イ・ヨンフン教授 「自由」を語る(1)
これは、もう一年近く前、昨年5月の李承晩学堂地方巡回講演におけるイ・ヨンフン教授の講演の翻訳です。近年の韓国の社会情勢に対してイ・ヨンフン教授が最も言いたいことが取り上げられています。「韓国人は自由を知らない」、「自由とは、すなわち通商」という彼の哲学が熱く語られています。たぶん、李承晩TVの数ある彼の講義の中でもこれが白眉です。
教授の発声しか翻訳の手がかりがないので分からない部分多過ぎで、細部は省略した部分がけっこうあるし、翻訳した結果にも間違いがある可能性はあります。議論の骨格のみ理解していただければいいと思っています。
[李承晩学堂全国巡回講演―大邱]
危機に面した大韓民国/イ・ヨンフン
2019/05/28 李承晩TV
https://www.youtube.com/watch?v=vo3wRdSiRf4&t=1525s
皆さん、こんにちは。満場の大邱市民の皆さん、本当にありがとうございます。私の巡回講演はこれで6回目ですが、今日はこれほど多くの人がおいでだとは思いませんでした。ちょっと客席に比べて・・・・・後ろの方にも立っていらっしゃって、これを準備していただいた・・・・・教授に感謝申し上げます。
私は少し前に申し上げたことがありますが、私たちの韓国は危機に面している、そのように考えます。危機が見えてはいませんが、相対的に、非常に潜在的な危機が深く日常的に私たちを威嚇している、そのように考えます。国家も一つの団体です。自然的秩序ではなくて、国家はその国民がメンバーシップを持って私たちのこの団体をうまく導いて行こうといって作った一つの団体です。ところが、その団体成員である国民の心が分裂して、私たちは何のためにこの団体を作ったのかというその基本精神を失ってしまった時、その国家は、その団体は、危機に瀕します。長期的に衰亡することになるのです。
私は、どの国でも国家を作った後におよそ70年ほど過ぎると一度危機に出会うと考えています。いろんな席で何回もそういう話をしましたが、アメリカという国も、1776年、1794年ですか(翻訳者注: 「1794年」ていうのは何だろ?)、独立をして、1861年に南北戦争をしたではないですか。アメリカという国のアイデンティティをめぐって人々の考えが同じではなかったから、結局は戦争をしなければならなかったし、その戦争がどれくらい残酷なものだったのかは話す言葉もありません。南北青年の3分の1が死にました。そうしてから、アメリカ人とは何者なのか、アメリカという国はどうやってできたか国なのか、そのようにして国のアイデンティティが定立されました。そのようにして「建国の父」を見い出すことになって再評価することになった、そういうことだったのです。そうやって、70、80年も過ぎてからその国のアイデンティティを発見することができたのです。隣国日本も1868年に明治維新をしましたが、70年後には国が完全に滅んでしまいました。この国はどういう国なのかということを知らないまま、心に・・・・が入ってむやみに勢力を拡大していって、どうなりましたか。太平洋戦争を起こし、日本全土が焼けてしまいました。原子爆弾を二度も落とされました。そうしてこそ今日の自由民主の日本が生まれたのです。このようなことはたくさんあります。国が立てられておよそ3世代ぐらい過ぎると、その国民に私たちの先祖はこの国を何のために立てたのかという深刻な対立が発生して、そして一度大きな混乱の危機が生じるのです。韓国が今そのような状況に至っていることを知らなければなりません。この危機をうまく克服できないならば、この国は長期的に衰亡して行く、あるいは無くなるかも知れない、そういう状況です。そういう危機に面しているので、私ども李承晩学堂では、このように学堂を作って、巡回講演をしたりしているわけです。
