました。私が大学図書館でこの小説を借りて読んだ時に、この場面の本の余白にある学生が鉛筆でメモをしたものを発見しました。「こんなことが」。 その学生は作家が書いたとんでもない話を事実だと信じたわけです。
 しかし、上のような即決銃殺刑は土地調査事業の当時、ありませんでした。いや、あり得ないことでした。当時の新聞や雑誌でそういう事件が報道されたことはただの一度もありません。実際にあったとすれば言論が報道しない理由がありません。総督府も、それが合法的なものならば報道を止める理由がありません。朝鮮人の恐怖心を呼び起こして抵抗を減らせるからです。ところがそのような事件は報道されたことがありません。それなのに小説家は当然にあたかも実在した事実であるかのように小説に書いています。「警察令」に言及することで即決銃殺の法的根拠まで提示しています。ところがそのような法令自体が存在しなかったのです。国家権力が人を殺す時は所定の手続きに従って裁判を経ることはその当時も今も同じことです。例えば、1913年に3人の者が殺人と強盗の罪名で死刑の宣告を受けました。いずれも複審の裁判でした。現場の警察が裁判を経ることなく人を留置場に拘留したり罰金を課すことができる即決処分が可能な場合というのは法で厳格に規定されていて、当時で言うならば、1912年に「警察犯処罰規則」が公布されました。そこでは警察が即決で対処できる軽犯罪87種が列挙されていました。それなのに、作家趙廷来は平然と朝鮮警察令という法令を持ち出して、派出所の一介の警官が人を即決銃殺する場面を小説において二回も演出しました。さらには全国的にそういう即決銃殺が4000件になったと総括しています。
 趙廷来はその時代を法も存在しない野蛮の時代だと思っています。この絵にあるような、奴隷狩りの者たちがアフリカの種族社会に入ってむちゃくちゃに奴隷狩りをする、そういう野蛮の場面を想定しています。アリランに登場する日本人たちは全てが奴隷狩りをする者のような悪人たちです。彼らは際限なく朝鮮人を殴り、奪い、劫奪し、殺します。反面、朝鮮人たちはアフリカの原始種族のように空しく殴られ、奪われ、劫奪され、虐殺されます。奴隷狩りたちは原始種族の宗教を、彼らのトーテムを破壊します。堂山木に人を縛り付けておいて銃殺をするのが、正にその場面です。この写真に見える堂山木は韓国の・・・・村で大抵今でも見られるものですが、村を悪霊から守る守護神と考えられて来ました。小説では、日本の駐在所長はその堂山木を破壊しました。罪もない人を堂山木に縛りつけて銃殺したわけです。村人たちは善良な隣人がその木に縛られて銃殺される場面を力無く眺めるだけでした。わずか4人の警官が乱暴を働くのですが、数十人の人々が抵抗する術を知りません。大声を張り上げる方法も知らないのです。皆が口を閉じてあたかも従順で愚かな、そういった種族のような姿を見せています。
(09:13) 彼らは・・・・・・・・・・・だけです。趙廷来は日本人を限りなく残忍な悪霊として、朝鮮人を限りなく愚かで卑怯で無気力な野蛮の種族として描写しました。その文学的手法は大変優れたものでした。先ほど申し上げたように、ある学生は小説のその場面の余白に「こんなことが」というメッセージを残したわけです。
 文学評論家たちは『趙廷来大河小説アリラン研究』という評論集を出版しましたが、その中で、ある論文はこの即決銃殺刑の場面を指して「土地調査事業を扱った部分は歴史的意味を浮き上がらせただけでなく、小説的形象化においてもずば抜けた成功を収めた部分だ」と絶賛して止みませんでした。小説家は韓国人が共有する反日種族主義の感情を、そのトーテミズムの世界を、堂山木に代表されるそのトーテミズムの世界を劇的に刺激して、さらにそこから絶大な反響を勝ち取ることに成功しました。それで350万部も売れる大きな商業的成功を収めたのです。
 小説アリランではこのような虐殺の場面が何度も繰り返されています。1944年に日本の千島列島であったという虐殺場面の一つを紹介します。
(続く)