(04:32) 今御覧の写真は、今から116年前にソウルにある清渓川周辺の漢城監獄に閉じ込められていた李承晩の姿です。高宗皇帝廃位事件に関与したということなので、国事犯として身体に鎖を付けられた重罪人の姿をしています。1903年ごろと推察されるのですが、横にいる人たちは、この人が・・・・・・先生で、こちらが全羅道観察使までしたユ・ソンジュン先生です。・・・・・・先生の弟ですね。この人が監獄に入って来たのが1903年なので、この写真は多分1903年に撮ったものだろうと推測することができますが、監獄に閉じ込められて4年めです。その次の1904年2月にロシアと日本が戦争を開始しました。その知らせを聞いて、青年李承晩は、強烈な痛みと悲しみを感じたと言います。この戦争が終われば国が滅びる。それは幼い子供でも分かることだと言うのです。露日戦争はなぜ起きたのですか。この韓半島を誰が支配するのか、という戦争でした。したがって、戦争が終われば、ロシアが勝とうと日本が勝とうと、二つの国のどちらかがこの韓半島を占めることになります。ということはこの国が滅びるわけです。国が滅びることがすぐそこまで来ている。ところが、この大韓の人民は国が滅ぶことも知らずにいるから、腹が煮えくり返るような痛みを感じる・・・・・・。
皆さん、考えて見てください、この大韓民国が今から滅ぶと考えて見てください。腹が煮えくり返るのではないですか。国が滅ぶということはどうなることですか。皆さんがみな奴隷になるということですよ。皆さん、奴隷になると考えてください。亡国奴ですよ。あと一年後に、ここにいらっしゃる人たちがみな亡国奴になると考えて見てください。はらわたが煮えくり返るのではないですか。何でそういうことが起きるのか、なぜそういうことが起きたのか、いまだに韓国人たちは分かっていないのです。
なぜ朝鮮王朝が、大韓帝国が滅亡したのか、今日、学校ではどのように教えていますか。李完用など5人が国を売った、そんな話をしています。国が滅んだのは彼ら5人のためだと言っています。話になることですか。一つの国が滅びたという厳然たる事実、私の祖父の代の話です。したがって、私は、大韓帝国の崩壊は過去の歴史だとは考えないで現代的事件だと考えます。私が幼い時に見たあの祖父の顔、その祖父が若かった時に、年齢5歳の時に大韓帝国が滅びました。したがって、彼の孫である私にも同時代の事件です。皆さん、昔のことだと考えないで下さい。3代、4代の後裔にとっては、歴史学では当代史です。コンテンポラリー・ヒストリーです。大韓帝国の滅亡は遠い歴史の話ではなくて私たちの現実の一部です。コンテンポラリー・ヒストリーですよ。しかし、この国がなぜ滅びたのか今でも分かっていないのです。李完用などの何人かが国を売ったと言っているのです。それが今日の歴史の教室で学生たちに教えている内容です。
一つの国が滅びるのに、何で力もない臣下が出て来て売ったりしますか。国は不動産ですか(聴衆の笑い声)。不動産なら売ったり買ったりもありますがね。今でも大韓民国の国民や歴史学者はこの大韓帝国がなぜ滅びたのかを分かっていません。だから危機が今でも潜在しているのです。このことについて、当代最高の歴史家の崔南善先生は、私たち朝鮮人は国が滅びるのにも失敗した、国がなぜ滅びるのかも分からないから国が滅びることにも失敗した、と言ったのです。どれくらい胸が痛い話ですか。今でも同じことです。今でも崔南善氏の、この国は滅びるのにも失敗してしまったというその言葉が私の胸を痛くさせるのです。
(10:26) ところで、この青年李承晩は監獄で本を書きました。『独立精神』という本。この国は何でこのように滅びることになったのか、あと一年もすれば滅びてしまう、小さな子供でも皆分かることだ。それなのに対応無策だ。国が滅びるのなら全国民が立ち上がらなければならないのと違いますか。全国民が一致団結して外敵に対抗して戦わなければならないのではないですか。そういう機運がなかったのです。そんなことを言う人もおらず、なぜこの国はこういう姿になったのか、青年李承晩はそれでこの『独立精神』という本を書くことになったのです。ところで、皆さんには申し訳ない言い方ですが、この中でこの本を読んだ方は10分の1もおられないでしょう。私も10年前に初めて読みました。若いころから大学の研究室で勉強して来たとは言っても、還暦に近づくころになってようやく読んだのです。この本を読めと私に勧める先生も先輩も同僚も、誰もいなかったです。今ここにいらっしゃる方々も10人に1人も読んでおられず、ソウル大学の教授たちでも10人に1人も読んでいないでしょう。いや、100人に1人もいないかも知れません。
続く
教授の発声しか翻訳の手がかりがないので分からない部分多過ぎで、細部は省略した部分がけっこうあるし、翻訳した結果にも間違いがある可能性はあります。議論の骨格のみ理解していただければいいと思っています。
[李承晩学堂全国巡回講演―大邱]
危機に面した大韓民国/イ・ヨンフン
2019/05/28 李承晩TV
https://www.youtube.com/watch?v=vo3wRdSiRf4&t=1525s
皆さん、こんにちは。満場の大邱市民の皆さん、本当にありがとうございます。私の巡回講演はこれで6回目ですが、今日はこれほど多くの人がおいでだとは思いませんでした。ちょっと客席に比べて・・・・・後ろの方にも立っていらっしゃって、これを準備していただいた・・・・・教授に感謝申し上げます。
私は少し前に申し上げたことがありますが、私たちの韓国は危機に面している、そのように考えます。危機が見えてはいませんが、相対的に、非常に潜在的な危機が深く日常的に私たちを威嚇している、そのように考えます。国家も一つの団体です。自然的秩序ではなくて、国家はその国民がメンバーシップを持って私たちのこの団体をうまく導いて行こうといって作った一つの団体です。ところが、その団体成員である国民の心が分裂して、私たちは何のためにこの団体を作ったのかというその基本精神を失ってしまった時、その国家は、その団体は、危機に瀕します。長期的に衰亡することになるのです。
私は、どの国でも国家を作った後におよそ70年ほど過ぎると一度危機に出会うと考えています。いろんな席で何回もそういう話をしましたが、アメリカという国も、1776年、1794年ですか(翻訳者注: 「1794年」ていうのは何だろ?)、独立をして、1861年に南北戦争をしたではないですか。アメリカという国のアイデンティティをめぐって人々の考えが同じではなかったから、結局は戦争をしなければならなかったし、その戦争がどれくらい残酷なものだったのかは話す言葉もありません。南北青年の3分の1が死にました。そうしてから、アメリカ人とは何者なのか、アメリカという国はどうやってできたか国なのか、そのようにして国のアイデンティティが定立されました。そのようにして「建国の父」を見い出すことになって再評価することになった、そういうことだったのです。そうやって、70、80年も過ぎてからその国のアイデンティティを発見することができたのです。隣国日本も1868年に明治維新をしましたが、70年後には国が完全に滅んでしまいました。この国はどういう国なのかということを知らないまま、心に・・・・が入ってむやみに勢力を拡大していって、どうなりましたか。太平洋戦争を起こし、日本全土が焼けてしまいました。原子爆弾を二度も落とされました。そうしてこそ今日の自由民主の日本が生まれたのです。このようなことはたくさんあります。国が立てられておよそ3世代ぐらい過ぎると、その国民に私たちの先祖はこの国を何のために立てたのかという深刻な対立が発生して、そして一度大きな混乱の危機が生じるのです。韓国が今そのような状況に至っていることを知らなければなりません。この危機をうまく克服できないならば、この国は長期的に衰亡して行く、あるいは無くなるかも知れない、そういう状況です。そういう危機に面しているので、私ども李承晩学堂では、このように学堂を作って、巡回講演をしたりしているわけです。