『反日種族主義』出版 イ・ヨンフン教授あいさつ


『反日種族主義』出版に伴うBook Concert(著者と読者の交歓会)
そのうちイ・ヨンフン教授のあいさつ

2019.07.17 ソウル  李承晩TV

(00:34)このように多くの皆様が来て下さって、本当にありがとうございます。去る20世紀の、私たち韓国人の波瀾万丈の歴史において最も優れた思想家があって、そして解体されてしまったこの民族に進むべき道を示してくれた人がいるとするならば、それはほかでもない私たちの李承晩建国大統領です。その李承晩大統領の、建国大統領の政治哲学、理念、独立運動、業績、そして建国活動、建国以後の国作りのいろいろな意欲、そういうものを紹介して、教育して、研究して、広報する、そのような目的で3年前に李承晩学堂ができました。李承晩大統領が今から110年前に国が滅びる時、彼が監獄の中で書いた本を読んで見ますと、なぜこの国はこういう状況になったのか、と。それは日本のせいではないのです。私たち韓国人一人一人が自由と独立の精神を知らず、・・・・・の中で永く苦しめられて奴隷根性に負けて精神的に死んだ状態だったからこの国がこのように滅びるに至った、再び生き返る道は自由の人間として新たに生まれることだ、そういうふうに言っています。そしてその自由とは何かを、また独立とは何かを、監獄の中で、国の滅亡が切迫してはらわたが煮えくり返る痛みをこらえて、一冊の本を書かれたのが『独立精神』という本です。
  私は年を取って、大分遅れてその本を読んだのですが、たくさんのことを学びました。ここに韓国のジョン・ロックがいるな、ここに韓国のジェファーソンがいるな、ここにアダム・スミスがいる、ここにカントがいる、これまでこれを知らずに私は何をしていたのだろう、そういう気がしました。言い換えれば、私たち韓国人は、今日においてさえも自由とは何なのかを知らないのです。自由というものは他人の拘束を受けずにただ自分がしたいことだけをする、そういう程度だけで理解されています。そういう一次元的な理念の状態で歳月が流れた結果、とうとう国家体制の危機が発生した、私はそのように考えています。この国家体制危機の根本には、私たちが、「種族主義」と呼んでいいような、その競争集団、対立集団に対する絶対的敵対感情に基づいた知性、感性があります。このような状態で、自分がすることは全てのことが正当で、平気で嘘をつくことが横行して、そのような文化が放置されて既に60年になりました。この国は・・・・の精神ではこれ以上管理することができないほど、韓国人の知性と良心では管理することのできない、その領域外に抜け出してしまったのかも知れません。このような厳然たる危機的状況を私たちは迎えていると思います。
 そういう危機意識を込めて、一冊の本(『反日種族主義』)を出しました。この本を書くにあたっていかなる留保も置くことはしませんでした。決して嘘をつかないという信念で最後まで真実を追求しました。もちろん、足りない点もあるでしょう。しかし、隠したものはありません(拍手)。独島問題や徴用問題、慰安婦問題、また日帝のいろいろな統治行為に対して、真の自由人の立場から、世界人の立場から、隠すことなく全てのものを吐露しました。それでも皆さんが呼応して下さるので、全てがスタートです。今からでも遅くなく、一つの新しい精神的気風が起きることを期待してやみません。今後多くのことがあるものと予想されますが、共にいて下さって声援していただければ、勇気を失わずに、力を失わずに、最後まで私たちの行くべき道を進むことができます。 
  本日は皆様には大勢来てくださって本当にありがとうございます。私の恩師でありますアン・ビョンジク教授におかれても、年齢をお召しになっていますがこのような遅い時間に来て下さって、私としては個人的にこれ以上ない光栄です。国会議員の方にもおいでいただきました。私が10年前に代案教科書を編纂した時は政界からは誰一人顧みられることはありませんでしたが、本日は2人の方においでいただきまして、政界からもこの本への後押しがあれば、今後大きな成果が見込めそうです。その次に、私の同期生のキム・ムンス京畿道(前)知事にもおいでいただき、次は・・・・・・先生、・・・・・・感謝申し上げます。李承晩記念事業会の・・・・・・様にも感謝申し上げます。何よりも、この本を大切に読んで下さって、また宣伝して下さって、このように多くの人々が集まって下さるにあたって誠心誠意を尽くして支援してくれる伴侶者、同志のチョン・キュジェ先生に感謝申し上げます。最後に、私が・・・・・・・ことを了解していただきますようお願いしまして、ごあいさつとします。ありがとうございました。

<コメント>
 ニューライトの総帥(と私が呼ぶ)アン・ビョンジク先生も御健在で、このあとミニ演説をなさった。
 それから、会場にはボディーガードが2人いるように見える。やっぱりそういう用心は必要だろうなあ。


朝鮮は日本の植民地だったか → そうも言える

 
 李承晩TV「反日種族主義の打破」シリーズのキム・ナギョン(金洛年)教授の講義「日本の植民地支配の方式」に「植民地」という言葉があるのだが、これに対する日本人からの反発がすごい。「植民地支配という認識でアウト」、「植民地ではなく国際的に手続を踏んだ併合だ」、「何で植民地になってるの、馬鹿なの?」、「併合でなく植民地と言いたいところが、まだまだ反日が抜けていない」、「植民地支配とは欧米列強がしていたことだ」、「併合と同和であって朝鮮は植民地ではない」、「そもそも植民地と表現する入り口から間違えている」、「植民地支配という用語を使用してる時点で理解が足りてない」などなど。
 まあ、現代で「植民地」と言ったら欧米列強がアジア・アフリカを侵略して設けた収奪型植民地が代表的なものとして想起されて、上の意見は「日本の朝鮮統治はそうものとは全く違っていたのだ」と言いたいのだろう。しかし、植民地というものは古代ローマから始まって近代までいろいろな形態で存在したわけで、その中でただ一つの形態が植民地であって他の形態は植民地ではないというふうに区別できるものでもない。
 「植民地」の最も基本的な要素は「本国からの移住」ということで、朝鮮にも日本人は多数移住したのだから、それを「植民地」と呼ぶことが間違いではない。デジタル大辞泉というもので見てみたら、「植民」とは「ある国の国民または団体が、本国に従属する関係に置かれた地域に移住・定住して、経済活動や開拓活動などをすること。」と解説されている。併合という形で日本という国の一部になったとは言え、朝鮮の人民は総督府を通じて日本人による指導・監督・統制を受けていたし、日本人が多数移住して経済活動・開拓活動を行い、そこで財産も形成したわけだから、この定義の「植民地」の範囲に該当すると言える。特に朝鮮人の立場からしたら、今まで自分たちだけが住んでいたところに日本人が大勢やって来て、政治・行政は取り仕切るし、いろいろな経済活動も主導するし、というわけで「日本の植民地だ」と理解するのは自然なことです。
  「併合なのであって植民地ではない」という意見は勘違いで、「併合」というのはある土地の主権が移転する際の手続き・方法の名称なのだから、併合という形だったら植民地にならないというわけではない。あくまで併合した後の支配の実態によって決まることです。
  
  そして、実は日本が朝鮮を統治していた時期の日本の政府自体が朝鮮とか台湾に対して「殖民地」という表現を用いていたという事実がある。例えば国の予算書に「各殖民地特別会計」という項目があって朝鮮総督府会計はその中にある。

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大正十三年九月十三日印刷 各殖民地大正十四年度歳出整理案
https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A08072055400
 