(04:32) 今御覧の写真は、今から116年前にソウルにある清渓川周辺の漢城監獄に閉じ込められていた李承晩の姿です。高宗皇帝廃位事件に関与したということなので、国事犯として身体に鎖を付けられた重罪人の姿をしています。1903年ごろと推察されるのですが、横にいる人たちは、この人が・・・・・・先生で、こちらが全羅道観察使までしたユ・ソンジュン先生です。・・・・・・先生の弟ですね。この人が監獄に入って来たのが1903年なので、この写真は多分1903年に撮ったものだろうと推測することができますが、監獄に閉じ込められて4年めです。その次の1904年2月にロシアと日本が戦争を開始しました。その知らせを聞いて、青年李承晩は、強烈な痛みと悲しみを感じたと言います。この戦争が終われば国が滅びる。それは幼い子供でも分かることだと言うのです。露日戦争はなぜ起きたのですか。この韓半島を誰が支配するのか、という戦争でした。したがって、戦争が終われば、ロシアが勝とうと日本が勝とうと、二つの国のどちらかがこの韓半島を占めることになります。ということはこの国が滅びるわけです。国が滅びることがすぐそこまで来ている。ところが、この大韓の人民は国が滅ぶことも知らずにいるから、腹が煮えくり返るような痛みを感じる・・・・・・。
皆さん、考えて見てください、この大韓民国が今から滅ぶと考えて見てください。腹が煮えくり返るのではないですか。国が滅ぶということはどうなることですか。皆さんがみな奴隷になるということですよ。皆さん、奴隷になると考えてください。亡国奴ですよ。あと一年後に、ここにいらっしゃる人たちがみな亡国奴になると考えて見てください。はらわたが煮えくり返るのではないですか。何でそういうことが起きるのか、なぜそういうことが起きたのか、いまだに韓国人たちは分かっていないのです。
なぜ朝鮮王朝が、大韓帝国が滅亡したのか、今日、学校ではどのように教えていますか。李完用など5人が国を売った、そんな話をしています。国が滅んだのは彼ら5人のためだと言っています。話になることですか。一つの国が滅びたという厳然たる事実、私の祖父の代の話です。したがって、私は、大韓帝国の崩壊は過去の歴史だとは考えないで現代的事件だと考えます。私が幼い時に見たあの祖父の顔、その祖父が若かった時に、年齢5歳の時に大韓帝国が滅びました。したがって、彼の孫である私にも同時代の事件です。皆さん、昔のことだと考えないで下さい。3代、4代の後裔にとっては、歴史学では当代史です。コンテンポラリー・ヒストリーです。大韓帝国の滅亡は遠い歴史の話ではなくて私たちの現実の一部です。コンテンポラリー・ヒストリーですよ。しかし、この国がなぜ滅びたのか今でも分かっていないのです。李完用などの何人かが国を売ったと言っているのです。それが今日の歴史の教室で学生たちに教えている内容です。
一つの国が滅びるのに、何で力もない臣下が出て来て売ったりしますか。国は不動産ですか(聴衆の笑い声)。不動産なら売ったり買ったりもありますがね。今でも大韓民国の国民や歴史学者はこの大韓帝国がなぜ滅びたのかを分かっていません。だから危機が今でも潜在しているのです。このことについて、当代最高の歴史家の崔南善先生は、私たち朝鮮人は国が滅びるのにも失敗した、国がなぜ滅びるのかも分からないから国が滅びることにも失敗した、と言ったのです。どれくらい胸が痛い話ですか。今でも同じことです。今でも崔南善氏の、この国は滅びるのにも失敗してしまったというその言葉が私の胸を痛くさせるのです。
(10:26) ところで、この青年李承晩は監獄で本を書きました。『独立精神』という本。この国は何でこのように滅びることになったのか、あと一年もすれば滅びてしまう、小さな子供でも皆分かることだ。それなのに対応無策だ。国が滅びるのなら全国民が立ち上がらなければならないのと違いますか。全国民が一致団結して外敵に対抗して戦わなければならないのではないですか。そういう機運がなかったのです。そんなことを言う人もおらず、なぜこの国はこういう姿になったのか、青年李承晩はそれでこの『独立精神』という本を書くことになったのです。ところで、皆さんには申し訳ない言い方ですが、この中でこの本を読んだ方は10分の1もおられないでしょう。私も10年前に初めて読みました。若いころから大学の研究室で勉強して来たとは言っても、還暦に近づくころになってようやく読んだのです。この本を読めと私に勧める先生も先輩も同僚も、誰もいなかったです。今ここにいらっしゃる方々も10人に1人も読んでおられず、ソウル大学の教授たちでも10人に1人も読んでいないでしょう。いや、100人に1人もいないかも知れません。
続く