 また、法令集では「殖民地二於ケル法令」という項目の一番に「朝鮮総督府」が書かれている。

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大蔵省主計局『官有財産関係法令』1919年(大正8年)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1351365/299


 ほかに次のようなものもある。(いずれもアジア歴史資料センターの資料)
(昭和)5年3月13日 72号貯業1082号
国際郵便振替業務開始ニ関スル殖民地逓信局意見ニ関スル件
 右ニ関シ朝鮮逓信局及台湾交通局ヨリ別紙ノ通当局ノ実施案大要ニ対シ異議ナキ旨回答シ来リタリ又関東庁逓信局ハ(一)振替料金及(二)外国ニ在ル外国人ヲシテ我カ国ノ振替口座ニ加入セシムルコトヲ除外スルノニ点ニ関シ別紙ノ通意見ヲ有スルノ外ニ異議ナキ旨申越シタリ第一ノ意見ハ結局当局案ノ趣旨ト同一ナルニ付問題ナキモ第二意見ニ関シテハ実際上過払金ヲ生シタル場合回収困難ヲ予想シ得ヘキニ付当局ニ於テモ一応考慮シルコトナルモ此ノ種ノ問題ハ為替ニ付テモ生シ得ル


殖民地在勤加俸減額要領(大蔵大臣ノリ外務大臣提出)(昭和6年)
第一、本俸減額ノ割合ニ依リ減額シタル残額ニ対シ
 一、原則トシテ現在支給額ノ三分ノ一ヲ減額ス
二、朝鮮国境地方及台湾蕃地ハ四分ノ一ヲ減額ス
 三、南洋群島ハ五分ノ一ヲ減額ス
第二、以上ノ減額ハ
 一、三分ノ一ヲ減スルモノニ在リテハ本年度ヨリ順次略同額ヲ字通減シ昭和九年度ニ至リテ改定額ニ逹ス(経過期間三年間)・・・・・・


昭和五年十月(大蔵省)主税局関税課
  昭和五年下四半期に於ける貿易予想調当期の貿易予想は輸出 三億四千九百三十九万七千円 輸入 三億二千八百三十八万二千円 差引出超 三千百一万五千円 と推定す。依て昭和五年に於ける貿易額は 輸出 十四億五千七百四十一万九千円輸入 十五億七千七百四十一万九千円 差引入超 一億二千十六万五千円 とならん。而して植民地の入超額を 台湾 二千四百九十万円 朝鮮 六千七百三十万 と推定せば、本年の植民地を加ヘたる入超額は二億一千二百三十六万五千円見当に終るものと予想せらる。


鉄道次官招待者名(東京鉄道ホテル)
昭和9年1月 内務省、鉄道省旅客課
一八 鉄道次官招待者名 昭和九年一月十九日午後五時 東京鉄道ホテル 鉄道省旅客課 鉄道次官招待出席者名 内務省側 警保局長 松本學 保安局長 萱場軍藏 図書課長 中里喜一 警務課長 宮野省三 事務官 増田甲子七 〃 石井政一 〃 小菅芳次 属 安堂誠一 〃 小山眞一 警視庁側 刑事部捜査第一課長警視 浦川秀吉 〃 第二課長〃 盛本完 〃 庶務課長 警部 長野勘助 〃 鑑識課長 〃 吉川澄一 憲兵司令部 憲兵少佐 平野豊次 殖民地側 朝鮮総督府 属 山村正重 朝鮮京畿道刑事課長 警視 野村薫 台湾総督府 属

 つまり、当時の日本政府は朝鮮や台湾など日本の一部ではあっても法律・制度の適用が本土とは異なる地域を分類するときに何という言葉が適当なのか検討したのだろうが、結局「殖民地」という用語が適当だと判断したわけだ。
 当時の日本政府が「殖民地」と呼んでいたものを現代韓国人が「植民地」と言ったらいけないのだろうか。「植民地」という言葉そのものは名詞なのだが実際の使い方では形容詞みたいなものであって、人それぞれに受け取り方の幅はあるのです。

おまけで、現代でもこういうものがあった。
 「小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた。」 
(日韓共同宣言-21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ 1998年10月8日)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/yojin/arc_98/k_sengen.html


イ・ヨンフン教授非難 第1号?

 イ・ヨンフン教授たちを非難する論評が地方紙に出たので紹介します。例によってどこが間違っているのかという具体的な指摘は全くできずに批判・非難だけをするパターンです。

韓国人は反日種族主義者なのか
2019.07.22 蔚山第一日報
イ・ジョンホ/随筆家、前蔚山教育科学研究院長
http://www.ujeil.com/news/articleView.html?idxno=236450

  日本発の貿易紛争が拡散の一途にある。その開始点は強制徴用に対する大法院の判決なのだが、日本はこれに対して経済報復ではないといいながらも露骨にその下心を表わしている。韓国が日本からフッ化水素を輸入して秘密裏に北韓に譲り渡したとして安保問題でけちをつけたが今は尻尾を下ろした。この貿易紛争の憂慮は大きく三段階に分かれる。現時点で輸出優待品目から除外された半導体核心素材規制の余波と追加輸出規制が予告される品目、そして韓日貿易紛争が長期化する可能性だ。
 半導体素材の輸出規制は「非メモリー半導体」に大きな打撃を与える。「フォトレジスト(感光剤)」、「エッチングガス(高純度フッ化水素)」、「フローリンポリイミド」等三種類がこれに該当する。しかし、半導体核心3素材の輸出規制は序幕に過ぎない。民間用戦略物資261種、非民間用戦略物資851種など合計1,112種が日本の戦略物資に分類されているものと把握される。工作機械設備部門も日本依存度は40%内外に達するが、これは特に中小企業の困難が予想される。半導体素材に対する追加規制とホワイトリスト排除問題も議論される。
 このような時局に『反日種族主義』という本が出てきた。この本は韓国人を「日本だけを悪の種族と感じる種族主義者」と規定している。それも日本人ではなく韓国の学者の共同執筆だというから、本当にひどい本だと言わざるを得ない。彼らは「落星垈経済研究所」の中心メンバーなのだが、一時近現代史国定教科書問題で騒動を起こしたニューライト系列に属する。この本が出た日、パク・ジョンハク氏の「新親日派を見つけて支援を中断せよ」という文章が蔚山第一日報に掲載された。新親日派と疑われる「東北アジア歴史財団」のことだが、これら二つ団体はいずれも日本極右派の主張と軌を一つにしている。
  著者は反日イデオロギーを「種族主義」と主張する。辞典の「種族主義」とは「自身の種族を最も優先視する態度や思想」と規定する。「民族主義」は「独立や統一のために民族の独自性や優越性を主張する思想」であるから「種族主義」は「民族主義」よりもさらに絶対視されるものであったり、より狭い意味と解釈される。彼らは私たちの歴史と現在をきわめて偏狭な反日種族主義者と見たのだ。世間では彼らを日本の1級戦犯である「笹川良一」が出資した「日本財団」の支援を受けて日本の右派を代弁する集団と見ている。
  彼らが信じるのはデータベースだ。韓国経済を数量的に把握するための統計資料を収集、整理してデータベースを構築している。彼らは単純に経済史にとどまらず、彼らだけの歴史観から『反日種族主義』を編み出したのだ。 本の序文がまことに不埒だ。「何の事実の根拠もなしに嘘で積み上げたシャーマニズム的世界観の、親日は悪であり反日は善であるとして、隣国のうち日本だけを悪の種族と感じる種族主義、この反日種族主義の起源と形成、拡散と猛威の全過程を国民に告発してその危険性を警戒するための正しい歴史書だ。」
  代表著者であるイ・ヨンフンは(翻訳者注:呼び捨てですよ)、韓国を嘘の国と規定する。それだけでなく、独島を種族主義の最高の象徴と見る。「韓国教科書の歴史歪曲、日帝の米収奪は嘘、植民地朝鮮の経済成長、強制徴用という虚構、李完用と軍艦島の擁護、対日請求権協定は当初請求することがあまり無かった」などの内容がそれだ。その他に「乙巳五賊のための弁明、旧総督府庁舎の解体、親日清算という詐欺、ノ・ムヒョン政府の強制動員被害者支援事業」などもそうだ。どれ一つも彼らの批判から逃れることができないが、李承晩と朴正熙だけは例外だ。
  イ・ヨンフンはまた、慰安婦問題を種族主義の牙城と見る。言うならば、『反日種族主義』という本の核心は慰安婦問題だ。歴史的に官憲のために官妓が存在していて、その延長線上のものというのだ。彼らは強制連行も事実でなく性的奴隷でもなかったし、勤労挺身隊と混同していて、その数字もでたらめに誇張されていると語る。 解放後の40年間慰安婦問題は無かったし、現政権が前政府の交渉をひっくり返して韓日関係を破綻させていると主張する。彼はまた、米軍慰安婦問題はなぜ問題にしないのかと反問する。
  私たちに反日感情が存在するのは否定できない。数多くの倭寇の略奪と壬辰倭乱、旧韓末と日帝強占期を経て積み重なった感情をどうして消すことができるのか。 しかし、私たちは無条件の反日や排日は正しくないということをよく知っている。日本の経済力と技術力も認めるから、これを跳び越えようとする努力も必要だ。貿易は世界貿易機構(WTO)の協約によって相互尊重されなければならないが、安倍の傲慢は狂気に近い。このような局面で同族を種族主義のドグマに追い込む作家たちが現れるとは、不届きこの上ない。

<コメント>
 いや、あなた、立派な反日種族主義者でしょ。
 それと、東北アジア歴史財団の主張は日本極右の主張と同じって、そこまで行っているかなあ。

亡国の判決(2)

  この図のAの部分で過去の歴史を整理しようとしておいて、後でまたBを要求し始めたのです。国際信義を損なうことです。大法院はそれで良いと、それが韓国の権利だと判断したようです。ですが、これは請求権協定とは何なのか分からずに出した一方的判断です。
  請求権協定で過去の歴史は整理されたという私の説明は理解していただけましたか? 請求権協定で両国間の過去の歴史に関連する各種の請求権は最終消滅したのです。韓国が日本に徴用賠償判決を下す根拠がありません。請求権協定文を見ましょう。この図の下の方です。第1項は財産、権利及び利益と請求権に関する問題が完全にそして最終的に解決されたことを確認する、このようになっていますね。第3項では、協定署名日、すなわち1965年ですが、この時を基準としてそれ以前の事由によって生じた請求権については何の主張もできない、このように書かれました。
  このような外交条約文の解釈方法として、しばしば1969年ウィーン条約の第31条が挙げられます。「条約は、条約文の文脈及び条約の対象と目的から見てその条約の文言に付与される通常的意味により誠実に解釈されなければならない。」 すなわち、その文脈に付与された通常の意味によって解釈されなければならないというのがその要旨です。それならば、請求権協定文に付与された通常的意味は何でしょうか。それは、過去のあらゆる債権、債務、請求権をこの協定で全部整理して新しい出発をしようということです。それで協定文の条項に請求権問題は完全に最終的に解決されたと書いたし、また、過去の事由によって生じた請求権に対しては今後いかなる主張もすることはできないと明記をしたのです。韓国が後になって追加的要求ができるというような意味は全くありません。このように見れば、被徴用損害に対する個人請求権は消滅したのです。そして韓日両国はこれについて合意をしたのです。
  ところが50年ほど過ぎたところで徴用賠償を要求することができると見たのが韓国の大法院です。無知の極みです。「無知であれば勇敢だ」という韓国の言葉があります。韓国大法院は勇敢にも日本に賠償判決を下しました。相手のことは眼中にない傲慢さです。他国との条約は法律に準じます。条約は国会の批准を受けると法律的な効力を持ちます。韓日協定は国会批准で法律的地位を得ています。そしてそれを歴代の韓国政府はよく守って来ました。ところが2012年、韓国の大法官4人がこの条約を否定しました。法律を否定したことになります。司法府は法律に従って裁判をすべきであって、法律をひっくり返して裁判することはできません。司法府には外交条約すなわち法律をひっくり返す権利はありません。これを「司法自制の原則」ともいいます。
  大法官たちも、もちろん、徴用賠償をしなければならないと考えることはできます。しかし、実際にそういう判決を下すとすれば既存の条約(韓日請求権協定)に背馳して衝突するので、判決を出すのでなくて憲法訴願を提起しなければなりません。すなわち、「個人の請求権と国際条約が衝突するので判決を下すことができない、外交交渉を通じて政府が請求権協定を補完すべきだ・・・・・」、そういう趣旨の憲法訴訟を提起すべきでした。しかしこの大法官たちは、おそらく自分たちは憲法裁判官よりも上位にいると考えたためか、憲法訴訟をする必要はないと考えて、それでそのまま判決を下しました。
  この判決を下した4人の裁判部の裁判長はイ・インボク氏、主審はキム・ヌンファン氏、そしてパク・ビョンデ氏とアン・デヒ氏でした。この中で一番左側のキム・ヌンファン氏が判決文を書くなど主導的役割を果たしました。判決理由について、彼は「建国する心情で」判決したと伝えられました。2018年10月30日に二回目の大法院の徴用賠償判決が下された後、東亜日報に載った記事です。「建国する心情」ですか。私が見るには「亡国の心情」です。
  さて、大法院がこのように判決すれば行政府はどうしようもありません。こういう判決が下されれば類似の訴訟が列をなすことになり、既に900人が訴訟を提起したではないですか。その執行に入って行けば韓日関係は破綻するということが見えないのでしょうか。これが民族の精気を生かして韓日関係を正すということでしょうか。正にこの判決のために韓日関係は破綻の危機に陥っています。安保上でも危険が増幅され、経済上ではさらに言うまでもありません。日本との経済関係が中断すれば日本も損害をこうむるでしょうが、韓国は、この頃よく言う言葉で「爆亡」です。この4人は今、自分の判決でこのように世の中が大騒ぎになっていることに満足しているのでしょうか。あるいは、こんなことになるとは思ってもいなかったために狼狽しているのでしょうか。日帝末期の労務動員とは何だったか、請求権協定とは何かもよく知らずに傲慢に判決を下したことについて、2012年の大法官4人と2018年の大法官10人は恥を知るべきです。Shame on You! 今日はここまでです。


「Shame On You、亡国の判決」
チュ・イクチョン  李承晩TV  2019.07.22
https://www.youtube.com/watch?v=Wj0MFGpJcVU&t=278s  


亡国の判決(1)

 翻訳をやっと仕上げたところ、日本語字幕版が出たので意味がなくなってしまったが、せっかく翻訳したので記録しておこう。

「Shame On You、亡国の判決」

チュ・イクチョン  李承晩TV  2019.07.22
https://www.youtube.com/watch?v=Wj0MFGpJcVU&t=278s

  こんにちは、事実と自由、李承晩TVのチュ・イクチョンです。前回の時間では韓国大法院の徴用賠償判決以後の韓日関係悪化の過程を調べました。今回は、この大法院の徴用賠償判決自体に関して調べます。今日の話の題名は「Shame On You」で副題は「亡国の判決」です。どういう意味でしょうか。韓国大法院の判決は正に亡国の判決というべきものであって、その判決を下した大法官など司法府は恥を知れ、そういう意味です。
  韓国大法院の徴用賠償判決は2012年5月、そして2018年10月、11月の二回ありました。二回のいずれも二つの日本の会社、新日鉄住金と三菱重工業がその対象でした。ご存じのように、この判決は日帝下の強制動員被害に対する日本企業の損害賠償責任を認めたものです。要旨を見れば、すなわち、「日本の不法な植民支配に伴う被害に対する賠償は1965年の請求権協定において取り扱われなかった。それで、なお被害者たちの損害賠償請求権は生きている。」というものです。大法院は、徴用、すなわち強制で労務者生活をしなければならなかったことに伴う精神的被害に慰謝料を支給せよと判決しました。新日鉄住金と三菱重工業に被害者ごとにそれぞれ1億ウォンあるいは8000万ウォンずつ支払えとしました。その後判決が執行されて韓日国交破綻の危機が来たことは前回の時間に調べました。
  今日は、まず、この二つの訴訟事件の成立経緯であるところの、いわゆる「強制動員」について調べます。三菱訴訟事件の原告は5人で、彼らは1923年から26年の間の出生者たちです。彼らは18歳から21歳であった1944年8月から10月の間に集中的に京城府と京畿道から徴用令書=令状を受けた後、広島の旧三菱機械製作所と造船所などに配置されました。判決文では、この画面に見るように、彼らが劣悪な環境の中で仕事をしたと描写されています。例えば、休日が一ヶ月に2日だったとか、食事が不十分だった、宿舎がとても狭かった、等々です。一言で言えば、徴用すなわち強制動員されて、給与はきちんと貰い、怪我することなく帰還したということです。
  このように三菱訴訟事件の判決文だけ見た時は、訴訟の要件上大きな問題は無いように見えます。ところが日本製鉄訴訟事件はそうではありません。日本製鉄訴訟の原告は4人です。彼らはいずれも1923年から29年の間の出生ですが、彼らは1941年と1943年に日本製鉄の工場に行ったので、全て未成年の時です。特に、この中の1929年生まれの人は14歳の時に行ったことになりますので、ちょっと信じ難いところもあります。原告1と原告2は1943年9月に平壌で工員募集の広告を見て応募して行くことになったと陳述しました。当時の新聞には朝鮮内外の工場の工員募集広告が頻繁に載っていました。ですから、それを見てこのようにして日本に行ったというのは十分にうなずけることではあります。彼らは大阪製鉄所に配置されました。
  一方、原告3の人は1941年に大田(テジョン)で報国隊として動員されて日本に行って釜石製鉄所に配置されたといいます。報国隊というのは勤労報国隊の略称ですが、これは主に学生、女性、農民を農繁期の農村や土木工事現場、あるいはその他の工場、事業場に短期で臨時工員として動員したことをいいます。ところが日本製鉄の工員は短期・臨時の働き口ではないので、報国隊として日本に連れて行かれたという原告3の陳述は信憑性が低いのです。募集で行ったと見るのが合いそうです。原告4もやはり群山(クンサン)で募集に応じて日本の八幡製鉄所に配置されたといいます。整理をして見れば、結局この4人は全て募集に応じて日本製鉄の工場に行ったことになり、徴用労務者ということはできません。ただし、原告1と原告2の2人は1944年2月に現員徴用されたといいますので、徴用を一部認めることはできます。現員徴用というのは、ある事業場や工場が日本政府によって徴用事業場、工場として指定されたことによってその従業員を全て徴用されたものと見なすもので、したがって自由に会社・工場を辞めることができなくなるものです。それで、原告1と原告2は日本製鉄の工場で仕事をしていたときに、そのまま作業場所の変動はなしに徴用されたことになったと見ることもできます。
  特に問題になるのが原告3です。原告3は2012年判決文では1941年から1945年の解放の時まで日本製鉄の工場で仕事をしたことになっているのですが、ところが2018年判決文では1944年に徴兵されて軍事訓練を受けた後、米軍捕虜監視員をしていて解放を迎えたとなっています。後で述べますが、この部分がかなり重要です。彼らも概して賃金を全く貰えなかったといいます。その陳述の信憑性は無いのですが、この部分は賠償判決と無関係なのでこれ以上論じません。
  さて、以上のとおり、2つの訴訟に関連する基礎的事項を検討してみました。しかし、韓国大法院はこれら原告たちの陳述が事実なのかどうか、彼らが徴用労務者だったのかどうかきちんと検討しないまま判決を下しました。大法院は日本製鉄の原告1~4の全員を徴用労務者と見ました。しかし実際は4人の全てが募集に応じて自発的に日本に行ったのです。徴用、すなわち強制的に連れて行かれたのではありませんでした。徴用令は1944年9月から朝鮮に実施されたのですが、この4人の原告は全てそれ以前である1941年、1943年(3人)に日本に行ったのです。その後、原告1と原告2の二人が先ほど申し上げたように現員徴用されただけです。原告4は徴用されたという陳述はしていませんが、彼も現員徴用されたものと見られます。
  本当に問題として残るのは原告3です。彼は1944年に製鉄所を辞めて捕虜監視員になりました。軍属身分と推定されるのですが、それならこの人は日本軍に徴用されたわけで、したがって徴用賠償を望むならば日本政府を相手として要求しなければなりません。新日鉄住金に対する原告3の徴用賠償訴訟は成立しません。それでも韓国の大法院はこの人まで一まとめにして新日鉄住金に徴用賠償の判決を下しました。厳密さを身上とする司法判決がこのようにでたらめであっていいのでしょうか。一つの国の最高法院がこういう無知な判決を下したのは本当に恥ずかしいことです。
(07:15)韓国大法院の無知はそれに止まりません。請求権協定も間違えて理解して判決を下しました。大法院は、請求権協定では植民支配の被害補償を扱わなかったので、その被害補償の請求権は生きていると見ました。請求権協定を正しく知らなければなりませんね。過去に韓国は日本とのいわゆる財産と債権債務など請求権を相互に調整、整理することで終わらせることにしたのであって、後で植民地の被害補償をまた要求するということにしたのではありません。
  図を見て下さい。35年間の植民支配が終わった時、韓国人と日本人はあらゆる取り引き関係が交錯していました。商取引もあり金融取り引きもありました。受け取るお金もあり貯金したお金もあって、そういう状況でした。そして新しく国交を結ぶときに、この図の緑色部分A(8ヶ条請求権=財産、債権債務相互調整)のように財産の返還、債務の決済を要求したこともありました。特に韓国の立場では、この図の橙色部分B(植民支配苦痛の損害賠償)のように植民支配の苦痛に対する損害賠償を要求したこともありました。しかし、この中で国際的に可能なのはAだけでした。サンフランシスコ講和条約は韓日間の請求権協定の枠組みを作っていましたが、そこに戦勝国に対する敗戦国の賠償はあっても植民地に対する植民母国の賠償はなかったのです。韓国政府はやむを得ずAだけを要求しました。そして日本政府も同じ立場から請求権交渉に応じ、韓日会談の開始から13年後である1965年に国交が正常化されて請求権協定が締結されました。ところが韓国はおよそ50年後に日本に態度を変えて植民支配の苦痛に対する損害賠償を要求します。それが正に徴用賠償判決です。明白な約束違反ですね。
(続く)



売れる『反日種族主義』

文政権の反日煽動にも書店街では単行本 『反日種族主義』 突風
『反日種族主義』 教保・インターパークで関連分野1位席巻
インターパーク・YES24でも人気

2019.07.17 メディアウォッチ
http://www.mediawatch.kr/news/article.html?no=254099


文在寅政権の反日煽動で韓日関係が極悪の状況に陥っているにも関わらず、書店街では韓国社会の前近代的「反日」風土を正面から批判した単行本『反日種族主義』が突風を起こしていて注目される。
 (関連記事 : 李承晩学堂『反日種族主義』出版…「収奪説」、「強制動員説」、「性的奴隷説」等に反論)
 先月30日に出版された『反日種族主義』は、国内書店業界1位の教保文庫で2週連続でインターネットベスト週間(7月1日~7月16日基準)「政治/社会分野」1位を記録したのに続き、インターネットベスト週間(7月9日~7月16日基準) 「総合分野」でも3位を占めた。他の書店街でも『反日種族主義』の人気は急増している。インターパークでは週間ベストセラー(7月10日~7月16日基準) 「歴史と文化分野」 1位、当日ベストセラー(7月17日午前11時基準) 「総合分野」2位を記録した。アラジン(7月第3週)とYES24(7月10日~7月17日)でも週間ベスト「歴史分野」 2位だ。
  李承晩学堂によれば、『反日種族主義』は初版と2刷が全量出払い、現在3刷まで印刷した状況だ。大邱、釜山などの地域書店街ではあちこちで売り切れが続出していて、現在の販売傾向のままならば今週中に販売1万部達成は無難なものと見られる。
  単行本『反日種族主義』はYoutubeの李承晩TVにアップロードされた慰安婦、労務動員労働者、徴兵関連の講義を要約整理した本で、日帝時代に関する私たちの社会の通念を批判している本だ。本は序文と本文3部、終章で構成されている。1部では「土地・米の収奪説」、「強制動員説」等に反論している。2部「種族主義の象徴と幻想」は、反日種族主義の形成と拡散について扱う。3部では日本軍慰安婦問題に関する真実を暴いて「日本軍慰安婦=強制動員された性的奴隷説」に反論する。
  李承晩学堂は「反日種族主義」について、「日本の植民地支配とその後の韓日関係に対する今日の韓国人の既成通念を正面から否定する」とし、「今日、大多数の韓国人は‘日本は植民支配35年間に韓国人を抑圧、搾取、収奪、虐待したし、日本はそのことを反省、謝罪していない’と考える。しかし、この本はその通念が事実に基づくものではないことを示している」と説明する。
  また、李承晩学堂とペンアンドマイクは、今日(17日)午後6時からソウル光化門アペルガモ宴会場で『反日種族主義』発刊を記念するブックコンサートを開催する。李承晩学堂は明日(18日)とあさって(19日)も大邱のロッテシネマプレミアム・・・・・と釜山海洋大学校ダウンタウンキャンパスで連続でブックコンサートを開催する予定だ。詳しい内容は下段ポスター参照。

日本語字幕動画の意義

イ・ヨンフン教授が別番組のインタビューで李承晩TVの日本語字幕版動画について、概略次のように述べています。

イ・ヨンフン教授 「反日狂風に反論する」
(ペンエン招待席 進行 イ・チャンソプ社長)
ペンアンドマイク チョン・キュジェTV 2019.07.16 https://www.youtube.com/watch?v=0eAgFDZJNaU
(一部抜粋・要約)(21:00~)

(問) 李承晩学堂の校長としていろいろな講義をYoutubeにもたくさん上げていらっしゃるわけですが、最近、日本語字幕がつきましたね。それで、日本の人々は見ているのか、日本人の反応はどうなのか、お話いただけますか。

(答)反日種族主義の講義を去る12月から4ヶ月間かけてして来ましたが、思いがけないことに日本にいる韓国人たちがそれを自分の責任で翻訳してYoutubeに上げていました。皆さんがそういうことをするので、それならば私たちの学堂が責任を持って翻訳しようということにして、既に行った講義を日本語字幕で出したところ、韓国での照会数よりもはるかに多い照会が日本からありましたよ。平均して2倍程度多いですね。
 それだけ韓日両国関係について心配をして、韓国関係は本当に日本の発展のために重要だけれども韓国関係は今とても困難に陥っているといって心配する日本人たちは多いということですよ。もちろん、韓国を蔑視する意見、嫌いだという意見もありますが、コメントの多くは、日本と韓国が互いに協力して信頼することがアジアの平和のためにはとても重要だ、それで韓国でこのような放送が出てくるとは驚きだ、それなら韓国の人々を自分たちも信頼して協力できるのではないか、このような日本の普通の自由市民の声がコメントの中に多くあります。それで私は肯定的な機能を果たせていると自ら判断しています。


朝鮮王朝の異常な事大


我々の中の事大主義

パク・サンフ  李承晩テレビ 2019.07.15

 こんにちは、事実と自由、李承晩テレビです。韓国人がよく知らない歴史、そして中国と日本の歴史学者も一体なぜそうだったのかと疑問を持つのが、すなわち、朝鮮王朝が始まってから滅亡する時まで続いた明国に対する事大主義です。
 朝鮮初期の1402年(太宗2年)に製作されたという『混一疆理歴代国都之図』です。朱子学の宗主国である明国を真ん中に非常に大きく描いてあります。そして小中華である朝鮮もかなり大きいです。反面、倭として私たちが低く見ていた日本は朝鮮の下に非常に矮小に表現されています。朝鮮時代は言語の使用も明国を崇拝していました。「大明天地」という言葉は良くご存じでしょう。白昼、真昼という意味に勘違いして私たちが知らず知らずに良く使っている単語ですね。しかしこの言葉は、簡単に言えば、朝鮮の地は明国の天地だという意味です。「大明天地」は「大明天地崇禎日月」という8字表現の略語です。崇禎は明国が滅びる時に北京の紫禁城北門の外の景山の槐の木で首を吊って自殺した明国の皇帝です。日月は日と月で、合わせれば「明」という字になります。朝鮮は大明の天地で、明国は滅びても崇禎帝の日と月は朝鮮を照らす、という非常に事大主義に満ちた表現が正に「大明天地」なのです。
  朝鮮の事大主義は1392年に李成桂が王朝を開いたときから始まりました。李成桂は国の名前の候補として「朝鮮」と「和寧」の二つを明国に提出しましたが、明国はこの中から「朝鮮」という国名を選択したのでした。朝鮮は明国が国号を定めてくれたとして、常にこれを「大造之恩」としました。そして壬辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)のときには軍隊を派遣して王朝の生命を救ってくれたとして、これを「再造之恩」と呼びました。
  明の時代の核心思想は朱子学でしたが、王陽明が創始した陽明心学も次第に盛んになりました。朝鮮に陽明学が伝わるとすぐに、朱子学だけに固執していた朝鮮の士大夫層は、自分たちが正統を守っているとして明国に心理的な優越感を持ちながらも、特異なことに事大主義は捨てることができませんでした。1619年、ヌルハチが明の万暦帝の大軍を今の遼寧省撫順近くのサルフで撃破して、以後二度にわたって朝鮮に侵攻します。この時、朝鮮は「三田渡の屈辱」を蒙ることになります。仁祖は清国のホンタイジに対して、明国の年号を廃止すると共に明国が下賜した誥命勅印を提出して清国に仕えることになります。
(02:58) 以後、仁祖は明が格別に問題を提起しなくても明に対して謝罪して、宮廷内で明の皇帝がいる西方に向かって泣きながら礼をしました。高度な儒教文明国家として小中華を自任していた朝鮮が狩猟をする満州族に屈服すると、朝鮮の王や士大夫の権威は地に落ちます。同時に、清国の要求が朝鮮の重荷になって反清の思潮も起きて来ます。この時から清国を「胡虜」として、「胡虜子息」という悪口の由来にもなりました。清国の皇帝は「胡皇」、清国の使臣は胡虜の使臣ということで「虜使」と呼びました。蔑視しながら朝貢を奉るという皮肉な状況になります。朝鮮は、外交文書では仁祖がホンタイジに約条したとおり清の年号を使ったものの、国内用文書では明の崇禎の年号を使い、特に朝鮮の士大夫たちは朝鮮が滅亡するまでの200余年の間、このことに固執しました。
  明清の交代によって明の遺民が朝鮮に流入することもありました。時には彼らをかくまうこともありましたが、清の圧力で送還したりもしました。最もひどい事例は1667年に起きました。明国に忠誠であった鄭成功が反清運動をしていた時、南明・福建省の商人林寅観など95人が日本に行こうとして漂流して済州島に到着したことがありました。その時、済州島の役人たちは彼らが明国の服を着ているのを見て「皇統が生きている」、「親の声を聞いているようだ」とまで言いました。しかし、朝鮮王室は清国との関係を考慮するとして彼らを全て清国へ送還し、後に皆斬首されました。
  そうでありながらも、反清の思潮と明に対する事大主義は続きます。粛宗は壬辰倭乱の時に朝鮮に派兵した明の神宗を讃える祭祀を行わなければならないとして、大報壇を作ると言います。国家経済が厳しい時でしたが、粛宗がこの話をすると直ちに成均館の儒者160人余りが連名で上疏文を上げ、格別の意見が無かった大臣たちも調子を合わせて大報壇を作ろうと主張します。結局、粛宗の命令で明国の滅亡から甲子60年経った1704年に大報壇が建てられます。
(05:21) 祭祀の式は明国式に従いました。祭器は大明集礼に、霊牌と黄色のカーテンで取り巻かれた祭壇は大明会典によりました。孝宗の時代の北伐の意志が粛宗の時代には祭祀を通じた自己満足に変質したのです。粛宗の時に神宗を讃えたことでも足りず、英祖の時は祭祀の対象を明の太祖と最後の皇帝である崇禎帝まで拡大します。明の太祖朱元璋の神位を西側に、万暦帝を中央に、崇禎帝を東側に配置しました。毎年一度祭祀を行いましたが、これは1905年乙巳条約の後である1908年まで続きました。
 明国に対する事大を論ずるに当たって見逃せない史跡が、忠清道華陽里の萬東廟です。万暦帝と崇禎帝の祭祀を行うところです。萬東は「萬折必東」の略です。黄河は何度曲がろうとも川の水は東へ流れる、すなわち明国に対する忠節は変わらないという意味です。
  明国に最も忠誠をつくす派閥は宋時烈から李恒老へと続く華西学派でした。朝鮮末期に西欧勢力が押し寄せると、李恒老は反清に反洋の理念を加えて夷洋一体論を主張します。李恒老の華西学派は衛正斥邪運動を展開した崔益鉉と、日帝侵略と断髪令に抵抗して義兵を起こした柳麟錫に継承されます。柳麟錫は義兵運動に失敗して西間島地域の吉林省通化に渡ることになりますが、その後、高宗が大韓帝国を宣言して皇帝を称するとこれに反対したりしました。明の皇帝に対する大報壇の祭祀が公式に禁止されたのは1908年純宗の勅令によってでした。朱子学の理想主義に従って既に滅びた国の皇帝に対して200年以上も祭祀を行った事例は、世界史において朝鮮が唯一です。実際、壬辰倭乱、丙子胡乱のように戦争の名称に「倭」あるいは「胡」を用いるのも、やはり事大交隣という朝鮮特有の国際秩序観に基づくものです。壬辰倭乱の場合、中国では万暦年間の遠征という意味から「万暦之役」と、日本では丁酉再乱と合わせて「文禄・慶長の役」と呼びます。一方、私たちは戦争の名前でも日本には「倭」、清国には蛮夷という意味の「胡」が入っています。外部世界を見る朝鮮時代のこのような見方は今でも続いています。今日の講義はここまでとします。ありがとうございました。



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Author:Chaamiey
別名 茶阿弥
男性 熊本県在住
写真は飼い猫のちゃあみぃ

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